拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  Bad-man・辰 の『ミス』考

2025年01月14日 | オレ的アングル

  定年退職(2017年)以来、週イチ3時間のバトミントン修練を続ける中で、いろいろ思う事がある・・・。

 

  他のスポーツはどうか知らないが、我々がやっている『バトミントン・ダブルス』において、自他ともども『ミス(失敗)』する機会の絶大なること

  他の追従を許さない・・・スポーツではないかと、思う今日此の頃、その意味と意義を考えてみた。

 

  土曜日の午後、3時間、その日参加する人数によって最大4コート利用できるバトミントン・クラブに私は参加している。

  平均年齢が40〜50歳ぐらいで、内女性が3〜4人、だから多いときは全員で16名ということになり、そのうちの4〜6人は

  別の曜日もプレーしているので、バトミントンに完全にハマっているオヤジの中には週に3回プレーしている奴もいる。(かつて私の如く)

 

  バトミントンをプレーする時に、問題になるのはそのレベルで、実力の差がこれほど歴然とするスポーツもまた珍しいと言えるかもしれないほど

  レベルに差がつくスポーツで、昔私は競技団体に所属して、各地域で主催される大会に参加したものだが、

  A(ナショナルチームに参加するレベル) 以下B,C,Dとレベル分けされる中私はDの3のレベルであった。

  このレベル分けがなければ、話にならないほど、実力差が大きく、プレーしていても全く面白くないのだ。

 

  そういう意味では、私が今参加しているグループのレベルというのは、平均値として『Dの上〜中』で、この範囲で上手い者と下手な者いろいろだ。

 

  このグループでは、マッチ(試合)を始める前の15分ほどの準備運動としての羽の打ち合い、それが終わると残り2時間45分はすべてダブルスの試合となり、

  2セットの試合が終わると7、8分の休憩をはさんで即、自分と相手のパートナーと変えて次の試合が始まる・・・この繰り返しだ。

 

  バトミントンのダブルスというのは、パートナーとのコンビネーションが非常に難しいスポーツで、基本的なことをトレーナーに付いて

  一度でも学んだ者と、そうでない者とでは動きがぜんぜん違ってくる事もあり、組んだパートナーのレベルによって自分の対応が違ってくることを

  プレーするうえで自覚することが重要になる。

 

  ・・・エトセトラ。細々書くとキリがないのでこれくらいにして、『ミス(失敗)』について書くと

  自分のミスもさながら、時々一緒にプレーするパートナーの『いつものミス』には、ほぼ『諦めの境地』に私は達していて、

  それは、自分の『いつものミス』・・・バトミントンであるから、一瞬の判断におけるプレーにおける『いつものミス』に自動的にハマってしまう

  魔境との戦い・・・とも言えるコントロール不能状態に陥るたびに、『あぁ〜っ!』と後悔することが、ママあるのだ。

 

  本来であれば、『いつものミス』を矯正すべく、プロのトレーナーとともに、同じシチュエーションを繰り返し練習して克服すれば良いのだが

  そういった余裕のない我々は、ぶっつけ本番での際に克服すべき点を、強い意志をもって問題克服に取り組むべく『試合』に挑む…しかない。

  その意味では、バトミントン・ダブルスという競技は、そのチャンスが何度も何度もやってくる競技であることは、実にありがたい競技であるのに

  私達はそれでも毎回『いつものミス』を繰り返している・・・。これの克服が『Bad-man辰』(私のバトミントン名)の今年の目標である。

 

  (せっかくのチャンスを『いつものミス』で台無しにする・・・という状態は、『小さな悟りチャンス』を意識の働きが薄弱の為に見逃すのに似ている…かも)

 

              

  バトミントン世界選手権大会がローザンヌであった1995年(私43歳)から私はバトミントンにハマり、引越屋になる2003年まで夢中にプレーした。

  2017年に定年退職したのを機に、バトミントン再開! 今に至る・・・。昔はシングルのみ、現在はダブルスのみ。

               

  


  ロコ・ソラーレ北見!

2022年02月21日 | オレ的アングル

  前回の平昌オリンピックで『そーだね〜』で有名になったカーリングの『ロコ・ソラーレ北見』が、北京オリンピックで銀メダルになった。

  メンバーの4人が4人皆、北見市出身・・・ということで、北見市出身の私は、想定外の郷愁を思いっきり誘われるのだった。

 

  『ロコ・ソラーレ』・・・というのは、地名からくる『常呂っ子』とイタリア語の『太陽』の掛け合わせで『太陽の常呂っ子』なる意味で

  美しく、聡明な本橋麻里氏によるチーム結成の際に名付けられたチーム名だ。

 

  このチーム名が、私にとって一層眩しく輝いて思えるのは、約50年ほど前地元の高校を卒業して東京に向けて旅立っときの私の内心は

  周囲を低い山でかこまれた盆地の玉ねぎ畑以外は何もない田舎・・・からやっと解放されるという思いであり、故郷に対する劣等感であった。

  『何もない町』…というのが私の『道産子』としての感想で、当時自家用車が普及していない時代では、30kmも行けば海が見られたであろうに

  なかなかそうゆう手段もなく、それこそ蒸気機関車の汽車ポッポにゆられ、車窓から頭を出して風景をみれば汽車の吐く石炭の燃えカスが眼に

  入って痛かった時代であったのだ。

  それがどうだろう、カーリングで北見のチームが世界に名を馳せる・・・日が来るとは!

 

  ウィキペディアでチームの一人ひとりの経歴を見ると、それぞれにドラマが観えて一長一短にここまでこれたわけではないのがわかる。

  それこそ何もない所に町おこしの如く始めたカーリングにそれぞれが幼少の頃から関わって、積み上げてきた修練の賜物だといえる。

 

  私の故郷に対する劣等感…というのは、幼少期の私を鍛えてくれなかった環境への『恨み節』なのではなかったか・・・と今は思う。

  しかし、実際にはそれは事実ではなく、『何もない』所にこそ『緩やかに』私を育んでくれていた故郷であり、時代であったのだと思う。

 

 思えば、カーリングも『ハウス』という『円』の中心に向けて石(意思)を投石するゲームで禅修行に通ずる、やはりこれも『道』なのであろう。

    

        

          ロコ・ソラーレのメンバーにはなれそうもない、『二コ・ソラーレ』。最初の滑り出しが案外難しい・・・図

  

  


  徘徊の10年…

2022年01月24日 | オレ的アングル

  俳号を『一撮』としてから早10年がたった。

  2011年6月にスマートフォンを買って、友人の勧めで『ツイッター』を始めた時、俳句をツイートすることを思いついた。

  それまで、俳句など作ったことがなかったのに。

  しかしなんでかな? 五七五・・・の口調だと、なんかかんか口をついて言葉が出てきて

  ローザンヌ〜ジュネーブ間の電車通勤が楽しくなったものだ。

  

  今から考えると、『ツイッター』と『俳句』が私の SNS(Social Networking Service)への参加入門で

  奇しくも3・11の直後というタイミングであったこともあり、『俳句』から徐々に自国の『政治』に眼を開いていった。

  当時は『反原発』系のツイートが多く、それがキッカケでYoutubeやFacebookへと広がっていった。

  2013年の『東京オリンピック招致プレゼンテーション』の際、安倍総理が福島原発事故については『アンダーコントロール!』と

  言った一言には衝撃を受け、日本の政治的現状の認識を新たにし、還暦を過ぎて初めて『投票権』を施行することになった。

 

  2011年初期の俳句 : 異国語や 眠りを誘う 帰宅電

             調子出て ツイツイさえずる 雨燕(アマツバメ)

             生も句も 限られてこそ 活きるかな

             つぶやきが 叫びに変わる 日に生きて

  2013年頃      地震ごと 人は誇りも 失って 不満転嫁に 在日いじめ

            したり顔 無感覚ゆえ 無関心 沈黙守り 子ども守らず

            帰宅電 秋の深まる 風情を 時々見ては ツイを読む我

  ・・・こんな感じで、後になるほど政治的になり、俳句より短歌もどきが増えていった。

 

  20代の頃、私は写真に没頭したが、俳句と写真は非常に似ていると改めて思う。

  私の中では 『写真』があり、その後『禅』の無言の時期を経て 『俳句・短歌』・・・と流れて来たような気もする。

 

        

           飲まぬ俺 酔わせてくれた ワインハウス :一撮 ・・・ これも2011年頃の写真、携帯で動画を見ながら歌を聞ける

                               時代に私は感動し、死んでしまってから彼女の存在を知った事を残念に思った。

  


  ニュートラル な 『私』

2022年01月14日 | オレ的アングル

  ブログなどで、自分の事を『私』と書くようになったのは、多分3年前ぐらいからであろか。

  それまでは『ボク』で通していた。何にせよ、読む人にとってはどうでも良いことに違いないと思うが

  私自身の心境の変化というのは、『馬骨』として考えてきた『悟学』のようなものを、他人に話す機会を頂いた時

  還暦を過ぎた爺さんが『ボク』…というのが、なんだか場にそぐわない気がして、以来ブログやそういった場では『私』を使用している。

  しばらく『私』を使って思うのは、自分の言動に責任を負う覚悟の度合いが『ボク』や『俺』に比べてある気がしている。

 

  私(25歳)の最初の恋人はオーストラリア人であったが以来、日本語を話す外国人を身近に沢山みてきた。

  そんな彼等を観ていつも不思議だったのは、日本語を話しているときの彼等は、母国語を話している彼等よりも必ず性格が『優しい』。

  彼等自身もそういった感覚に気づいているようであった。その点について何度かディスカッションしたことがある。

  彼等外国人が日本が好きな理由の一つに『自分が優しくなり』相手の日本人も『親切』で、『優しい関係』が作れる国…ということもあると思う。

 

  日本語を学ぶ初心者はまずいわゆる『標準語』を学び、『私の名前は○○です・・・』が基本になる。

  このときの『私』って、無意識にせよ、それまでの自己の『過去』の一切を捨てた『私』になるのではないだろうか?

  日本人の私にしても、いつの日か還暦も過ぎた頃『ボク』から『私』という言葉を使うようになるとは想定外であり

  使ってみて思うのは、『私』というのはとても『ニュートラル』な『場』であることだ。

  以前は『ボク』が一番ニュートラルであると思っていたが、どこか『甘え』があった気がする。

 

  最近出会った日本語が出来る外国人が、『俺』を使って話していて、こなれた日本語を話しているつもりのようであったが

  それって、私にとってはカッコイイ…ことでは無い。 自分を『無』にする『智慧と勇気』と言うと大袈裟だが少なくとも

  性格をニュートラルにする主語『私』の方が自他をして『清静の場』を醸し出してくれてカッコイイ・・・と思う。

       

       拙者は『馬骨』でござる・・・日本語はそのばその場で、何者にでもなれる『場』があって楽しい・・・

  

  


  チーズフォンデュ話

2022年01月03日 | オレ的アングル

  スイスに住んで約三十年、スイスの名物料理チーズフォンデュの話はそろそろ出てもいい頃か・・・。

  とにかく料理にせよ何にせよ、『スイス』について語るのは簡単なことではない。

  スイスに来てすぐ観光ガイドになって15年間、日本人観光客にスイスを説明するふりをしたけど、正直スイスについて

  何にもわかっていなかった。・・・ことは間違いない。

 

  本来なら九州ぐらいの大きさの国なんだから、国中を走り回って、観光ガイドブックで勉強すればなんとかなりそうな気がするが

  現実のスイスは、ドイツ語、フランス語、イタリア語それにおまけのようなロマンシュ語という聞いたこともない言語を持つ国で

  アルプス山脈やジュラ山脈、それに湖なんかで街々が隔てられていて、忘れていたけどドイツ語は、読むときはドイツ語で話すときは

  スイスドイツ語というドイツ人が聞いてもサッパリわからない言葉である。

 

  30年前にスイスに来た時、私は片言の英語しか出来ない…身分でありながらだいそれたスイス観光ガイド(一重に食うため)を始めたが

  ヨーロッパでたぶん一番ガイドが難しい国に来てしまったのだ。・・・

 

  それはともかく、チーズフォンデュであるが、スイスに初めて来た時、スイス人のにわか恋人がレストランでスイス名物『チーズフォンデュ』を

  振る舞ってくれたが、その、あまりにもシンプルな料理スタイル、溶けたチーズにパンを絡めるだけの料理に私は心底ビックリ。

  だいたいチーズというものを、ほとんど食べたことのない道産子(38年前ぐらいの話ですが)に、ひたすらチーズとパンだけの味というのは・・・。

  いくら何でも2口以上は耐えられず、ギブアップ。 そのせいもあってか恋人関係も解消された。

  その後、相方と結婚してスイスに住むようになり、義理の両親宅へ時々お邪魔した際、義母がチーズフォンデュを振る舞ってくれるようになった。

  それを食べているうちに、少しずつ馴染んでゆき、最後には義父と一緒になって鍋の底のチーズをパンでこそいで食べるようになっていた。

 

  チーズフォンデュは日本でいう『鍋物』にあたる。寒い冬にできるだけ大勢で食べるともっと美味しい料理だ。

  ガイドの時、勉強したがチーズフォンデュは昔農家の人が固くなってしまったチーズをワインで溶かし、それにパンを付けて食べる…

  ところからはじまったらしい。

  だから(?)基本的にチーズフォンデュはアルプスの山岳地方のもので、それが少しずつスイスの都会に進出してきたようだ。

  だから(?)ワイン好きのニコルも若い頃はチーズフォンデュは嫌いで、好きになったのは私と一緒に実家で食べるようになってからだ…という。

 

  日本人の食生活と比較してチーズフォンデュから推測できることは、日本人の味覚に対する『好奇心の強さ』ではないだろうか。

  スイスだけではなく、ヨーロッパ各地で寿司はすっかり定着し、最近はラーメン屋がボチボチあちらこちらで見かけるようになってきた。

  西洋人の『味覚の覚醒』に日本の食文化が確実に影響を及ぼしているのだ。

       

          元旦とは思えない気温14度の快晴のレマン湖であった。

  

  


 最期の一句

2021年12月29日 | オレ的アングル

  2021年今年最期の一句という意味であって、辞世の一句というつもりはないけれど・・・。

  無理やりこじつけ、『愛国海外在住者の義務』の観点から今年一年の日本を振り返った感想の一句のようなものがあっても良いだろう。

   そこで一句

 

        『 下衆どもに 政治まかせて 愚か衆 安倍のマスクで 顔を隠せば・・・』 一撮(自戒の念を込めて』

  『安倍のマスク』は2020年6月に2枚の布マスクが配布され、この時点で260億円(調達に184億円、配送費76億円)の出費を発表。

  そのマスクはサイズが小さく、虫や毛髪の混入があって国民から厳しい批判の声があがった。

  それが今年2021年10月になって会計検査院の発表で、調達したマスク全体の3割が配達されないまま倉庫に保管、その費用が6億円。

  2021年12月21日岸田首相の国会答弁によって、保管分の検品した際、約15%の1100万枚が不良品と判明し、その検査費用が20億円9200万円。

  これらマスクの廃棄処分を決定したが費用は約6000万円・・・という。(ウィキペディアによる)

  遠くから祖国をみると、政府の愚策が一層 ”クッキリ” と政治音痴の自分にも見える気がする。 

  三十数年前、初めてヨーロッパの地に足を踏み入れた若き馬骨は、頼まれてもいないのに『日本代表』みたいな気分で高揚したものだ。

  その頃の日本は『エコノミック・アニマル』と揶揄される部分はあったが、おおむね誇りに思える『我が祖国』であった。

  それがあの 3・11 の大津波でそれまでの日本の負の面が露出した感がある。

  それらの復興に真摯にたちむかっていれば・・・の、慙愧の念にたえない。

  しかし、その強い反省の念からしか来年の『希望』は見えて来ないのではないかと思う。

     

         異国の『クリス松』から…日本の『門松』への声援にかえて・・・良いお年を!

 

  


 『恋』 と 『変』

2021年12月02日 | オレ的アングル

  まぁ、この歳(69)になったからこそ話せることも、あるんじゃないかなぁ〜・・・

  『色』とか『空』とか話していて、煩悩の典型『色』の代表『恋愛』について思うことなど。

 

  30年前スイスに来て出会った、ニコルの従姉妹の3人の息子達は、当時5,6歳。

  今、彼等はそれぞれ伴侶をともなってスイス以外の土地にすんでいる。

  彼らの恋愛状況などを遠目に見守って、恋愛って『大変』なものだのォ〜・・・と自分の過去は顧みずフムフム…と思ったものだ。

  

  今、自分の昔の恋愛状況をも顧みた時、『恋愛』というのは思いっきり『我エゴ』を表現できる場であり、それによって相手、或いは自分が

  残酷なまでに『傷つく』ような、そういう意味で『壮絶』な時期が『恋愛』であったように思う。

  もっとも野性に、人間が戻る期間のような。

 

  『恋愛』の『恋レン』、それが『変ヘン』にもなる。 

  共通する『亦』はもともと『糸』編二つの間に『言』がある文字で、『続く』を意味するという。

  それに心が通ずれば『恋』だし、連続するものを断ち切って変える…というのは『変』の下部の文字の意味らしい。

 

  この『恋愛』ばっかりは、他人がどうこうすることも出来ない、『傷を負わせても、負わせられても』どうすることも出来ない…。

  この体験は人をして人生の『諸行無常』の一端を強烈におもいしらせる出来事なのではないだろうか。

 

  69歳だし…と気負ってみたが、『恋愛』について別に大したことを書けない自分に気がついた・・・だけであったの巻。 おそまつ。

        

         出会いとか、別れとか各自のタイミングなどもあって、『運命』みたいなもの。

             惹き合って 言葉の糸で 結び合う 『恋』という名の 同行二人 :一撮

       

 

  

  

  


  投票はあなたの声

2021年10月19日 | オレ的アングル

  俳優さんやタレントさんミュージシャン?等が自主的にYoutube動画を制作し、今月31日に投開票がある『衆議院選挙』に向けて

  投票を促している。 

  動画に登場している人で、私が知っているのは渡辺謙と小栗旬ぐらいで、他の若者たちはそれぞれ違った分野で活躍している有名人

  であろうから、若い世代に向けてのメッセージなのであろう。

  こういったメッセージに、私は大いに賛同する者ではあるが、60歳になるまで一度も投票したことのない・・・オヤジなので

  『投票に行きましょう!』などと若者たちに言える立場にないのであるが… 今回の衆議院選挙にはぜひ投票に行ってもらいたいと思う。

  

       VOICE PROJECT  : 投票はあなたの声

     

 (秋元才加 安藤玉恵 石橋静河 小栗旬 コムアイ 菅田将暉 Taka 滝藤賢一 仲野太賀 二階堂ふみ 橋本環奈 前野朋哉 ローラ 渡辺謙)

 

  私はスイスにすんでいるので、『在外投票』で日本より早目の10月20日〜24日までにジュネーブの領事事務所かベルンの大使館へ行って

  投票しなければならない。この2ヶ所から遠くに住んでいる日本人の人達は投票するのも本当に大変だ…。

  そもそも『在外投票権』は面倒な手続きを経てもらわなければならないので、持っていない人も多いようだ。

  昔のように滅茶苦茶な政治家がいなかった時代はとにかく、いまのように公文書改ざんや、破棄などなんでもありの時代であれば

  『投票』することは故郷を思う日本人の最低の義務ではなかろうか。

  

  


 たとえば 『昭和』 という季語

2021年09月28日 | オレ的アングル

  新居から駅まで2分、というストレス・レスのせいで鉄道沿線の地域はすべて我々夫婦の散歩コース候補となり

  最近我々のお気に入りは、Rolleというレマン湖畔に緩やかな傾斜で広がるブドウ畑を持つ村は我々の住むモルジュから電車で10分のところ。

  同じレマン湖半でもその町々村々で雰囲気が違うところが、散歩者としては非常に楽しいポイントである。

  相方の場合はそれに加えて楽しくも、どこか隠し味のあるカフェ(喫茶店)があることが重要事項となっている。

 

  先日その第3回目のRolle散歩をして、いつもと違うところを歩いているとこんな風景にであった。

         

  船修理場であるが、一目みて何故か懐かしい…気分になり、思わず『昭和』の風景!と思ってしまった。

  その時に、普段私によって『面倒くさいシステム』と貶(けな)されている『元号制』について、ちょっと待てよ・・・という思いにいたった。

  

  そう言えば、ヨーロッパにはややこしい『元号』がない。それをずーっと羨ましい・・・と思っていた私だが、こういった風景に出会った時

  我々日本人の場合、『昭和』とか『明治』とか『平成』などと各世代世代の『期語』ならぬ、様々な時代の要素を含んだ『季語』とも言える

  『元号』を持ち、人生を縦横に『還暦スキャン』する文化を持つ日本としては、非常に重要であることに気付いたしだいだ。

  そもそも、60歳になっても『還暦』という感慨すらも文化として持たないヨーロッパ人はどんなモノを基準として還暦するのだろうか?

  逆に、様々な次元で『季語』的象徴を持つ日本文化はその点でも確かにユニークな国で、外国人が憧れる要因の一つになっているのかもしれない。

      


  書斎 (塞)

2021年09月18日 | オレ的アングル

  我々の新居は日本で言うところの『1LDK』らしい。 LDK+寝室。

  旧アパートはキッチンが独立し、TVのある居間を兼ねた相方の部屋、私の部屋があって別に寝室があったが

  新居は部屋数が減って、私の部屋…というのが無くなってしまった。 

  なんとかしなければ・・・ということで出来上がったのが『我が書斎(塞)』。

 

  入居が決まったのが去年の12月であるが、建築中なので部屋を見ることができず図面上で色々試案。

  その試案が功を奏し、まさに『書斎(塞)』というものができた。

  そのスペースは150x240cmで小さいながらも、二つの大きな書棚で私のPC机を取り囲んだスペースが

  我がコックピットとしての空間で、旧書斎の比べると独立性、サイズにおいて劣るが、まさに気に入った

  書籍に取り囲まれたスペースは『書斎(塞)』の名にふさわしく、これまで以上に各分野の本に眼が行き届く画期的なものとなった。

  これはスイスという地震が基本的に無いに等しい土地柄であること、

  うさぎ小屋…と揶揄される日本人の狭い生活空間を活かして使う能力の賜物であると思っている。

      

       LDKの一角に、私が背にしている書棚で取り囲んだスペース(隠れて見えない部分)

       書棚の両面(内側と外側)に別な本がびっしり並んで、まさに書斎(塞)の名にふさわしい。

  これを我がコックピットとして、妄想の空色界を自由闊達に飛び回るのだ・・・乞うご期待!


 Home…

2021年09月07日 | オレ的アングル

  先日、バトミントン仲間の英国人ピーター(同年齢)に『引越完了』の旨を話すと 『次の引越は、これやな・・・』と、空を指さす。

  一瞬なんのことか?・・・と、うえを見上げる時『ああ~、なるほど』。。。と納得。

  さすが英国人、常にピリッとくるジョークを発することに感心させられた。

  で、その後に日本人の友人に会ったので、そのジョークを試してみると、『なんで上なんや、あんたの場合むしろ下の方やろ』

  と言われてしまい…。日本の爺も関西人だと英国に負けてないなぁ・・・と、これまた感心。

 

  ところで新居であるが、正直イメージしていたのより遥かに素晴らしいので、我ら夫婦はいまだに浮足立っている。

  我らの願いは、これまでの6階エレベーター無しから、エレベーター有りの生活改善が主な目標であった。

  ところが現実は、部屋数と面積は減ったものの、そのアパートのクオリティは予想もしていなかったハイクオリティで

  立地条件たるや駅にしろ、スーパーにしろ2〜4分で行けてしまう夢のような…我々にとってまさにスーパーシティ!であった。

  相方はともかく、私のような根っからの貧乏人はこんな処に住んでいいのだろうか・・・と自問してしまうレベル。

  それに今日は我が家の『 I T担当 』とも言うべき友人が来てくれTVにアップルTVをつないでTVもNetflixもYoutubeも観えるようにしてくれた。

  とにかく上下左右の隣の物音が一切聞こえないだけでも アパートとしては、Good !であると思っているのに、

  住人に対する配慮が行き届き過ぎっていうのも、不慣れな私にはかえって怖い気がする。

       

            思ってもいなかったアパートに舞い降りてきた感じの図

  アパートの門をくぐると家の中まで完全バリアフリー・・・私にとって『終の棲家となるHome 』であろうが、

  なんだかその単語の前に『 老人 』が付くような気がしているのは、私のひがみ根性であろうか。

  引越して一ヶ月、気持ちの面で明らかに以前と違うことがある。

  新居に移り住んだことで、『退職者』・・・つまり『無職』という身分があらためてハッキリ自覚することができた気がする。

  旧アパートで過ごした時間は働いていた時の方が断然多いせいか、退職後もその自覚が鮮明ではなかったようなのだ。

  


 引越屋ワールド

2021年09月06日 | オレ的アングル

  先日、自分の引越の際、それこそ久々の梱包作業をした。

  本、衣服、食器、テレビやプリンター、PC・・・家具以外はだいたい梱包した。

  なんせ15年間引越屋をやっていたのだから、5年間ブランクがあってもすぐ昔の引越屋の自分にもどっていた。

  相方は引越作業をしている私を知らないから、食器を手早く要領よく梱包している私に驚いていた。

  引越屋といっても私の場合、海外引越で梱包作業がメインの仕事になるから段ボール箱を自在に切り込んで

  サイズを変えたり、品物にあわせて梱包材として利用することは慣れていたし、そこに工夫するプロの楽しみもあった。

 

  しかし、それにしても久しぶりに引越し作業をしてみて、引越は実に大変な仕事であると、あらためて思い、そんな仕事を

  50歳から65歳まで現場責任者としてよくぞやったものだと、我ながら感心。

  それもこれも、もしかしたら禅修行で培ったエスプリのおかげかも知れない…と思った。引越作業責任者として全体を観ながら

  自分が梱包に打ち込んでいる時は他のことを忘れて、良い梱包をすることに集中していた。

  そうこうしているうちに、いつの間にか考えもしていなかった『退職年齢』ということになって

  『ハイ、さようなら・・・』で今日に至っている。

  引越屋を15年間もよくぞやったもの・・・と書いたが、正直な話、他に選択の余地が全く無かったこともある。

  海外で仕事を見つけるのは、至難の技ではない・・・と言っても決して大げさではないと思う。

  上司や客に腹を立てたことも何度もあったと思うが、坐禅の足の痛さに比べれば ○ でもなかった。

       

         相方が撮ってくれた写真だが、こんな風に『イチゴ・一絵 』風に打ち込んでいたのかオレは?      


 噛み砕け赤春

2021年09月01日 | オレ的アングル

  本来ならば、墓まで持ち込んでしまいたい懸案であるが、ブログネタとしてはそれではもったいない話なのである。

  それにしても『入れ歯』などという単語、最後まで持ちこたえた『爺の壁』を軽く越えるようなモノを自分も使用する

  立場になってしまったとは。 まぁ、甘党で鳴らしてきた自分としてはこのことは覚悟はしていたものの、引越しの最中に

  出来上がった物(ブツ)を、2週間前に歯医者が私の口にぶち込んだ感触は一生忘れないだろう。

  たかが、右奥歯3本を『入れ歯』にするのに、なんと反対側の左奥歯の方まで伸ばした金属片をはめ込まなければならないのだ。

 

  私はこの『入れ歯』を口に入れている時、自分が肉片を削ぎ落とした『ターミネーター』のフルメタルの『金属歯』になった気がする。

  骨をも噛み砕けそうな頑丈な歯を持った幻想をいだき、無性に噛みつきたいような衝動にかられるのは、ドラキュラ現象でもあろうか。

  AI・・・などと散々自分たちが生きている時代を未来美化していた私のイメージは、この『入れ歯』一個で『儚い幻想』であったことを知った。

  とにかく、『入れ歯』した感触がまさに原始的。

 

  スイスでは『歯の治療』に保険が効かない…ことを知っている人は少ない。

  その恐ろしさをスイス人の相方はよく知っていて、私も年2回の歯垢取り+チエックを強制的に歯科医院に行かされていた。

  それでも Xデイ はやってきて、一番安い方法でお願いしても何十万円…の『入れ歯』料金に、目ン玉までも飛び出る思いであった。

  スイスで『高齢者』とは、まさに『高い歯科料金を払わされる…年齢の者』を言い表す言葉なのだ。

 

  私の周りでも、股関節をなにかに取り替えた…とか、そういった話が日常的にされる時代になっている。

  そういった中では『入れ歯』など代替時代としては、比較的些細な『替え物』なのだ。

  60歳を越えると、赤いちやんちゃんこを着る風習があるが、それって『青春』の青に対する老人の赤裸々な『赤春』の謳歌を意味するのだろう。

        

                  赤春をぶっ飛ばせ 『部分入れ歯』をむき出しにして… 歯歯歯っ!

  

  

  

  


 華麗(加齢)なる誤解(5階)

2021年08月25日 | オレ的アングル

  8月9日に新アパート引越し完了であるから今日で16日目。

  絵やら書や写真などお気に入り作品など配置も済み、我が新居として我々二人とも過分な状況に満足するも

  未だ借りてきた猫・・・のような心境。(これが我が家か?・・・と、眼をキョロキョロさせている状)

 

  足掛け30年住んだ、私達の旧アパートはフランス語で『5ém étage』…と言って、日本では『6階』になる。

  住み始めた頃、私は40歳、相方は37歳であったから実質『6階』でエレベーター無しであっても、その見返りとしてレマン湖を一望に見渡す

  見晴らしは、私達をどれほど『癒やし』てくれたか計り知れない。

  実際、『エレベーター無しの6階』に住んでいることをごく最近まで私自身はなんとも思っていなかった。

  できれば死ぬまでここに住んでいたい…ぐらいに思っていたが、相方の両親の『老い具合』を見守る中、我々もあまり老い込む前に

  大変な引越し作業を済まし、断捨離をして階段の負担のない所へ移り住むのが理想かなぁ…と思っていたところに、旧アパートの改装作業の通知が

  去年あり、今の新アパートへの移住を決断した・・・という経過があった。

  

  新アパートへは予定より10日ほど早目の入居可能の通知があった事と、旧アパートの畳ベッドを友人にあげる話しが急にまとまってしまって

  イメージしていた旧アパートへのしみじみした別れの儀式的感傷的時間は奪われてしまい、一気に引越し作業に没頭し、気がついたら新居にいる。

 

  新アパートに寝泊まりしても、まだ荷物が旧アパートにあるので、取りに行ったり、引越し後の掃除などの件で旧アパートへ何回か帰った際

  私は『6階』に対する自分の心境の変化に大変驚いた。 

  『5ém étage』が紛れもなく日本で言う『エレベーター無し6階』の重力を持って私の体力を奪う気がしたのだ。

  新アパートの『4ém étageエレベーター有り』の心境がすでに『5ém étageエレベーター無し』に弱音を吐く・・・自分に驚いた。

  人間って本当に現金なものであるなぁ・・・と、『心持ち』次第で人間の『心境』などはコロコロと変わること改めて気付かせてくれた引越しであった。

         

          30年前、旧アパートに引越してきた頃の相方と同方向にあるであろうマッターホルンをコラージュした図

              新アパートはコラージュしなくても『モンブラン』が観えるのが、近未来予想図であったのか? とにかく『乾杯!』

  

  

  

    

    


 歳とればよくある不可思議

2021年05月10日 | オレ的アングル

  歳とればよくある不可思議〜その1

  コロナ禍のために6ヶ月間、閉鎖していたバトミントン場が4月下旬にオープンすることになり、ようし・・・と思った5日前、

  ジョギング開始時、左足のふくらはぎに激痛!足を痛めてしまった…。しかし、この5日間になんとかならんものかなぁ〜と思っていたら、痛みが薄まり

  メンバーが集う4月24日(土曜)、張り切ってでかけたら、準備運動の羽打ち段階で、私のふくらはぎに激痛が走り、即中断。

  諦めて医者に行き9回のマッサージなどセラピーの処方箋をもらった。若い女医さんから、少なくても6週間は『運動は無理ですよ〜』と宣告を受ける。

  あ〜ぁ、6ヶ月間バトミントンをできる日を首を長くして待っていたのに、もう1ヶ月出来ないのか〜・・・と凹んだ。

  フィジオセラピーの予約が2週間後の5月11日に取れた…のだが、再び痛みが薄れ・・・薄れるどころか痛みが全くなくなってしまって、

  5月8日(土曜)の一昨日、痛むかどうか?テストするためにバトミントンを仲間とやってみたところ、全くなんともなかった。のだ。

  歳取ると、わけ無く痛み、わけなく治る?・・・そういう現象はあるものである。

 

  歳とればよくある不可思議〜その2

  上の話と同日、8日の朝、散歩に選んだ場所は今年8月から我らの住処(すみか)になる、ローザンヌの隣町モルジュへ朝市での買い物を兼ねてでかけた。

  モルジュ駅前に今建設中の大聖堂如き建造物はモルジュ市の駅前新都市計画の中心的存在で、その風貌もまさに大聖堂の如き堂々たるもので、

  それまでは田舎風の駅舎の前の広場を取り囲む商店とアパートが連なる、これといった特徴のない静かで美しい湖畔の街は、かの女優オードリ・ヘップバーン

  が長年住んで、お墓のある地として知られているくらいであろう。・・・それが今、駅を中心に街の様相が変わろうとしている。

  であるから、この街への散歩は少しずつ出来上がる我がアパートの出来具合を見る楽しみ・・・で、この日も我がアパートの4階のベランダが少し見える場所

  へ行き、ほんの少ししか見えない角度から未来の我が家に挨拶をしてアパートの裏の方を回るように通り抜ける時、建設現場の柵の中で一般の人々が6,7人集まって

  いるのを発見、何事であろうかと行ってみたところ、なんとアパートの一室お披露目というか見学の集いであった。

  住人の一人である私達には、その案内状を頂いていない旨を話すと、ホームページに提示してあるとのこと。それにしても大偶然で、通りがかったタイミングで

  我々夫婦も飛び込みで見学出来ることになった。

  我々の部屋とは反対側になる位置にある部屋を見学でき、図面でしか見ていない部屋の作りや雰囲気を味わうことが出来た。

 

  こういう、偶然はシニア世代の特典であるにちがいない。