拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

ザ・スイス

2020年01月06日 | 瑞西考

スイス在住今年で29年になる。

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     今日ゆるやかな山の麓の地方を散歩してきた図

この写真を見てつくづく思ったのだけど、29年住み続けてスイスの感想を言え…と言われたらこの写真こそ…スイスなんじゃないかと。

自分のように欲望にまみれた人間も、否応なく欲を削ぎ取られてしまうような国。

色があるから空があり、空があるから色があるのだから、自分はもっと欲をださねば…


 2017年抱負

2017年01月01日 | 瑞西考
  明けまして おめでとうございます。
  年度替わりのイイところは あらたまった気持で抱負を抱けることだ。

  辞書によると 『抱負 〜 心中にいだき持っている計画や決意』・・・とある。
  
  だいたい抱負なんかは それこそ3日もすれば忘れている自分であるが、それでも年の初めに今年の方針みたいなものを
  ざっと把握しておくことは悪くはない。

  かと言って、これと言って計画ごとや決意ごとは、あるようなないような。
  本当の決意ならば、ボクは誰にも言わないタイプの人間である。

  好きな言葉に遊びが入っているせいか『遊戯三昧』が気に入っているが、どうとでも趣旨がとれるところがイイ。

  一生懸命、真剣に、悔いを残さず・・・でもって『遊戯』だから失敗も許容する余裕もあるような生き方。

            
            

西洋率

2015年12月25日 | 瑞西考

 今年で24回目のクリスマスをヨーロッパの真ん中、ローザンヌで迎えた。
 スイス気候観測史上最も暖かい12月・・・と、誰かが言っていたのを耳にしたが、寒波に向かって突進する『覚悟』していたのに・・・これを『肩透かし』というのか?
 そして、年末だというのに引越し屋の仕事が結構立て込んで『師走』とは違った意味で気が競って『師走』であることすら忘れてた状態で『クリスマス』!

 ニコルの両親宅で暖炉を囲んで恒例の家族の集いも無事終了し、高台にある家の表に出ると、夜空に満月が雲をゆったりとなびかせ
 眼下にはレマン湖を縁取るイルミネーションが美しかった。

 今年のいつだったか? ふと、『西洋って?』という思いがわいた。
 考えてみると人一倍『洋の東西』にこだわる自分であったのに、いつの間にか・・・そんなことは綺麗サッパリと忘れ去っていたような・・・。

 日本人、Kさんが毎秋主催する『バッハ祭』のうち、二つのコンサートに招待していただいた時、ボクは強烈に自分との落差故に『西洋』を感じとっていた。
 それは、はじめて『能』を見た時の感覚に似ていた。

 何を言いたいのかさっぱり解らないけれど、真剣にそれを演じている人間に『不立文字』のメッセージを感じ取るごとき。

 ボクは日本を出る以前、『東洋医学』や『禅』や『太極拳』に励んで、どっぷりと『東洋』を担いでヨーロッパにやってきたので、実に『無一物』では無い。
 それどころか、生まれてから今日まで体験したモノモノを背負い込んでいる『蝸牛(かたつむり)』状であることをしっかり『意識』している。

 でバッハ・コンサートであるが、二つ目の『バイオリン独奏』を見聞した時、確かに演奏は素晴らしい・・・とは思ったのであるが、『何を言いたいのか』
 解らない状態の中で、じっと坐って演奏を聞き入る苦痛そのものの意識から演奏者や聴衆を眺めた時、そこに薫習された『西洋』の存在を感じたのである。

 そういえば、こちらヨーロッパでは・・・というか、スイスというかスイス・フランス語圏では、幼い子供にバイオリンやらピアノを習わせる両親が圧倒的に多い。
 のである。
 今、ボクがこちらで『西洋』を感じ取りたいのであれば、クラシック・音楽コンサートへ行くべきであるとおもっている。
 そこには、長年培った『西洋』の真髄が綿々と横たわっているようだ。 メリークリスマス!!

          


ローザンヌ=『盧山は煙雨、浙江は潮』か?

2015年12月05日 | 瑞西考
 先日、 Sylvain Botter・・・という人の『ローザンヌ』の動画に出会った。(⬇︎⬇︎)
 色鮮、時間短縮した影像+この音楽。。。となるとボクのローザンヌ観とはだいぶ違う様な気がするものの、
 撮影者が見せるローザンヌも確かにありで魅力も感じる。

 1984年(?)当時医学生だった女性に招かれて初めて西洋の国、しかもヨーロッパ上の何処にその国があるかも知らなかったスイスはローザンヌに到着した。
 その後紆余曲折を経て1991年、ローザンヌ在住をはじめてから今年で24年になる。
 けれど、この街について『こういう街』です、という見解というか感慨を述べることを避けてきた。
 ローザンヌという街の『器』の部分はある程度書き述べる事は可能でも中身については毎日『万博』に来ている気がするくらい多種多様の人間が生活している
 のを見ていると、そう簡単には述べられない・・・というのが正直な感想なのだ。

 ただ、この映像の刺激によって、自分とローザンヌの『縁』について若干考えてみようと思った。
 ただし、ここからが『ダジャレ・オヤジ』本領発揮とななるが・・・

 1983年ごろ、ボクは30歳で新宿の東洋鍼灸専門学校にかよっていた時期で、同時に少しずつ『禅』にもハマりつつあって、
 鈴木大拙著の『禅による生活(Living by Zen)』を読み始めるわけであるが、その序文に宋代最大の文人であり、禅の研究者の蘇東坡の有名な詩が載っていた。

      盧山(ろざん)は煙雨  浙江(せっこう)は潮(うしお)
      到らざれば千般の恨み消せず  到り得 帰り来たれば別事なし
      盧山は煙雨  浙江は潮      
                     蘇東坡(そとうば)

 盧山はユネスコの文化遺産の登録されている中国江西省南部にある名山でよく水墨画で描かれ古来より名勝として知られている名所であり、ローザンヌとは
 縁もゆかりもないのであるが、ボクの中では『盧山』と『ローザンヌ』はダジャレ的+禅詩的、『縁』でしっかりと結びついているのだ。
 (Wikipediaではローザンヌはフランス語でのより正確な発音は『ロザン=lo'zan』である)・・・ということでもあるし。
 (ローザンヌ郊外のぶどう畑も文化遺産のに登録されているし)

 誰もが憧れる風光明媚な地(ロザン)に 到らざれば千般の恨み消せず 到り得 帰り来たれば別事なし・・・・ この命題を
 天はボクに与えたのであろうか、でなければなんで自分が『ローザンヌ』なんかにいるのか???

  
                

 西瑞三兄弟~AD(28歳)の場合

2014年10月11日 | 瑞西考
  相方の従姉妹の息子達三兄弟の動向は連続ドラマを見ているようで面白い。
  年齢的にも28、31、34歳と3歳ずつ離れていて人としてもっとも動向の激しい年齢で最年長のMGはこの夏結婚したばかりだし(8月のブログにアップ)
  2番目のTMは憧れの日本滞在三度目に挑んで2週間ほど前に出発した。

  彼ら3人とも、地元スイスの大学へは行かず高卒以降それぞれの道を求めて就職しながらも、より自分らしい生き方を模索中であるようだ。
  (思えばボクも彼らの年齢の頃は客観的に見ればかなり動いていたっけ。)

 昨夜はその三男坊ADが家に遊びに来てくれて、今年帰国するまで3年半滞在していたサンフランシスコなどの話を中心に花が咲いた。
 彼はレストランで働きながら英語や映画制作の勉強をしていたが、お金が続かなくなり一時帰国することとなった。
 帰国してからは、スイスでは義務になっている軍隊入隊の代わりに社会奉仕活動をしている最中で、それが済んだら再び勉強の為に  
 兄のMGも住むことになっているカナダの大学へ行く予定になっているらしい。

 米国に数年住んでいたADに一番聞きたかったのは、ボクが堤未果さんの本などでよんだ『貧困大国アメリカ』・・・についてどれくらい
 彼自身が感じたか?・・・ということであったが、その点についてはボクが予想していた以上に彼はアメリカの現状をよく知っていた。(当たり前か?)
 むしろボクが驚き、関心した事は、彼が帰国したスイス、といってもローザンヌという小都市についての感想であるが
 彼によると彼の知っているアメリカやカナダに比べて『どこか窮屈・・・』さを感じる、というのだ。
 ローザンヌは基本的に人口が少ないのに外国人がやたら多い割に、社会的、文化的によそ者が入る余地がない偏狭さを感じる・・・というのだ。
 彼の言わんとするところはわかるような気がする。スイスの中でもローザンヌは昔からカルバンなど宗教改革派の影響が強く
 移民は受け入れるが、ある一定程度以上になると高い壁があって寛容さに欠ける・・・というようなところが確かにあるとボクも思う。
 しかし、自分たちの権利を守ろうとするなら、そういう部分があっても仕方がないのではないかと、ボクなどは思うのだが。

 何からなにまで小さい国スイス。そこから羽ばたいていろいろ見てやろう!と、思うのは若いうちは当然だし、今はネットのお陰で
 距離感が薄くなっている世界であると同時に、貧富の差が大きく広がろうとしているかつてなかった危機的時代にあって
 例えば、この三兄弟の行末はどのようなものであるか?・・・小説を読むような楽しみがアラ還のボクに縁として結んでくれた『レマン湖』
 に静かに眼を注ぐのであった。(その前にボク自身の尻に火が付くかも知れないが)

       
      ボクの栖近くの公園の壁に新しく描かれた絵を完成させるため石を貼り付ける作業をしている黒人青年。
 
  

  生け花や 君と花との 息吹あい

2012年04月28日 | 瑞西考
 友人(彫刻家・佐藤さん)のオーガナイズ、お城側からの好意で スイス片田舎(チューリッヒより電車で15分)のお城で 
 東日本大震災支援の展示会(金土日の三日間)のオープニングが昨日27日(金)にあった。

  地元の人達はシュロス(城)と呼んでいる。この日は晴天で外は暑いのに一歩中に入ると寒いのが印象的。
  
  城の上(4階ぐらい)からの眺め ローザンヌとは全く違う家の造りに ニコル曰く お伽話の世界・・・

 いつも思うことだが 同じ国でも ここはドイツ語圏でオープニングの挨拶を聞きながらも 何もわからない・・と云う不思議。
 会場でスイス日本人社会に大貢献しているミニコミ紙”グリエッツイ”の発行人野嶋氏と話す機会があった。
 ツイッターを未だやっていないとのことで 是非ツイッターの世界に飛んでくるようにお奨めする。
   

 この写真は チューリッヒ在住2年のアミさんによる 自身の詩の朗読風景。 地元の人達の為に英語訳のスライド。
 この若い詩人の溌剌とした朗読の声、 直ぐ横に配された 地元で生け花を教えている信子さんの見事な生け花と 
 彼女の風貌に刺激されて 一句詠んでみた。(城の最上階にて)

          生け花や 君と花との 息吹あい 異国に咲かす 大和魂  :一撮

         

             城のすぐそばにある湖 
         
          往復6時間かけて ここに来た甲斐があった一日。
    

  

 湧き出る黒髪

2012年02月25日 | 瑞西考
  いろんな事情でスイスフランス語圏に 滞在している日本人がいる。 
  今日は 音楽留学している娘さんと その母親に出会い 話をする機会があった。

  ボクには クラッシック音楽は まるで分からない世界であるが ジュネーブとか ローザンヌには結構知られた 先生がいるようで
  その先生に教えを受けるために ここにやってくる人々が 案外いることを知った。

  ボクもよく知っている コンセルヴァトアールの先生がいるが 音楽一筋・・・を絵に描いたような人で(音楽以外のことは 何も知らない?) 
  このクラシック音楽の世界では 当たりまえのようだが 皆 音楽一筋が普通のようだ。 (それが不思議に感じるほど ボクなんかは色々な事に
  首を突っ込みすぎて 何もモノに出来ずに 今日まで来ました・・・の見本であるが。)

  この二十歳の娘さんを 見た時 「一筋」の 才能十分あり の風貌がみられた。  
  長い黒髪が 湧き出る様は 彼女が鍵盤に触れた瞬間 その一本一本に 彼女の音楽が浸透するように 思われた。

  いつの日にか ボクのこの感想が 確かであったかどうか 確認できる日が 来ますように。

                           最近 文章のテーマにあった写真が見当たらず ぜんぜん関係ないモノになっている その最たるもの。
                           
  

  ナイーヴ(素朴で純真)

2012年01月23日 | 瑞西考
  スイスは多様な顔を持っている。

  代表的なイメージは ナイーヴ(素朴で純真)なイメージで それはアルプスの少女ハイジ・・・から来ているのだろう。

  ボクがスイスに来て 写真を再開してから テーマにしている祭りシリーズの一つに 「サン・シルベスト」という
  旧暦の正月(毎年1月13日)を祝う スイスの一地方 ウルネッシュ村の祭りがある。

  下の写真に見られるように 頭部に大きな村の生活をテーマにした 立体模型の帽子をかぶり カウベルを振り分けにして胸側、背側に付け
  歩くたびに ガラン・ガラン・・・と音をさせて村の一軒一軒を訪ね歩き 家の前に来ると 5,6人一組のグループによるヨーデルの合唱。

  ボクは 彼等の ヨーデルを聞いた時 初めてヨーデルの 意味がすこし理解できたような気がした。歌の意味はぜんぜんわからないが
  村人の健康を祈り 神への(よろずの神)感謝を 歌っているのでは ないかと。 

  まさに ナイーヴ(素朴で純真)であるが、資源の少ない山で生活する上での 様々な厳しさを受け入れた上での ナイーヴさなのだと思う。

  ボク自身は道産子で 東京と神戸には住んだことがあるが 東北地方はいつも通りすがるだけで よく知らない。が、 下のような写真を見ると
  いま世界中の人が その名前を知っている「フクシマ」の 3・11以前は こんなナイーヴさが 沢山ある地方だったのではないかと・・・想像するのだ。

  今回の日本の出来事で ボクにとって 何が一番 悲しいか? というと 
  このナイーヴさを あざ笑うかのような 政府や東電の 対応だ。 相手がナイーヴなことを いいことに 徹底的に 人間性を踏みにじる行為
  をして 恥じない  同じ人間として これほど悲しい事は ない。

  ナイーヴさ だけでは これら厚顔無恥・人種には 対抗できないのだろうか・・・。
  例えば 山本太郎さんを ヒーローに祭り上げるのではなく 一人ひとりが立ち上がって 戦わなければ・・・。

  子供たちに ナイーヴな心を 大切にしてもらいたいならば 我々大人ひとり ひとりが・・・傷つくことも怖れずに 戦わなければ・・・。

            

  Alien

2012年01月22日 | 瑞西考
 ボクの人生の かなりのパーセンテージ%を 映画が占めているとおもわれる。
 ボクが4,5歳のとき? 近所の家でテレビを見させてもたった それはマンガの「ポパイ」だったような気がする。

 小学校に入ってから 授業で「紙芝居」が 最大の楽しみであったから ボクは子供の頃から 「物語」が好きな人間だった。

 近所に悪ガキの先輩がいて 親の金を盗んでは ボクを誘って 映画を見に行き 帰りにラーメンを食べる・・・という凄いコースが
 あった。 彼は多分 小学校5,6年生 ボクが2,3年生?だっただろうか。 
 しかし、彼 タケオちゃんは 急に病気になり 死んでしまった。 葬式の日 ボクは一人で映画を見に行った事・・・を覚えている。

 昔の映画は 普通3本立てで  今考えると結構 無茶だった。 映画館から出てきたら 頭クラクラしたものだが 無理もない。

 中学の時は 映画に行くのに いちいち担任先生の 許可(印鑑)をもらわなければならなかった。(今はどうなのかな?) 
 それを映画館の人に いちいち見せたのだろうか・・・その辺の記憶が ないのだけれど。 

 北海道の何もない片田舎に 生まれ育ったボクにとって 映画からの影響は 物凄いものだった と思う。
 高校生になるまで 本というものを殆ど読まなかった ボクにとって 映画から学んだ人生学・・・そんなものを
 追究したら 面白いかもしれない。
 ボクの日本人的な部分の一部は その頃たくさん見た時代劇から 来ているかもしれない。武士道・・・みたいなもの。

 兎に角 一切の評価をせず 手当たり次第に 映画を見てきた時代が長かった。監督とか役者とか分野にもぜんぜんこだわらなかった。
 
 話は突然 ボクの今日のテーマに戻るが(今までが脱線していたのだけれど)例の有名映画エイリアンの あの怪物を創造したギガーの博物館が
 スイスのチーズで有名な グリュイエール村のお城に続く道の途中に あるのだから 驚く。
 そのいきさつは これを見て下さい。 http://www.hrgigermuseum.com/index2.php?option=home

 1998年オープンした博物館。 その頃ガイドをしていて お客を案内してグリュイエールに行った時 ギガーのあの怪物が トンネル状になっている
 通路に 張り付いているのを 見た時は 度肝を抜かれた。(残念ながら これは直ぐ取り外された・・・必撮しておけばよかった。)
                          SF映画が大好きである・・・と言う事を書くつもりが・・・開館当時のギガー博物館にて
                       

   SF映画に思いを馳せるにつけ 日本の混沌の現状が 映画以上に SF的、怪奇的、心理スリラー的 なのが 怖ろしく 悲しい・・・・。
   例えば 太郎と民主党議員とのやり取りなんか 同じ人間なのか?・・・と思えるぐらい 怖ろしい。 エイリアン(異星人)そのもの!                                         http://www.youtube.com/watch?v=jZsJQPxcA0Q&feature=youtube_gdata_player
 

 木枯しのビエンヌ

2011年12月03日 | 瑞西考
 
  打ち寄せる 波の如きの 枯葉道  妻と踏みわけ こがらしの中  :一撮 

 そんな感じの 寒く どんよりと曇っている天気の土曜

  ローザンヌから電車で一時間の街 ビエンヌへ行ってきた。 人口約5万人で ドイツ語圏 3分の2,
 残りフランス語圏となっている。 
 この街に住む 友人の人形作家典子さんの 人形展があり見に出かけた。
 ギャラリーの住所も フランス語で Rue de la Source と云い ドイツ語で Quellgasse と云う。同じ住所で
 名前が違う・・・呆れた。  自分はフランス語圏に住んでいて 良かったと 変な所でホッとした。

 展示は人形が 7体ほど それに 糸と裂いた布で編んだ掛けもの5,6点 小さな額に入った布と絵の具で描かれた抽象画
 が数点 白壁と光のよく入る窓の一室での展示であった。

 ボクが勝手に名付けた「拈華微笑」人形と再開できた。 7月17日のボクのブログ、カテゴリーは「西洋の中の和風」
 に 創作中の彼女の写真がある ボクの大変気に入った女性。 それが 昨日 買い手が決まったそうだ。

 作者もそうだろうが ボクも なんだか 他の人に嫁にだすような 気分。

                 

  それはそうと、 こんなヨーロッパの片田舎 ギャラリーで 堂々たる 和の心 の表現を 見せる典子さんは いかなる運命で?
  それを観ている ボクもいかなる運命で 今日 ここに いるのだろうか? と危うく 魔境の境を さまよいそうになった。

  来る時 電車の中で 詠んだ一句は 偶然ではなかったのか。  深いとは 考え過ぎの 形容で  さらりと生きる 智慧に及ばず :一撮

  


 

 ヴァイオリン・ピアノ コンサート

2011年08月06日 | 瑞西考
 あるコンサートから帰ってきたばかり。 ローザンヌ・コンセルヴァトアール主催による
 3組のヴァイオリン、ピアノ演奏。何だかよくわからないがマスタークラスで最も優秀な3組の
 演奏とのこと。
 ボクは どちらかというと演歌を聞いて育ったので クラシック音楽を音楽会場で聴くというのは
 わりと 拷問に耐える覚悟を持ってのぞまなければならないのだ・・・。

 2組目を なんとかしのぎ、休憩をはさんで 
 3組目は日本人の女性ヴァイオリニスト、日本人男性ピアノとのことで、期待と不安をもって構えた。

 (ガブリエル・ファール作曲 ヴァイオリン、ピアノソナタNo、1)の彼等の演奏は素晴らしかった。
 ズブズブの素人のボクに 褒められても嬉しくもなんともないだろうが、とにかくボクは感動した。

 オブシ・ケイタさんのピアノは素晴らしい。 彼の風貌から は想像できない(失礼)繊細かつ
 力強い演奏。 その横で集中する者が持つ美しさを 存分に発揮した オイケ・アミさん。
 まさに琴線に触れる演奏で フラボー!!の声があちこちから 上がった。

 ボクは彼等の演奏を聞いて わかった。 いい音楽は 雑念を払って、音楽、演奏家そして
 聴く者が 自然に一体化するということを。

 コンサートが終り、ホールに出ると オイケ・アミさんが いらした。 ボクは無類の恥ずかしがり屋で
 ニコルに肩を押されて やっと云うことができた。 「素晴らしかったです。写真一枚いいですか?」

                 

 

夏の冬

2011年07月20日 | 瑞西考
 今日は こんな 感じの 気候 だった。

 
 一見大袈裟なようで 確かに 大袈裟であるが、 朝 なんと 5度であったという・・・信じられる。 逢う人皆が 「寒い」と言っていた。
 ところで これが、話題の 「蓮池」で 冬は こんな感じに 凍っている。

 それが 4日前では こんなだった。
 4日前の 夏は何処に行っちゃったのか?
  

 美しき 土曜日 

2011年07月17日 | 瑞西考
  朝、わがアパートの裏の丘にある蓮池をめざして散歩 晴れ渡る青空に次々に飛び立つ セスナ機がうるさい。

  見上げると でかい黄色トンボのようなセスナがよぎる。「うるせいぞ!」と文句を云うつもりが
  パイロットに同化してしまい、俯瞰風景の絶景に 「気分いいだろうなぁ~ 」と想像。

  しかし、池に着くと それとはまた 一味違った 俯瞰風景を楽しむことができた。
      
      もしかしたら 金魚の奴 池をうろつく人間どもに 「うるせいぞ!」と云っているのだろうか。
      いやいや、金魚にとって 人間なんて どこ吹く風・・に違いない。

  その後、茶店でコーヒーを飲みながら スマートホンでノンビリ 俳句を捻っていると 日本語機能が
  紛失、11時半の予約の時間が迫っているので、必死に操作するがムダ、俳句どころではない。(機械のバカ・・・)

  予約というのは レフレックス・オロジー(足のマツサージ)を受けるという 贅沢。(本当は体全身を按摩して
  貰いたいのだが、なかなかいい按摩、指圧師がいない。)でもこのマダムは とても感じのいい人で触ってもらう
  だけでも、癒される感じがする。 案の定気持ちが良く即居眠り・・・もったいない。

  午後はニコルと 創作人形師・典子さんを尋ねてビエンヌ(ドイツ語でビール)へ。
  彼女の案内で、旧市街を散策。 ボクは この街ぐるみで催す写真展を見に何回か独りで来ていたが、
  ニコルは初めてだったので、新しい発見があったようだ。実はボクも今回この街が言語境界の街であることを
  あらためて認識させられた。 通りの名前も、例えば薬屋の表示も 仏語、独逸語が表示されているのだ。
  普段フランス語圏に住むものにとって ドイツ語圏はやはり違和感があるものでそれが異国情緒を楽しむ事
  が出来るときと、そうでない時もあるだろう。ボクの様なA型人間にとってのB型の人のようなものか。

  典子さんの家に招かれ、夕食を一緒に頂き楽しい時を過ごした。
  彼女のアトリエを見せていだたき、そこで 創作中の人形と出逢った。
       
  ボクはこの人形に 一目惚れ してしまった。ボクのブロク名 “拈華微笑“ の典子人形版は
  華の拈提にしても あくまで謙譲 故にかえって 静かな美しさに より迫力がましている。
  それとボク個人的には 未完成の美しさ、人形の育った環境を背景に撮りこむことに「洒落クサイ」ものをより感じるのだ。

 

   

かぼちゃスープで見栄はる

2010年01月03日 | 瑞西考

 ボクの柄じゃないホテル・ボーリバージュにいって2000円のスープ、900円の煎茶で"初見栄”をはる。

 というのは、いつものカフェが閉まっていて、その隣のカフェに行くと年配の方ばかりで、老人ホーム状とかしていた。
そこへはいずれ行くとして、今日ぐらいは見栄をはってみようかと、それに例の"論語”を静かな洗練された処で紐解くのもおつではないかとニコルとレンタカーで出かけた。 

 流石、ボーリバージュ、ボクなんかはホテルの内部の装飾や展示してある創設当時の写真なんかを見て、ふと映画"シャイニング”の一場面が頭をよぎった。しかも遠くから微かにピアノの音が聞こえてくる、二階にあるカフェに向かい階段を
のぼりきった踊り場、一人がピアノをひき、もう一人の男が手を彼の背において聞いている。ピアノの音はまだ片付けていないクリスマスの飾り付けのある大きなホールに虚しく響いていた。・・・

 わりと広いカフェには3組の客がそれぞれ離れて席をとっていて、ボクらは若い母親と3,4歳の娘のとなりに席を取ったが、その娘の真っ青な眼を見たときボクは一瞬、息が止まるほどの恐怖に・・・という様な事はないかな、とその辺あたりまで、"初妄想”してしまったが、まあ、それくらいシックな雰囲気であったということを言いたかったわけである。

 スープはカボチャスープで、これは逸品で2000円でもさすが・・・と思った。が、ニコルが煎茶を口にした時、彼女の目の色が一瞬変わった。自他共に許す日本通のニコルは普段からお茶にはうるさいが、この時はボクも茶を飲む手を止めて彼女の眼を見た。:これは煎茶ではない!:とその眼は言っていた。

 この日の夜、ニコルの姉の娘、マエル(21歳)が遊びに来た。妻のニコルは今日も日本式お座敷を披露したかったようであるが、マエルは一週間前スキーで膝をケガしてしまい日本式は無理だということで、丸テーブルを用意、モチをご馳走する。彼女はローザンヌ大学の3年生、母親に似ずしっかりしているので将来が楽しみな娘である。


もうクリスマス・イブ?

2009年12月25日 | 瑞西考

 病欠していると、もう月日のことがサッパリわからないうちに,今日はもうクリスマス・イブだと。ちゃんと出勤していれば今日は半ドンでクリスマス・パ−ティも待ちわびる感じで迎えるのでそれなりの楽しみもあるけど。

 ゆうがたニコルがレンタカーをこの2日間借りることにし、それで彼女の両親宅へ。雨が降って雪がすっかり溶けてしまったクリスマス。両親の家はローザンヌの郊外車で15分ぐらいの高台でレマン湖が一望出来るところにあるが,ボクらが着いた時はすでに真っ暗で,湖をはさんだ対岸のフランス領のエビアンの家々の明かりが遠くに見える。例年のごとく一階にある暖炉を囲んでまずはアペリティフ。それからプレゼントを交換しあった。

 このクリスマス=ノエル(フランス語)は日本で言う正月で家族や友達が集うひにあたる。だから家族も友達もいない人にとって非常に辛い,寂しい気持ちになる日でもある。この日に自殺する人が結構いるので、自殺者の多い橋の上には毎年ボランティアの人4,5人が小さなテントを張って日本で言う甘酒にあたるバンショ(アッタかいワイン)を通行人にふるまう。
 
 ニコルの両親,父側がプロテスタントでもぜんぜん熱心な信仰者ではない、母側はユダヤ系であるがこれまたそれほど熱心な信仰者ではなく、したがってその子供であるニコルと一才上のお姉さんの教育もほとんど無信仰であったと言う。学校の信仰の時間もニコルは無信仰ということで参加しなかったそうだ。だからニコルがボクに会って一緒に禅の修行をするようになってから彼女は心情的に自分をブディストであると考えている。

 だからクリスチャン的,宗教的クリスマスは明日行く、ニコルの叔母の家のクリスマスでなければ味あえない。クリスマスの歌あり、聖書からの一節の朗読あり、会合の最後に直径4cmぐらいの丸く、白いせんべいみたいなごく薄いものを参加している全員とそのカケラを二人一組になって相手の口に与えるときその人の健康なり何なりを祈りながら分かち合う・・という他のところではこんなことやっている家族は少ないんではないかなあーと思うくらい伝統的。今回も28人が集まると言う。