スイス在住今年で29年になる。
今日ゆるやかな山の麓の地方を散歩してきた図
この写真を見てつくづく思ったのだけど、29年住み続けてスイスの感想を言え…と言われたらこの写真こそ…スイスなんじゃないかと。
自分のように欲望にまみれた人間も、否応なく欲を削ぎ取られてしまうような国。
色があるから空があり、空があるから色があるのだから、自分はもっと欲をださねば…
スイス在住今年で29年になる。
今日ゆるやかな山の麓の地方を散歩してきた図
この写真を見てつくづく思ったのだけど、29年住み続けてスイスの感想を言え…と言われたらこの写真こそ…スイスなんじゃないかと。
自分のように欲望にまみれた人間も、否応なく欲を削ぎ取られてしまうような国。
色があるから空があり、空があるから色があるのだから、自分はもっと欲をださねば…
今年で24回目のクリスマスをヨーロッパの真ん中、ローザンヌで迎えた。
スイス気候観測史上最も暖かい12月・・・と、誰かが言っていたのを耳にしたが、寒波に向かって突進する『覚悟』していたのに・・・これを『肩透かし』というのか?
そして、年末だというのに引越し屋の仕事が結構立て込んで『師走』とは違った意味で気が競って『師走』であることすら忘れてた状態で『クリスマス』!
ニコルの両親宅で暖炉を囲んで恒例の家族の集いも無事終了し、高台にある家の表に出ると、夜空に満月が雲をゆったりとなびかせ
眼下にはレマン湖を縁取るイルミネーションが美しかった。
今年のいつだったか? ふと、『西洋って?』という思いがわいた。
考えてみると人一倍『洋の東西』にこだわる自分であったのに、いつの間にか・・・そんなことは綺麗サッパリと忘れ去っていたような・・・。
日本人、Kさんが毎秋主催する『バッハ祭』のうち、二つのコンサートに招待していただいた時、ボクは強烈に自分との落差故に『西洋』を感じとっていた。
それは、はじめて『能』を見た時の感覚に似ていた。
何を言いたいのかさっぱり解らないけれど、真剣にそれを演じている人間に『不立文字』のメッセージを感じ取るごとき。
ボクは日本を出る以前、『東洋医学』や『禅』や『太極拳』に励んで、どっぷりと『東洋』を担いでヨーロッパにやってきたので、実に『無一物』では無い。
それどころか、生まれてから今日まで体験したモノモノを背負い込んでいる『蝸牛(かたつむり)』状であることをしっかり『意識』している。
でバッハ・コンサートであるが、二つ目の『バイオリン独奏』を見聞した時、確かに演奏は素晴らしい・・・とは思ったのであるが、『何を言いたいのか』
解らない状態の中で、じっと坐って演奏を聞き入る苦痛そのものの意識から演奏者や聴衆を眺めた時、そこに薫習された『西洋』の存在を感じたのである。
そういえば、こちらヨーロッパでは・・・というか、スイスというかスイス・フランス語圏では、幼い子供にバイオリンやらピアノを習わせる両親が圧倒的に多い。
のである。
今、ボクがこちらで『西洋』を感じ取りたいのであれば、クラシック・音楽コンサートへ行くべきであるとおもっている。
そこには、長年培った『西洋』の真髄が綿々と横たわっているようだ。 メリークリスマス!!
ボクの柄じゃないホテル・ボーリバージュにいって2000円のスープ、900円の煎茶で"初見栄”をはる。
というのは、いつものカフェが閉まっていて、その隣のカフェに行くと年配の方ばかりで、老人ホーム状とかしていた。
そこへはいずれ行くとして、今日ぐらいは見栄をはってみようかと、それに例の"論語”を静かな洗練された処で紐解くのもおつではないかとニコルとレンタカーで出かけた。
流石、ボーリバージュ、ボクなんかはホテルの内部の装飾や展示してある創設当時の写真なんかを見て、ふと映画"シャイニング”の一場面が頭をよぎった。しかも遠くから微かにピアノの音が聞こえてくる、二階にあるカフェに向かい階段を
のぼりきった踊り場、一人がピアノをひき、もう一人の男が手を彼の背において聞いている。ピアノの音はまだ片付けていないクリスマスの飾り付けのある大きなホールに虚しく響いていた。・・・
わりと広いカフェには3組の客がそれぞれ離れて席をとっていて、ボクらは若い母親と3,4歳の娘のとなりに席を取ったが、その娘の真っ青な眼を見たときボクは一瞬、息が止まるほどの恐怖に・・・という様な事はないかな、とその辺あたりまで、"初妄想”してしまったが、まあ、それくらいシックな雰囲気であったということを言いたかったわけである。
スープはカボチャスープで、これは逸品で2000円でもさすが・・・と思った。が、ニコルが煎茶を口にした時、彼女の目の色が一瞬変わった。自他共に許す日本通のニコルは普段からお茶にはうるさいが、この時はボクも茶を飲む手を止めて彼女の眼を見た。:これは煎茶ではない!:とその眼は言っていた。
この日の夜、ニコルの姉の娘、マエル(21歳)が遊びに来た。妻のニコルは今日も日本式お座敷を披露したかったようであるが、マエルは一週間前スキーで膝をケガしてしまい日本式は無理だということで、丸テーブルを用意、モチをご馳走する。彼女はローザンヌ大学の3年生、母親に似ずしっかりしているので将来が楽しみな娘である。
病欠していると、もう月日のことがサッパリわからないうちに,今日はもうクリスマス・イブだと。ちゃんと出勤していれば今日は半ドンでクリスマス・パ−ティも待ちわびる感じで迎えるのでそれなりの楽しみもあるけど。
ゆうがたニコルがレンタカーをこの2日間借りることにし、それで彼女の両親宅へ。雨が降って雪がすっかり溶けてしまったクリスマス。両親の家はローザンヌの郊外車で15分ぐらいの高台でレマン湖が一望出来るところにあるが,ボクらが着いた時はすでに真っ暗で,湖をはさんだ対岸のフランス領のエビアンの家々の明かりが遠くに見える。例年のごとく一階にある暖炉を囲んでまずはアペリティフ。それからプレゼントを交換しあった。
このクリスマス=ノエル(フランス語)は日本で言う正月で家族や友達が集うひにあたる。だから家族も友達もいない人にとって非常に辛い,寂しい気持ちになる日でもある。この日に自殺する人が結構いるので、自殺者の多い橋の上には毎年ボランティアの人4,5人が小さなテントを張って日本で言う甘酒にあたるバンショ(アッタかいワイン)を通行人にふるまう。
ニコルの両親,父側がプロテスタントでもぜんぜん熱心な信仰者ではない、母側はユダヤ系であるがこれまたそれほど熱心な信仰者ではなく、したがってその子供であるニコルと一才上のお姉さんの教育もほとんど無信仰であったと言う。学校の信仰の時間もニコルは無信仰ということで参加しなかったそうだ。だからニコルがボクに会って一緒に禅の修行をするようになってから彼女は心情的に自分をブディストであると考えている。
だからクリスチャン的,宗教的クリスマスは明日行く、ニコルの叔母の家のクリスマスでなければ味あえない。クリスマスの歌あり、聖書からの一節の朗読あり、会合の最後に直径4cmぐらいの丸く、白いせんべいみたいなごく薄いものを参加している全員とそのカケラを二人一組になって相手の口に与えるときその人の健康なり何なりを祈りながら分かち合う・・という他のところではこんなことやっている家族は少ないんではないかなあーと思うくらい伝統的。今回も28人が集まると言う。