拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 禅修行の思い出 ~ 香厳上樹(きょうげんじょうじゅ)

2018年01月22日 | 禅語

 禅の話を読んだり、聞いたり…の話をしたい。
 円覚寺居士林の土日坐禅会に参加していた時、日曜の朝は老師による『提唱』という時間があって
 それは、昔の禅師の語録本『無門関』とか『碧巌録』などを、つまり公案(禅問答)を一則、一則
 老師が読んで、それに関して一時間ほど話をしていくことであった。


 その時、和綴じの漢文の本であったか、読み下し文であったか(忘れたが)テキストが配られた。
 (テキストがない場合もあったかもしれない。)
 まだ、公案ももらわないで坐禅をしていた時期の思い出である。

 畳の上で坐禅をして聞くわけであるが、足も痛くなるし、話を聞いてもチンプンカンプンであったが
 その状況をイメージした時、『う~ん、これは難問だ!!』と冷や汗をかきながら聞いた話もいくつも
 あった中でこの公案『香厳上樹』の話をイメージしたとき、強烈な視覚的印象として残った公案であった。

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                『香厳上樹』の公案 一撮図
 
 香厳禅師:それは口で枝にぶら下がっている樹上の人のようなものだ。
      樹の下に別の修行者があって祖師の西来意(禅の真髄)を問うて来たらどうする?
      もし答えなければ要求に応じぬことになる。もし答えるならば命をうしなう。 さァ、どうする!!
      

 まァ、こんな感じの公案だ。

 じつは、この公案がボクがこれまでいろいろ公案を見聞きした中で最も厳しいと感じた『香厳撃竹』の
 話に出てくる香厳禅師であったとは、今日まで知らなかった。

 その話を端折って紹介すると
 幼少のころから聡明であった香厳は初め百丈禅師に師事したが、亡くなったので、イ山禅師についた。
 イ山禅師は彼の並々ならぬ素質を認め、何とかその心眼を開いてやりたいと考えた。


 そこである日、香厳を呼んで、『私はお前が経典から学んだことや、今まで積み重ねてきた思索や学問の結論など一切聞きたくない。
 お前が生まれる前、まだ西も東もわからない時に向かって、ギリギリの一句を言ってみよ』と問いかけた。
 香厳はこの思いがけない一問に、茫然として何も答えることが出来なかった。


 その後、熱心に参究し、得た答えを禅師に呈しても、師はその都度にこれをにべもなく退けるのであった。
 ついに精根尽き果てた香厳はイ山禅師の前にでて『何とか御教示頂きたい』と哀願した。
 しかしイ山は、『もしも私がお前のために説いてやったとしても、それは私の言葉であって、お前の見解には何の役にも立たない』と
 言って、彼の懇願に全くとりあってくれなかった。
 失望落胆した香厳は『絵に描いた餅は飢えを満たしはしない』と言って長年勉強してきた書物を全部焼き捨て修行をあきらめ、
 涙ながらにイ山禅師の道場を去り、どこかの寺で墓守として一生を終えようと決めた。


 どのくらい時が過ぎたのか、ある日、いつものように庭を掃いている時、小石が竹に当たって『カ~ン』と響いた。
 と、その瞬間、香厳は忽然と大悟し、思わず大笑したという。
 彼は直ちに庵に帰って衣服を改め、香をたいてはるかにイ山禅師の方を礼拝して、『イ山禅師の大悲の大恩は 父母の恩にもまさる。
 かって私が懇願した時、、もし彼が私の為に説いていたならば、今日のこの喜びはなかったであろう』とイ山禅師の徳を讃えたと記されている…

 この話を聞いた時、ボクはたぶん目眩を感じて自分がどこにいるかもわからなかったに違いない・・・。
 その香厳禅師がのちに大禅師となって、この様な公案を提示することとなったわけである。


 薫習(くんじゅう)

2018年01月20日 | 禅語

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       ~ 花を弄(ろう)すれば 香り衣に満つ ~
『水を掬すれば 月手に在り、花を弄すれば 香り衣に満つ 』 唐の詩人 干良史(うりょうし)の作より

写真は8年前『The Kanji World 』と題して、禅語をテーマにニコルの日常写真と文字とを組み合わせた作品の1枚である。
昔、円覚の居士林に熱心に通っていた頃、老師から幾つか頂いた短冊の一つがこの詩であった。

この詩の深い意味は禅僧に任せるとして、浅い所のボクなりの解釈を述べたいと思う。

詩自体は何の難しいこともなく、まさにこの写真のような状況を詠んだ詩であろう。
ニコルは花を見ると、必ずと云っていいほどそばに寄って花の香を嗅ぐ… 。日本ではあまり見かけなかった仕草
の気がする。まァ、都会だと花そのものがないし、あっても人の家の窓辺だと匂いを嗅ぐというのもおかしい・・・
そんな事情もあるのかもしれない。兎に角、花に近寄って行けば自然、その香りが衣に移るに違いない。

この詩は公案としては、あまりに種も仕掛けもないシンプルな気がして、短冊も放っておいたが、
その頃読んだ鈴木大拙の本に『薫習』という言葉が都度出てきて、いつしかボクの『お気に入り』になった。

薫習とは~(辞書によると)物に香りが移り沁むように、あるものが習慣的に働きかけることにより
      他のものに影響、作用を植え付けること…とある。
確かに、禅修行をしていると、いやでも『線香』の匂いが必ず体に沁み込んでくる。
寺にいる時はもちろん、家にいるときでも坐禅をする時は線香を立てて、それが燃えきる時間(約40分が
一柱(本来は火ヘン)坐るということになる。)

鈴木大拙が使う『薫習』の意味は、仏法であり、より具体的には禅問答の『公案』へのアプローチについての
アドバイスであったと思う。
実際、坐禅に使う道具は座蒲と線香であり、暗いなか坐っている最中、見える
ものは線香の真っ赤に燃えている頭の部分だけであるが、公案もなしで坐っていた頃、数息観といって吐く息に
集中して10数え、また1から数えなおすというのを線香が燃えきるまで続ける坐禅の方法であったが、
ボクは暗闇にポツンと赤く燃えている線香が公案であり、答えであることをずーっと感じていた… 。

禅の本を読んでいると、修行に苦しんでいる僧がある日、忽然と大悟…なんて云うようなことを随処で読むわけで
あるが、そのある日がくるまでは薫習に薫習を重ねる期間、つまり熟成する期間が必要である事を説いているのだと思う。

薫習…という言葉、禅を修行するうえで、これ以上ピッタリくる言葉はないだろう。
古いようで、常に最新の言葉なのだ。