拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  西加奈子著『くもをさがして』を読んで

2023年07月28日 | 色読是空

  本屋さんのない国(日本書籍がない)に住んで、はや30数年・・・、本との出会い方と購入方法の、昔とあまりの違いに不思議・・・。

 

  このへんの事情というのは、海外在住日本人ならではでありインターネット有無前後で、天と地の差というのか、たったのワンクリックで

  私のアイパッドやスマートフォンに『本』が瞬時に乗り移ってくる様は、まさに現代の呪術の如く、嬉しくもあり恐ろしくもある・・・。

 

  今回の本『くもをさがして』西加奈子著は、 朝日新聞デジタルでたまたま見かけた本人の顔写真と記事の見出しが

  『西加奈子さん 遺伝性乳がん+コロナ 「もう許して、私おごってた」』・・・というもので、ふだん『馬骨』などと自称し『驕って』

  いやしないかと心のどこかで気にしているせいもあり、この見出しだけでこの人の本を読んでみようと思ったのだ。

 

  西加奈子さんは直木賞受賞作家。 

  今回のこの著書『くもをさがして』は初のノンフィクション作品で、2019年にご主人と2歳の子と三人でバンクーバーに語学留学のために移住後、

  2021年5月にカナダで自身に『乳がん』が見つかり、寛解するまでの8カ月を中心に、治療体験とその周辺の事情、心情を綴ったものであった。

 

  カナダとスイスの違いはあれ、私と同じ海外在住者の立場で発揮される作家の観察力と言語化能力は『さすが!』の一言。

  ふだんスイス生活で、頭で思いながらも言葉や文章にできずにいた様々な事柄を代弁してくれていた。

  医療システムがスイスと似通っていることや、日本と比べた場合、西洋の医療従事者の責任感の薄い様子などには同感した。

 

  しかし、何よりもこの本が私に感銘を与えるのはこの本の題名『くもをさがして』で、言わば禅の公案(禅問答)そのものであったことだ。

 

  最初読み終えた時、このタイトルの『蜘蛛』とは一体何であったか?ピンとこなくて、そこに焦点をあててざっと読み返すと

  カナダのアパートの蜘蛛〜祖母〜弘法大師〜癌の発覚〜『もう一人の自分』(著者自身の言葉)の発見・・・という『赤い糸』の如く、

  癌患者になることで、『くもをさがす』事態となり『蜘蛛の吐き出す』糸を探り出すことで、彼女の『死生観』境涯の深まりを観るのだ。

 

  『癌の治療中、『自分』の乖離があったと書いた。私はニシカナコを一定の距離から見ている誰か、という感覚があった。(中略)

   「もう一人の自分」と呼ぶほかない存在が自分にはいて、今ではその自分が、何より、誰より私の味方をしている。』218ページ

 

  『・・・そしてその日常は、以前と同じではあり得ない。私は未知の恐怖を孕んだ、『新しい日常』を送ることになるのだ。』216ページ

 

  馬骨がこれまで何度か言ってきた『自分』公案〜『自ずと分かれ、自ずと分かる』が、この著書に見事に表されていることに私は驚いた。

  この本は、海外で住んでみることで、そして癌患者になることで、二重三重の意味で『郷里・サトリ』を振返る機会を得、

  ついに『もう一人の自分』というものを観つめた体験を綴ったものではなかったかと思う・・・。

 

      

      週3回はこの公園そばのグランドを6周し、帰りにこの風景(レマン湖にモンブラン)に癒やされる馬骨

  

  

  

  

 

  

  


  審『美』眼は『沈黙』の中で育成される

2023年01月25日 | 色読是空

  書籍で『沈黙の作法』、山折哲雄x柳美里(対談)著を読了。  やっぱり紙の本はいいなぁ・・・。

  読み終えた本の厚みを手にして、『あぁ読んだ…』という実感を持つ事…自体に何か意味があるのだろうか?

  海外在住ということで自然、電子書籍(アマゾン)購入になるんだけど、今数えると約100册になる。(驚!多分10年間くらいで?)

 

  パリのジュンク堂書店でこの本を見かけ、その帯の裏に書いてある二つの言葉・・・に惹かれて買ってしまった。

   『沈黙は、最高で最終的な宗教語なんです。』・・・山折哲雄

   『本当の問には答えが無い。』・・・柳美里

  まるで『禅』について語っているような、帯の言葉に『エッ!』…と、思いました。

 

  2019年にこの本が出版された時点で、山折哲雄氏は88歳、柳美里氏51歳。かなり歳が離れた者同士の対談は

  山折哲雄氏は宗教学者、評論家、 柳美里氏は劇作家、小説家・・・という肩書のせいもあり、全編に仏教的流れはある。

  今日までお二人について、全く知らずにいたので、彼等の著書を読んでからもう一度この本『沈黙の作法』を読むべきか・・・。

 

  柳美里氏は在日韓国人という出生で始まり、演劇人の夫との間に生まれた子どもの出産とその夫の死を同年に体験。

  その後劇作家、小説家として大成するも、2011年東北大震災後、作家としての信念を貫くべく、

  鎌倉の住まいから福島県南相馬市に移住し、本屋を始めるという普通ではない人物であった。

 

  一人は仏教、一人は作家の眼を通して『人間』を見つめ、至った共通の境涯が『沈黙の作法』であったか。

  最初から『自殺』、『いじめ』問題にふれ、『死生観』にまで話がぶっ飛ぶ。

  6回に渡る、対談のテーマは多岐に渡るといっても、必ず人間の深い処に集約する。

  その中で、山折哲雄氏が提唱する言葉

    『これから学びの進む小学生の入り口にして欲しいのは、心の領域を支える『美意識』です。

    美から入った方が、道徳的な感性やいわゆる日本人的な宗教的感性に近付きやすい。宗教や道徳で善や真をとくでしょ。

    善いことは美しい、真実は美しい、と受け取ることが出来る。そういうところにこの国の心の教育の特徴というか

    基本的な方向性があったと思いますよ。そこからそういう感覚が育つ。いじめは醜い、いじめる君自身が醜くなる、と導くことが出来る。』

  ・・・このように語る山折哲雄氏の変哲も無い、当たり前のような事が案外、現代下における諸問題の突破口になる気がした。

           

           この本の中で、山折哲雄氏によると柳美里氏は『弥勒菩薩』に似た表情をしている・・・のだそうだ。

            確かに、本当の審美眼を持てば『いじめ』はなくなるに違いない。

    

  

 

  

  


  爺婆学 (ジェロントロジー)とは?

2022年02月11日 | 色読是空

  今、寺島実郎著2冊を同時進行で読み、今日『ジェロントロジー宣言〜「知の再武装」で百歳人生を生き抜く』を読了。

  寺島実郎氏についてはYoutube番組『世界を知る力』のシリーズを見続ける中、政治経済についての的確な資料を提示し、日本の

  行く末について、長年のビジネス経験と豊富な人脈を活かした提言、また多摩大学学長という立場から若者たちへ

  教育者としての意見など、現代の日本の諸問題を根本から掘り下げ、提示して見せる手腕に『眼から鱗』というより

  その方面に対する無学無眼の私の顔に眼玉を付けてくれた人物として注目するようになったのはここ一年前ぐらいからだ。

 

  寺島実郎氏は1947年、札幌生まれ…とのことで、同じ道産子の5歳先輩であるが、その経歴は早稲田大学を経て、三井物産、

  十数年の海外勤務を経、現在日本総合研究所会長、多摩大学学長という華々しいエリートコースを驀進しながら

  すぐれた人格者として周囲の尊崇を一身にし、私とは真逆の人生を歩んだような人といえる。

  

 

  しかしながら、この著書のなかで彼は高齢化社会ゆえに『知の再武装』という発想がなにより必要であると提言しているのだが、

  彼の言う『知の再武装』とは、無学な私が直感的に道を求めて修行した結果、『諸行無常』から『諸法無我』へと深まるなかで

  見出す『境地』と同質の『智慧』から発想するより具体的な話として説かれているようなのだ。

  例えば『変化している親子関係』『故郷の喪失につながる、都市郊外住宅』などなど、医療、健康、福祉、住宅、教育、金融、保険など

  様々な面から世界に先駆けて高齢化社会が進んでいる日本についてどうすれば、若い人たちが希望を持ち、増える一方の高齢者も豊かな社会を

  構成する一員となれるか・・・を資料を示し、沢山の識者の著書を紹介しながら具体的な提案をしている。

 

  ジェロントロジー(Gerontology)…一般的には『老年学』と訳されているが、寺島氏は『高齢化社会工学』と訳すべきとしている。

  私自身は初耳の言葉であったが、今年5月に70歳の古希を迎えるにあたって大変貴重な意見を頂戴した気持ちだ。

  私の若き日に『東洋医学』、『禅』、『太極拳』などを学んだが、それらがすべて『ジェロントロジー』につながるというか

  そのど真ん中をひたすら歩いてきたような気もする。(ただし、貯蓄、金融面は無視)

 

            

  一昨日、電車で小一時間のジュラ山中の湖へ行ってきた。友人のFacebookでこの湖でスケートしている人々の写真を見て、見たくなったのだ。

  しかし、私達が行った時は氷はすでに溶け、スケートが出来るような状況ではなかった。

  周辺を散歩し、途中ポットに入れた玄米茶にチョコとナッツをおやつに休憩していた時

  振り返ると、湖畔の私達のすぐそばに野性の『鹿』が私達に向かって進もうとしていた。

  ニコルに『鹿がいるよ!』と声をかけると、それに驚いた鹿は林の中に消えていった・・・。

  その美しい姿は 『野性』とか『躍動』とかを想起させた。 写真は間に合わなかった。

 

        そこで一句…   『 シカと観よ 野性の瞳の メッセージ 息吹く命に 躍動のせて 』 一撮

  

  

  

  

 

  


『日日是好日』を読んで 

2020年10月11日 | 色読是空

  昨年だったか、アマゾンプライムで映画『日々是好日』を観て、素晴らしい…と思った。

  それが先日、北海道の田舎に住んでいる姉と携帯の映電で話した時、この映画の話がでてもう一度見る気になって観てみた。

  そしてさらに森下典子著の原作『日日是好日 お茶が教えてくれた15のしあわせ』を読んだ。

  この本を読んで、一層、映画『日日是好日』の素晴らしさを再確認したが、作者がお茶を通して『気づいていく』事柄を

  ボクが禅の修行で感じた事柄と照らし合わせながら、その当時はボク自身言葉に出来なかったであろう思いなどが書き留めてある、

  数々の珠玉の言葉に出会って、日本の『道の文化』が健在している事実と、

  そういった難しい内容を見事に『本』や『映画』にして世に出してくた人々に感謝と賞賛を送りたいと思った。

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  『世の中には「すぐ分かるもの」と「すぐわからないもの」の二種類がある。

  すぐわからないものは、長い時間をかけて少しずつ気づいて、わかってくる・・・』 とは作者の言葉。

 

  ここに『日日是好日』の日日の積み重ねがあることがわかるが、

  この『日』というのが、『曰く言い難し』の『曰く』の積み重ねである『一黙』の行・・・

  達磨さんの教えが日本に『道の文化』として黙々と伝えているところが素晴らしい。


『魂の退社』を読んで…

2020年05月16日 | 色読是空

前回の『寂しい生活』と同じ著者の稲垣えみ子さんの本『魂の退社』を読んだ。

これを読んで、前回の本『寂しい生活』への流れがよくわかったのは、そもそも『魂の退社』2016年出版、『寂しい生活』2017年出版の順であったからであったのだ。

『魂の退社』があっての流れで『寂しい生活』…となったのが今回はよくわかった。

彼女は大学卒業後、大阪朝日新聞社に入社。その後地方勤務の5年を経て本社勤務であっが、38歳の時予想もしていなかった『異動』を命じられ香川県へデスクとして勤務。

それまでの都会生活から田舎への異動で、はじめは『島流し』…的な気分だったが、自ら地元へ積極的に関わることで学ぶことが多かった。四国であるから、お遍路さんが多いが、ある日息抜きの山歩きをしている時に出会った一人の遍路姿のお爺さんと挨拶を交わした時の彼の笑顔に、突然涙が出てきて止まらなくなってしまった…という。

それが、彼女にとってそれまでの生活から何かが変わっていった出来事であったようなのだ。

そのときのお爺さんって、弘法大師空海さん、あるいは常不軽菩薩・・・だったに違いない。

彼女のこの2冊の本『寂しい生活』『魂の退社』を読んで、いろいろ共感するが、ボクと彼女の場合の違いは、彼女は大学卒業後、大企業就職…と順風満帆で行って、40歳ぐらいで断捨離に気づき、50歳で退社・・・。に対してボクは、自分の心情を守るために職業と住むところを18歳から転々として40歳でスイスにきて50歳で初めて企業に就職…と彼女とは行き方が正反対なところが面白い。

考えてみれば、内風呂、冷蔵庫、洗濯機のある生活というのはボクの場合、スイスにきてからであるから40歳になった時に初めて体験、バカンスのある会社勤めは50歳からだった。

いずれにせよ、彼女は『菩薩の微笑み』で目覚めたのだと思う。

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目覚めた後、彼女はアフロヘアーにしたとのことだけれど、彼女にとってのアフロは菩薩の象徴であるに違いない。(写真は京都にある金戒光明寺にあるアフロ阿弥陀仏。)

 

 

 


『寂しい生活』を読んで

2020年05月12日 | 色読是空

スイスでも昨日から『ちょっとゆるく、レストランとかカフェとかお店などがオープン』。

で、今朝から急に温度が下がって寒いくらいの気温だったが、相方と今日のボクの68回目の誕生日に何かプレゼント用、本でも買いに行きましょうと街にでかけた。

今日までの約2ヶ月間の自粛生活は『晴耕雨読ならぬ、晴読雨読…』一度に4冊ぐらい平行読み。

先日読了して、けっこうインパクトあったのが『寂しい生活』稲垣えみ子著。

この著者については、これまで全く知らなかったので、読んで仰天した。

例の 3・11 (東日本大震災)は多くの日本人に大なり小なり転機を与えたが、この様な形でこの人の人生に大変換をもたらし、『我が世は、侘び寂びじゃ〜』・・・とは言ってないものの、『侘び寂び』そのものの生活に突入した一女性の話しであった。

禅の修行をした経験のある者としては、彼女の生活の大変換した方向性…というのは十分理解できるが、その動機が 3・11 の原発事故による電力節約…というところにあった!…という事が凄いと思う。

いずれにせよ、女性は強いだけでなく、深いのだ。

『侘び寂び』について知りたい人に、是非一読を薦めたい一冊。

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2ヶ月ぶりのカフェ、テーブルを仕切るプレキシグラスの木の部分が段ボールで出来ているのに感動している相方(左)と68歳の誕生日を迎えた一撮爺(右)

この日、相方ニコルがプレゼントしてくれた仏語版『良寛俳句』本から選んでカードに書いてくれた俳句は 『 平生の 身持ちにほしや 風呂上がり 』良寛

へえ~・・・こんな俳句が良寛にあったのか… では、お返しに

       『 寒五月 夜は温めの 湯船かな… 』 一撮

 


王様になった俺

2019年01月12日 | 色読是空

先週の日曜 1月6日はキリストの誕生を世に公にした三人の王様にちなんで「王様の日」でパンの中に小さな陶の王様を隠し、それを何人かで分けあって食べたとき、その王様を当てた者が王様になる…という宗教的慣習『王様の日』がある。

ボクはわりとよく当てる方だが、その翌日、日仏言語交流の会に手作りパンをもってきてくれたマダムがいて、7人のメンバーで分けて食べたところ、案の定ボクが食べていたパンの中に陶の2x1.5cmぐらいの長方形の板状が出てきた。(真ん中左の写真)最近は王様の形のものだけじゃなく色々あるようだがよりによって日本の百人一首の和歌が達筆で書かれている陶板がパンから出てくるとは⁉️(中左写真)

さすが日本キチのマダム、これを製造しているフランスの工場に見学にいった時に購入したという。達筆すぎて僕ら日本人でもよく読めない…、で即ググる。

平安時代貴族で歌人、みなもとのむねゆき/ 源 宗于の詠んだ歌だった。

「 山里は  冬ぞ寂しさ  まさりける  人目も草も  枯れぬと思えば  」

それでかパンに「 冬 」の一文字が見える( 写真右上)む~なかなか粋なことを !

結果、日仏の美女に挟まれて一撮 !( 写真左上)な~んか新春から縁起がいいy ~❗(頭上の王冠が見えるだろうか)

で、年初め、てなことで、、、ボクの手作り「俳句カルタ」(写真真ん中)をすることになった。芭蕉の俳句やら有名なのを42枚用意して楽しんだ。

夢中になった子供の頃を思い出しながら…

             
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 群青の海へ… 平山郁夫著

2018年01月31日 | 色読是空

去年2017年10月、尾道を2泊3日した最終日、ホテルの地上階が船乗り場でそこにある海図を見ると
幾つか島巡り図があり、生口島という島に平山郁夫美術館というのがあった。

平山画伯については、ボクが丁度禅修行のために日本に帰国している時(例えば1987年、画伯が57歳、ボクが35歳)
『敦煌への道』とか『シルクロード』とかのキーワードでメディアで報じられていたことを覚えていた。

この日は天候不順、そのうえ生口島へ行く船も出たばかりで半ば諦めかけていたが、バスが島に架かる橋を渡って
出ていると云うので決行。尾道から向島、因島、生口島と渡って平山郁夫美術館を訪ねた。

煙雨の中、灰色に近い緑の木が生い茂る景色が過ぎ、ここの特産なのかレモンが木になっている風景が続いたころ
美術館に到着した。(国産レモンの3割を生産しているという)

1997年に開館したという平山郁夫美術館は中に入ってそのゆったり、そして堂々と気品に満ちた空間に
これがたった一人の画家の為の美術館であることにまず驚いた。
館内すべての作品を見終えたとき、偶然の気まぐれでここに来れた幸運に感謝した。
その時に売店でかった2冊のうちの一つが中公文庫『群青の海へ わが青春譜』で画伯が58歳の時書かれた本であった。

本当にいろいろ考えさせられる本であったが、
なによりも、昭和20年8月6日の広島原爆の画伯自身の体験が克明に記されている…内容に衝撃をうけた。
それは彼が15歳の時で、同年8月15日終戦。
昭和22年春、同校教授であった大伯父の勧めで東京美術学校日本画科に入学したのが16歳のときであった。

ボクは人生における『師弟』関係というものに非常に興味を抱いているが、平山画伯の場合にこの大伯父
がまず大変な影響を彼に与えていて、そういったところを楽しく読んだ。

画伯が25歳の時、5歳年上の同級生と結婚。家賃千円のアパートに十年暮らした睦荘の貧乏暮らしの様子や
その後2人の子持ちと原爆後遺症の発症が重なる中、画家としての迷いなどが綴られる。
体力がいよいよ衰える29歳の時、強行軍である八甲田山へのスケッチ旅行にあえて参加したが、
帰宅後、突然砂漠をえんえんと歩いてきた僧がオアシスにさしかかった情景の絵の着想を得たという。

その絵がこれだ。

   『仏教伝来』…玄奘三蔵(西遊記の三蔵法師)の17年に及ぶ求法の旅姿に平山画伯の画家としての道を拓く
    ものとしての確信を得た図。


アドラーで悉皆成仏

2016年10月29日 | 色読是空
 先日、紹介したPodcast、茂木健一郎さんの『Dream heart』で最もインスパイアされたのは心理学者・哲学者の岸見一郎氏の『アドラー心理学』の話だった。
 アドラー心理学を紹介する目的で書かれた『嫌われる勇気』が百万部突破というので、早速Kindleで取り寄せて読んだ。

 読み進むごとに驚愕、そして徐々に歓喜に変わっていった。
 そこに書かれていることは『禅』そのもの・・・であるからだ。(ボクのように全てに半端な者が断定してもしょうがないが)

 というか、禅でこの本を読むとスッキリすることばかり。

 ただ不思議なのは、1870年生まれの禅の大家『鈴木大拙』と同じ年に生まれた、心理学の大家『アルフレッド・アドラー』
 この二人の接点?!・・・が無いのがどうも解せない?これはどうしても不思議だ。(鈴木大拙はユングと親交があった事実を考えると
 フロイトと決別したアドラーには会う機会がなかったのか、せめてアドラーの著作には出逢わなかったのであろうか?)

 もしこの二人が、邂逅(かいこう)していたならば『禅』、『心理学』を越えた『人間の救済』に大変異をもたらしていたに違いないのに。

 アドラー心理学は個人心理学と呼ばれていて、個人=Individual・・・人は分割できない存在・・・が前提となっているところからして『禅』だよナ。

 アドラー心理学では『人生の目的は共同体感覚』であるそうだが、それって釈迦が言った『草木国土悉皆成仏』だろう。

 この本に面白いくだりがある。
『アドラー自身、「人間を理解するのは容易ではない。個人心理学は、おそらくすべての心理学のなかで、学び実践することが、もっとも困難である」』
『アドラー心理学をほんとうに理解して、生き方まで変わるようになるには、「それまで行きてきた年数の半分」が必要になるとさえ、いわれています。
 つまり、40歳から学び始めたとすれば、プラス20年が必要で60歳までかかる。20歳から学びはじめた場合にはブラス10年で30歳までかかる、と。』

 禅も似たようなもんだ・・・と思うが、もっとも大事な所を『直感で一気に』・・・というのが禅のやり方のように思う。

 宗教臭い宗門派から脱却したところが『禅』の素晴らしさであるが、『端的』なだけに取り付く島もないほど戸惑う、という点ではやはり禅も『勇気』
 が必要なようだ。
 
             

  『ブラックアウト』を読んで

2015年05月03日 | 色読是空
  写真展準備の為にとった一週間のバカンスも5月2日の日曜で終わり。
  なんだかんだで忙しかった休暇中以前から読み始めていたエキサイティングな小説『ブラックアウト』上下2巻を読み終えた。

  作家の マルク・エルスベルグ(オーストリア人1967年生)によるデビュー作・・・との事。(驚き!)

  内容はこの本の解説から一言パクると~ 十日間におよぶヨーロッパ大停電を描いたパニック小説。

  コンピューターに弱いボクには詳細は良くわからないが、現政治体制を良しとしないハッカー・テロリストの綿密な計画による大災害での滅びと復活の目論み。

  この本によって実に、本当に、改めて・・・と、ひつこくその手の『副詞』を羅列したく成るほど改めて『電気』に依存している我々の日常生活について
  考えさせられた。我々の生活は本当に『電気』によって成り立っているのだ。

  小説には『停電』が長期化した場合、どんなことが起きるのか?・・・ということを様々な面から想定して描き出されている。
  例えば原子力発電の核燃料棒の冷却装置の非常用電源の確保というような大問題から、トイレの排水用の水の確保が困難になる・・・というような極身近な問題まで。

  ボクが子供の頃(昭和37年(10歳頃)北海道の田舎、北見ではわりとよく短時間の停電があった。夜であればローソクを付けラジオのない静寂な雰囲気を
  子供心に楽しんでいたような思い出もあるが、
  2015年の現在、何もかも電気に頼っている現代人にとって例え短時間の停電でも悲壮感がつのるのではないだろうか。
  それが3日以上も続いたらどんなことになるだろうか。この小説のお陰でその怖ろしさを具体的に思い知らされ、電気の重要さを改めて認識することが出来た。

                
                 写真は数年前にベルリンのユダヤ博物館内にある『闇の部屋』に入った時のもの。
                 ナチスに迫害されたユダヤ人と『停電』とでは『闇』の意味合いは全く違うが・・・

  春の海こそジャズ

2014年07月10日 | 色読是空
  数日間、日本から来た友人一行と過ごしスイスにいながらにしてスイスじゃないどこかに迷い込んだような・・・彼らと別れ 軽い疲れがどっと出ると
  同時に季節が『秋』か?・・・と思うくらい気温が急直下して 頭がボーっとしている昨夜 
  ジュネーブの領事館が主催した『中村明一コンサート』(スイス・日本交流150年記念の一環の催し物)へ行ってきた。

  あの松岡正剛も褒める尺八奏者をひと目見ようというわけで 出不精なボクは相方を伴いジュネーブに出かけた。

      
   五月にパリに行った時の写真・・・月にUFO?   ボクの春の海

  中村氏はこの後 モントルージャズフェスティバルに参加するそうだが、ボクには彼のバンドによる耳をつんざくジャズよりは 
  琴と尺八のみで演奏された古典『春の海』のほうがよほど ジャズで 斬新で ダイナミックで 日本的としか言いようのない底無しの深さに感動した。

  最近こういった『日本』にこちら海外で出会う時 それは揺るぎない『日本文化』として日本国から独立してひとり歩きしている事を
  確信するのだが、こうした『美しい日本』とのたまう安倍晋三自身が 大事な後継者を摘み取るような政策に 一層悲しみを覚える。

  その感情は 今日、読了した 雨宮処凛さんの本『排除の空気に唾を吐け』で百倍増してしまったようだ。

  本の見出しの一つ『90年代は雇用が猛スピードで破壊された時代』がこの本のすべてを象徴するような出来事で埋め尽くされている。
  1991年に渡欧したボクは この本を読むまで 日本の90年代に何が起こったのか全く知らずにいた・・・。
  フリター元祖的生き方をしていたボクには この本を読むのは辛かった。
  『雇用が猛スピードで破壊された時代』とは 金の亡者となった人間性欠落の社会システムのもとで働かなければならない状況であろう。
  
  

    「利休にたずねよ」を読んで

2013年08月13日 | 色読是空

  「利休にたずねよ」山本兼一著を 読了。 電子書籍の第2弾として 選んだ かなりワサビの効いた「侘び」の本。 
   電子版で読んでも 侘び は 侘び であったことが 少しうれしい。(今のところは・・・)

   当たり前なんだけど、 読んでいて 一言も カタカナ言葉、英語、現代語が 使われていなくて 
   しかも それで、というか それ故にこそ、というべきか 「侘び寂び」の世界が深まってゆく(様な気がしてくる)ことが 実に不思議なのだ。
   ボクの中に それを享受する感性など 極微なはずなのに・・・あたかも 自分と利休の感性が 共鳴しているような 楽しい「錯覚」の世界に遊ぶ。

   小説なかばあたりを 読んでいる時 この「秀吉と利休」の二人の存在というのが なんとドラマチックなのか!・・・と感嘆し、なおかつ
   全然読んだことないにもかかわらず、 シェークスピアの物語に 勝るとも劣らない・・・のでは、などと妄想をたくましくして この二人の運命を想う。

   利休に関しては 三國連太郎の利休、三船敏郎の利休の映画を見て 心に残るものがそれぞれ あった。しかし、それ以来 今日まで利休のことは
   忘れていたけれど ここに来て ボクの心のなかで 「千利休」の存在は 大きい。

   16世紀なかばの 一人の日本人 しかし、彼の生き様は 時代を超えている。 秀吉は歴史には残ったが 利休は時代を超えている。
   そこにこの二人の 生き様の違いが あるのではないだろうか?

   ただ、ボクのイメージする利休は この著者の 山本兼一さんの ものとは また違う感じだ。

            

               夕暮れの 碧きレマンは 寂として 白鳥いざなう 侘びの栖(すみか)よ :一撮


  

 見ようとしない者には存在しない

2012年08月13日 | 色読是空
 ボクは3,4日前に 「引越し残り物文庫」からたまたま 手にした文庫本「闇の子供たち」ヤン・ソギル(梁石日)著を読み始め
 非常に暗く沈んだ気分にいる。

 現在この本の 3分の2あたりだが この本が提起する問題そのものが いま日本が抱えている問題、いや僕自身の存在とも 
 見えない糸でしっかり結ばれていること を感じて一層気分が落ち込んでくるのだ。

 この本が刊行されたのが今からちょうど 10年前の2002年、テーマは解説者の言葉を借りると
 「商品として売買される貧しいアジアの子供たちを題材にした小説である。」・・・である。

 ボクはこれまでどんな映画を見ても 眼をふせいだ事がない人間だが この小説に書かれている世界には 正直関わりたく  
 ない・・・と思うが これまで享受してきた豊かさの裏には 確かにこういう現実が あるのだと思っていたことが
 この本で証明され、気がついたら キューブリックの映画「時計仕掛けのオレンジ」の主人公のように椅子に固定され
 眼をこじ開けられて この本を「読む刑」に磔にされたような気分だ。

 小説に登場する バンコクの社会福祉センターで働く日本女性が 新聞記者にある協力を依頼する下りのセリフ:

 「これは一つの問題ではありません。世界が直面している戦争、難民、差別、虐殺、途方もない犯罪、その他、 
  あらゆる問題が集約されています。欧米や日本では、いったいどこにそんな問題があるのかと思っているでしようけど
  それは見ようとしないからです。見ようとしない者には存在しないも同然なのです。だからこそ、事実と真実を暴露し
  世界が陥っている巨大な矛盾は、やがて自分たちの生活をも脅かすことになりかねないことを伝えるのが
  マスコミの義務ではないでしょうか」

                

 必撮無眼流 - The kanji world

2012年05月04日 | 色読是空
  “ 森(kanjiの国)を認識するには、森を離れよ ” というので
  アルファベットの国まで来て,ボクはいまその森を振り返って眺めている。

  ここでいう“Kanji” という言葉はふた通りの意味があり

   1: 表意文字として中国や日本で使われている “ 漢字 ” の意であり
      一目見ただけで、その意味を感じ取れる文字。

   2: Kanjiと発音するFeelingという意味の日本語 “ 感じ ”

  面白いことに写真もこの “Kanji” の特性をもっているように思う。

  写真と文字の相乗効果でボクが表現したいのは日本文化の究極にある

  禅の “不立文字”、つまり生死に関わる大切なことは、文字や言葉では伝える

  ことが出来ないという “即今の風景” なのだが。

  妻の日常を切り撮って、ここに印す。
                      

  一撮俳句  (夏・秋編) 

2011年10月31日 | 色読是空
       
        一撮・俳句

帰宅とレイン(電車と雨) 夏の陰気を 眺めつつ (第一作、7月13日)
異国語や 眠りを誘う 帰宅電
生きてれば 芭蕉うらやむ スマートフォン(メモもできるで)
生も句も 限られてこそ 活きる命か
キス風景 そこまでやれば 人工呼吸
調子でて ツイツイさえずる 雨燕

ナデシコは ガタガタの日本 勇気づけ (この辺から社会的な事柄も詠むようになる)
俳号は 一撮なりけり 夏の冷雨
何もかも 予測できない 寒い夏
姉がスカイプ 父の面影 我に見るかな (姉がしばしばスカイプしてくるようになる)
あの声と 面構えとに 惚れてたが 逝かれて 惜しむ 役者振りかな (原田芳雄  を偲んで。)
                                   
船旅や 3キロ旅情 妻はしゃぎ (7月31日)

脱原は イシンをかけた マツリごと 風雲巻き起こせ 平成の志士 (この辺から           
 原発、放射能汚染問題に苦悩する人々に思いをよせる)
眼で聴けば チリーンと風に 舞う紙片 (8月5日:フランソワーズの誕生日に)
風流も 不安混じりの 宵の雨
ガイガーで 測る未来に 親は涙す
華やかさ 散って消えれば はかなさや (地元の花火大会をみて)
最近は ブログり、ツイり 妻カンカン (相手にしてくれないと怒る)
頼るなよ 言葉の杖に 雪月花  (8月17日)

頭燃でも それに気づかず 夕涼み うちわで扇ぐ やまとビトかな
浮くものを 上下に映す 水鏡 永遠(とわ)と瞬時の 境目みせて
禁断の 木の実が核と 気づく夏 アダムとイブが 楽園を去る
俺達に 明日は無いなと 覚悟せよ 低能政策 分かち合うには
産湯から 温泉までの 安楽に 垢抜けきって 腑抜け候う
口笛は 独り歩きの 古きダチ 月曜雨の 石畳ゆく(さよなら原発独りデモ9月19日)
あの日より 心の内に 被曝して 故国を憂う アルプスの雲
イマジねよ! 長く苦しい 患いに 笑顔なくした 平成被曝児
バカンスは 心こんがり 被曝させ 眼を赤くして 読むツイターかな(大事な情報源)
ツイターの 一つ一つの 心音を 集め束ねて 未来築かん
この年は スマートフォンで 俳句かな 
苦になって 俳句にならぬ 初秋かな(10月10日)
慈悲秘めし 憤怒仁王の 激励は 若き賢母の 姿かりたか (ツイートに刺激されて)
プチメディア 巨大(虚大)に挑む 楽屋裏 (10月21日読売対上杉のやり取り)
季語失せて 路頭に迷う 五七五 無から八起の ダルマかな 「10月21日」
言魂で 気持ちつなげる ツイの数珠
朝暗き 裏の雨戸を 開け見れば 凛とそり立つ 北斗七星 (10月24日)
つぶやきが 叫びに変わる 日に生きて (10月28日)
冷え切った 風吹き荒れる 東北で 熱き思いを 綴る君かな (この人のブログを見て
 http://daiken.cocolog-nifty.com/ )
帰宅電 6時の闇を 切り裂いて サヨナラ夏時 また4月まで (10月31日)