拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 大拙東来意〜奇跡の師弟(2)

2023年08月18日 | 大拙考

  巷では『百年に一人の傑出した人物』と言う表現を見かけるが、『鈴木大拙』は千年に一人の傑出した人物であると私は思う。

  しかし、世間の彼の評価は『禅』というモノ自体がいまだ曖昧な分、十分認知されてないのが残念だ。

 

  鈴木貞太郎という無名の若者が、『スズキ大拙』として世界にその名を馳せる事になる、円覚寺の釈宗演老師との宿命の出逢い…

  を思う時、まさに『仏縁』という奇跡のような『師弟』の結びつきに、何かのお経で読んだ『海に浮かぶ木片の節穴に亀がその頭を突き出した』

  という『稀なこと』を例えた表現に、私はめまいを覚える。

 

  釈宗演老師という若く(大拙より10歳うえ)、仏教を、禅を世界に知らしめよう・・・という進取の気性に富んだ禅僧の存在がなければ

  大拙がアメリカに翻訳、編集者としてポール・ケ−ラス(編集者・思想家)のもとで、西洋思想を学びつつ、

  老子道徳経や仏教を漢文から英語に翻訳する作業(修行)を11年間に渡って行った・・・という事もなかったわけだ。

 

  これを思う時、私は何故か映画『ターミネーター』を思い、『スズキ大拙』という人物は、未来世界を憂いた釈宗演老師が

  未来を救うために送り込んだ『 Zen・ターミネーター』で『 I'll be back ! 』と『禅とZen』を引っさげて地球上にやってきた図が浮かぶ・・・のだ。

 

              

            ちょうど10年前(2013年)、坂をキックボードで猛スピードで下った結果…の図

             (当時、引越の残業で遅くなり、電車に乗ろうと駅に急いでいたのだが・・・)

  

  


  大拙東来意〜(その2)奇跡の師弟

2023年08月15日 | 大拙考

  私がもし映画監督となって、『スズキ大拙伝』という伝記ドラマ映画を撮るとするならば

  大拙最晩年81歳〜死ぬ96歳までの15年間、秘書として大拙の身の回りの世話をした岡村美穂子と大拙の師弟関係を中心に物語を始めるだろう。

 

  大拙は弟子を持たなかった・・・と言われているが、後年岡村美穂子が語る大拙とのやり取りは、明らかに禅の師と弟子の関係以外ではなかった。

  そういった岡村美穂子の眼を通して観た『スズキ大拙』を描くことで、大拙がどういった人物であったかを鮮やかに浮き彫りすることが出来る。

 

  そもそも、二人の出会いというものからして非常にドラマチックだ。

  当時16歳の少女、岡村美穂子とすでに著名であった禅思想家80歳の大拙との出会い・・・。

  ニューヨークのコロンビア大学での公開講演がキッカケで、それがどういう運命の悪戯(いたずら)か、大拙最晩年を伴に生きることになったのだから・・・。

  ここまで書いてきて、私の愚脳中では大拙映画の最高傑作が出来上がってしまった感しきり・・・あぁ〜っと独り感動の渦にまきこまれそう…。

 

  じつは、今朝までは大拙に関して別なことを書こうと思っていて、参考までに『岡村美穂子』をググってみたところ

  彼女は今年2023年6月に88歳で『御隠れ』になっていた・・・。

  スズキ大拙を実際に知っている人物が、本当にいなくなった気がして、一抹の寂しさを感じながらも、映画『スズキ大拙』の構想が浮かんだのだ。

  この映画は何時、誰が実現するかわからないが、いつか必ず実現するだろう。

  その時は真っ先に岡村美穂子さんに観ていただきたい。

        

                      水鏡の庭 (鈴木大拙館)

          2011年『鈴木大拙館』開館。   写真は2017年に初めて金沢に旅した時のもの。

         岡村美穂子さんはここの名誉館長であった。

  

 

                                 鈴木大拙博士の日常生活 その1 

                             ( 動画開始後、3分30秒より岡村美穂子氏の話 )