巷では『百年に一人の傑出した人物』と言う表現を見かけるが、『鈴木大拙』は千年に一人の傑出した人物であると私は思う。
しかし、世間の彼の評価は『禅』というモノ自体がいまだ曖昧な分、十分認知されてないのが残念だ。
鈴木貞太郎という無名の若者が、『スズキ大拙』として世界にその名を馳せる事になる、円覚寺の釈宗演老師との宿命の出逢い…
を思う時、まさに『仏縁』という奇跡のような『師弟』の結びつきに、何かのお経で読んだ『海に浮かぶ木片の節穴に亀がその頭を突き出した』
という『稀なこと』を例えた表現に、私はめまいを覚える。
釈宗演老師という若く(大拙より10歳うえ)、仏教を、禅を世界に知らしめよう・・・という進取の気性に富んだ禅僧の存在がなければ
大拙がアメリカに翻訳、編集者としてポール・ケ−ラス(編集者・思想家)のもとで、西洋思想を学びつつ、
老子道徳経や仏教を漢文から英語に翻訳する作業(修行)を11年間に渡って行った・・・という事もなかったわけだ。
これを思う時、私は何故か映画『ターミネーター』を思い、『スズキ大拙』という人物は、未来世界を憂いた釈宗演老師が
未来を救うために送り込んだ『 Zen・ターミネーター』で『 I'll be back ! 』と『禅とZen』を引っさげて地球上にやってきた図が浮かぶ・・・のだ。
ちょうど10年前(2013年)、坂をキックボードで猛スピードで下った結果…の図
(当時、引越の残業で遅くなり、電車に乗ろうと駅に急いでいたのだが・・・)