拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 「歩兵の本領」を読んで

2011年09月14日 | 色読是空
 久々に 読書をした。 スマートホンを買ってからというもの 電車通勤中も ツイッターを読んだり、俳句を捻ったり
 して 読書から遠のいていたけでど、 バカンスのおかげで 帰読書した。

  浅田次郎さんの 「歩兵の本領」を読んだ。

 よかった。 非常に良かった。 やっぱり 浅田次郎はいいなぁ~・・・と思った。
  
  ボクは彼とほとんど同年輩。 彼は高校のあとに自衛隊に入ったそうだけど、ボクも高校卒業後自衛隊に入ろうとしたら
  先生、や同級生がやたらと反対するので・・・やめてしまった。 彼は三島由紀夫の自殺が入隊動機だったそうだが。
  
 この本はその彼の 自衛隊時代の体験を元に書かれたようだ。 ボクもこの当時 小説に出てくる 自衛隊員勧誘の地方連絡部
 勧誘員 略して 地連のオッサンに 出会っていれば 「入隊すれば 各種免許証も取れるし 後々有利だよ~」にすんなり
 乗せられて入隊していただろうに・・・。 北海道の片田舎、それも進学で名高い?高校だったので 勧誘するオッサンも 
 よりつかなかったのだろうか。
 それにしても 浅田次郎さんの 世界が好きなのは 映画でも勝新太郎の「兵隊やくざ」とか ああいったものを見て育った世代
 からなのか? 或いは 前にも話したが ボクの育てのおふくろ・・・のせいなのか。

 彼の小説のどこが いいのか などということを 書こうなどと思ったけど 無理と 判明したのでやめることにした。
 ただひとつ分かったことは ボクは 気が短い ゆえに 文章ではなく 写真なのだ・・・ということ。
 どうも 物語る なんてことは 無理なようだ。 
   この写真は 浅田次郎の小説には何の関係もないが、 自撮シリーズ 「他の奴らはまだ寝てる」より

      

 

写楽斎の独り言-2

2011年06月16日 | 色読是空
 昨日のブロクは力作ではないにしても、眠たいのを我慢して書き上げた "洒落クサイ”文だったのに
 写真を入れたくなって、手を加えているうちに 何故か文章・・・それも肝心な部分が消滅して
 しまい、どうにも悔しいやら、眠たいやら。 あきらめて寝てしまったが、今日また電脳機の
 前に座るとその悔しさがよみがえってきた。

 それにしても 面白いのは 一度書いた文章が消えた場合、二度と同じ文章を書くことが出来ない。
 (ボクの場合だけれど)
 同じことを書こうとする努力が苦痛・・で、さっきとは違うコンテクスト、文脈というより、文流
 というものが明らかに違う気がする。
 ついさっき書いたことなのに、同じように書けない・・・事は、不思議なことだと思う。我々の
 脳はどうなっているのだろうか。

 「脳」で思い出したが、先日「それでも脳はたくらむ」茂木健一郎著 を読み終えた。

 P-21( 脳に蓄積された記憶は長い年月をかけて徐々に編集され、その中で次第に「意味」がたちあがっていく。
     最初から「意味」を与えたり、押し付けたりするのでなく、様々なノイズに満ちた生の体験から、自ずから
     「意味」を見出す編集作業こそが、私たちの脳をほんとうの意味で鍛える。)

     これは確かにそうだ、五十も最後の数になるほど年をとると、それがよくわかってくる。
  例えば、昔撮った写真 ボクが30代の時にニューヨークに行ったときの写真の写脈が今頃になって読めてきた
  ということがあった。2,3年前にまとめた「Good-bye New York 1985」という写真は長い間、どうまとめて
  いいのがぜんぜんわからずに、20年以上放っておいた写真群であったが、これには何かがあると今頃感じ始め
  、その写脈が見えてきた・・・というのも、脳によって徐々に編集され、意味が立ち上がってきたわけだ。
  それにしても ボクの場合は 時間が掛り過ぎるきらいがあるが。