小学校の時、こんな“なぞなぞ”が流行った。
「花子さんは風邪で寝ていました。
窓辺に牛が来て、モーと鳴きました。
ちょうちょもやって来ました。
さて、花子さんは何の病気だったでしょうか?」
と言うものだ。
厳密に言うとなぞなぞでは無い。
冒頭部分に答えがあるのだから。
文字で読むと、なんの事は無いのだが、言葉だけで聞くと、最初の出だし部分を子供だと記憶していない事がほとんどだ。注意力を問われる問題だ。
なぞなぞだと言う事で、牛の「モー」とちょうちょの「ちょう」をヒントととらえてしまう。
「答えは盲腸!」と鼻息荒く答えると、出題者は「風邪でしたー。」と、してやったりといった顔で告げる。
「あぁ、ひっかかってしまった」と悔しくなり、今度は自分がクラスメートの他の子を捕まえて、問題を出し、“してやったり”と溜飲を下げ、“悔しい”と思った子がまた次へ。
結局、次々と同じようなことが繰り返され、クラス中の全員がこのなぞなぞを知るまで終わらない。そして、さらにクラスの外側に広まって行く。
言葉の伝播の力は凄い。
このなぞなぞを読んで「知っている亅という人は多いのでは無いだろうか。
懐かしい“なぞなぞ”だ。
昭和の子供は大抵皆ひっかかった。
令和の子供達はどうなんだろう。ひっかかるだろうか?
高校時代に流行った笑い話がある。これを知っていたら、多分私と同世代。
田舎に住んでいるおじいさんが、街へ出てきた。
映画を観ようと映画館を訪れた。入り口で並んで待っていると、前の人が、「学生1枚」と言ってチケットを購入した。それを見ていたおじいさんは、職業を言うのだと思い「農業1枚」と言った。
箸が転がっても可笑しい年頃の女子高生だった私は、この「農業1枚」にツボって笑いが止まらなかった。
あまりに秀逸な笑い話だと思ったので、どんな反応を示すか父に話してみることにした。
笑った。
私の話で笑うのは久し振りだったから、とても嬉しかった。
笑い話はもう一つあって、「喫茶店で、レモンスカッシュを注文する際、気取って“レスカ”と注文するのが流行っていた。それを真似て、クリームソーダをオーダーする時に言葉を短縮したら(あえて表示致しませんが…)、カレーライスが出て来た」と言うお話だった。
こんなネタで笑えた無邪気さが懐かしい。
父が笑ったのが嬉しくて、続け様にこの話をしたところ、せっかくの笑顔がさっと消え、父にたしなめられた。
内容が、父にとっては下品に感じられた(父は見かけによらずお上品な人だった)のかもしれない。
話すタイミングも悪かったのかも知れない。最初の話があざやかな笑い話だったから。
何れにしても、父の笑いの余韻をそっとしておけば良かったな、と反省とともに少し苦い思い出となった。
大人になってから、友人との飲み会の時に聞いた話。
ある囚人が刑務所の中で暇を持て余していた。ふと足元を見ると一匹のアリがいた。囚人はアリに芸を仕込み始めた。毎日毎日根気よく様々なことを教え、遂には逆立ちやバク宙も出来るようになった。
やがて、囚人の出所の日が来た。
囚人は芸を仕込んだアリとともに出所した。
久々にシャバに出てきた男はレストランへ入った。
注文の料理が出て来るまで、自慢のアリをテーブルに出し、様々な芸当をさせていた。
そこへボーイがやって来たので、男は自慢のアリの芸を見せようと思い、「見て下さい」と言ってアリを指差した。
するとボーイは「失礼致しました」と言ってアリを潰し、片付けた。
ラストがショッキングな話だ。
ボーイは職務に忠実で、囚人だった男の意図するところを知らなかった。
飲食店において、衛生面で問題のある虫を排除するという使命を全うしたのだった。
ちょっと悲しい話ではあるが、示唆に富んでいる。
日常でもありがちな事だ。
お互いの意図するところが違うと、大変な事になるので、行動する前に十分に知らせ合わなければいけない、という教訓でもある。
この話の続きを想像するのも面白いかも知れない。
男はそもそもなんの罪で囚人になったのだろう。単なる盗みだろうか。それとも殺人だろうか。
ボーイには何と言ったのだろうか。
或いは、悲しみと怒りで殴るなどの行為に及んだのだろうか。
などなど、この話一つで酒のツマミになりそうだ。
新型コロナウィルスの感染が流行り出してから、会社の飲み会も自粛。
お酒を飲みながら、バカバカしいつまらない話で盛り上がる事も久しく無い。コミュニケーションの機会が失われてしまった。
出社制限や時短勤務で休みも多いが、出社すると人員がそもそも少なくなっているので、やたら忙しい。
ストレスの多い毎日だ。
日頃ポジティブな私もいささか滅入る。
自分が人から聞いて面白かった話を書いてみた。
知らない人には伝えたくなってしまう。
あなたはどうだろうか?