最近になって、母親として娘への理解度が全く足りていなかった事に気付く出来事があった。
それはカフェインがきっかけだった。
カフェインといえば、コーヒーや紅茶などに含まれている事が良く知られており、子供には与えてはいけないとか、就寝前に飲むとその興奮剤的作用から、眠れなくなるなどと言われている。
娘は社会人になってもカフェインの入った飲み物が苦手だ。カフェインの影響が顕著に表れすぎて、体調が悪くなるのだ。
就寝前にコーヒーを飲んでも、直ぐにぐっすり眠れてしまう私と大違いだ。
娘がカフェインに弱い原因は何だろうと気になって、カフェインに弱い体質について調べてみたところ、highly sensitive person、一般的にHSPと言われる人に、カフェインが苦手な人が多いと言う事を知った。
HSPとは、生まれつき感覚が過敏で、刺激を受けやすい繊細な気質の人だと言う。更に新聞広告で、彼らのことを「繊細さん」と呼んだ『「繊細さん」の本』という書籍も出ていることを知った。
直ぐに書籍を取り寄せて読んで見ると、娘と重なる部分が色々書いてあった。
本の内容は、悩める繊細さんへの的確なアドバイス等も書いてあった。
ああ、私は娘の事を何も分かっちゃいなかった。
過去を振り返ってみると、私は娘に対していつも「少し大げさ」な子供だと思っていた。しかし、それは感じやすい「繊細さん」ゆえの感じ方だったのだ。彼女がティーンの時は、悩みもより多かったに違いない。それを配慮してあげられなかった事が悔やまれる。
娘が「繊細さん」なら私は「ガサツさん」もしくは「鈍感さん」だ。
今頃になって、娘の事を何も理解していなかった自分を、大いに反省したのだった。
今の世の中を見渡してみると、誰もが繊細さんにならざるを得ない社会なんじゃないかとも思う。
思いつくまま事例をあげれば、昭和の頃は「男女」で分けられていた性別も、今では男と女の間に限りないグラデーションがあり、それが認められつつある時代。人の性別は、もはや見かけだけでは判別出来ないデリケートな問題だ。
最近のアンケートの性別欄の選択肢には、「男」「女」の他にもう一枠ある。それも性別のグラデーションに配慮した例だろう。
また、テレビ番組は数が少なかったから、昭和の教室では昨日放送されたテレビ番組で、ほぼ話題が一致したけれど、現代はテレビ番組以外の動画があふれ、人々の感覚や思いも、より細分化され、複雑になっている。
常に誰かに対して、何かに対して、気を使わなければならない場面に遭遇する、そんな現代社会だ。
昭和の時代はささやかな喧嘩や小競り合いが多かったけれど、今の人達はあらゆるところに配慮して、諍いを避けている。喧嘩をすることが無いから、ひとたび何かで揉めると大ごとになってしまうのじゃないだろうか。
社会の最小単位の一つである我が家庭を見てみれば、私以外はほぼ皆「繊細さん」だ。私だけが気の利かない鈍感な「ガサツさん」なのである。
念の為お断りしておくが、鈍感さん、ガサツさんは、私が勝手に作った私を表現する言葉だ。
HSP専門カウンセラーの武田友紀さんの書いた『「繊細さん」の本』の中では、繊細さんで無い方は「非・繊細さん」と表現している。
「三つ子の魂百まで」
子育てを終わってから娘の繊細さに気づく私は、超ド級の「鈍感さん」かも知れない。