「卓球…やりたいなあ」
誰と行く当てもないのに、私はカレンダーに「卓球解放日」とメモして場所と時間も記入しておいた。
カレンダーにメモしていた事も忘れた頃、帰省していた娘がカレンダーのメモに気付いて「卓球しに行こうよ!」と誘ってくれた。久々のスポーツに私はワクワクした。
その日は小雨が降っていた。
卓球のラケットは、ずいぶん昔に購入した安物が我が家にあった。それと運動靴を持って、午後2時過ぎにでかけた。
20分ほどで地区センターに着き、体育館へ入ってみると、卓球台は全部で6台あった。3台ずつ、体育館の奥と手前に並んでおり、中央を仕切るように、球を止めるためのネットが天井から床まで垂れ下がっていた。
奥の3台は、既に卓球クラブらしき人達に占領されていたが、手前の台は端っこに3人家族が使っているだけで、2台空いていた。
天気が悪いのが幸いして、卓球台を娘と2人で独占できるのが嬉しかった。
3人家族とは反対の端の台に決めて、軽く準備運動をしたあと、早速、娘と打ち合い始めた。
卓球は小学生の頃からスポーツ好きの父と始めた。
20歳の頃には、職場の卓球部にも少しの間、所属していた。
バックハンドは苦手だけど、そこそこ打てる。
私の子供達は、なぜか私ほどスポーツに興味がない。娘も卓球は何とか打てるけど、私から見れば、およそ卓球のフォームから程遠い姿。それでも不思議とラリーは続く。
2人で笑いながら15分ほど打ち合うと、暑くなって自販機で飲み物を買って、水分補給をした。
そんな風にして遊んでいると、一人の年配のご婦人が私たちに声をかけてきた。
「どこに並べばいいですか?」
そう問われて、私と娘がポカンとしていると、「ラケットは持っているんです」と言った。
どうやらご婦人は、一人で来館し、卓球の相手を探している様子だった。
私は奥の卓球クラブの人達とやるのが良いだろうと考え、ご婦人に勧めた。
卓球クラブの人達は年齢層も様々で、下手な私達とやるより良いだろうと考えたのだ。それに、何より私は娘と卓球を楽しみたいと考えていた。
ところが、私の提案に対して、何故かご婦人はウンともスンとも言わない。
少し動揺しながら、救いを求めるように反対の端にいる3人家族の方を見てみた。彼らはこちらを見ていたけれど、複雑な表情である。彼らも家族だけで楽しみたいのだろう。
私は止むなく婦人に向かって「一緒にやりますか?」と尋ねると、婦人は「ええ」と即答した。
娘は直ぐに気を利かせて「疲れたから少し休むね」と言って、卓球台から離れた。
私は「やりますか」と言ってからご婦人に球を打った。
ご婦人は、私より5歳以上年上に見受けられた。
私は胸の内で『私と打ち合えば、直ぐに疲れて休むだろう』と考えていた。ところが、そのご婦人は、とても上手な上にタフなのである。
打ち合いながら話を聞いていると、いつもは彼女の娘さんと打ちに来ていること、若い頃に、国体に出場するほどの腕前を持った友人に卓球を指南してもらったこと、などが分かった。
道理で上手いはずである。うかうかしていると、鋭い球が返ってくるのである。
調子が出てきたと見えて、ご婦人は「そーれ」の掛け声も出てきた。30分以上続けても、息も上がらず、汗一つかかないのである。
午後3時を過ぎるころには、周囲の人達はすっかり姿を消し、体育館は私達3人の貸し切り状態となった。娘に代わったり、ご婦人と打ち合ったりして、結局午後4時まで楽しんだ。
結果的に私一人がぶっ続けで、存分に卓球を楽しむこととなった。
楽しく卓球を終えた後で、私は最初に抱いたご婦人に対する“良からぬ思い”をちょっと反省した。
ご婦人と別れ、外に出ると雨はすっかり止んでいた。
娘と2人肩を並べて暗くなった道を歩いた。今日の出来事を振り返り、笑いながら話し続けた。
翌日、筋肉痛でソファーに座るのも一苦労の娘を笑いながら見ていた。
私はといえば、筋肉痛は不思議と無かった。週一のジョギングのせいか、あるいはここのところ始めた筋トレのおかげなのか…。
ただ、安い卓球のラケットを握り続けたせいで、人差し指の第一関節にラケットの角が当たり、指が痺れた。
ラケットの握りの部分の形が変なのだ。安物だからなぁ等と思いながら、卓球のラケットをネットで確認していたら、私の持っているラケットの握りの部分は、シェイクハンドのそれなのである。シェイクなら、裏面もラバーが欲しいところだが、それは無い。
何とも中途半端なラケットだ。
それがこれ。裏と表を写してみた。
何れにしてもラケットの役目は何とか果たしてくれたから良しとしよう。
また、卓球がやりたいなあ。