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氏神様参拝419

おはようございます。
今朝は参拝お休みでございます
氏神様参拝406、玄米食503、縄跳び025です。

アーユルヴェーダ習慣は100となりました。

今日は、仕事でおこるバイアス、あるいは視点の共有の難しさということについて書いてみたいと存じます。

私が普段接している分野は、2つの専門分野が組み合わさったものです。これをA とBといたします。

お仕事で関わってくださる方はA分野、B分野それぞれの専門家であることが多いです。

一方で私たちは、AかつBというところを専門に扱っております。専門家の方々は、それぞれがAあるいはBの深い知識をお持ちです。

この時に専門家の方は、ご自分の専門分野についてやはり造詣が深いものですから、そちらの非常に繊細な状況について密度をあげて対応してくださいます。そのことは非常にありがたく思っております。

でもその一方で、AかつBの視点からコアとなる箇所について、対応していただきたいと思うこともございます。

このような「全体を俯瞰した視点で上流工程にあたるやや抽象的なことへの対応」と、「具体的でかつ詳細な専門的な処理」、この両者への優先度が、私たちが期待しているものと異なることがございます。

このような認知のズレをできるだけ少なくし、両者にとって最適な成果を得るためには、対応している業務に対する全体像についてのある程度の理解力や想像力、に加えて、自己の専門分野の客観的な位置付けや視座に対する俯瞰した認知、が不可欠なように思われます。

このような認知を可能にするには、単なる平面的な知識の物量ではなく、また、左右、前後から見た平面的な複眼思考でもなく、対応している事象と取り巻く全体像を立体的に、さらにできれば血を通わせて有機的に理解しようとする視点、さらに「自己の専門性を過度に主張したい、というような自我のコントロール、節制」が求められるように存じます。これは、普段専門的な仕事をしていると、どうしてもその分野の考え方が強くなってしまう、私自身への戒めでございます。

それぞれが完璧であることを求めることは、お互いに人間である以上難しいことは承知しておりますが、不完全でもそのような視点を互いに持って、お仕事に対応してくことが、大変稀有でありがたいことになるのではないかと存じます。

具体的なことについて正確に把握しつつも、その背景に抽象的な公正性、効率性、適切性、対象への適用性について担保していければと思う次第でございます。そして、そのようなことはA I(人工知能)には、現時点では対応が難しいのではないでしょうか。

今日もありがとう存じます😊🙇‍♀️



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