田吾作相談員

田吾作相談員の仕事と趣味の世界
social work,ケアマネジメント,MTB,ツーリング,シネマ

2020.12.15 ジェノグラム勉強会

2020年12月19日 | ソーシャルワーク
親が子供に教育の機会を与えなければならない期間において、子どもが学校に行きたくない、と言い出した時、学校に登校しなくても良い、という選択肢を親が受け入れることは間違っていない。
しかし、学校に行かない、という選択肢を選んでも、将来的な生き方は変わらない、という子どもの育ちに対する責任を、親は逃れることは許されない。
長年闘病を重ねた母が他界する前、長男には中学受験をして良い高校、良い大学へ、そして父のように良い企業へ就職して欲しい、これが遺言となった。大企業に勤める働き盛りの父は忙しく、幼子を抱える闘病の母は実家の応援を請いながら生活と闘病をやりくりしてきた。しかし、病魔は母を連れ去り、父子家庭となった一家は、その境界内に父方の祖母を迎え入れることとなる。家族成員の変化はそのシステムに大きく影響を与え、当時、一番ストレスに敏感だった長男に症状をきたす。
父は長男と話し合いを重ね、関係性も良かった、というが、上記の責任を果たしてきたんだろうか。親には親の権威をもたなければならない期間がある。母を失おうとも、それは祖母世代が埋める穴ではない。親のパワーが適切に発揮されないと、幼子は灯台を見失ったように迷い始める。
この勉強会の前後、社民党の分裂が決まった。社民党が目指した世界が本当に社会民主主義であったか分からないが、欧州における社会民主主義では有権者は政治主体の「市民」になる。しかし、自由民主主義を掲げる自民党政権においては「保護される存在」としての「庶民」でしかない。国家システムを家族になぞらえるなら、家父長制ともいえる。家父長制は前述の親の権威を示すが、独裁的と権威(パワー)は異なるし、他の家族成員を従属的には扱わない。
下位システムとしての家族、上位システムである国家、支配とパワーについて考えるコロナ禍の師走…。

プロ

2020年12月19日 | ソーシャルワーク
SNSをやってると、どこか社会や他者に対して批判的になったり愚痴を言いたくなる
「じゃあ、お前は専門職(プロ)としてどうやねん」と言われてもきちんと答えられるように、そしてそれがプロだと思っている
好きで勉強会とかやられてるんですか?と趣味のように言われるのは心外で、プロ(仕事)だからやってるんですよ、と答える

支援混乱事例

2020年12月19日 | ソーシャルワーク
「困難事例でCMさんと上手く意思疎通取れなくて…」と包括職員
毎回言ってますが、困難事例とは大体は支援者が作り出す
あえて言うなら、支援混乱事例

当人たちに病気があろうが、貧困だろうが、障害があろうが、そうやって生きてきた生活がある。それを困難事例とは、甚だ失礼

生活問題を抱えて難しい局面にあることは事実だが、それを支援者がよってたかって「なんでこうなってる、なんでこんなことしてる」と騒ぎ立てる
挙句に長期家族分離で、結局、家族の力を削いでいる
分離された家族は再統合できるパワーを失くし、今度は「帰る家がない、SSがない」と騒ぎ立てる
さて、誰が困難な局面を作りだしているのか?

2020.11.13の金曜日 アローチャート勉強会

2020年11月13日 | ソーシャルワーク


昔、「納屋を焼く」という村上春樹の短編小説があった
その後、韓国で映画化され、村上作品の実写化としては高い評価を得ている
さて、「何故、青年は納屋を焼くのか」という行為に着目しないのが村上春樹の小説世界の定石だが、「納屋を焼く」という行為の背景には、社会と青年の相互作用による、青年の内的世界の投影であることが理解される

野焼きはダメだと言われても、何故彼女は野焼きをやめないのか
習慣性、生活利便性、効率性など、長年あれこれ試した行為の結果として継続していることも多く、時にそれは他者に理解されないことも多い
高齢期における火の取り扱いは特に地域の視線も厳しい
認知症という病気の症状としてそれが表出していても、本人の内的世界は他者に理解されないことも多く、それは抑圧の対象となりかねない
行為の背景を理解されないままに、制止と抑圧を受けると、本人にとってはストレスでしかなく、環境に反発を繰り返し、余計に孤立化を生み、症状の進行に拍車をかける

さて、人は「老いの変化」をどう受け入れるのか
単なる「老い」ではなく「老いの変化」、これは家族にとっても受け入れる現実だ
人は皆老いて死ぬわけで、ある日突然親が老いるなんて浦島太郎的現象が起こるはずはない。親が子ども世代よりも早く死を迎える可能性が高いことは承知の事実だし、それは起こり得ないと高をくくっている方が不用心過ぎる
しかし、昔ほど親世代と子世代が共有する時間と空間が少なくなった現代において、ある日突然、という感覚はぬぐい切れないのかも知れない
人生の終末期である介護期において、比較的上手く対処している家族を見ていると、この「老いの変化」を上手く共有してきたんだと感じることがしばしばある
「老いの変化」のプロセス(時間と空間)の共有である

フランスの哲学者ジャンケレヴィッチは、一人称である「私」が最初にあるのではなく、二人称である「あなた」が先にあるという
「あなた」を受け入れたのちに、「私」が生まれる
自身の変化は自身で気づかないことも多い。対抗する「あなた」(それは家族であることが望ましいだろうが)がいることで、対象としての「私」を理解できる。時間と空間を共有するとは、そういう「私」を受け入れることかも知れない

2020.11.13の金曜日
アローチャート勉強会 雑観

悲哀

2020年09月25日 | ソーシャルワーク


今年1月に亡くなった夫の介護生活のことを未だに繰り返し語る妻がいる

その後、自身も脳梗塞を起こし、要介護認定を受ける
しかし、夫の死去後、急速に状態変化をもたらしたのは脳梗塞の影響だけではないだろう

情報開示によって今春の認定調査の結果を見る
「同じ話を繰り返す」の特記には、夫の介護の事を何度も話す、とある
死者の事を語りながら、彼女は自身の生について語ってる