87歳女性 独居 要介護1 老人性妄想症 鬱既往
四人兄弟の一番姉 結婚歴なし
「ずっとベッドで横になっていたい」
「寂しくない」
「自分のことは自分で出来ている」
さて、限られた情報の中で、どんな見立てが出来るだろう
鬱傾向を病理的に捉えれば、DSで外出の機会を作ろうとか、HHと買い物に出掛ける機会をとか、地域サロンへのアプローチ、と様々なアウトリーチを考えるだろう
そもそも鬱や老人性妄想症の契機は何だったか、と原因追及に走るとどう見えるか。65歳まで働き、仕事が役割と居場所を果たしてきたが、高齢期に差し掛かることで、相次いで兄弟を失くしたことはショックだったに違いない。「重要な他者」を喪失することで、鬱病を発症したとすれば、それは正常な症状のようにも見える。医学的視点と環境による支援、それこそが最適と捉えることも出来る
しかし、本人の語りとニーズの在り処がどうもしっくりこない。ジェノグラムから生活史、家族歴を推測してみる。昭和8年生まれ。長女である。見合い結婚が多かった社会背景を考えれば、結婚歴がないのは稀な選択肢だ。余程、両親に大切に育てられた箱入り娘、と捉えることも出来るが、その下が長男である。家を継ぐ期待を背負った長男、対比される姉の存在。むしろ家族から孤立して、自立的に生活を営んできた女性像と捉えれば、87歳になった彼女の語りは余程理解できる。
「私はずっと一人でやってきた。今更、周囲にとやかく言われたくない」
そこに映る女性像は、病理的存在どころか、自立した女性像である。支援者の勝手な見立てによって、クライエント像は180度転換してしまう危うさ
DSで社会参加の機会を得ることが万人にとって正義でもないのに、「とりあえず支援」でその矛先を突きつけていないか
限られた情報の中で推測が飛び交い、正解は分からない
逆に推測で探るからこそパラダイムシフトは得られた
詳細な情報を得ての検討は、その他の可能性の芽を摘んでしまう
クライエント理解、その大切さを再認識した検討会でした
四人兄弟の一番姉 結婚歴なし
「ずっとベッドで横になっていたい」
「寂しくない」
「自分のことは自分で出来ている」
さて、限られた情報の中で、どんな見立てが出来るだろう
鬱傾向を病理的に捉えれば、DSで外出の機会を作ろうとか、HHと買い物に出掛ける機会をとか、地域サロンへのアプローチ、と様々なアウトリーチを考えるだろう
そもそも鬱や老人性妄想症の契機は何だったか、と原因追及に走るとどう見えるか。65歳まで働き、仕事が役割と居場所を果たしてきたが、高齢期に差し掛かることで、相次いで兄弟を失くしたことはショックだったに違いない。「重要な他者」を喪失することで、鬱病を発症したとすれば、それは正常な症状のようにも見える。医学的視点と環境による支援、それこそが最適と捉えることも出来る
しかし、本人の語りとニーズの在り処がどうもしっくりこない。ジェノグラムから生活史、家族歴を推測してみる。昭和8年生まれ。長女である。見合い結婚が多かった社会背景を考えれば、結婚歴がないのは稀な選択肢だ。余程、両親に大切に育てられた箱入り娘、と捉えることも出来るが、その下が長男である。家を継ぐ期待を背負った長男、対比される姉の存在。むしろ家族から孤立して、自立的に生活を営んできた女性像と捉えれば、87歳になった彼女の語りは余程理解できる。
「私はずっと一人でやってきた。今更、周囲にとやかく言われたくない」
そこに映る女性像は、病理的存在どころか、自立した女性像である。支援者の勝手な見立てによって、クライエント像は180度転換してしまう危うさ
DSで社会参加の機会を得ることが万人にとって正義でもないのに、「とりあえず支援」でその矛先を突きつけていないか
限られた情報の中で推測が飛び交い、正解は分からない
逆に推測で探るからこそパラダイムシフトは得られた
詳細な情報を得ての検討は、その他の可能性の芽を摘んでしまう
クライエント理解、その大切さを再認識した検討会でした