ザクとは違うのよね

投稿再開しました。 できるだけこまめに更新します。。。

懐かしい年号暗記(4)

2005-10-16 19:36:05 | 歴史・城
 年号暗記第4弾

 聖徳太子が隋との国交を開くため、小野妹子を隋の煬帝に使わした。
 この時の「日出づる処の天子~」と書かれた国書は非常に有名だ。最初煬帝は国書の内容に激怒したらしいが、国益を考えた結果日本と国交を開くことにした。

 遣隋使の派遣に伴い、日本から多くの留学生・留学僧が隋に渡ったが、この中の何人かが後の大化の改新時の原動力になる。
 蘇我氏の専横を何とか抑えながら、仏教を基本とした中央集権国家を目指した聖徳太子だったが、その死後、息子の山背大兄王は蘇我氏に滅ぼされ、蘇我氏の専横がますます激しくなっていった。
 その蘇我氏を倒し、大化の改新を成し遂げた陰に、聖徳太子の送った留学生たちがいたというのも何か因縁のような。

 さて、今回の覚え方だが、これもたいして変わりばえなく、

   6  0 7
  群れなして、妹子迎える隋の人

 違うのは、視点が隋の側ってことかな。


懐かしい年号暗記(2)

2005-09-09 20:57:10 | 歴史・城
 年号暗記第2弾。聖徳太子が推古天皇の摂政になった593年。これは、
              
                  5  9     3
  推古天皇の摂政になってご苦労さん

 しかし、これには致命的な弱点が。「ごくろうさん」だと、596年と勘違いしてしまう恐れがあるのだ!
 この年号は中学で覚える必要性はない(十七条の憲法、遣隋使の方を覚えておけば、聖徳太子のいたおおよその年代は分かる)ので、これも自分の高校時代用。
 自分ではちゃんと間の6を抜かして覚えているからいいものの、誰でも使えるものとしてはちと弱い。

 強引に作るなら、聖徳太子が推古天皇の強力なサポートスタッフだったということで、

            5    9  3
   太子は推古のコックさん

 無理があるかな。

懐かしい年号暗記

2005-09-04 22:09:41 | 歴史・城
 懐かしい思い出に関連したブログを発見した。それは、日本史の年号暗記(語呂合わせ)を紹介しているものだ。
 このじるりんさんという方は、塾講師をやってらっしゃるみたいだが、自分もその昔、大学時代に4年間塾講師のバイトをしていた。科目は理科社会で、中学生を教えていた。
 もともと日本史が好きで、大学も文学部史学科を目指したこともあった(最終的には将来のことも考え、諦めてしまったが)ので、好きなことをやってお金ももらえると思って始めたが、お金以上にいろんなものを得ることのできた良い仕事だった。

 その時、年号の語呂合わせもいろいろ考えて授業で使ったものだ。もともと、小学生の時に学研の「6年の学習」に付録で付いていた年号早覚えのカセットテープで覚えたのが最初だったなぁ。その後も、高校時代に日本史の先生からいろいろ教えてもらったし。

 そんな思い出があるもんだから、こんなブログを見てしまうと、当時の記憶が思い出されて、こちらも当時覚えた語呂合わせを今一度この世に復活させようと思い立ってしまった。でも、今も塾でがんばっておられるじるりんさんと違い、自分は単なる自己満足に過ぎないが、そこはお許しを。

 さて、まず第1回目は、卑弥呼が魏に使いを送った239年。「魏志」倭人伝で魏に使者として送られた「難升米(なしめ)」という人物も一緒に覚えようと思いついたのが、

        2   3    9                        
 「難升米の兄さんきゅーっとなる。」

 申し訳ない。。。勢いだけだ。。。
 「きゅーっ」というところは、吉田ヒロちちくりマンボをイメージして。

 ちなみに、これは中学生では習わないので、あくまで自分の高校時代用。





忠臣蔵通検定

2005-08-24 00:56:05 | 歴史・城
 「忠臣蔵通検定試験」なるものがあるらしい。財団法人中央義士会が主催しているもので、年2回あるとか。
 忠臣蔵好きの自分としては、受けてみようかなと過去問を見てみたら、これがまた難しい・・・50問中2問くらいしか当たらなかった。多少の本の内容や、ドラマを見ているだけではまったく通用しないことが分かった。だって、矢頭衛門七(やとうえもしち)と思っていたら、本当は(やこうべえもしち)だとは。通への道は険しそうだ。