長崎市は生まれ故郷である。38年間をここで過ごし、以来福岡市暮らしである。
すでに福岡の方が長くなっているが、長崎への愛着がはるかに勝る。
その長崎へ12月8、9日、今年2度目の里帰りをした。
今度もまた特養老人ホームに入所する姉を訪ねるのが目的で、
幸いにも89歳になる姉は1月末に会った時と変わらず元気であった。
何せ6人いた兄弟姉妹は、今やこの姉と2人きりになっている。
しかも、この姉は母親同然にかわいがってもらった人だ。
粗末にできないと思いつつも、
年を取るごとに福岡から長崎への距離が長く感じられるようになった。
申し訳ないことである。
生まれたのは中華街で知られる新地の一角だが、
小学3年生の時、大浦へ引っ越した。
かつて外国人の居留地だったオランダ坂で知られる東山手、
そして大浦天主堂やグラバー園がある南山手に挟まれた、
やや東山手側の、小路が入り組んだ小さな住宅地だった。
今も残っているのかどうか。あった。
だが、袋小路とも言える所にある、その家は何と小さなことか。
ここに一時は、両親と6人の子ども、それに祖母合わせて9人が
「よくもまあ」ひしめき合って暮らしていたのだった。
今は貸家になっているようだが、果たして住む人がいるだろうか。
ここから通った中学校までは走って28秒の近さだった。
その運動場を走り回ったものだが、今見れば随分狭い運動場に見える。
港を包み込むように広がる長崎市街の夜景は日本三大夜景の
1つに数えられるほど美しい。
もともと長崎市は平地が少ない。
そのため住宅地が小高い山頂付近まで延びている。
〝坂の街〟のゆえんである。
ただ、高齢化が進み、高所の住宅地に空き家が目立ってきているとか。
9日は長崎市街から車でおよそ1時間。
五島灘を望む角力灘に面する外海地区へ。
まず、柿泊の海水浴場近くにある「リンゴ岩」に寄った。
リンゴの芯を残して齧ったような形から、そう名付けられたのか?
また黒崎教会をはじめ教会関連施設が点在する地区でもある。
さらに足を延ばすとこの日の車中泊地である
「道の駅夕陽が丘そとめ」に着いた。
ここからの眺望は、その名の通り絶景である。
さらに翌11日は、しばしば訪れている佐賀県の鹿島地区へ。
途中、諫早湾の向こうに見える雲仙岳は薄雲に包まれていた。
ちょうど干潮時、鹿島の干潟が広がっていた。
走行距離380km、4日間の里帰りの旅であった。