あの写真はどこへ行ったのだろうか。
僕が1歳になるかならないか、そんな幼児の頃、泣きじゃくる僕を
母が膝に乗せ、抱きしめるようにあやしている、あの写真だ。
僕のおちんちんがぴょろりとのぞき、小学生くらいになると姉がそれを見せて、
大笑いしながらからかった、あの写真だ。
今でもはっきりと、しっかりと覚えている、あの写真だ。
今、手元にはA4の紙を半分に折ったものよりやや小さい角形7号の、
茶の封筒があり、その中に僕の若き日、中学生~社会人に成り立ての頃の日々が、
実に無造作に重なって入っている。
50枚ほどの写真。ほとんどが白黒で時代を表しているが、
なぜアルバムにきちっと貼るなどして大事に保存せず、
封筒にぽんと放り込み、それをまた書類入れの中に紛れ込ませていたのだろう。
中学生の頃の写真は、器械体操部の仲間と一緒に映っているものが多いが、
その中に2つ上の兄がいる。
白線のある学帽をかぶっているから高校生だったのだろう。
この兄は、中学の同じ部の先輩でもあったから後輩たちの何かの催し、
何だったか思い出せもしないが、それに飛び入り参加したようだ。
寡黙な兄だったが、この写真では後輩たちと肩を組み、楽しそうに笑っている。
高校、大学も大半が器械体操部の仲間たちと一緒だ。
競技大会でのもの、皆で小旅行したものなどが懐かしさを誘う。
そして、入社式の写真は同期生7人が前列に並び、
後ろには会社のお偉いさん方が新入社員より多く整列している。
54年も前、新調の紺の背広に白のポケットチーフが初々しい。
また10日間ほどの新入社員研修の際、寺で座禅を組み、
同期生たちと近くの山にハイキングを楽しむ写真などもある。
どうして、ここに入れていたのだろう。
平成7年に亡くなった母の葬儀の日の写真が封筒の中にあった。
当家は男4人、女2人の兄弟姉妹だ。僕はその一番下。
長男、次男、それに長女、次女、それに僕。
写真には5人が並んで写っている。一人欠けている。
中学生の時、部活の仲間と一緒に写っていた三男、2つ違いの兄がいない。
実は、彼はすでに母より5年早く他界していたのだ。
長兄、次兄とは10歳以上離れているが、
この兄とは2歳違いだから小さい頃からいつも一緒に遊んだ。
50歳ちょっと手前の若さだった。
1人欠けているとはいえ、兄弟姉妹が一緒に映っている写真は
おそらくこの1枚だけだろう。
母の葬儀というのに、なぜか皆笑顔である。
あれから29年たつ。残っているのは長女と僕の2人だけになった。
その姉も長年闘病生活を続けている。
あの写真は、この中にはない。もう一度見てみたいと思うが、もう無理だろう。
おそらく、母の手元にあったのではないかと思うが、
亡くなった際、家財道具を整理するのに取り紛れ行方知れずになったのだと思う。
二度と見ることは出来ないという少しばかりの寂しさはあるが、
あの映像の情景はこの年齢になっても、脳裏にしっかり焼き付いている。
実物を見ることはできなくとも、悔やむことはない。
僕を抱きしめ、あやしてくれた母。
あの写真は今、母の胸にしっかりと抱かれているはずだ。そう思う。