『思春期の娘の下着・別洗い問題』とか言う。
思春期を迎えた娘が「お父さんのパンツと私の服を一緒に洗わないで」と言い出す。
父親にとっては何とも切なく、ほの悲しい話である。
僕にも2人の娘がいる。
おそらく、思春期にはそんな思いをしていたのではなかろうか。
いやいや、50歳を超えた今でも「父の下着なんか手にするのもいやだわ」
と思っているかもしれない。
肺炎で20日ほど入院した時のことである。
妻も風邪をこじらせ病院を訪ねることがままならない状態だった。
その時、妻の代わりをしてくれたのが次女だった。
病院にやって来た娘が「何か洗濯物ない?」と聞く。
途端に『下着・別洗い問題』が頭に浮かんだ。
「汗が染み、嫌な老人臭にまみれているであろう
パジャマや下着類を手にするのもいやなのではないか」ためらった。
「あるのなら出して」とさらに促す。
まあ、いいか。どうせ妻のところへ持ち帰ってくれるだけのことだろう。
そう思えば、多少気が楽になった。「頼む」おずおずと手渡したのである。
だが違った。
娘はやはり体調不良の母を慮ったのか自分の家で洗濯してくれたのだという。
あのじゃれていた幼き子が、今はもう50歳にもなった。
大学に通う22歳の一人娘を持つ母親である。
その娘が、父の洗濯物、それも夫以外の男の汚れた物を手にするのは
おそらく初めてであったろう。
それらを手にしつつ、老いた父に対しどんな思いを抱いたであろうか。
嫌な思いをしたのではなかろうか、そう思う半面、
何の抵抗もなくそそくさと洗濯してくれたのかもしれないとの思いも交錯し、
複雑な心の置きどころに戸惑ってしまう。
さらに、こうやって一つ一つ子の世話になっていく、
わが身の詮無き老いも深く沁みてくるのである。
「何か欲しい物ある?」「そうだな。おやつを少し……」
「どんな物がいい?」「まかせる」「わかった」
洗いたての下着類と一緒に、好物のレーズン菓子や
シュークリームなど5個を届けてくれた。
交わす言葉は少なくとも娘の笑顔は「まだまだ生きなきゃダメよ」
と言っているようだった。
あの幼い日のいとおしさが今また幾重にもなって蘇ってくる。