新聞の投書欄に拾った話──。
14歳の女子中学生が、「今の時代、つまらない」と嘆き、
そして、こう叫んでいる。
「昭和に生まれたかった!」
「昭和」と言っても100年近くある。
戦争に苦しんだ時代、食うや食わずの戦後の復興期、
それらを乗り越えて享受した高度経済成長期、
さらにバブル経済が崩壊し、「失われた20年」と言われる低迷期……。
昭和という時代にはさまざまな起伏、形相がある。
さて、この少女が「生まれたかった」という昭和は、どの昭和であろうか。
「昭和生まれの母は、自分が子どもだった頃の話をよく聞かせてくれる。
友達と黒板で伝言をやり取りしたこと、冬の寒い日は制服の下に
ジャージーを着てわいわい登校したこと、
倉庫にお菓子を持ち込みキャンプしたこと……。
全てがおおらかで自由に思え、うらやましいと感じる」
少女は14歳だから、母親はおそらく40歳前後、
つまり1980年代の生まれではないかと思われる。
1960~70年代の高度成長期を経て安定成長期に入った頃であろう。
バブル崩壊前の、まだ豊かさを享受した時代である。
ある知人は、その時代を「生活が豊かになると共に心に安心感、
ゆとりが生まれ、さまざまな価値観を受け入れる懐の深い、
大変に許容性のある社会だった」という。
娘に自分の子どもの頃を話して聞かせた母親は、そんな時代に育ったのであろう。
だが今は──
「高度経済成長は遠い昔のこと。人の暮らしも、
取り巻く社会情勢も余裕を失くしてしまっている」
知人はそう続ける。
この少女の嘆きはもっと深刻かもしれない。
「今の時代、人々は外で遊ばず、まるでゲームやスマホに取りつかれているようだ。
将来、私たちが働き始める頃には、仕事はAIにとって代わられ、
もっと家にとじこもってしまうのではないか。
便利な時代と言う人もいるだろうが、私はつまらない、と思ってしまう」
「便利さは、人の触れ合いなど多くの大切なものを奪っていくのかもしれない。
だから私はよく思う。昭和に生まれたかった」
さてさてどうしたものか。
高度経済成長を象徴した最初の東京オリンピックは1964年だった。
あれから60年。時代は移ろう。
「平成に、令和に生まれてよかった」と思える日も来よう。
そうなるよう、あなたたちに頑張ってほしい。