思想家、人類学者の中沢新一氏のこの本を、
「スピリチュアル」のカテゴリに入れるのは、はなはだ失礼だとは思いつつも、
これを読むと、
中沢氏がかなり研ぎ澄まされたスピリチュアリストだと感服してしまったので、
このカテゴリに入れさせていただきました。
まずは、本の後ろに添付されている5000~6000年前の、縄文海進期の東京の地図を見る。
当時、上野、湯島、御茶ノ水、竹橋、霞ヶ関、芝公園、泉岳寺、北品川より海側は、文字通り海だった。
そして陸側は脳の断面図のように、海がいたるところに入り込んでいる。
吉祥寺や大泉学園の奥深くまで入り込んで、かなり複雑なフィヨルドを形成していたことがわかる。
そこに縄文時代から弥生時代にかけての集落の跡や、古くからの神社、さらには古墳と寺院のある場所を重ねて描いてある。
その上に、現在の路線図が重なっているので、だいたいの目安になる。
どんなに都市開発が進んでも、ちゃんとした神社やお寺のある場所にはめったなことでは手を加えることが出来ない。
(略)そういう時間の進行の異様に遅い「無の場所」のある所は、きまって縄文地図における海に突き出た岬ないしは半島の突端部なのである。
縄文時代の人たちは、岬のような地形に、強い霊性を感じていた。
そのために、そこには墓地を作ったり、石棒を立てて神様を祀る聖地を設けた。
そういう記憶が失われた後の時代になっても、まったく同じ場所に神社や寺がつくられたから、
埋め立てが進んで海が見えなくなっても、聖地の場所に沿って無の場所が並んでいくことになる。
(中略)つまり現代の東京は地形の中の霊的な力の働きを敏感に感知していた縄文人の思考から未だに直接的な影響を受けているのである。
東京を歩いていて、ふとあたりの様子がへんだなと感じたら、この縄文地図を開いてみるのである。
するとこれは断言してもいいが、十中八九そのあたりはかつて洪積層と沖積層のはざまにあった地形だということがわかる。(中略)そのあたりはかならず特有の雰囲気をかもし出している。
つまりそういう場所からは、死者の香りがただよってくるのだ。
乾いたもの、湿ったもの対立から生まれたの西新宿と歌舞伎町という街の成り立ちや、
実際は良妻だったお岩さんが怨霊劇の主人公にされてしまった四谷怪談の成り立ち。
渋谷という低地の周りに存在する花街と富士講の関係、
さらには明治神宮の成り立ちなどは興味深かった。
特に興味をひいたのは、東京タワー。
芝公園は、縄文海進期に上野と並んだ重要な岬であり、古墳群がある縄文時代以来の死霊の王国跡だった。
東京タワーはその場所に建てられた。
その土に穴を掘って土台を固め、死者たちに支えられるようにして、東京タワーは天に向かって立ち上がるのだ。
しかも、鉄塔の重要な構成部分をしめているのは、
たくさんの人の命を呑み込んだ戦争の現場から持ち帰られた戦車をつぶした鉄材である。
展望台までのチケットを買ってエレベーターに乗り込む。
(中略)僕の目は鉄塔の周囲に広がる霊園に釘付けだ。
(略)まるで死霊の王国のエネルギーが渦を巻くように東京タワーに巻きついているのが感じられる。
(中略)
ここは、青山墓地のある大きな舌状の半島と並んで、東京の中でもっとも強い霊的なエネルギーのみなぎる。岬状の台地なのだ。
そこに鉄塔が建ったせいで、それを伝わってエネルギーの垂直的な新しい流れが発生した。
地中と地上で渦を巻いたエネルギーは、鉄塔を通して垂直に上昇したり、下降したりするようになった。
今回は文章の抜粋で終わりそうです。
感想ですか?…人類学って面白いですよね。(ため息)
最後に、
樹庵に引っ越す時に、ある霊能者の人にみてもらったと書きましたが、
その人の本にも「東京タワーは強力なパワースポットです。」と書かれています。