1972年9月13日午前5時過ぎ、勝田は京都市山科区御陵別所町102のアパートに侵入し住人のクラブホステス女性(事件当時24歳)を強姦した上で絞殺・現金1000円を奪った。空き巣に入ったところ寝ていた被害者女性に気付かれ「泥棒!警察に通報する」と騒がれたことに逆上したことが殺害のきっかけだった。同居していた内縁の夫(当時25歳)が帰宅したところベッド上で被害者女性がストッキングで首を絞められ、下半身裸の状態で死亡しているのを発見して110番通報、京都府警捜査一課・山科警察署は殺人事件と断定して捜査した。
1975年7月6日午前1時過ぎ、大阪府吹田市原町のマンション通路でクラブママ女性(事件当時33歳)を絞殺して現金約10万円などを奪った。被害者女性に対するひったくりを行おうとしたところ抵抗されたことが殺人にエスカレートした。
1976年3月5日午前2時35分過ぎ、愛知県名古屋市中区千代田の路上でシボレー・カマロから降車したクラブホステス女性(事件当時32歳)を襲撃して絞殺・現金約12万円などを奪った。騒がれたことに逆上した犯行だった。
1977年6月30日午前2時ごろ、名古屋市南区笠寺町西ノ門で麻雀荘アルバイト店員女性(事件当時28歳)宅に侵入、現金約4万円を持ち去ろうとしたところに帰宅した女性と鉢合わせしたために絞殺した。
この事件から6日後の1977年7月6日、勝田は朝日放送(ABCテレビ)で放送されていたクイズ番組『夫婦でドンピシャ!』(司会者:月亭可朝・出演:海原小浜)の収録に妻とともに参加して優勝を勝ち取り賞金8万円・商品券10万円分を獲得した。出演条件は「夫婦で楽しい人生を送っている」というもので、勝田はこの番組に1977年2月に応募して同年6月15日に局内で行われた予選(面接)に合格した。番組内で勝田は司会者からの「もし奥さんが美人コンテストに出たら100人中10人の合格者に入るでしょうか?」という質問に「自分はやせ型が好みだ。妻はすらっとした体格だからスタイルの面でみれば合格だろう」と回答していた。
1977年8月12日午後11時過ぎ、名古屋市昭和区小桜町のマンションで美容師指導員の女性(事件当時33歳)宅に侵入、女性を絞殺して約45万円相当のダイヤモンド指輪を奪った。
その8日後となる1977年8月20日に勝田が出演した『夫婦でドンピシャ!』が放送され、視聴率20パーセント前後を記録した。
1977年12月13日午後5時過ぎ、兵庫県神戸市中央区脇浜町のビル通路で猟銃を用い、現金輸送中だった「兵庫労働金庫神戸東支店」(兵庫労働金庫は現:近畿労働金庫)店員の男性(事件当時25歳)を射殺して現金410万円を奪った。
1979年12月、勝田は名古屋市内で猟銃を盗んだほか、後述の瀬戸信金事件以前には同犯行に使用された車を盗んだ。
1980年2月15日午後3時50分ごろ、勝田は名古屋市瑞穂区甲山町1丁目1の市道で瀬戸信用金庫瑞穂通支店(名古屋市瑞穂区瑞穂通6丁目33)に勤務していた外交員男性(事件当時44歳)が集金を終えてバイクで支店に戻ろうとしていたところを狙い、近くの駐車場に駐車していた乗用車の助手席から猟銃を突き付けて集金カバン(黒色ビニールレザー、縦30cm×横50cm)およびその中身の小切手2枚(額面合計24万6660円)を奪って逃走した。当時犯行に使用された車は茶色のマツダ・カペラで、署内に捜査本部を設置してこの強盗事件を捜査した瑞穂警察署によれば犯人の男(=勝田)の特徴は「年齢30歳程度・短髪で面長。青いサングラス・白っぽいジャンパーを着用した暴力団組員風の男」だった。
1980年7月30日午後11時過ぎ、名古屋市名東区高社のスーパーマーケット「中部松坂屋ストア一社店」から現金・商品券(計576万円余り)を奪い、夜間店長男性(事件当時35歳)に乗用車を運転させて同市中区栄まで向かい、そこで抵抗した男性を射殺した。
一連の事件を起こしていた1972年から1980年にかけて勝田は消防職員として京都府相楽中部消防組合本部に勤務していたが、1980年11月8日未明に大阪府大阪市北区曽根崎新地の繁華街でクラブホステスの乗用車と車内にあったハンドバッグ(現金78,000円入り財布入り)・化粧品バッグを盗む窃盗(車上狙い)事件を起こし、大阪府警察天満警察署に緊急逮捕された。勝田の逮捕は翌日(1980年11月9日)の地元紙朝刊にて「消防署員が盗み」の顔写真付き三段見出し記事で報道され、勝田は逮捕3日後の1980年11月11日付で相楽中部消防署により懲戒免職となって以降は一度も消防士本部に姿を見せず、勝田の持ち物は謝罪に訪れた両親が持ち帰った。
一連の事件を起こしていた1972年から1980年にかけて勝田は消防職員として京都府相楽中部消防組合本部に勤務していたが、1980年11月8日未明に大阪府大阪市北区曽根崎新地の繁華街でクラブホステスの乗用車と車内にあったハンドバッグ(現金78,000円入り財布入り)・化粧品バッグを盗む窃盗(車上狙い)事件を起こし、大阪府警察天満警察署に緊急逮捕された。勝田の逮捕は翌日(1980年11月9日)の地元紙朝刊にて「消防署員が盗み」の顔写真付き三段見出し記事で報道され、勝田は逮捕3日後の1980年11月11日付で相楽中部消防署により懲戒免職となって以降は一度も消防士本部に姿を見せず、勝田の持ち物は謝罪に訪れた両親が持ち帰った。
1981年(昭和56年)1月29日、大阪区検察庁により起訴された勝田は前述の窃盗事件で大阪簡易裁判所より懲役10月・執行猶予3年(求刑・懲役1年)の有罪判決を受けた。後の公判では併合罪(刑法第45条)の規定により、この窃盗事件による確定判決より前に起こした強盗殺人7件などの事件は判決後の「113号事件」とは分離され、主文が2つに分けて言い渡された。また、この時にそれまでの強盗殺人7件が判明しなかったため、警察はさらなる凶悪事件の発生阻止の機会を逸することとなった。
勝田は上記判決から約1年半後の1982年8月18日午後1時ごろ、滋賀県大津市島の関の駐車場で乗用車を盗んだ。さらに同日午後10時30分ごろには前述の乗用車を使用し、京都市山科区竹鼻堂ノ前町のスーパーマーケット「エポック山科北店」付近の路上で同店男性店員(当時45歳)を車で轢いて肋骨骨折など全治40日間の怪我を負わせ、店の売上金を奪おうとしたが近隣住民が駆け付けたために断念して逃走した。
1982年10月25日ごろ、勝田は名古屋市中区新栄の駐車場に駐車されていた大学生のトヨタ・セリカを盗み出した
1982年10月27日午後9時30分ごろ、愛知県警千種警察署へ「木下」と偽名を名乗って「田代北派出所をお願いします」と電話し、派出所に戻った直後の後述被害者巡査が応対すると「派出所前を東に突き当たったところに青いクラウンが停車してあるので来てほしい」と話した。
勝田はセリカを用いて愛知県名古屋市千種区法王町1丁目1の「覚王山日泰寺東側第六番札所前」路上で愛知県警察の警察官男性(事件当時38歳巡査・千種警察署田代北派出所配属)を車で跳ね飛ばし、さらに所持していた鉄棒で頭部を殴るなど暴行を加えて左顔面陥没、左前額部・右後頭部割創のほか両膝前部の挫創などの重傷」を負わせた。その上で巡査から実弾5発入りの回転式拳銃「ニューナンブ38口径」を奪って逃走した。
勝田はセリカを用いて愛知県名古屋市千種区法王町1丁目1の「覚王山日泰寺東側第六番札所前」路上で愛知県警察の警察官男性(事件当時38歳巡査・千種警察署田代北派出所配属)を車で跳ね飛ばし、さらに所持していた鉄棒で頭部を殴るなど暴行を加えて左顔面陥没、左前額部・右後頭部割創のほか両膝前部の挫創などの重傷」を負わせた。その上で巡査から実弾5発入りの回転式拳銃「ニューナンブ38口径」を奪って逃走した。
1982年10月31日、滋賀県大津市の名神高速道路・大津サービスエリアに駐車中のワゴン車にヒッチハイクした。勝田は運転手だった溶接工男性(事件当時27歳)を拳銃で脅して名古屋方面に向かわせるも、午後9時30分ごろに同県草津市大路の国道1号路上に駐車した車内で前述の拳銃を用いて運転手を射殺した(強盗殺人8件目、運転手は翌11月1日に死亡)。
1982年11月1日午前2時35分ごろ、岐阜県養老郡養老町の名神高速道路・養老サービスエリア内のガソリンスタンド店員男性(事件当時46歳)に前述の拳銃で発砲し重傷を負わせた。この時、男性が胸ポケットに入れていた100円ライターが銃弾を弾いたために男性の命を守った。
1983年1月30日午後8時ごろ、勝田は自分の乗用車で京都市内のマンションを出発し、31日午前8時30分過ぎに名古屋市西区内の路上に駐車してあったトヨタ・カローラを盗んで乗り換えた。その後、逮捕現場付近で犯行場所を物色してから銀行裏の駐車場に入った。
1983年1月31日、当時34歳の勝田は名古屋市昭和区阿由知通4丁目6の「第一勧業銀行御器所支店」西側駐車場で預金102万3000円を下ろして帰宅しようとした客の男性(事件当時31歳・名古屋市熱田区内在住の運送会社社長)を襲撃し、男性に実弾3発入りの拳銃を突きつけて「これは警察官の持っている本物の拳銃だぞ。あの事件(113号事件)を知っているだろう。喋ると撃つぞ。後ろの座席に金を置いて車を出せ」などと脅して金品を奪おうとしたが、隙を突かれて手を押さえつけられて取っ組み合いになった。その直後、騒ぎを聞いて駆け付けた銀行員らと格闘になった勝田は被害者男性・銀行員ら3人を殴るなどして打撲傷を負わせ、拳銃2発を発砲するなどして抵抗したが銃は命中せず、銀行員らに押さえつけられて取り押さえられた。騒ぎを知った支店員が非常ボタンを押して愛知県警察に110番通報したため、勝田は駆け付けた県警昭和警察署員に身柄を引き渡され強盗致傷容疑で現行犯逮捕された。
勝田が持っていた拳銃(ニューナンブ38口径/ 実弾1発入り)は前述の警察官襲撃・養老SA殺傷事件で使われたものと登録番号が一致したほか、勝田の人相・体格も養老事件の犯人と一致した。そのため愛知・岐阜両県警の「113号事件」共同捜査本部は「勝田が113号事件の犯人」と断定した。
勝田が持っていた拳銃(ニューナンブ38口径/ 実弾1発入り)は前述の警察官襲撃・養老SA殺傷事件で使われたものと登録番号が一致したほか、勝田の人相・体格も養老事件の犯人と一致した。そのため愛知・岐阜両県警の「113号事件」共同捜査本部は「勝田が113号事件の犯人」と断定した。
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