すそ洗い 

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2006年5月からの記録
ナニをしているのかよくワカラナイ

「ママと一緒に寝たい」と言って眠りについた草川明日ちゃん(5歳)

2013年06月14日 | ヒトゴロシ

5歳児にスクワット500回…虐待死で母親証言

埼玉県朝霞市で昨年7月、草川明日ちゃん(当時5歳)を虐待して死亡させたとされる傷害致死事件で、さいたま地裁(井口修裁判長)で12日、無職佐久川光弘被告(24)の裁判員裁判が開かれ、明日ちゃんの母親、無職草川彩夏被告(傷害致死罪で起訴)が証人として出廷した。

草川被告は「(暴行は)私が2割で佐久川被告が8割。私にも責任はあるが、(明日ちゃんを)死なせたわけではない」などと繰り返し、日常的に佐久川被告が中心となって暴行していたと主張した。佐久川被告が明日ちゃんをベルトで巻くのを手伝ったり、佐久川被告による虐待を動画撮影したことなどは認めた。



 草川被告によると、佐久川被告は手や棒で殴ったり、500回以上もスクワットを強要するなどの虐待をしていた。火のついた線香を押しつけることもあったという。明日ちゃんは次第に衰弱し、亡くなる前日には佐久川被告に殴られて歯が抜けた。その日の夜は「ママと一緒に寝たい」と言って眠りにつき、それが最後の言葉になったという。


 佐久川被告の暴力を止められなかったことについて、草川被告は「殴られるのが怖かった」などと繰り返したが、「一生懸命父親代わりをしてくれた。明日がなついていたから追い出そうとは思わなかった」と擁護するなど複雑な胸の内をうかがわせた。次回公判は14日。


(2013年6月13日 読売新聞)






埼玉5歳児虐待死 検察側が虐待の詳細指摘「動画撮影し楽しむ」

埼玉・朝霞市で、交際相手の5歳の長男に虐待を加え、死亡させた罪に問われている男の初公判が、さいたま地方裁判所で開かれた。検察側は、およそ1カ月にわたる信じがたい虐待行為の詳細について指摘した。

2012年7月、虐待を受けたあとに死亡した、草川明日(あした)ちゃん(当時5)。
同じ保育園の保護者は2012年、「(明日ちゃんは)人懐こくて、わたしにもあいさつしてくれたり、明るい子でしたね」と話した。
明日ちゃんの遺体は、あごが骨折し、体には、できた時期が違うとみられるあざが、十数カ所残されていた。
明日ちゃんを虐待し死なせた傷害致死の罪に問われているのは、母親の草川彩夏被告(23)と、その交際相手の佐久川 光弘被告(23)。
11日、佐久川被告の裁判員裁判の初公判が、さいたま地裁で開かれた。
裁判長が「起訴事実について、間違っているところはありますか?」と聞くと、佐久川被告は「げんこつでは殴ってないと思います。平手で殴りました。あごの骨折についても、わからないです」と答えた。
さらに、裁判長が「被害者に暴行を加え、死亡させた事実については?」と聞くと、佐久川被告は「間違いありません」と答えた。
そして、検察側が冒頭陳述で明らかにしたのは、佐久川被告と草川被告による、およそ1カ月間にわたる、あまりにも痛々しい虐待行為の数々だった。

まず、佐久川被告が、明日ちゃんに馬乗りになり、あごを殴りつけたことが明らかにされた。
そして、粘着テープで明日ちゃんの口をふさいだり、いすに座らせ、その上に佐久川被告が座ったり、靴下やタオルを明日ちゃんの口に押し込んだほか、布団で「す巻き」にする暴行もあったという。
さらに、熱湯を明日ちゃんのお尻などにかける虐待行為も明かされた。
洗濯物の突っ張り棒で殴りつけるなどして、明日ちゃんの歯が抜けたこともあったという。
近所の人は「『立て、座れ、立て、座れ』って、何回もやらせていた。それで、ママが終わると、今度は男の人が代わって、言っていた」と話した。
明日ちゃんを眠らせないよう、長い時間、立たせたままにする虐待もあったという。
そして、大人でも辛いペッパーソースを直接飲ませたり、そのペッパーソースやわさびを入れたおかゆを、無理やり食べさせたこともあったという。
さらに、こうした暴行で苦しんでいる明日ちゃんを、佐久川被告は、携帯電話で動画を録画して楽しんでいたと、検察側は指摘している。
検察側は「2人は、1カ月にわたり、虐待を繰り返し、発覚を恐れて保育園に登園させず、通院もさせなかった」と述べた。
一方、弁護側は、「佐久川被告は、父親から虐待を受けていたことから、しつけへの誤った認識がある」と陳述した。
草川被告のものとみられるインターネットのブログには、「あーちゃんのせいでバラバラになりそう。朝起きたら、彼氏に『あーちゃんと俺どちらか1人を選んで。もしあーちゃんを選ぶなら俺は別れる』って言われた。このまま仲良く一緒にいることできないのかな?」などと書かれていた。

当時5歳の幼い命を、助けることはできなかったのか。
明日ちゃんが死に至るまでに、保育園や病院は、たびたび児童相談所に通報していた。
これを受け、児童相談所側も、明日ちゃんを2度にわたり、一時保護している。
2013年4月、県の検証委員会は、作成した報告書の中で、児童相談所と市など、関連機関の調整が不十分だったと指摘している。
検証委員会の報告書は、「どの機関も、母親と関わっていない間、『どこか、ほかの機関が関わっているのではないか』という、希望的観測が働いていた」としている。
明日ちゃんの「SOS」を受け止めることができなかった、行政の隙間。
検証委員会は、児童相談態勢の強化と、職員の人材育成などを提言している。

(2013.6.11.FNN)




尼崎児童虐待死事件2001年8月
母親は虐待の動機について、「私はたたかれて育った。これはしつけや」「息子(長男)がなつかなかったから」などと述べている。
両親は傷害致死罪、死体遺棄罪などで起訴され、2003年2月26日、両親に懲役8年の実刑判決が出て確定した。


神戸地裁尼崎支部が二十六日、勢田剛士、知子両被告に言い渡した判決の要旨は次の通り。  

【暴行の状況】  
両被告は二○○一年八月五日午後五時ごろ、自宅で服にカレーの染みが付いていたのに恭一君が素直に謝らないことや「家より施設の方がよい」などと言ったことに怒り、遅くとも六日午前零時以降に顔を数回殴った。その後恭一君の反抗的な態度にいら立ち、腕や足などを布団たたきで数回殴り、剛士被告が顔を手で数回殴った。遅くとも六日午前三時以降に恭一君に正座をさせ、足を崩すたびに布団たたきで背中や足などを殴った。  六日午前九時半すぎごろ、両手両足をひもで縛り粘着テープで口をふさぎ、自宅に残して外出。午前十一時半ごろまでに帰宅すると恭一君がひもを外していたことに怒り、知子被告が腹をけった。再び両手両足を縛り、タオルで口をふさぎ、午後零時半ごろまでに外出。帰宅すると恭一君がまたひもを外すなどしていたことに激怒し、殴ったりけったりした。知子被告は恭一君を正座させ、足を崩すと背中をけって顔を壁に強打させた。  七日午前一時ごろから独り言を言い出した恭一君の顔を剛士被告がけり、知子被告が腹を足で踏んだり首を両手で絞めるなど、暴行を同日午前六時ごろまで繰り返した。  午前七時ごろ目を覚ますと恭一君がパンツを手に持ち振っていたのに立腹、剛士被告が恭一君の頭を右足で回しげりした。恭一君は床に倒れ、午後一時ごろ死亡した。  

【共謀】
剛士被告に「こいつ怒っていいか」と聞かれた知子被告は「いいよ」と手を出すことを了承した。知子被告は以前から単独で恭一君に暴行し、剛士被告も知っていた。知子被告も恭一君が思い通りに行動しないと暴行しており、遅くとも六日午前零時ごろ、両被告の期待通りに行動するまで暴行を加える共謀が成立したと認められる。  
【実行行為】  
両被告は断続的に恭一君に暴行し、部屋に閉じ込めた。七日午前七時ごろ剛士被告が回しげりをし、知子被告はそれまでの延長として剛士被告の暴行を予期し、認めていたから、回しげりとそれ以前の暴行は共通性連続性があり一体的な傷害致死の実行行為に当たる。  
【結論】  恭一君の死亡と因果関係が明らかなのは剛士被告の回しげりだけだが、知子被告の暴行が死因でなくても、知子被告は傷害致死の実行行為の一部を担い、剛士被告との共謀が認められる以上、傷害致死の責任を負う。  

【量刑理由】  
恭一君は六歳になるまで主に実父の祖母と姉に育てられた。知子被告は剛士被告と結婚し子供をもうけたが、恭一君を引き取りたいと考え同年一月下旬、実父側と十分に話し合うことなく恭一君を連れ去った。  一緒に暮らし始めてから、知子被告は恭一君が不満を述べたりすることに立腹し顔を殴ったりするようになった。剛士被告も頭を殴り、あざだらけになった恭一君は同年二月から一時保護され、一時保護施設と児童養護施設で生活していた。  両被告は同年八月から再び一時帰宅した恭一君と生活を始めたが、恭一君が素直に謝らないことに腹を立て、さらに「誰が一番好きか」などと問い詰めて恭一君を困らせた。三十時間余りにわたり暴行を加え続けており、しつけの名に値しない執拗(しつよう)かつ残酷な犯行である。  両被告は共に両親から十分な愛情を注がれずに育った経験から、自分たちの手で育てたいと恭一君を強引に引き取ったが、定職に就かず困窮し、もう一人子供を養う経済的、精神的余裕もない危うい状況にあった。  年齢や両被告と過ごした期間の短さなどから、恭一君がうそをついたり反抗的な態度を取っても無理はないが、その理解ができていなかった。加えて、知子被告は自己中心的で感情の起伏が激しく、剛士被告も短気で粗暴なところがあり、性格、行動傾向が影響していたことは否定できない。  知子被告は犯行時に積極的に暴行を加えている上、犯行前に単独で暴行を加えたことが剛士被告の暴行のきっかけになっており、責任を軽く評価することはできない。  恭一君がぐったりし、知子被告の母親から病院に連れて行くよう促されたが、両被告は虐待の発覚を恐れて治療を受けさせていない。死亡に気付くと遺体処理を相談して遺体をこん包、運河に投げ捨てている。事前に口裏を合わせ、恭一君が行方不明になったと警察に虚偽の捜索願を提出、一週間ほど逃亡し、終始保身だけを考えて行動していた。  十分な食事を与えられず、理不尽な暴行を受け、多大な肉体的精神的苦痛を被ったばかりか、生命を奪われ、遺体をごみ同然に運河に投げ捨てられた恭一君の無念さは計り知れず、痛ましい。  周囲の子供たちや社会に与えた衝撃は大きく、社会問題になっている児童虐待事件の予防の観点にも配慮するならば、両被告の刑事責任は重いというほかない。  両被告が子供への接し方、特に知子被告が母と知らされずに離れて生活していた恭一君との関係の築き方に十分な知識を有していなかったことの背景には、両親との情緒的交流も乏しいまま育った両被告の不遇な生い立ちがあること、施設に面会に行ったり、一時帰宅時にプールや祭りに連れて行くなどきずなを深めようと努力したこと、反省の態度を示し、幼い子どもがいることなどを考慮しても、主文の刑はやむを得ない。
(2003/02/26 【共同通信】)


小1男児虐待死事件 誰が好きかを詰問 本心つかめずいら立つ

「自分の経験ではお使いは楽しかったので、恭一にもさせてみたいと思いました。台所の窓から心配で見てました」(法廷供述)。
勢田恭一君=当時(6つ)=が児童養護施設から自宅に戻った翌日の昨年8月2日、母親の知子被告(25)はスーパーにたばことコーヒーのお使いを頼んだ。
義父の剛士被告(25)が恭一君の髪をバリカンで刈った後は、家族そろってプールに遊びに出掛けた。「(夜は)ご飯を食べて風呂に行き、私と一緒に入りました」。知子被告は法廷で振り返った。楽しい夏休みのスタートに思えた。

●詰問
ささいなことから知子被告と恭一君の関係が、暗転したのは5日の日曜日。
検察側冒頭陳述によると、午後5時ごろ、知子被告が恭一君の白いポロシャツに前夜に食べたカレーの染みを見つけた。
 「何ですぐ言わへんの」
 「気付かへんかった」
恭一君の答えに、知子被告はうそをついていると思い込み、頭を平手でたたいた。剛士被告も怒鳴りつけた。これが3日間にわたる虐待の引き金となる。
 「恭一が素直に謝らないのは、学園(施設)から連れてきたのが原因かもしれない」。そう思った剛士被告が恭一君に聞いた。
 「家がええんか。学園がええんか。誰が一番好きやねん」。恭一君は「たけじい(剛士被告)が一番好き。学園よりうちがいい」と答えたが信じてもらえなかった。
 その理由を知子被告は「電話で恭一から学園のほうがいいと聞いていたし、そう感じとっていたので、『おうちがいい』というのはうそかなと思った」と法廷で供述した。
 恭一君の本心がつかめずいら立つ2人。食事もさせず、誰が好きかを繰り返し詰問した。2人の顔色をうかがいながら答えを変えていた恭一君は、返答に窮して黙るしかなかった。

●空腹
「学園から持ってきたそうめんを食べたい」。日付が変わった6日午前1時ごろ、空腹だった恭一君が言った。知子被告は生のそうめんを1束取ると先を口に押し込んだ。残り7束もビニール袋につゆと一緒に入れて食べさせようとした。
約2時間後、恭一君は下痢になったが、知子被告が法廷で(態度を直すための)しつけ」と供述した暴力も交えた虐待は、午前5時まで続いた。
しばらく寝た後、2人は午前9時半ごろ、滞納していた電気料金を支払いに出掛けた。恭一君は口に粘着テープを張り、体をビニールひもなどで縛った。昼前に一度戻ったが、再び外出した。行き先は児童相談所だった。

(2002.6.2 宮崎日日新聞)



虐待疑われる子供連れて交番へ 警官が母親の前で個人情報を聴き取り

児童虐待が疑われる子供を一時的に保護し、警察に通報した女性(28)とその子の母親を、大阪府警東淀川署が交番内で同席させたうえ、その場で女性の住所や連絡先などを聴き取っていたことが分かった。女性は産経新聞の取材に「相手の母親に個人情報を知られ、非常に心配。なぜ別々に調べてくれなかったのか」と警察の対応に強い不信感を抱いている。同署は「署員の判断で同席させたが、配慮を欠いていた」として女性に謝罪した。

女性が子供を保護したのは、4月18日午後4時半ごろ。大阪市東淀川区内の公園で自分の子供を遊ばせていた際、見知らぬ女児(3)が「おなかすいた」「のど渇いた」と大声で泣いているのに気づいた。

季節外れの汚れたセーターを着て、腕やすねにはあざもあり、汗のにおいも鼻をついた。保護者は見当たらず、女性は虐待や育児放棄を疑い、児童虐待ホットラインに通報。応対した市こども相談センター(児童相談所)の担当者から「職員派遣に時間がかかるので、いったん近くにある東淀川署の交番に向かってほしい」と指示された。

女性は女児を連れて交番に行ったが、警察官は不在。本署に通報して警察官の戻りを待っていたところ、女児を捜していた母親がたまたま通りかかり、「そこで何してんの?」と交番に入ってきたという。

その直後に署員2人が交番に到着。母親がその場にいることを知りながら、女児を保護した経緯を女性から聴き取り、住所、氏名、職業、連絡先を尋ねた。女性は母親の存在を気にして即答をためらい、うつむいて黙り込んだが、署員から「早く答えて」と促され、答えさせられたという。

同署によると、署員らは女性を帰宅させてから、遅れてやってきた児相職員とともに女児の身体を確認。目立った外傷はないとして、身体的虐待の可能性は低いと判断する一方、「育児放棄の疑いは否定できない」と児相に書類通告し、以後の対応を引き継いだ。

同署は一連の経緯について、同日午後4時過ぎに母親から「自宅で寝ていたら子供がいなくなった」と署に届け出があり、署員らと付近を捜索していたと説明。そこに女性からの通報が舞い込んだため「母親から女性に保護のお礼を言ってもらおうと考え、同席させた」としている。

署員らは虐待の疑いがあるという通報内容も認識していたが、「女児は母親になついており、可能性は低いとみていた」とし、「結果的に通報者の不安をあおる形になり、非常に申し訳ない」と釈明した。

一方、女性は取材に「警察官に高圧的な態度で個人情報を聴かれ、答えるしかなかった。私が悪いことをした気分になった」と不快感をにじませた。

女児を交番に連れて行った日の夜、知らない小学生くらいの子供が突然自宅に来て「女の子をどうしたんですか。誘拐ですよ」とまくし立てられたといい、「個人情報が漏れているかもしれず、本当に不安だ」と話した。

(産経新聞 6月14日)




虐待の家-「鬼母」と呼ばれた女たち(中公文庫)
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中央公論新社




ねえママ、どうして私のこと嫌いなの… 児童虐待―ある少女の死の記録より
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PHP研究所


子ども虐待 (講談社現代新書)
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誰か助けて 止まらない児童虐待 (リーダーズノート新書)
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子ども虐待という第四の発達障害 (学研のヒューマンケアブックス)
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児童虐待―現場からの提言 (岩波新書)
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岩波書店

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1 コメント

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Unknown ()
2020-08-30 01:21:09
どうせ女性様は軽い刑なんだよな。
ああ分かってる分かってる。中世日本司法はビョードーなんだよな(嗤)
全員死んで地獄に堕ちろよ嘘吐きの司法ゴミどもめら
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