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土屋和也被告の死刑確定

2020年09月08日 | ヒトゴロシ
土屋和也被告の死刑確定

前橋強殺事件、土屋和也被告の死刑確定へ
上告棄却「執拗で残虐な犯行」

前橋市で2014年、高齢者3人を殺傷したとして強盗殺人罪などに問われ、1、2審で死刑判決を受けた無職土屋和也被告(31)の上告審判決で、最高裁第3小法廷は8日、被告側の上告を棄却した。死刑が確定する。林道晴裁判長は「高齢者の家を狙い、包丁など複数の凶器を準備しており、強固な殺意に基づく執拗(しつよう)で残虐な犯行だ」と述べた。  判決によると、土屋被告は14年11月、同市の小島由枝さん(当時93歳)方に侵入。小島さんの頭をバールで殴るなどして殺害し、現金約5000円などを奪った。同12月には、同市の川浦種吉さん(当時81歳)方でリンゴ2個を盗み、川浦さんの胸などを包丁で突き刺して殺害。川浦さんの妻も刺して重傷を負わせた。  弁護側は上告審で「犯行にはパーソナリティー障害の影響があった」として死刑の回避を求めた。しかし、同小法廷は「殺害の決意や実行は被告の意思によるもので、障害の特性とはいえない」と指摘。「何の落ち度もない2人の命が奪われるなどした結果は重い。被告の刑事責任は極めて重大で、死刑はやむを得ない」として、1審・前橋地裁の裁判員裁判と2審・東京高裁の判断を支持した。

(2020年9月9日 読売新聞)

 

土屋死刑囚の両親は、彼が4歳のときに離婚し、母親が親権を持った。母親は離婚後、しばらくは風俗店で働きながら、土屋死刑囚とその姉とアパートで暮らしていた。
 その間、子どもの面倒は義母や近隣の人が見るなど、育児放棄に近い状態だったという。結果、子ども2人の面倒を見きれず、金銭面も追いつかなくなるのなど理由から、児童養護施設に預けることに。
 風俗の仕事をしばらく続けていた母親は、あるときからうつ状態になり、精神科で投薬を受けていたことが情状鑑定書(精神科医が診てまとめたもの)でわかっている。子育ては義母や近所の人に任せていたことからも、幼少期に土屋死刑囚が母親の愛情を受ける機会が極めて少なかったことが想像できた。
 土屋死刑囚は幼いころに児童養護施設に預けられて以降、施設から通園・通学をしていた。小学校に進学したころ、彼の人生を狂わす出来事が起こる。同じ施設の生徒からの“いじめ"だ。
「はじめは物を隠されることから始まり、後に暴力をふるわれるまでになった」と本人は証言している。
 また、量刑の参考となる情状鑑定書には、いじめのストレス発散方法として《我慢を続け限界になった際に窓ガラスを割る、(中略)物に当たったり、(中略)施設から抜け出したりなどの行動化で対処していた》とある。
 だが、そうした表現は周囲から酌んでもらうことはなかった。“理解してもらえない”という絶望感から、悲しみや恨みの思いが本人の心に芽生えてしまう。このころから人との関わりを避け、孤立することを好んで生活するようになる。
「児相の頃がいちばん(土屋死刑囚に対するいじめが)ひどかったんじゃないかな。児相でいじめられて、学校でもいじめられて。家帰って安心するなんて場所がカズヤにはなかった。それも24時間、365日。
 いじめのことを先生に言ったら告げ口したからと余計いじめられて。先生にも言えなくなったから自分で抱えちゃって。それが中学卒業までずっと続くわけですよ。とにかく生きづらい。もう、おかしくならないわけがない」
 中学に入学し、野球部に所属するも、部内でのいじめが原因で休部。児相を出たくて県外の福島の高校に入学し、祖父母と伯母との4人暮らしで新生活を始めるも、伯母から食事を抜かれるなどの嫌がらせを受ける。
 土屋死刑囚は、こうした自らに降りかかってきた不運の原因を、ことごとく周囲の人間の責任にした。だが、いじめの原因を掘り下げていくと、土屋死刑囚が発端のトラブルも少なからずあり、本人にも非はあるようだった。本人の主張と、周囲の反応とのズレがみられるのだ。
 ただ、多感期に起きたいじめの被害は彼にとって相当なストレスであったことは間違いなかった。ひと息つく隙間も与えられないほどの極度のストレス下で、24時間、365日、自らを受け入れてもらえないという出来事は、彼を底知れぬ悲しみに陥れた。彼を照らす光が、絶望の名とともに遮断され、容赦ない虚無感が心を覆った。
 高校を卒業したころから、現実と向き合うことができなくなり、携帯電話の課金ゲームにはまってしまう。これがお金ほしさの強盗殺人への引き金となる。ゲームの世界は、自分の強さを発揮できた。ゲームを通じて出会うネット上のつながりの人からは、自分の力を認めてもらえた。この優越感を求めに求め、彼は生活費を削ってでも、借金をしてでもゲームをやり続けた。辞められなかったというほうが正しいだろう。
 それほど、彼は人に自分を受け入れてほしかった。存在意義をかみしめていたか
た。
 いよいよ水道・電気・携帯電話も止められ、食べる物も底をつくという事態に直面した。水と砂糖だけでしのいでいた土屋死刑囚は空腹に耐えきれなくなり、とっさに思いついたことは「泥棒をするしかない」だったという。泥棒をするだけだったはずが、結果、無惨な殺人事件を犯してしまったのだ。
 
証人が語った「土屋和也」という男の“過去” 河内千鶴(フリーライター)
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