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2006年5月からの記録
ナニをしているのかよくワカラナイ

母の呪縛  桐生のぞみ

2022年12月14日 | ヒトゴロシ
 
滋賀県河川敷で58歳母がバラバラ死体に…逮捕された30代娘が明かした「医学部9浪」の衝撃と母との確執

2018年3月、滋賀・守山市野洲川の河川敷で、両手、両足、頭部を切断された体幹部だけの遺体が発見された。遺体は激しく腐敗しており、人間のものか動物ものかさえ判別が難しかったが、その後の捜査で、近所に住む58歳の女性のものと判明する。 

女性は20年以上前に夫と別居し、31歳の娘と二人暮らしで、進学校出身の娘は医学部合格を目指して9年間もの浪人生活を経験していた。  警察は6月、死体遺棄容疑で娘を逮捕する。いったい二人の間に何があったのか――。 

河川敷で発見されたのは、女性の遺体の体幹部だった。  女性の身元を特定するため、守山警察署は現場付近の聞き込み捜査を開始したが、直後から、現場から370メートル離れた一軒家に住む一人の若い女性が、捜査本部の目を引いていた。  髙崎あかり(仮名)、31歳。医科大学の看護学科を卒業したばかりで、看護師としての勤務を間近に控えていた。  あかりは聞き込みに対し、3月15日の時点では「はい、母と二人暮らしです」と話していたが、翌日、再度聞くと、  「母はいま、別のところに暮らしていて、ひとり暮らしです」  と話を翻した。さらに近隣の聞き込みを重ねた結果、あかりの母・妙子(仮名)は、最近、ぷっつりとその姿が見えなくなっていることが判明した。  守山署は妙子に的を絞った捜査に着手する。妙子がふだん、よく利用していた近所のスーパーなど、立ち寄り先の防犯カメラの映像を収集して分析し、1月19日ごろから髙崎妙子の出入りがないことも分かった。  さらに、その後の捜査で髙崎母娘の生活ぶりが徐々に分かってきた。 

あかりは妙子のひとり娘で、父親とは20年ほど前、あかりが小学生のころに別居し、以来母娘の二人暮らしが続いていた。  あかりは小学校時代から成績優秀で、母親の妙子は娘のあかりを医師にしたいと考え、それも国公立の大学医学部に入学させたいという強い希望を持っていた。あかりも期待に応えようと勉強を続け、医学部受験を目指していた。  あかりは2005年に県内のキリスト教系進学校を卒業し、母の希望通り医学部を目指して受験を繰り返したが果たせず、2014年に医科大学の看護学科に進学した。その間、なんと9年もの浪人生活を送っていたことも明らかになった。  なにより、20年にわたって守山市内の一軒家で娘と一対一で向き合っていた母が、突然娘をおいて離れて暮らすことなどありうるだろうか。  あかりの話は、矛盾に満ちたものと捜査員には感じられた。一月以降、妙子の足取りが消えていることも捜査員の疑念を深めた 

守山署は遺体の内臓や血管に大量に残存していた血液を採取し、滋賀県警察本部科学捜査研究所の鑑定によって、DNA鑑定を実施した。  5月17日、娘・あかりの口腔内から採取した細胞と、父の唾液との比較から、あかりと遺体の女性の親子関係が成り立つとされ、河川敷で発見されたのは髙崎あかりの母、髙崎妙子・58歳の遺体であると判明した。母が死んでいたにもかかわらず、なぜあかりは当初の聞き込みに対して、「母は別の場所に暮らしています」と噓をついたのか。あかりが母を殺し、遺体をバラバラにして捨てたことが強く疑われた。  6月5日、守山署は死体遺棄容疑で髙崎あかりの逮捕に踏みきる。6月21日には死体損壊容疑で追送検し、26日に死体遺棄罪、死体損壊罪で起訴した。  あかりはその間に誕生日を迎え、32歳となった。 

資料:母と娘のLINE―2017/10/18(2)
---------- 母:無理矢理…と言われたのが許せない理由。医大に行かせる条件(助産師の免許取得)を受け入れたくせに、都合が悪くなると、無理矢理感を出すなんて卑怯だと思うから!! ! こうやって、ずっと自己中にアンタは生きてきた。その生き方を未だに変えてない!! ! だから、いま尚無理矢理だと言う。だから努力もしないし、失敗しても反省の気持ちもなく、反発心が募るのだと思う。 ---------- ---------- 娘:被害者意識を強く持っていたりとか、私の悪事や裏切りで母に嫌な思いをさせていたことを忘れているとか、そういうことは無いんですけど、ただ、特に私自身に助産師になりたい気持ちがあまり無いのはあります。それで、勉強に対して気乗りがしなかったのも事実です。しかし、だからといって助産師学校を受験しないつもりはなく、良くない結果を出してしまったことを反省し、勉強していかなくては…! と考えているのが、今の私の思いであります。 ----------

「母は、自殺しました。遺体は私がバラバラにして、現場に捨てました」捜査員は物証の特定捜査に着手した。妙子の死体切断に用いた工具と、死体の上にかぶせていた園芸用土の入手先の特定である。
あかりの供述によると、「剪定(せんてい)用ハサミ」「ノコギリ」「鉄の棒」の三点を自宅近くのホームセンターで購入し、その代金約1万円を母親名義のクレジットカードで支払ったという。供述に基づいてクレジットカードの利用履歴を調べたところ、
・サボテン楽切剪定鋏20
・シルキーズバット
・千吉レジャー鉈角型SG
の3点を、1月20日午後、合計1万767円で購入していることが判明した。しかし、これらの工具はすでにあかりが破砕ごみとして廃棄していたため、発見できなかった。

さらに、2月20日に近くの別のホームセンターで14リットル入りの有機培養土2袋を購入していたことが判明する。あかりは、
「母の死体を切断するときに着用したのは、大学の実習のときに使用したナイロン製の使い捨てガウンと、薄手のゴム手袋です」
とも供述していたが、これらの物証も、事件後に燃えるごみとして処分されており、発見できなかった。一連の証拠物が隠滅されていることに、捜査員はあかりによる計画的な犯行という印象を強く抱いていた。]

さらに警察の注意を惹いたのは、二月中にあかりが、二度にわたって『RAW 少女のめざめ』という映画を見ていたことである。この作品は、ベジタリアンの少女が獣医科大に入学し、先輩から強制的にウサギの生の腎臓を食べさせられたことをきっかけに、カニバリズム(人肉食)に目覚めるホラー映画である。当時、看護学校に通っていたあかりと共通点があるうえ、母・妙子さんの突然の死との関連が疑われた。
逮捕から18日が経った6月23日、現場となった自宅で、被疑者を立ち会わせた死体切断状況の再現捜査が行われた。発生当時の状況を再現し、供述に不合理なところがないか、ひとつひとつ確認していくためだ。ひと口に「遺体を運んだ」といっても、どのような経路で、どうやって運んだのか再現し、確かめていく。

「母は、一階のリビングルームで亡くなりました」
再現捜査で、あかりはあくまで、母が自殺したという前提で、遺体解体の経緯について話した。
「遺体は硬直していたため、お風呂まで運ぶのは大変でした。遺体を引きずっていく途中、壁に触りながら伝うように移動しました。途中、母の身体から尿が漏れて、部屋が汚れてしまいました」
髙崎宅の一階は、南側にはリビングダイニングと和室が二間、廊下を隔てた北側に玄関、浴室、トイレが並んでいた。

妙子が亡くなったリビングルームは南西の角にあり、テレビボードと向かい合うように座椅子が置かれていた。実況見分の結果、このテレビボードの周囲に17ヵ所、最大0.5ミリの血痕が発見された。いずれも妙子の血液である。 

供述によると、あかりは南西角のリビングルームからダイニングルームを抜け、廊下を通って浴室まで母の遺体を運んだという。この日は、その様子が再現された。
あかりは遺体を浴室に運んだあと、母の服をはさみで裁断し、脱がせた。
次に遺体の右ひじあたりをのこぎりで切り落とそうとしたが、うまくいかなかったため、もともと自宅にあったステンレスの包丁と鉈を使ってようやく切断することができた。
その後、同様にして右肩を切断。脚部、頭部なども切断していった。解体するにあたって、あらかじめ脱衣場と廊下には新聞紙を敷いておき、切断した頭部など各部位はいったん、脱衣場にあった水色の大きなゴミ箱に入れた。

その後、各部位をひとつひとつ取り出してペットシートやタオルで包み、その上からさらに新聞紙でくるんだ。各部位は30リットルの黒いゴミ袋に入れ、外から形が分からないようにするため、新聞紙を丸めたものをゴミ袋に詰めた。 

こうしてできた七つのゴミ袋を玄関前の廊下に並べて置き、その後、胴体部分の解体にとりかかった。しかし、へその下あたりに包丁を入れたところ、強烈な悪臭がしたため解体を中止せざるをえなくなった。仕方なく40リットルのゴミ袋をふたつ用意し、頭部側と胴体側からそれぞれかぶせ、そのまま水色のゴミ箱に入れて上からタオルをかぶせた。 

あかりは、七つの袋に分けた各部位も、燃えるごみとして捨てていた。そのため、捜査段階では発見できていない。
しかし、残った胴体部分だけは大きすぎて燃えるごみとして出すことができず、旧野洲川南流の河川敷に放置し、ホームセンターで購入した培養土をかけていた。3月に近隣の坂田道子(仮名)が群がるトンビに目を向けるまで、この胴体部分が発見されることはなかった。

 

桐生のぞみ(34)は20年前から実父と離され、母親の監督下に置かれた。医療系の道へ行くという進路を母親は勝手に設定し、強制した。当然、被告人は抵抗したがスマホの所持が発覚しただけで土下座して謝らせる具合であった。何度も家出を繰り返したが、未成年のうちは警察へ、成人してからはなんと探偵を雇って家に連れ戻した。
 追い詰められた彼女はネットで殺害方法を検索したりTwitterに殺意などを書き込んだりした。(これが1審で殺害を認定した証拠のひとつ)
 ある日、スマホを破壊されて「出て行け」と言われたことから被告人は殺害を決意。そして犯行に及んだのである。
 しかし、大津地裁での第一審では死体損壊・遺棄だけを認め、母親は自殺したと主張。司法解剖の結果、失血死でないことだけはわかり殺害方法は不明だったのだが、被害者を殺したのはどう考えてものぞみ被告しかいないため、殺人を認定し、懲役15年を言い渡したのである。 

一審判決で殺害を認定されているため、「私が殺しました」との自白にどういう意味があるのかが話題になった。自白したからには当然殺害方法を示したのだが、その方法というのが包丁で頸部を何度も刺し、刃先が骨にまで達したというものだったのだ。

自白の内容を受けて、高裁は原判決を破棄した。一審では「近隣住民を恐怖させるような残忍な犯行」とされていたが、これを否定。計画性が無く、併合罪加重が重すぎるとし、実父との関係が回復したことや自白により反省が深まったことを認定して、懲役10年(当審未決勾留日数460日を原判決に算入)を言い渡した。
 裁判長の「自分の犯した罪と向き合い、社会復帰した際は自分の選んだ人生を歩んで母親の冥福を祈ってください」との説諭に、のぞみ被告は泣きながらうなづいていた。




桐生のぞみの生い立ち母親の異常な毒親が戦慄!殺すか壊れるの選択

滋賀県守山市で、子供時代から教育虐待を受けたことで母親に恨みをつのらせ、殺害した事件で逮捕された犯人の桐生のぞみ。
桐生のぞみの母親の異常な毒親ぶりが注目され、その教育虐待のすさまじさが実母を殺害し、ノコギリで切断し遺棄するという残忍な事件の動機につながったといわれています。

2018年1月19日、滋賀県守山市内の自宅で、実母である桐生しのぶさん(58)の首を刃物で殺害し、ノコギリで遺体を切断した桐生のぞみ(当時31)。
同年3月中に母親の遺体が発見され、6月5日に彼女は母親に対する殺人・遺体切断遺棄事件の犯人として逮捕されました。
桐生のぞみは、同年3月この事件が発覚するまでの間、母親の両手と両足部分を燃えるゴミの袋にいれて出し、胴体部分は自宅から約250mの距離にある守山市今浜町の河川敷に、丸型ペールに入れて運び遺棄しています。

当初のぞみは母親の殺害を否定していましたが、後に控訴審で母に自分のスマホを壊されたり、助産師学校の受験に落ち「裏切者」、「うそつき」などと罵倒されたことを殺害動機として供述しています。
桐生のぞみは裁判を受け、一審では懲役16年の実刑判決を受けますが、控訴審でこれまでの教育虐待の事実などを考慮してか大幅減刑となり懲役10年の刑が確定しています。
6年もの減刑と思われる方も見えるかもしれませんが、容疑者である桐生のぞみの生い立ちを知ると決して彼女のみを責められる事件では無いのではないか、と感じざる得ない親子関係があります。

桐生のぞみは、両親との3人家族で兄弟はなく、メンテナンス会社勤務の父親は、のぞみが小学校高学年の頃に別居しています。
それ以後、滋賀県守山市の実家で母親の桐生しのぶと2人暮らしをしており、しのぶは教育ママであったといわれています。
ただその子育てぶりは、良く聞く教育ママの状態は逸脱。
異常なレベルで自分の理想を娘に押し付ける形の教育虐待と言っても過言では無い状態でした。そうした子育てに父親は、ほぼ一切の関与をしておらず母子2人での母子家庭状態だったようです。
父親がおりながらほぼ母子家庭のような状態になっていた母親の望みは、娘である桐生のぞみが将来医師になること。彼女の幼少時から通信教育の教材を与えたりと教育熱心でした。
そうした母の願い通り幼少期から桐生のぞみも外科医を夢見ており、高校生の頃まではドクターを描いた手塚治虫の漫画「ブラックジャック」に憧れていたとか。
ですが、のぞみは中学・高校時代には成績が伸びず思い悩み、医者になるという夢も次第に薄れてしまったといいます。

桐生のぞみの母親しのぶは、娘が医者になることに全てをかけ異常レベルの教育虐待を行っていたといます。
母親のしのぶは、のぞみに国立大医学部進学を強要していますが、自身の最終学歴は工業高校卒だったとか。
彼女は高卒の学歴コンプレックスを持ち悔やんでいると何百回も、母親から聞かされたといいます。
また母親の、しのぶの実母には離婚歴があり、再婚相手が歯科医であったらしく娘への教育虐待のきっかけの一つになったといえそうです。
のぞみは国立大医学部合格を目指しますが思うようにいかず、医師への夢は薄れますが母親は願望を曲げることなく彼女に医学部進学を勧めました。
そしてのぞみは母親から携帯を取り上げられるなどの、きつい制限にも耐え、9年間の浪人生活を送っています。
大学入学をやっと果たすも2年生の終わりごろ、のぞみが助産師課程の進級試験に不合格となってから、さらに母の厳しさが増し束縛されていきます。

桐生のぞみは、高校卒業後の2005年に国立大学の、医学部保健学科を受験しますが不合格となります。
ところが母親しのぶは、その事実を認めずにあろうことか、親族には医学部に合格したという嘘をつき、娘ののぞみにもつじつまを合わせるよう命じます。
9年の浪人生活の中、のぞみは母親からの束縛から逃れるため就職も考えたのですが、未成年で同意を得られずに終わります。
母親は彼女を集中させるため、のぞみの携帯電話を取り上げたり、自由な時間を与えないため一緒に入浴しようとしたといいます。(47NEWS:引用)
そうした母親からの強要生活に耐え切れず、のぞみは3回にわたる家出も試みますが、母親の方も諦める事なく探偵を雇うなど異常な執着心で、のぞみの自由や願いを聞き入れません。

何度かの、のぞみの精神の限界状態は突発的な家出などの行動など態度にも表れるも、その都度力で押さえつける母親しのぶ。
強引にも家に連れ戻されるなど、戦慄の束縛生活を不本意にも継続する生活が続きます。
そのようなやり取りや母親との話し合いの合意点として母しのぶは、のぞみに将来助産師になることを条件に滋賀県医科大学医学部看護学科を受験させ、やっと2014年4月に入学を果たしました。

9年もの長きに渡る受験生活を経て、無残にもその夢が断たれて自分の限界も知り、現実的な就職先も医師でもなく助産師でもなく、看護婦でいいと思いだした桐生のぞみ。
ですが母のしのぶは、のぞみの、そうした現実からの諦めや妥協を一切許しません。
強引に医師がダメなら最低でも助産師に、と望む母の願いを受け入れ一旦はまたも大学に入学し、母親の望む助産師を目指しましたが、のぞみは、やがて「手術室看護師」になる夢を抱きます。
手術看護師とは手術執刀医にメスを手渡したり、患者の体位変換や記録を付ける看護師を指します。
のぞみは大学4年生の2017年には滋賀医科大付属病院において、看護師の内定を得ますが母親の反対にあっており反感を持っていたようです。
母親は医大の附属病院の就職を辞退して、助産師学校への進学を迫り、受験に失敗しても看護師にならず再受験をするという誓約書まで書かせていました。
こうした幾度の、のぞみの受験失敗や勉学への挫折、自らのレベルを思い知り絶望に落とされながらも強制的な勉強を強いられた、のぞみは、どれほど頑張っても母親の望む道は程遠い事、自分のレベルには看護師でも充分だと言う現実を理解します。
その事実の理解を母に求めるも一向に、諦めてくれない母親しのぶ。
常軌を期した娘のぞみへの期待と、人生を賭けた医学界への強要は、この辺りで娘のぞみの限界を超えた状態だったのでしょう。
自分の望む事と、それが叶う能力があるか否かは、自らが経験すれば通常誰もが分かる所です。
でもそれ以上を常に諦める事を許さず、自らの高い理想を娘に強要した母親しのぶ。
もう、桐生のぞみの精神状態は限界だったのでしょう。
看護師の夢を崩された桐生のぞみは、2018年1月に母親を殺害し、同年4月滋賀医科大学付属病院に看護師として就職、同年6月の逮捕まで通常の勤務をしていたそうです。
母殺害後の丸5ヵ月の間、のぞみは平然とした態度で勤務していたと言います。
それほど母親の存在が、彼女にとっての重しになっていたのでしょう。

2017年夏ごろ、桐生のぞみは希望をかなえ看護師の内定を得たにも関わらず、母親しのぶは褒めたり、のぞみの苦労や苦悩を労うどころか今だに彼女の決定を許さず大反対を受け罵倒します。
幼少期から続く母しのぶの言いなりになり勉学に励んできた、のぞみですが、ココに至っての母からの罵倒で限界を感じ、母親を殺すか、自身が壊れるかの究極の選択をすることになります。
既に彼女自身も壊れていたのかもしれません。
殺害前の母子のやり取りで、のぞみは母親に「看護師になりたい」と本心を打ち明けています。
でも母は「あんたが我を通すから、私はまた不幸のどん底に叩き落とされた。」と夜通し怒鳴り続けたそうです。
その前の2017年12月にも、のぞみが内緒でスマートフォンを隠し持っていたのに激昂した母親が、のぞみを庭に土下座させ、その場をスマホで撮影、スマホをコンクリートブロックで叩き壊しています。
母親はのぞみに持たせていた、もう一つの携帯電話に「ウザい!死んでくれ!」とのショートメールも送信したとか。
母親に進路について怒鳴られた深夜、のぞみは寝入った母親の首を包丁で複数回刺し、ついに殺害するという選択を果たします。
殺害後、のぞみが投稿したツイッターには「モンスターを倒した。これで安心だ。」とかかれており、過干渉の教育虐待からの解放感が垣間見えます。母親はいつしか巨大なモンスターにしか見えなくなっていたことがわかります。

母親からの異常な教育虐待を受け育ち、その毒親の手から逃れたい一心で母親を殺害し遺棄した事件を起こした桐生のぞみ。彼女に自由を与えない戦慄の束縛生活に耐えてきたのぞみが、看護師になる夢を母親に罵倒され、とうとう母を殺すという究極の選択で決着をつけました。
しのぶに母親らしい姿は見えず、こわいモンスターの毒親でしかなかった時間の大きさを感じ、子供に寄り添う親の存在の大きさを改めて感じます。自らの夢や願望を娘に投影させ叶えさせる事を人生の目標としてしまった、しのぶの異様さは常軌を期した教育虐待に過ぎません。
個人的にですが、そうして不運にも殺害された母しのぶは身からでた錆でしかなくやはり親を選ぶことができない子供ののそみが気の毒で仕方ありません。最後の本人のツイッター発信のように「モンスターを倒した、これで安心だ」が何より全てを物語っています。

 

滋賀県河川敷で58歳母がバラバラ死体に
…逮捕された30代娘が明かした「医学部9浪」の衝撃と母との確執

守山署は遺体の内臓や血管に大量に残存していた血液を採取し、滋賀県警察本部科学捜査研究所の鑑定によって、DNA鑑定を実施した。  5月17日、娘・あかりの口腔内から採取した細胞と、父の唾液との比較から、あかりと遺体の女性の親子関係が成り立つとされ、河川敷で発見されたのは髙崎あかりの母、髙崎妙子・58歳の遺体であると判明した。母が死んでいたにもかかわらず、なぜあかりは当初の聞き込みに対して、「母は別の場所に暮らしています」と噓をついたのか。あかりが母を殺し、遺体をバラバラにして捨てたことが強く疑われた。  6月5日、守山署は死体遺棄容疑で髙崎あかりの逮捕に踏みきる。6月21日には死体損壊容疑で追送検し、26日に死体遺棄罪、死体損壊罪で起訴した。  あかりはその間に誕生日を迎え、32歳となった。

 





 


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