ラブラブメンタイハッピーライフ

明太子に魅了された人間の日々の記録

そういえば、祖父には何も言ってなかった

2020年07月03日 | 日常
(ブログに書いている家庭菜園シリーズの祖父ではなく、父方の祖父の話です)

何年も前から、祖父は別れ際に「もうこれが最後になるかもしれないから。ありがとうね」と涙ぐみ握手を求めてくるのがお決まりでした。「何言ってんの~!まだまだ元気でいてもらわないと!」とみんなで笑ってさよならまでの一連の流れを何度したことか。3回目くらいで飽きてたからね、その流れ

数年前、体調を悪くして「もう長くないかもしれない」と聞いた時も、そうはいってもまだまだ大丈夫でしょ!と思ってて。実際それから数年、元気とまではいかなくても大丈夫だった。

だから今回、「もうあと数日かもしれないって」、と聞いた時も、そうはいっても明日とかじゃないでしょ!とどこか他人事のような気持ちで病院へ。

到着すると、祖父はもう意識が無くて、目は開いたことないんじゃないかくらいきれいに閉じてました。でもしっかり息をしていて、まあ明らかに良くない状況ではあるんだけどしっかり息をしてたから今すぐにどうこうってことじゃないでしょう

一旦帰ることになったので、祖父はもう何も言わないけど「まだまだ元気でいてもらわないと!」の意味を込めて手を触ってみた。あたたかい。生きてる

「じゃあまたくるね~」と病室から出ようと準備をしてるとき、父が「ちょっと待って」と言って立ち止まった。

気づくと、さっきまで119と表示されていた心拍数が100を切ってる。ドラマで見るような大きな画面ではなくて、キッチンタイマーのようなものが祖父の横にちょこんと置かれている。

88

73

55

いつの間にか、息をする音も、動きも消えて静かになった。そうか、もう終わりなんだ。

なんの躊躇もなく数字が0に近づいてくけど、キッチンタイマーとはまるで違う意味を持ったカウントダウン。それがキッチンタイマーと同じ様にコンパクトな機械に表示されてる不思議。

祖父と数字、固唾をのんで交互に見る。

46

23


0になった。

数分して、家族が揃ったところでお医者さんが病室に入ってくる。「私の時計で恐縮ですが、15時53分です。」

94歳まで1カ月を残して、祖父が亡くなりました。

そういえば、祖父には明太子活動のこと一言も話したことがなかった。一人暮らしを始めたことも、仕事を辞めたことも話さなかったなあ。祖父に理解してもらえるような生き方をしてないからなんとなく

唯一「結婚」をクリアしたら心の底から一緒に笑えるかな、というのはどこかにあって、会うたびに「あと3年したら結婚するからまだ元気で生きてもらわないと!」となんの根拠もなく言ってたんだけど結局叶わないままだった。あーあ、、

最近はネガティブトークばっかり繰り出してくるもんだから、ひえ~~!やめてくれ!ということが多々あって以前のよい思い出が消えかかってたけれど、

思い返せば子供の頃、祖父と文通で私の大好きなクイズを出し合ってたっけ。後々渋めのラインナップが揃う祖父の本棚に似合わず1冊だけ小学生用のクイズ本が挟まってるのを見つけた時なんかじんときた。

思い返せば学生の頃、祖父が抑留されてたシベリアへの墓参に連れてってくれたっけ。観光地ではなく、道なき道を車で進み草をかき分けて日本人が埋葬されてるお墓にひたすら手を合わせた経験はとても貴重だった。

良い思い出だけではなかったし、悪い思い出だけでもなかった。家族って、人生って、そんなもんなんだろう。

よくよく考えてみたら、私の手作り感あふれるマニア活動は、自分史や戦争時代のことを事細かく記録し独学でビデオ編集や製本などしていた祖父に通ずるところもあるのかもしれない。あと酒好きなとこも似てるか

だいぶ先になるけど、向こうで会うことがあったら明太子活動のことも話せるだろうか。

祖父が亡くなっても、いつも通り隣の家からは笑い声が聞こえるし、私たちも食べて笑ってまた生きていく





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