(去年11月下旬、お墓参りの際に撮影 キク科?)
日曜日に父親の戦争の頃の事を書いたら、6年前に
南海放送主催の坊っちゃん文学賞に応募して
優秀作はおろか、佳作にも引っかからなかったのを
思い出した。
この文学賞で割と有名なのは、女子高校生のボート部
での頑張りを描いた「がんばっていきまっしょい」
だろうか。これは映画にもなったし、今年は劇場
アニメーションにもなったようだ。
この文学賞は、令和になってから作品の形式が
ショートショートに変更になり、6年前は文字数が
400字でひとり3編まで、という決まりだった。
それでこの時のテーマは「家族」で、しかもショート
ショートだから「不思議」な話でないとダメだそうで
たった400字にまとめるのに随分骨が折れたが、なんとか
3編書いて、向こう見ずにも応募してしまったのである。
3編とも戦争の頃もしくは、それに関連した事を背景に
書いたが、読み返してみるとどうも無理矢理に短くして
しまっている感じがして、それに「不思議」さも消化不良
のような印象がした。これでは賞などダメなはずと思った。
今日は恥を晒すみたいになって、とても恥ずかしいが
1編だけ以下に載せてしまう。一読笑ってもらえれば
十分で、それで作品も成仏出来るのでは、と思う。
---------------------------------------------
桜の花弁
およそ半世紀前のこと。城山公園に四年前建立された
戦没者芳名の石碑へ向かう治は、坂道に降り敷く桜の
花弁を眺め、些細な事で律子と別れてしまって一年
経ったことをふと思った。
十日前、終戦を描いた映画を見た治は、十八歳上の写真
でしか知らない兄の一郎が頭に浮かんで、隣町の姉の
嫁ぎ先を訪ねた。姉の話では、兄のいた部隊は、華中での
胸まで浸かる渡河や昼夜の行軍・戦闘が続き、感染症で
亡くなる兵士が多数出て、兄もその一人ということだった。
その夜、全く眠れなかった治は、海まで歩き朝までじっと
座っていた。
治が石碑に歩み寄ると、一人の女性が屈んで手を合わせている。
そこは丁度、一郎の名前の前だったので立ち止まっていると、
さっと女性が治の方へ振り返った。その人は律子だった。
しばしの沈黙のあと、治が戦死したのは誰なのか聞くと、
律子は写真でしか知らない父だと答えた。一郎と律子の
父親の名前は、隣合わせに肩を並べていた。
(モデル 姉:母親 治:母方の叔父)
私もいくつか物語を書いていて
(ブログで紹介しています)
何回か出版社の賞に出したのですが、
一度も賞は得られませんでした。
お話を読ませてくださり、
有難うございました。
書いた時のtaijiasanさんの想いに
よく頑張ったね、とお伝えしたいです😊
コメントを有り難うございました。
ブログを始めてから最初のコメント、とても
うれしいです。
いいねをたくさん下さいまして恐縮です。でも
いただくと、気持ちがほんわかします(笑)
愚作を読んで下さり、感謝いたします。
まかろんさまも小説を書くのがお好きなんですね。
私は文学賞に応募したのは、まだ坊っちゃん文学賞の
この一回だけです。
励ましを下さって有り難うございました。
今後とも、よろしくお願いします。