はじめに、大竹奨次郎という画家の小さな個展の紹介です。
River Coffee & Gallery(リバー コーヒー&ギャラリー)のギャラリー・スペースで12月19日まで開催されています。
https://rivercag.com/
大竹さんは、たまたま前回の私の個展にぶらりと来てくれました。たしか近所で著名な画家の展覧会が開催されていたので、そのついでに画廊を回っていたのだと思います。学校の先生をなさりながら制作に励んでいる若い画家ですが、それ以上のことを私も知りません。
それだけの接点しかない方ですが、作品は良いです。どの作品も余計に準備をすることなく、自然に描きはじめている感じです。興味が薄れてきたところで筆を置いて、次の作品を描き出す、というサイクルが作品群から読み取れます。
だから二、三点ごとに作品のスタイルが変わります。どれも抽象的な絵画ですが、表面的に見える形象はだいぶ違っているのです。
変わらないのは、絵の具の薄塗りから厚塗りまで、その表情にヴィヴィッドに反応する大竹さんの感性です。画面に触れている感触に嘘がないので、どの作品も空間的に浅いところで揺れ動いています。本人は意図していないようですが、それは大竹さんに画面を見る力がある、ということでしょう。
絵を描く前にスケッチやエスキースをなさるのですか?と本人に聞くと、そんなことはしません、ただ小さな落書きのようなことはしています、と言って、切手ぐらいの大きさのスケッチを見せてくれました。どれも立派なエスキースになっているのに、本人は全然、無頓着です。そんな落書きの中から、これは作品になるかな、と思うとそのパターンで絵を描き始めるのだそうです。大竹さん自身のメモが画廊に置いてあるのですが、それによると次のように絵が描きはじめられているようです。
目に見えるものと見えないルールがある。
すでに決まってしまったこととまだ決まっていないことが混ざっていく。
縦横斜めの4方向と、それから線、点、面、タッチ、4つしかない。
しし16。16かける16。
縦糸という時間と可能性という横系。
永遠を目指して関係について関係しようとする。
そのままであると同時に深さができる。強く、弱く、減って、明るくも暗くもなる光。
(『花についての花 魚についての魚 街についての街』大竹奨次郎)
案内状に使われている作品には、大きめの4つの緑色の円があります。どうやら、そこから絵がはじまっているようです。一枚の絵の中には緩やかなルールがあって、そのルール通りに描かれていくところと、そうでないところとがあるようです。それが「すでに決まってしまったこととまだ決まっていないことが混ざっていく」ということなのです。でも、はじめのルールがわからなくなるほど混沌としてしまう前に、彼は筆を置いているようです。それが自然体でできてしまうところが素晴らしいです。
本人は意識していないようですが、この文章には絵画の「時間性」、「イリュージョン(奥行き、あるいは深さ)」、「絵の具のタッチ」、「表現の強度」、「絵画が内包する光」などのさまざまな要素が盛り込まれています。それらについて、先ほども書いたようにヴィヴィッドに反応する大竹さんの感性が、絵に表れています。
仕事の後に絵を描かれている、ということで、作品の大きさや絵に費やされる時間が自ずと限定されているのでしょう。今回の展示にも大きな作品はありません。それが残念なような気もしますが、その一方でそれが今の大竹さんにとって自然なことなら、それで良いような気もします。
ちなみに、カフェと併設されたギャラリーですが、奥のギャラリーだけ見ることも可能です。私は土曜日の午後に行ってしまったので、5時までに回りたいところがあってゆっくりとコーヒーも飲まずに失礼してしまいました。でも、コーヒーも美味しそうです。
最後に余計なことになりますが、彼の文章を読むと、自分を痛めながら表現をしているようで、ちょっと心配です。とくに教員という職業は、表現者としての繊細な感性のままに務めていると、身も心もズタズタになります。社会の歪みと自分の無力さが顕に見えてきて、生きていることがとてもつらくなります。
そんな中ですが、大竹さんがこれからも自然体で制作していけるように、心から願っています。
さて、そんなつらい教育現場ですが、すこしだけ愉快なニュースを取り上げます。
毎日新聞の「高1『現代の国語』 “物議”の教科書が採択数トップに」というニュースです。新学習指導要領の「現代の国語」という科目は論理的な文章を取り上げる内容になっていて、小説や物語を教材に含まない設定になっていました。ちなみにこの科目は現場では、そのことへの戸惑いがあったのですが、そこを配慮して小説作品を教科書に取り入れた本が検定を通り、現場の先生方から支持をされて一人勝ち状態になってしまった、というニュースです。
https://mainichi.jp/articles/20211208/k00/00m/040/153000c
その事に関する考察記事が、次の「『小説入る余地ない』はずが…高校『現代の国語』教科書巡り混乱」です。無料なので記事の途中までしか読めませんが、科目の設置そのものが現場のニーズにあっていなかった、ということを分析しています。
https://mainichi.jp/articles/20210923/k00/00m/040/187000c
そもそも今回の国語の改編は、商品のマニュアルを理解できるような人間を数多く育成してほしい、という産業界からの要望があった、という話が聞こえてきます。その真偽はともかく、言葉を情報伝達の道具としてしか見ていない歪んだ教養をもった人たちの思惑が、透けて見えることも確かです。
そういう為政者や産業界の偉い人たちの浅はかな思惑に対し、教科書会社や先生たちの静かな抵抗が浸透していったのでしょう。教育行政がこれだけ愚かな過ちを繰り返しているのに、教育現場に携わる人達はいまだに健全である、というひとつの証拠を見るようで、ちょっと明るいニュースだったと思います。
検定が不公平だと言っている教科書会社があるようですが、検定を強化せよ!と言ってしまって大丈夫ですか?それが国家による検閲へと繋がって、いつか自分たちにそのつけがはね返ってきませんか?それよりも、お上に対して従順であることが、必ずしも正しいことではない、ということを学びませんか?
さて、かくいう私も現代美術の理論的な話が苦手です。(それを国語教育のせいにするつもりはさらさらありませんので念の為。)
理屈っぽい話はできれば避けて通りたいところですが、現代美術の理解のためには、あるいは自分の表現を展開していくためには必要なこともあります。とはいえ、外国語の文献は読めませんし、日本語の本だって学術的な専門書には歯がたたない、という二重苦、三重苦の状態にあります。
そこで今回は『ポスト・アートセオリーズ』という、北野圭介さんという研究者が一般向けに書かれた本をたよりにして、私の理解できる範囲で現代美術の理論的な状況について書いてみます。実はこの本の冒頭に、私の状況に近いようなことが書かれています。
こんにち、現代美術をかたちづくる光景には、どうにもこうにも立ち竦むしかない、学生たちとそんな話ばかりしている。じっさい、「現代芸術」として指し示されている作品群の前にたたずむとき、その解らなさ加減はただごとではない。筆者だけだろうか。いや、多くの読者もそう感じているのではないだろうか。「近頃の絵は解らない、という言葉を実によく聞く」と20世紀日本の知の巨人、批評家小林秀雄が書き付けたのはよく知られているところかもしれないが、それから半世紀以上経ち、解らなさ加減はいっそう増したといわざるをえない。まずはそこから出発点としたい。
(『ポスト・アートセオリーズ』「はじめに」北野圭介)
こう書いてあると、ああ、私もだ、と納得される方も多いと思います。「解らなさ」が「出発点」なのだから、その地点から「アートセオリーズ」つまり「美術理論」の難易度の高いところまで導いてくれるのだと思って読み始めると、次のページですぐに挫折してしまうことになります。ページをめくると、こんなふうに書いてあります。
「アート」としているのは、いうまでもなく、それが指し示しているとわたしたちが解する造形表現の世界をテーマにしているからだが、加えて、そうした世界が少なからず混沌としており、その度合いは、かつてであればもっぱら謳われていた「芸術」という語がほどよく収まっていた範疇をはるかに越える拡がりをもっていることに自覚的でありたいからだ。そこに「ポスト」という接頭辞を付しているのは、それを芸術と呼ぼうがアートと呼ぼうが、第Ⅰ部で詳しく見ていくように、20世紀後半、造形表現をめぐる世界になにがしかの大きな分水嶺のようなものがあったと当の世界に住むひとびとが考えはじめたことを重く受け止めたいと考えるからである。
筆者個人の話になるが、20代後半にニューヨークに遊学し、さる研究者のもとで修行を積むという幸運に浴することができた。「映画研究者」というタイトルが付されることもあるが、そのような呼び名で解するならばまったくもって的外れになる類の人だった。アートシーンを牽引するジャーナル『オクトーバー』の創刊からの編集者でもあり、しかも編集仲間であった当代きっての美術批評家ロザリンド・クラウスがその名を確立した一連の初期著作でその恩恵を常に記していた人、アネット・マイケルソン(1922-2018)である。加えてさらに、第Ⅰ部で詳しくみることになるが、1970年代前後に、狭い意味での芸術ないし美術に収まりきらないネットワークの中で自らの考えを練り上げていくことを、まさに体現したような人物であったろう。ポストミニマリストの芸術家ロバート・モリスにもっとも近かった批評家であり、舞台作家であるリチャード・シェクナーはロバート・ウィルソンとの親交も厚かったろう。
(『ポスト・アートセオリーズ』「はじめに」北野圭介)
このあとにも著名な分析哲学者やロシア文学者、映画監督の大島渚らとアネット・マイケルソンという人物との交流が語られ、自分もその現場にいたことがほのめかされています。
そんな現代芸術の最前線にいた人が言うところの「アートの解らなさ」と、私たちの「解らなさ」が同じであるはずがありません。ここに大きな断絶を感じてしまうのですが、とりあえずそんな気持ちに負けないで、ついていけるところまでついていきましょう。
そして肝心の「アートセオリーズ」の現状ですが、北野圭介はこのあとに、こう書いています。
芸術はもはや、芸術かどうか素人でも(下手をすると玄人でさえ)判断に苦労するほど混迷をきわめ、その内実を摑み取ることができないことになっている。けれども、と同時に、21世紀のいまも、名だたる知性がそれについて語り、また多くのひとがそれを読み、芸術作品を愉しもうとし、また自らの創作活動に摂取しようとしている。それもまた事実だということだ。混迷のなかでもますます理解しがたいものが、その途方もない理解しがたさにもかかわらず、もしかすると逆にそれがゆえか、多くの言葉、語り方を誘い込み、巻き込んでいるのだ。いや、芸術あるいはアートはいま現在、沸騰するがごとくに多彩な知性を誘発する磁場となっているのだ。そのことにしっかりと驚いておくことがたいせつなのではないか。
(『ポスト・アートセオリーズ』「はじめに」北野圭介)
なるほど、芸術は混迷のなかにあって、それにもかかわらず多くの人たちがそこに愉しみを見つけ、論じ合おうとしている、と書いてあります。しかし、よく考えてみると芸術とはつねにそういうものなのではないでしょうか。
それならばなぜ、北野は「20世紀後半、造形表現をめぐる世界になにがしかの大きな分水嶺のようなものがあった」と言うのでしょうか?
その大きな理由の一つとして、アメリカの美術評論家で哲学者のアーサー・コールマン・ダントー(Arthur Coleman Danto, 1924 - 2013)の唱えた「芸術の終焉」論があげられます。この本でも「終焉」論が真っ先に取り上げられていますが、私はこの「芸術の終焉」論について、blog「93. 『芸術の終焉のあと』ダントー著と『美学講義』ヘーゲル著」で、以前に取り上げました。
https://blog.ap.teacup.com/tairanahukami/95.html
「芸術の終焉」という物騒な言い方ですが、実際にはそれまでの芸術の見方や考え方が大きく転換した、という言い方が妥当なのではないか、と私は結論づけました。この点について、北野も次のように書いています。
こう考えると、ダントーの論は、逆説的にも、それを芸術と呼ぶにせよアートと呼ぶにせよ造形実践という人間の営為そのものがまるごと終焉したわけではない、と言う論立てになっているともいえる。芸術は終焉しただろう、けれども新しいかたちでの芸術が新しい仕方でいま問われなければならないし、しかも、かなりアクロバティックではあるものの、問われつづけうるものとしてその問いは組み立て直されうる、ということだ。その上で、ダントーは、そうした問いの集合において、芸術の歴史を引き受ける本質主義として自らを位置付けるということさえもいとわないという、かなり綱渡り的なポジションを採るのである。
(『ポスト・アートセオリーズ』「Ⅰ理論 1「芸術の終焉」以降のアートの語り方」北野圭介)
そこに人間がいる限り、人間の愉しみとしての「芸術」が消えてなくなるはずがありません。そんな単純なことを、逆説的にとはいえ「終焉」というような大仰な言葉を使わなければならない、というところに私は現在の美術批評の病理を感じてしまいます。北野はそのダントーの論を「かなりアクロバティックではあるものの、問われつづけうるものとしてその問いは組み立て直されうる」と解釈しているのですから、芸術はこの後も論じ続けられるのだということなのでしょう。
さて、いきなり話が「芸術の終焉」論になってしまいましたが、現代美術批評の流れを大雑把にとらえておきましょう。
このダントーの前には、フォーマリズム批評と言われたアメリカの大評論家クレメント・グリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 - 1994)がいました。彼は絵画形式というのものを追究し、画面の平面性を強調することでモダニズム芸術を牽引し、現代絵画の中心をアメリカに据えることに成功したのでした。
しかし、そのフォーマリズム批評に対し、ポスト・モダニズムの大きな潮流の中でグリーンバーグを批判したのが、かつてはグリーンバーグと師弟関係にあったロザリンド・クラウス(Rosalind E. Krauss, 1940 - )でした。彼女と仲間たちが活躍したのが『オクトーバー』という雑誌で、私も彼女の翻訳された本についてならば何回か、ここに書いています。
https://blog.ap.teacup.com/tairanahukami/6.html
https://blog.ap.teacup.com/tairanahukami/112.html
https://blog.ap.teacup.com/tairanahukami/146.html
私のロザリンド・クラウスへの理解は、もちろん十分ではありませんが、それでもグリーンバーグの「フォーマリズム批評」対クラウスの「アンフォルム」という、相対する批評の関係についてならば、これらのblogを読んでいただけると何となくわかると思います。
ダントーの「芸術の終焉」論もモダニズム美術の行き詰まり感のなかから生まれたものですから、クラウスらの『オクトーバー』と多少前後しながら、同時代的に現れたのではないでしょうか。
そしてもう一つの動向として、これらと同じ頃に『クリティカル・インクワイアリー』という雑誌が人文学に大きな影響を与えたことについて、北野は言及しています。その部分を見てみましょう。
ダントーはもとより、クラウスら『オクトーバー』周辺だけではなく、芸術作品なるものの対象の捉え方をめぐる問いのこんがらがりは、より大きな言説空間のなかで共振を生んでいた。本章では、そのなかの、もうひとつの知的ブロックに注目する。もしかすると『オクトーバー』と同じくらい、いやそれよりも強い磁力をもつジャーナル『クリティカル・インクワイアリー(Critical Inquiry)』(以下『CI』)の周辺である。『CI』は、北米wを越えて広義の人文学と思想研究と批評におけるトレンド・セッターの役割を担いつづけてきたが、日本においてこのジャーナルについていささか紹介と摂取が遅れていると感じているのは筆者だけだろうか。『オクトーバー』がかつて『批評空間』などを中心に紹介され、相対的にいって馴染まれていることと比べれば、残念であるとしかいいようがない。そういう事情もあるので、そのあらましをまずみておこう。
1974年に創刊されたこのジャーナルは当初より、文学評論家の碩学ケネス・バークや美術史の大御所E・H・ゴンブリッチなどを助言メンバーに抱え、人文諸科学の各分野を横断するテーマや争点を提起し活動を開始した。70年代末に、編集委員長が現在のW・T・ミッチェルになるとともにいっきに、ダイナミックに異なる分野の研究者が交差するフォーラムとしての立ち位置を確立していく。数々の批評的アジェンダを幅広く世に問う回路となっていき、知的世界をリードする論客が同時代に投げかける尖鋭的な論稿を発表する媒体ともなっていく。フレデリック・ジェイムソンがいくつかの重要な論考を発表したのも、エドワード・サイードがアメリカにおいて健筆をふるったのもこの誌面であるー2005年春には、サイードの死を追悼する小特集が、古くから友人であったミッチェルとポストコロニアル研究の泰斗ホミ・バーバの共同編集により組まれている。華々しく登場したスラヴォイ・ジジェクも、このジャーナルで精力的に問題提起を展開しているし、当初からジャック・デリダが書く文章をその活動の先端において訳出し続けていたのも、同誌だ。いわゆる現代思想系の論者たちばかりではない。分析哲学や、文学研究、地域研究など各分野で指導的役割を演じる研究者も論議を呼ぶ論文を寄稿してきた。
(『ポスト・アートセオリーズ』「Ⅰ理論 3 ポストセオリーという視座」北野圭介)
なんだかとてもすごい雑誌のようですが、日本ではカタカナで「クリティカル・インクワイアリー」と検索しても、思ったような記事が見当たりません。英語で探すと、ここに書かれているような解説に当たります。北野が言うように、それだけ日本での紹介が遅れているということでしょう。
そして、このような思想誌がアメリカではどのような位置にあるのか、私に知る由もありません。日本にもいくつかの思想誌があり、時にはそれなりの評判になることがあります。しかし、やはりそれは一部の知識人層にのみに親しいものでしょう。私だって余程の評判になるような特集でも組まれていない限り、それらの雑誌を手に取ることはありません。
それはともかく、『CI』の編集委員長、ミッチェル(
William John Thomas Mitchell 、1942 - )という人の名前を憶えておいてください。そしてこの後の「ポストセオリー」の具体的な状況について、次の分析を読んでみてください。
新種のデジタル・メディアが次々と現れ、国境を越えて、人間を取り囲むコミュニケーション環境が多彩に推移(変移)しているようなこんにちにあって、はるか頭上で諸事態を裁断できる解釈の視点はもはや不可能だろう。すでにみたように、かつてにあってはポストモダン社会思想の筆頭ボードリヤールが、サイバネティックスにも言及しながらコミュニケーションの根源的な変容の帰趨を説きつつ、西洋的信仰の辿り着く先というフレームから死やらカタストロフィやらを持ち出し論じていた。だがデジタル技術の力能に畏怖しつつ、それは西洋的圏域の拡大という仕方でしかスケッチされていなかったのだ大域化が必然的にともなうのは、西洋が西洋の外に出ていくことにほかならない。そればかりでない。コミュニケーション自体が、すでに資本の運動にぴったりと連結し、国境を越えていくのだ。コンファレンスのあとになるとはいえ、ウェブ・システムが生んだソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)の普及により、他者を応援する「いいね」という意思表示がいまや、プラットフォーマー企業においてはビッグデータを増やす労働として回収されることにまでなっていっただろう。
こうした推移を視野に収めながらミッチェルは、メディア論こそが来るべき理論、来るべき哲学の行方を担っているとまで断言する。メディアというものは、思考を隅々にいたるまで変異させるからだ。わたしたちの生活世界を、さらには間主観性の地平を、である。そんな事態にあっては、理論化という作業は、ひととひとの間の一種の媒介プロセスとなるといえるだろう。あえていえば、前世紀後半からメディアに関する哲学的考察の必要性を唱える論は巷に溢れているが、ここでいわれているのはそのような類のものではない。哲学の問いそのものがいまや、メディアについての考察を根底に組み入れないわけにはいかないのだ。
(『ポスト・アートセオリーズ』「Ⅰ理論 3 ポストセオリーという視座」北野圭介)
ジャン・ボードリヤール(Jean Baudrillard、1929 - 2007)という懐かしい名前が出てきました。私たちぐらいの世代だと、ボードリヤールが2001年の「アメリカ同時多発テロ事件」から「湾岸戦争」までを論じて話題になったことを憶えている方も多いと思います。そして彼が「湾岸戦争は起こらなかった」と言った時に、テレビで花火にように飛び交う湾岸戦争のミサイルの映像を見ながら、その中で多くの人たちが血を流して死んでいるという実感を失いつつある自分の意識を言い当てられたような気がして、苦い思いをした方もいると思います。私もそんな人間の一人でした。また、映画『マトリックス』がボードリヤールの『シミュラークルとシミュレーション』という本に影響されて作られたことも有名な話です。
このように「SNS」や「仮想現実」といったことが、現実社会や思想の世界でどんどん影響を広げているわけですが、『CI』のミッチェルという人は、それを肯定的に取り上げようとしていたわけではないようです。
とはいえ、ミッチェルはあれもメディアこれもメディアと騒ぎ立てる体ではなかったことに留意しておいてよい。わたしたちは、芸術の領域を越えて、自分が向き合う世界のなかで、モノそしてメディウムをめぐる輪郭が、あたかも迷路に入ったかのように溶け出していくのを目撃している。ミッチェルの総括は、そうした事態にいかに理論は向き合うことができるかという問いかけそのものを描き出そうとしている。
(『ポスト・アートセオリーズ』「Ⅰ理論 3 ポストセオリーという視座」北野圭介)
ここまで読んできて、やっとモダニズム、ポストモダニズム、ポストモダニズムのさらにそのあと(ポストセオリー?)というふうに宙を飛ぶような話が、やっと私たちの地平に降りてきたように思います。
「芸術の領域を越えて、自分が向き合う世界のなかで、モノそしてメディウムをめぐる輪郭が、あたかも迷路に入ったかのように溶け出していくのを目撃している」という一節は、まさに私たちが直面している困難でもあります。
例えば卑近な話で、美術作品の発表方法について考えてみましょう。私ぐらいの年代になると、美術館や画廊という場所で、公募展や個展などの形式で作品を発表することがあたりまえのように考えていますが、今の若い方たちからすると、インターネットで世界中に作品を配信できる状況なのに、たかだか数十人、数百人の人たちに作品を見てもらう旧来のやり方で本当にいいの?という疑問を持たざるを得ないのかもしれません。そもそも、いまだに絵画や彫刻といった「モノ」で美術表現をすることにこだわらなくてもいいじゃない、と考える方も多いと思います。それはその通りで、もちろん、映像や仮想空間といったものが表現手段であっても一向にかまわないわけです。北野がいうように「モノそしてメディウムをめぐる輪郭が、あたかも迷路に入ったかのように溶け出していく」ような状況だとしたら、美術の表現方法や発表のやり方についても、どこにも正解はないのです。
そんな状況を踏まえた上で、少し戻って北野圭介がロザリンド・クラウスの動向について語っている部分を読んでみると、とても興味深いのです。その部分を読んでみましょう。
モダニズムの美学はすでにみたように、諸芸術それぞれの物質的な手段にメディウムという名を与え、その語り方の核に据えていたわけだが、クラウスは、ポストモダニズムへの批判的なまなざしを研ぎ澄ますなかでふたたび立ち返っていたのだ。いや、芸術作品の要件の問いと決定的に連動するメディウムをめぐる問いは、この十年、クラウス自身が試行錯誤を繰り返すかのように格闘している問題系だったといっていい。早くも1977年にクラウスは、ポストモダニズム美学からこぼれ落ちる、モノを機械的にトレースするなかで(つまりは人間的な意味作用を担う記号ではない)生起する「痕跡」という現象に着目する論文「インデックスについて」を発表しているが、それ以来、写真をめぐる数々の論考において、彼女の論立てのうねるような練り上げは、現代芸術に絡みつくメディウム/メディアをめぐる問いの困難を見事に指し示している。端的には、写真なるものは、メディアとはなにかという理論的問いが貼りつく特異なカテゴリーであるとまでいうだろう。
2010年、クラウスは、メディウムに関してよりいっそうラディカルな論を世に投げかける。メディア・テクノロジーの爆発的展開ーそれは、おそらくは各種デバイスの盛衰という質的展開と、生活世界全体にわたる浸透という量的展開を併せもつーが、メディウムそのものをめぐる本質的な考察をなかば無用にしはじめているという判断を前景化した、いわゆる「ポストメディウム」論を打ち出すのである。にもかかわらず、なのだ。その八年後、クラウスは、再度、その批評的立場を転換することになる。イタリアで開催されたコンファレンスでの講演で、彼女は、自分はポストメディウムの時代だと謳っていたが、メディウムについて改めて真摯に論じなければならないようになったといいはじめたのである。同時代への批判的介入をつねに戦略として折り込むクラウスは、ドナルド・トランプの台頭はまさにSNSというメディアを介してであり、SNSというメディアがかくも大きな効力をもつにいたっているという事実をわたしたちは真正面から受けとめねばならないと論じ、映画『スターウォーズ 帝国の逆襲』に倣って「メディウムの逆襲(Medium Strikes Back)」というタイトルをその講演に付すのであるーYouTubeで視聴することができる。
(『ポスト・アートセオリーズ』「Ⅰ理論 2 ポストモダニズムとはどのようなものであったのか」北野圭介)
とてもややこしい話です。それに私にはクラウスの講演を視聴したところで、何を言っているのかわかるはずもありません。これを読む限り、クラウスという批評家がずいぶんを変節を重ねているように見えますが、この後の文章で北野は、そうではない、と書いています。
「芸術とは何か」という問い自体が右往左往する状況下で「アカデミズムは独りよがりになりがち」であり、うかうかすると「商品プロモーションのツールに成り下がりつつさえあるだろう」と北野は書いています。しかしその中にあって、クラウスはキッパリと「芸術は商品ではない」と言ったのだそうです。仮にクラウスの芸術理論が揺れ動くことがあったとしても、その一言を聞くことができれば、彼女のことを信頼できるような気がします。売れている商品を後追いするような日本の美術ジャーナリズムを見ていると、多少の論理の揺れなどは真摯に芸術と向き合っている証拠ではないか、などと思ってしまいます。しかし、内容もよくわからずに無責任なことを書いてはいけません。クラウスの写真を論じた文章など、私が最も苦手な分野ではありますが、北野のガイドを参考にしながら、読み直してみなければなりません。とくに「メディウムについて改めて真摯に論じなければならないようになった」というところが、とても気になります。実際に絵画を制作している身からすると、具体的に手に触れることができる「メディウム」が真摯な問題であることは当然ですが、最先端の理論がぐるっと回帰してそこに立ち戻っているのだとしたら、とても興味深い話です。
さて、ちょっと話が込み入っていて、長くなってしまいました。
この北野圭介という人ですが、そもそも映画・映像理論を本業とする研究者のようで、「あとがき」には、「まさか、自分がたとえ変化球であれ、芸術についての本を出すなどとは思いもよらなかった」と書いています。だから具体的な批評の文章は、私の興味とずれるところもあるのですが、とりあえず、もう少しこの本を読み込んでみることにします。このような宙を飛び交うようなメディア論についていける自信はないのですが、知らないままでいるわけにもいかないようです。
それに最後に見たように、世界は単純に新しいメデイアへと飛躍していくばかりでもないようですから、私にも何か意見をさしはさむ余地があるかもしれません。それに思いもよらないコロナウィルスの影響で、世界が少し立ち止まる様相もあって、それはこのウィルス禍の数少ない良い面なのかもしれません。とはいえ、これ以上の災いは勘弁してほしいものです。
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