はじめに、日本のミュージシャンの訃報を二件、取り上げます。
ギタリスト、シンガーソングライターで、日本におけるフィンガーピッカー(ピックではなくて、指でギターを弾く人)の草分けと言われる中川 イサト(1947 - 2022)さんが少し前に亡くなりました。
https://tower.jp/article/news/2022/04/08/tg009
タワー・レコードの追悼記事を見ると、押尾コータローとか高田蓮など錚々たる人たちが追悼文を寄せていますね。私が高校生の頃にギターをかじった時に、いろいろな教則本やレコードを探していて、中川イサトに辿り着きました。
アメリカのカントリーやブルースのギタリストと比べると、日本人らしい繊細さと日本的なメロディーを感じさせるのが、中川イサトのギターでした。自分なりに彼の曲をコピーしたり、ベースを練習するようになってからはベースラインを作ってみたりしましたが、その後、ジャズや民族音楽など、音楽を聴く領域を広げていく中で、いつしか中川イサトとは縁が遠くなってしまいました。今思えば、アメリカのルーツ・ミュージックを日本人としてどのように消化すべきなのか、後のポピュラー音楽に関わる人たちの誰もが悩んだ課題を、先駆的に追求した表現者だったのだと思います。
学生の頃に一生懸命練習した、『OPUS-1310(オーパス イサト)』の動画を見つけました。私はレコード通りに弾こうと思っていた曲ですが、イサト自身の演奏はどこまでも自由ですね。それに音がきれいです。私の若い友人が教えてくれたことですが、やっぱり音楽は音色が大事です。
そしてつい最近、シンガーソングライター、作曲家、ゴスペルシンガー、牧師でもあった小坂忠 (1948-2022)さんが亡くなってしまいました。
癌で闘病生活をしていたのは知っていましたが、だいぶ調子が良くなって、ライブ活動にも復帰していたので、もうしばらくは元気で音楽を続けてもらえるのかと思っていました。しかし、やはり癌は進行していたのですね。それでも、亡くなる前に音楽活動ができていたのは、ミュージシャンにとってはせめてもの幸いだったのではないでしょうか。
たぶん、あちらこちらで彼の追悼特集が組まれることだと思いますが、ここではまず、私の好きな曲、細野晴臣作の『ほうろう』を聴いていただければ、と思います。
このレコードを作ったときのメンバーが、とにかくすごいのです。細野晴臣が共同プロデューサーで、細野自身のベースをはじめとしたティン・パン・アレーのメンバー、林立夫、鈴木茂、松任谷正隆がバックを務め、松本隆、山下達郎、大貫妙子、吉田美奈子、矢野誠(矢野顕子の最初の夫でプロデューサー、キーボード・プレーヤー)などがサポートしているようです。いまやそれぞれの存在が大きくなってしまったので、こういう人たちが一同に集まることは不可能でしょう。
それからその当時の動画で、ティンパンアレーがバックを務めて、ボーカルの吉田美奈子と共演している『風来坊』の動画がありました。『ほうろう』の制作と同時期の、1970年代の半ばの映像のようですね。
私は小坂忠という人のことを、それほど知っているわけではありませんが、音楽に興味を持ち始めた頃に、小坂忠が女性タレントと一緒にテレビで音楽番組の司会をやっていたことを憶えています。どういう人なのだろう、と当時は疑問に思ったものですが、まさかこんなにすごい歌手だったとは、思ってもいませんでした。それがわかったのが、5年後ぐらいでしょうか。
振り返ってみると、1970年代は洋楽のロックがやっと広く聴かれるようになった時期でした。その頃に日本人の歌手がソウルフルなボーカルを聴かせても、一般的には受け入れる余地がなかったのだと思います。山下達郎が『RIDE ON TIME』で、ただのシティ・ポップとはひと味違ったグルーブ感でポピュラーな存在になったのが、1980年になってからです。今でこそ、ソウルやゴスペル、ブルースなどのルーツ・ミュージックを意識する人が増えてきましたが、その頃はまだそれほど多くはなかったと思います。
彼らが亡くなったのは残念ですが、私自身が老境に足を踏み入れていますから、私の子供時代のヒーローだった人たちが亡くなっていくのは仕方ないことなのかもしれません。とはいえ、海外の有名人が亡くなるのとは違って、もう少し身近に感じられていた人たちがいなくなってしまうのは寂しいものです。
そして、こんなにも一人の人の死が重たく感じられるのに、ウクライナでは毎日のように多くの人たちが虚しく亡くなっているのだと思うと、なんとも言いようのない気持ちになります。ニュースを聞くのも辛い日々が続きますが、この悲惨な事実については冷静に受け止める必要があります。
この機会に日本の自衛を、憲法を一気に変えてしまおう、という大きな声も聞こえますが、まずは落ち着きませんか?議論をすることは悪いことではありませんが、私たち自身が取り返しのつかないことをしてしまう前に、じっくりと考える必要があります。ものごとを単純化せず、複雑なままに世界を見て、その解像度を高めよう、というのが今回の話題です。武力には武力を!という理屈はとても分りやすいのですが、そのことによって失われてしまうことも考えなくてはなりません。今回のblogの話題は、そんなふうに応用して考えることが可能なものです。若くて頭の切れる哲学者の著作から、頭の悪い私がその趣旨を美術に置き換えてみよう、という試みの始まりですが、皆さんにとってものごとをいろんなふうに考えることの始まりになればうれしいです。
さて、ということで、今回は哲学者の千葉雅也さんが書いた『現代思想入門』という本を参照しつつ、その考え方を手がかりにして現代美術の思想をチェックしてみよう、という試みの第一歩です。
なぜ、そんなことをするのでしょうか?それは、この『現代思想入門』がそのような作り方になっているからです。この本の中の本文に入る前の、次の文章を読んでみてください。
では、今なぜ現代思想を学ぶのか。
どんなメリットがあるのか?
現代思想を学ぶと、複雑なことを単純化しないで考えられるようになります。単純化できない現実の難しさを、以前より「高い解像度」で捉えられるようになるでしょう。
(『現代思想入門』「はじめに 今なぜ現代思想か」千葉雅也)
これだけを読むと、何だかあたりまえのことを言っているだけじゃないか、という気がします。しかし、そうでしょうか?この短い文章の中には、とても重要なことが書かれています。それは「複雑なことを単純化しないで考える」ということです。千葉さん自身がその後の部分で書いているのですが、現代思想は「複雑なことを単純化する」ことに意味があったんじゃないか、と考える人が、実は多いのではないかと思います。なぜなら、複雑な現実は、しばしば混濁して見えることが多く、何か新しいアクションを起こすには、その複雑さをクリアーにして、つまり単純化して考えてみることがとても重要だからです。クリアーで単純化されたものは、いろいろな場面で応用が効きやすいですし、また分りやすくて説得力があります。だから現代思想、つまりモダニズムの思想は現実の要素を還元して単純化することによって、力を発揮したのです。そのことに対して、「複雑なことを単純化しないで考える」というのは、ある意味では逆行する態度の表明でもあります。
この本のくわしい議論に入るのは次回以降の宿題として、まずは千葉さんの打ち出したこの態度表明について考えてみましょう。この流れに沿って、早速、現代美術の思想をチェックすることから始めてみましょう。
例えば、現代美術の代表的な絵画理論を検討します。このblogで何度も引用している、現代美術の評論家クレメント・グリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 - 1994)の主論文、『モダニズムの絵画』を見てみましょう。
しかしながら、モダニズムのもとで絵画芸術が自らを批判し限定づけていった過程で、最も基本的なものとして残ったのは、支持体の不可避の平面性を強調することであった。平面性だけが、その芸術にとって独自のものであり独占的なものだったのである。支持体の囲み込む形態は、演劇という芸術と分かち持つような制限的条件もしくは基準であった。また色彩は、演劇と分かち持っているのと同じくらいに、彫刻とも分かち持っている基準もしくは手段であった。平面性、二次元性は、絵画が他の芸術と分かち持っていない唯一の条件であったので、それゆえモダニズムの絵画は、他には何もしなかったと言えるほど平面性へと向かって行ったのである。
(『モダニズムの絵画』グリーンバーグ著、川田都樹子・藤枝晃雄訳)
この最後の部分「モダニズムの絵画は、他には何もしなかったと言えるほど平面性へと向かって行った」というのは、衝撃的な文章でした。この現代絵画の方向性を、「平面性へと向かう」という単純な動きへと示唆した一言が、その後のモダニズムの絵画を決定づけたのです。モダニズムの絵画はよりクリアーで完璧な平面性へ、つまりミニマル・アートの絵画へと進んでいったのです。
ところが実は、この論文の後の部分で、グリーンバーグは「モダニズムの芸術の原理を大筋で示すにあたって、単純化したり誇張したりしなければならなかったことをご理解いただきたい」と書いています。そして「モダニズムの絵画が自らをその方向へと向かわせた平面性とは、決して全くの平面になることではあり得ない」ということも書いているのです。これは、さすがに「平面性」を追求すればいい、と読めてしまう自分の発言に対して、若干の留保を与えるものだと思います。しかし、先ほどの引用部分を読んだ当時(1960年)の人たちにとっては、そんな言い訳は吹き飛んでしまったに違いありません。どんな留保をつけたとしても、グリーンバーグが「モダニズムの絵画」の原理を示すにあたって「平面性へと向かった」という単純な表現を用いたこと、つまり単純化が必要であったと認識していたことは間違いないでしょう。
この『モダニズムの絵画』というグリーンバーグの論文には、混濁した現実から一歩抜け出して、クリアーで単純な真実をつきとめようとするモダニズム思想の原理が働いているのです。繰り返しになりますが、混濁して曖昧な現実からは何も生み出すことができませんが、そこからクリアーで単純な真実が見出せれば、その真実は単純であるだけにいろいろなことで応用できます。科学実験などは、まさにその積み重ねによって人間にとって利便性の高い技術を生み出してきたのです。芸術作品もクリアーで単純化された真実をつかむことで、モダニズム的な発展を目指し、そしてある程度の成果を上げました。
しかし、それは本当に良い方向性だったのでしょうか?
ここでグリーンバーグの批評の助言により、モダニズム絵画に新たな地平を開拓して大きな成果をあげた、画家のジャクソン・ポロック(Jackson Pollock、1912 - 1956)のことを考えてみましょう。ポロックがグリーンバーグと二人三脚で素晴らしい作品を制作したことは誰もが認めるところです。しかし考えてみると、ポロックの作品は決して単純なものではありません。その証拠に、具体的にグリーンバーグが書いたポロックの作品評は、画面が平面化されていればよいというようなものではありませんでした。グリーンバーグの『「アメリカ型」絵画』の中の、ポロックに関する記述を見てみましょう。
ポロックは成熟期に入った時、堅固なイーゼル画家であったと同時に、大変な後期キュビストであった。彼が最初に発表した幾つかの絵画ー暗い燃えるような色彩で描かれ、像の断片があるーは、その手段よりはそれが見せる気質の激しさによって人々を驚かせた。ポロックはピカソ、ミロ、シケイロス、オロスコ、ホフマンからヒントを寄せ集めて、暗示的で全く独創的なバロック的形体の語彙を生み出したのであり、それによってキュビスムの空間を捻じ曲げて、彼特有の熱情をもってこれにものを語らせた。1946年まで彼は紛うかたなくキュビスムの枠組みの中に留まっていたが、しかし彼の初期の芸術の偉大さは成功の証拠となっている。その成功によって彼は自己の芸術を展開させることができたのだった。『雌狼』(1943)や『トーテムⅠ』(1944)のような絵画はピカソ的な観念を取り上げており、ピカソ自身それらの文脈では思いもしなかったほど雄弁に強調してそれらにものを語らせている。ポロックは色彩で築き上げることはできないが、明暗対比を鳴り響かせる無比の才能を持っており、また同時に、絵具を撒き散らしたり汲み出した表面を単一の総観的なイメージとして主張するその能力においては比べるものがない。
(『「アメリカ型」絵画』グリーンバーグ著 大島徹也訳)
ちなみに『トーテムⅠ』は素晴らしい作品です。日本でポロック展が開催されたとき、この作品も来日しましたが、私の感触ではポロックの最盛期のドリッピング絵画を遥かに凌駕した作品でした。この感触は、図録の写真ではなかなか分りません。いずれ、深く考えてみたい作品です。
話を戻すと、このようにグリーンバーグのポロックへの評価は、絵画の「平面化」という単純なことではないことがお分りいただけたと思います。グリーンバーグは、自らが突き進めたモダニズム絵画の思想と、実際の作品の前で感動する目利きの批評家としての自己との間で、矛盾が生じているようにも思えます。
そしてさらに考えてみると、グリーンバーグは「モダニズムの絵画は、他には何もしなかったと言えるほど平面性へと向かって行った」と言っていますが、それはモダニズムの絵画のある一面だけを捉えた、極端に単純化された見方だと思います。この点においてグリーンバーグは、現実のモダニズムの絵画を見誤っていたと思います。この時にグリーンバーグがモダニズム絵画として想定したであろう画家は、例えばピカソ(Pablo Picasso, 1881 - 1973)やマティス(Henri Matisse, 1869 - 1954)などの巨匠でしょう。しかし彼らは、絵画が平面化されていれば良い、というような絵を描いたわけではありません。ましてや、彼らに大きな影響を与えたセザンヌ(Paul Cézanne, 1839 - 1906)に至っては、その絵画の特徴が形体の単純化や平面性にあるとするのは、完全な誤解です。この点について、グリーンバーグはセザンヌの芸術をまったく見誤っています。次のグリーンバーグの論文『セザンヌ』の一部をお読みください。
実際の問題は、自然に従ってプッサンをいかにやり直すかではなく、ープッサンがなしたよりも注意深く明確にー奥行の中にあるイリュージョンのあらゆる部分を、いっそう優れた絵の権能を授けられている表面の効果に強固に結びつけること、彫塑性と装飾性の統合ーこれが、本人がそう言おうが言うまいが、セザンヌの真の目的だった。そして、この点でロジャー・フライのような批評家は彼を正しく理解していた。しかし、またこの点で、彼が述べた理論は彼の実践とは大いに矛盾していた。私の知る限り、記録に残っているセザンヌの所見で装飾的要因について彼が関心を示したことは一度もない。ただし、例外として彼の好きな古大家の二人、リューベンスとヴェロネーゼに「装飾的な大家」として言及しているーそしてその言葉は不用意なものと思われるので、かえって啓示的なのである。
(『セザンヌ』グリーンバーグ著 川田都樹子訳)
いかがでしょうか。今の時代に冷静になって読むと、かなり強引な結論だと言わざるを得ません。私は絵画における装飾性を否定するものではありませんし、むしろ視覚芸術である以上、何らかの装飾性をいずれの絵画も持っていると思います。セザンヌの作品では、特に中期の端正に仕上げられた作品において、装飾的と言っていいような平面的な美しさがあることも否定しません。しかし、セザンヌの芸術は「彫塑性と装飾性の統合」などという単純な言葉で言い表すことができるものではありません。グリーンバーグ自身が、セザンヌが残した言葉の中でセザンヌ自らが「装飾的要因」について語ったことはない、と認めています。それにもかかわらずグリーンバーグは、セザンヌが自分の愛好した画家たちのことを「装飾的大家」と言ったことは、不用意な発言であるだけに重要で見逃せない、と無理な解釈で上塗りしています。なるほど、評論家はこういうふうにして持論を押し通すものなのだな、と参考になりますが、やはりこれには無理があります。
セザンヌの絵画に関しては、少し理論的な話から飛びますが、先日私が、ある尊敬する画家の個展を訪れた際に、その画家が私に話してくれたことをここで紹介しておきます。その画家は、何年か前にエクスアン・プロヴァンスのセザンヌのアトリエを見に行ったそうなのですが、その時の不思議な体験について話してくれました。アトリエの前にはサント・ヴィクトワール山の眺望がひらけていて、その風景に感銘を受けたというのです。なぜなら、そのサント・ヴィクトワール山を取り囲む大気そのものが、セザンヌの描いたサント・ヴィクトワール山の絵の中に込められていると感じたからだそうです。その画家が、なぜ山の眺望のことを「大気そのもの」という分りにくい言い方をしたのでしょうか?それは、その画家がサント・ヴィクトワール山を見た時に、まるで皮膚の表面から山の眺望を感受したような、そんな感覚を持ったからだそうです。皮膚から感受できるものといえば、大気の温度、湿度、太陽の熱気や風の強度などだと思いますが、それも含めた山の全体像がいっぺんにその画家の感覚に訪れたのです。
絵画というのは視覚的な表現ですが、セザンヌの絵画を見ると、セザンヌが視覚だけでは感受できない、五感から得られる何かを独自の方法論で絵画に表現したのではないか、と私は常々考えていました。その画家も、セザンヌのアトリエで同じような感想を持ったそうです。そんなわけで、私はセザンヌのアトリエを訪れたことがありませんが、その画家の言葉に大いに納得し、教えられることがありました。そしていつか、そのセザンヌ独自の方法論について解き明かさなくてはなりませんが、そのためにはモダニズム絵画の単純化された理論を、どこかで乗り越えなくてはなりません。そうでなければ、私に貴重な話を聞かせてくれた画家の体験を論理的に説明することなどできないのです。五感に対して開かれたセザンヌの絵画が、私たちに教えてくれることを何一つ見逃さないことが大切です。千葉流に言えば、そのために私たちはセザンヌの絵を「高い解像度」で捉えなければならないのです。
さて、今回の話を少しまとめてみましょう。
このグリーンバーグの理論に象徴されるように、モダニズムの美術論はものごとを単純化し、クリアーにすることで発展してきた面があります。そして多くの作品が、その理論に乗っ取って制作され、評価されてきました。それはすでに為されたことでありますし、私はその成果を否定するつもりもありません。そしてグリーンバーグの論文にしても、それが書かれた時点では大きな意味を持っていたと思います。
しかし、それから半世紀以上が過ぎようとしている今、私たちはそこに留まっているわけにはいきません。そして、このblogでこれも何回か書いてきたことですが、モダニズム美術が行き詰まっているように見えるからといって、それまで積み上げてきた作品や理論がどうでもいいものになったわけではありませんし、ましてや商業主義に毒された刹那的な作品ばかりが幅を利かせていいわけがありません。
私たちに必要なのは、「単純化できない現実の難しさを、以前より「高い解像度」で捉えられるようになる」ことです。そのことによって、私たちは現代美術の中でまだまだできることがあります。実は、そのことを踏まえて制作しているのではないか、と思えるような作家たちの作品を、このblogでも数多く紹介してきました。そして私自身が、こうして言葉を使って美術について論じている以上、モダニズムの美術論を更新するような理論的な手がかりが必要だと痛感しています。
この千葉雅也さんの『現代思想入門』は、思想の世界におけるモダニズム理論の更新を、分りやすく解説したものです。そしてその更新が、広く応用されることを望んで書かれたものだと思います。例えば私のように、美術のことしか頭にないような教養不足の人間にとって、このように分りやすく書かれた思想の更新方法を美術に置き換えてみるということが、この本の正しい扱い方であるように思うのです。
とはいえ、まだこの『現代思想入門』の「はじめに」の一部を読んだところです。主にフランスの現代思想を題材に書かれたこの本を、本格的に使いこなして応用するのには少々時間がかかりそうです。折に触れてこの試みを継続していこうと思いますので、どうか辛抱強くお付き合いください。
そんな私ですが、一つだけ自慢できることを書いておきましょう。たぶん、千葉雅也著『現代思想入門』を美術理論に応用して、その理論の更新に努める、などということを企てているのは、世界中で私だけではないでしょうか?