今回も前回から引き続き、若いころに読んだ本について書いてみたいと思います。今回の本はロラン・バルト(Roland Barthes、1915 - 1980)の『零度の文学(エクリチュール)』です。
もしもロラン・バルトという、とても魅力的な批評家について知りたい方がいらっしゃったら、4年ほど前に中公新書から『ロラン・バルト 言葉を愛し恐れつづけた批評家』(石川美子)という本が出ているので、これがオススメです。手ごろな分量で、バルトの思想と生涯について大まかに知ることができます。
さて、この『零度の文学』ですが、原題が『Le Degré zéro de l'écriture』といいます。私が購入したのは1965年に現代思潮社から発行されたもので、翻訳は森本和夫です。この本はその後『零度のエクリチュール』というタイトルで発行されますが同じものです(だと思います)。1965年の当時では、エクリチュール(書き言葉)という言葉が一般的ではなかったため、「文学」という訳語をタイトルにしたそうです。
この本はバルトの出世作です。
本の中で若きバルトが依拠しているのが、「95.生きることの違和感と芸術について」でも紹介した、ソシュール(Ferdinand de Saussure、1857 - 1913)の言語学です。そして、これも以前に紹介したように、ソシュールは、語彙や文法などの社会に共有される言語上の約束事のことを「ラング」と言い、その「ラング」にのっとって言葉を発する個人の行為のことを「パロール」と言って、区別をしました。例えば、私たちは何か人に伝えたいことがある場合、日本語の語彙と文法の範疇(ラング)から、個人的に言いたい言葉を選んで発話(パロール)しているのです。
このソシュールのモデルに依拠して考えた場合、「ラング」の範疇で「パロール」を発している限り、人から人への意味の伝達は説明できても、作家がどのように創造的な文章を書き、新たな文学を作ることができるのか、ということは説明できません。決まりごとに従って文章を綴っているだけでは、新しいことは何も生まれないからです。
それでは、文学の創造性について説明するためには、ラングとパロール以外に、どのような概念が必要なのでしょうか?バルトはそこで「文体」という概念を持ち出します。
文体は、ほぼ彼方にある。イマージュや語調や語彙は、作家の体や過去から生まれて、徐々に彼の芸術の自動現象自体となる。かくて、文体の名のもとに、自給自足的な言語が形成されるのである。それが潜り込んでゆくところは、ただ著者の個人的な秘密の神話のなかなのであり、言葉と事物の最初の組み合わせが形づくられ、彼の人生のあらゆる大きな言語的主題が確乎として据えられるところの語りの脳下垂体のなかにほかならないのだ。その洗練がいかなるものであれ、文体には常に生(なま)なものがある。それは、目的なき形式であり、意図の所産ではなくて推力の所産であり、思想の孤独な垂直の次元のごときものである。
(『零度の文学』「文章とは何か」ロラン・バルト著 森本和夫訳)
バルトらしい色彩豊かな文章ですが、何だかわかりにくいですね。
彼は、ラングとパロールが徐々に一人の作家の中で熟成されていき、「言葉と事物の最初の組み合わせ」が生まれるのだ、と言っているのです。つまり「言葉」と「もの(概念)」が作家の頭の中で新たな組み合わせを産み、それがその作家特有の文体となって、新たな表現の文章が創造されるというわけです。
なるほど、創造的な営みというものは、言葉のきまりごとを超えたところにあるのだな、と納得しますが、バルトはさらに面倒なことを言いだします。
いかにも私はこんにち、あるなんらかの文章を自分に選び、その動作のなかにおいて私の自由を確認し、ある新鮮さあるいはある伝統を持つと自負することができる。けれども、徐々に他人の言葉、そしてさらには私自身の言葉の捕虜となることなしに、ある持続のなかでそれを発展させることは、もはやすでにできない。あらゆる先行の文章や、さらには私自身の文章の過去から来る執拗な反響が、私の言葉の現在の声を覆うのである。あらゆる書かれた痕跡は、最初は透明で無垢で中性であるが、単なる持続がそのなかに中断された過去の全体、次第に濃厚になる暗号通信の全体を出現させるところの化学元素のように、沈殿するのだ。
したがって<自由>としての文章は、一瞬間にしか存在しない。
(『零度の文学』「文章とは何か」ロラン・バルト著 森本和夫訳)
どうですか?面倒くさい奴だと思いませんか?
新しい文章を書いたとしても、それはすぐに手垢がつき、過去へと送られてしまい、無垢ではいられなくなってしまう、とバルトは言うのです。はじめは「新鮮」であったはずの言葉が、「徐々に他人の言葉、そしてさらには私自身の言葉の捕虜となる」、「過去から来る執拗な反響が、私の言葉の現在の声を覆う」、わかりやすく言えば、無垢であった言葉もすぐに習慣化し、マンネリ化してしまう、ということを言いたいのでしょう。そう言われればそうだけれども、それではどうしたらよいのでしょうか?
その答えを探る前に、これは何かの話に似ている、と思いませんか?
そう、これは考えてみると「96.柄谷行人『日本近代文学の起源』」で紹介した、若き日の浅田彰(1957 - )が示したモダニズムのモデルと同じことが語られているのです。この考えをつきつめていくと、いまこのときを生きていくためには、とにかく走り続けるしかない、ということになります。モダニズムの社会は走る続けること、つまりたゆまぬ発展を続けることによって、膨張し続けながら今日に至っています。いまさら発展を止めるわけにはいかないので、私たちは永遠に走り続けるしかありません。バルトが文学について言っているのも同じことです。私たちは無垢な言葉を紡ぎ続け、新たな表現を求めて走り続けるしかない、ということなのです。しかしその先にあるのは、いずれ死んでしまう表現(文章)のわずかばかりの延命、という袋小路でしかありません。それならば、どうしたらよいのでしょうか?浅田彰は、それならば「砂漠」へ出よ、と言っていました。でも、「砂漠」と比喩されたものは、現実の世界のどこにあるのでしょうか?あるいは、これもそのときに紹介したように、柄谷行人(1941 - )は、その論理の「外部」へと出る事を模索しました。そのために彼は、最新の現代思想からデカルト( René Descartes、1596 - 1650)まで遡るような長い思考の旅に出ました。そして彼は、いつしか芸術について語ることをやめてしまったのです。
さて、それではバルトは、このことについて何と答えたのでしょうか?
バルトは、この袋小路から逃れる方法として、「沈黙」という概念を提案します。
彼の解釈によれば、例えば19世紀フランス象徴派の詩人であるマラルメ(Stéphane Mallarmé, 1842 - 1898)がその「沈黙」を実践している、ということになります。それはどういう方法によって、実践されたのでしょうか?マラルメは『骰子一擲』(とうしいってき)という詩に見られるような、「印刷上の書字不能」な表現によって意味上の「空虚」を作り出し、過去からの言葉にとらわれない「沈黙」を作り出した、というのです。こんなことを言われても、よくわかりませんよね。
マラルメの詩を読んでいない方は、ぜひ図書館で彼の詩集を読んで(見て)ください。かつては『骰子一擲』という詩集が思潮社から廉価で出ていましたが、いまは古本で、けっこうな高値でしか買えないようです。この詩集は、ふつうに読んでも言葉の意味が分かりませんし、何よりも活字がいきなり大きくなったり、小さくなったり、空白のスペースがあったりして、面喰います。どう読んでいいのかも、わからないのです。19世紀の詩がこんなに過激なのか、とびっくりします。
※実物の本がご覧になれない方は、次の『松岡正剛の千夜千冊』というホームページの「ステファヌ・マラルメ 骰子一擲」(https://1000ya.isis.ne.jp/0966.html)の項目を参照してください。松岡正剛(1944 - )の解説とともに、『骰子一擲』の本のページの写真も見ることができます。
バルトはマラルメの詩に対し、「あらゆる可能な文脈に対して完全に無責任となる」と言っています。要するに、マラルメの詩がわからなくても、あまり気にすることはありません、ということでしょうか(?)。そこで肝心なことは、安易に解釈できない言葉に対して軽はずみに言葉を連ねないで、正直に戸惑いながら押し黙ること、つまりは「沈黙」するしかない、ということです。
しかし一方で、このようなマラルメの言葉へのアプローチについて、バルトは「<文学>なき世界への入り口へと導かれた<文学>」とも言っています。つまり、つねに新鮮で無垢であるような言葉は、意味が簡単にくみ取れない言葉であり、それは「文学なき世界」へと導く言葉だというのです。「文学なき世界」とは、すなわち「文学」そのものの「死」を意味するのではないでしょうか。
私には難しいことはわかりませんが、究極の文学として、このような形の「文学」が存在するのはよいとしても、これからの「文学」はこれしかない、と言われるとちょっと困るのではないでしょうか。この他に道はないのでしょうか?
バルトは「文学言語からの離脱の努力のなかには、もうひとつ別の解決もある」と言います。
その解決方法が、また意表を突いたものですが、それはまったく中性的な「ジャーナリストの文章」を綴ることだと言うのです。ジャーナリストの綴る文章、事実だけを叙述する中性的な文章、これが表現の「零度」にあたる文章であり、この「表現の零度」=「零度のエクリチュール」だけが、古典主義とかロマン主義などといった文学の「歴史」の重みから自由で、無垢な文章になりえるのだ、という理屈です。バルトの言うことを聞いてみましょう。
新しい中性の文章は、そのような叫びや裁きのいずれにも荷担することなく、それらの中間に位置する。それは、まさにそれらのものの不在によって作られるのである。けれども、この不在は全的なものであって、いかなる逃避をも、いかなる秘密をも含まない。したがって、これが通行不能な文章であるということはできない。これはむしろ、無垢な文章なのである。ここでは、生きた言語からも本来の意味での文学言語からも同様に隔たった一種の基底的言語体に依拠して、<文学>を乗り越えることが問題なのだ。カミュの『異邦人』によって創始されたこのような透明な語りは、ほとんど文体の理想的な不在である不在の文体を完成する。
(『零度の文学』「文章と沈黙」ロラン・バルト著 森本和夫訳)
バルトは、文学的な表現を含まない、つまりそれらが「不在」である文章こそが「無垢な文章」であり、その「零度のエクリチュール」こそが「<文学>の乗り越え」を可能にするだ、と言っています。
ここで例示されているカミュ(Albert Camus、1913 - 1960)の『異邦人』(1942)は不条理の小説として有名です。カミュはジャーナリストでもあったし、『異邦人』はある意味で無垢で正直であるからこそ、社会的には不条理な存在であった主人公を描いたものですから、この小説は中性的な文体と書き手、そして内容がマッチしていた作品なのだろうと思います。しかし、これはカミュのような特別な例にあてはまるものであって、誰もが、あるいはどんな小説でも「透明な語り」で文章を綴れるわけではないと思います。さらにカミュのことでいえば、彼は若くしてノーベル文学賞を受賞し、また若くして亡くなってしまったので、とてもカッコよく自分の思想やスタイル、生き方を貫くことができた稀有な人でしたが、こんな生き方を誰もができるわけではありません。
この「零度のエクリチュール」で綴られた文章は、マラルメの「文学」よりはわかりやすいとは言っても、これはこれで文学全体の解答として敷衍して考えるには、無理があるような気がします。
それでバルトは、その後どうしたのか、というと、文体論としてはこれ以上のことは言っていないのだろうと思います。バルトの文章をつぶさに当たったわけではないので、詳しいことはわかりませんが、彼はソシュールの言語学をさらに応用して、社会一般的な出来事やファッションまで、幅広く語ることのできる方法論を編み出して、主たる仕事をそちらの方へ移してしまいます。「神話」の研究が、その方法論にあたります。
ちょっと脱線しますが、バルトのその後の研究の成果のなかでも、日本をモチーフとした『表徴の帝国』(ちくま学芸文庫)という本が、なかなかの傑作です。日本の文化や風俗が、こんなふうに解釈できるのか、と感心したり、あきれたり、笑ってしまったり・・・、読み始めるとその連続です。
例えば、日本の料理の「天ぷら」は、西洋の「フライ」とはまったく異なるものである、とバルトは言います。「天ぷら」は「フライ」のような油の重たさがなく、衣の中はすきまだらけである、というあたりまでなら誰でも頷ける話なのですが、さらにバルトは言葉を重ねて、「天ぷら」を空気のようにとらえどころのないもの、透明なもの、無なるもの、言ってみれば「空虚な表徴」なのだ、というところまで行き着いてしまいます。さらに「天ぷら」が、料理人の独特の所作により、その儀式とでも言うべき行為や時間の全容を客に見せたうえで、白い紙の上にのせられて食卓に供される・・・、その一連の儀式は、客が賞味した時にすべてが完了し、意味を成すものとなる、と解釈するのです。これはもう、料理の解釈をはるかに超えてしまっています。たぶん、バルトは日本料理屋のカウンターで、揚げたての天ぷらを食べたのだろうと思いますが、その一連の食事の流れが、皿にのせられた料理を給仕が運んでくる洋食のサービスとはずいぶんと違ったものに見えたのだろうと思います。日本を「表徴の帝国」と見なして、その「神話」を半ば楽しみながら分析するバルトの叙述には、どこかに可笑しみがあって、読む人を楽しませます。
さらに可笑しさのついでに蛇足ですが、もしもあなたが『表徴の帝国』を読む機会がなかったとしても、ちくま学芸文庫の表紙の装丁写真だけでも見ていただきたいと思います。アマゾンで調べればすぐにわかりますが、それは『宝誌和尚像』という有名な木彫像の写真です。その像は、表面の顔が裂けて中身が見えているのですが、その裂け目から見えているのが、下に隠されていた(?)新たな顔なのです。イタリアの美術家、ジュゼッペ・ペノーネ (Giuseppe Penone, 1947 - )の作品に、木材の中から細い木が現れるというシリーズがありますが、もしかしたらそれ以上のインパクトがあるのかもしれません。この仏像はある意味では、バルトにとっての日本のイメージを象徴するものだと言えます。表面の中にまた表面があり、さらに中身をさぐってみると空虚でしかない、という存在のあり様が、「表徴の帝国」の姿なのです。バルトにとってはこれが重要で、表面の意味するものがつねに重厚な中身へと直結してしまうような、西洋の文化に見られる濃厚な関係性から自由であること、これこそが、彼が日本に見出したものなのだろう、と思います。
さて、話をもどしましょう。
この本を読んだ当時の私は、このバルトの出した解答、つまり中性的なジャーナリストの文章こそが「文学」の「乗り越え」であるという考え方が、美術の世界でいうと何に当たるのだろうか、と考えてしまいました。そして、「零度のエクリチュール」すなわち表現の「零度」と言えば、ミニマリズムの美術作品がそれに当たるのではないか、と連想したのです。
このミニマリズムの絵画は、美術評論家のグリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 - 1994)が提唱した絵画の平面性の強化の結果、生じたものだと解釈されています。しかしグリーンバーグは絵画の平面性ついて提唱したけれども、表現のミニマル(最小限)化について提唱したわけではありません。このミニマリズムの絵画における表現の「零度」について、結果的に表現が禁欲的になってミニマル=「零度」になった、ということはいろいろなところで言われていますが、「零度」にするべきだ、と唱えた人は、いなかったのかもしれません。そう考えると、奇妙な感じがしますね。ミニマリズムの絵画が衝撃的だったのは、その完全な平面性であると同時に、表現の禁欲性を極限にまで推し進めたことだったのですから、そのことについて文学におけるバルトのような主張をする人がいない、というのはどういうことでしょうか?
私が知っている限り、美術のミニマリズムにおける表現の「零度」について、その要因をある程度の説得力をもって探ったのは「92.2019年、夏。若い美術家の方へ。」でも取り上げた宮川淳(1933 – 1977)だけではないか、と思います。宮川はそこで、「アメリカ美術のプロテスタンティズム」が、つまりアメリカ美術が内に秘めた宗教的な精神性が、それまでの美術表現の「記憶」を完全に払拭しようとしたのだ、と分析しました。
さらにそのことについて、まだ若かった松浦寿夫(1954 - )が、はたして「記憶」は完全に払拭されたのだろうか、と疑問を投げかけたことも、「92.2019年、夏。若い美術家の方へ。」のなかで触れました。これはなかなかスリリングな評論上のやり取りだったと思います。こういうことが日本の美術評論のそこここで起こっていれば、美術の世界も活気に満ちていたことだろうと思いますが、現実にはなかなかそういうことは起こりませんでした。
もうすこし、このことについて書いておくと、私のせまい知見の中での話なので、不適切であればほんとうに申し訳ないのですが、私が若いころに読んだ思想や哲学の本の中で、美術評論はほとんどその視野に入ってきませんでした。宮川淳は例外的な存在で、彼はフランスの現代思想に関連する思想家として、一般的な思想書の中でもしっかりとした存在感がありました。しかし、バルトが文学について語って存在感を示したように、あるいは日本で言えば前回の「96.柄谷行人『日本近代文学の起源』」で柄谷が日本の近代文学について語りながら哲学や思想全体に影響を及ぼしたように、美術評論家が美術について語ったことが思想の世界全体の中で大きなうねりとなるようなことがあったのかどうか・・・。私は外国語が読めないので、海外のことはわからないのですが、少なくとも日本においてそのようなことはなかったのだと思います。その結果私は、例えばバルトの『零度のエクリチュール』を美術に置き換えて考えてみたように、文芸評論や哲学や思想の本を読んで、これが美術のことだったらどうなるのだろう、と空想してみることが多かったのです。
そのついでに、というわけではないのですが、文学に関する大仕事で、これが美術のことだったらどうなるのだろう、と当時考えさせられた本について書いておきたいと思います。それは吉本隆明(1924 – 2012)の『言語にとって美とは何か』という本です。
この本は言語を「指示表出」と「自己表出」という独特の概念に分けた上で、それを指針として万葉集から現代詩までの文学作品を語りつくす、というものです。この本は難解ですし、その内容について何かを言うほどの力は私にはないのですが、ひとつの尺度で古典から現代までの文学を論じてみる、ということは何とも壮大で魅力的な仕事だな、と感じました。『言語にとって美とは何か』についてはいろいろな批判もあるようですし、私自身も論理の指針となる「指示表出」と「自己表出」という概念についてわからない点があるのですが、それはともかく、評論と言えば「他人の作品を云々すること」ぐらいの認識しかなかった学生時代の私には、この本は本当に衝撃でした。たぶん、評論に対する不信感というのは私だけではなくて、当時(もしかしたら今も?)の美術家は誰しも少なからず持っていたのではないでしょうか。しかし、この『言語にとって美とは何か』という評論は、それが創造的な営みであることを私に教えてくれました。評論というものは、このように自分の判断の指針となるものを開陳し、そのうえで具体的な作品について論じるものであって、その評論も評論家にとっての作品なのだから、オープンに論じられるべきものなのだ、ということを私はこの本によって実感しました。吉本自身も、この本に誤謬があれば、それを客観的に指摘できるように書いたつもりだ、と書いています。
さて、それで『言語にとって美とは何か』を美術に置き換えてみると、どんな本が書けるのか、それは私にとってこれからの課題です。自分自身にそんな文章が書けるとは思えませんが、広く本を読んでそんな評論を見つけだしたいものです。前にこのblogでとりあげた「91.『抽象の力 近代芸術の解析』岡崎乾二郎 著」や、「88.持田季未子」の著作や、たびたび取り上げた藤枝晃雄の著作などは、こつこつと美術書に眼を通す中で見つけた良書ですし、きっと、私が知らないだけで、まだまだこういう本はたくさんあることでしょう。これからも、そういう本と出会い、ここで紹介していきたいものです。
最後に余談のような話ですけど、私は「天ぷら」の揚げ方も大切だと思いますが、やはり中身の素材も大切だと思います。それを「空虚」だと言ってしまっては、朝早くから市場に仕入れに行った板前さんに申し訳ないと思うのですが、いかがでしょうか?それでもバルトの評論の面白さは変わりませんが、その一方でバルトをはじめとする現代思想家の著書や評論を、客観的に振り返ってみる時期に来ているのかな、ということも感じます。若いころには神様のように思えた人たちですが、いつまでもそのままでは進歩がありません。バルトが見出した「空虚」の意味を考えつつ、でも「中身」も重要だ、という揺り返しも意識しながら、さらに客観的な視野を手に入れたい、と思うこの頃です。
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