前回のblog 92.「2019年、夏。若い美術家の方へ。」で、私の学生時代から社会人になった頃のことを書きました。その頃に読んだ本や聞いた音楽なども含めて、いささか取り散らかしたように書いてみたのですが、いかがだったでしょうか?そこで触れた「芸術の終焉」論について、基本的には引用した松浦寿夫さんの文章で整理されていると思うのですが、今回はもう少し、自分なりに調べてきちんと決着をつけておこうかな、と考えました。
それにはふたつの理由があります。
ひとつは、自分自身が長く拘泥されていた「芸術の終焉」という問題について、やはりその根本のところを自分自身でおさえておきたい、ということがあります。この目的は意外とあっさりと、達成することができました。その経過は、この後の文章を読んでいただければわかります。
もうひとつは、この「芸術の終焉」論には、哲学者のヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770 - 1831)がからんでいるということです。もちろん、ヘーゲル自身が現在の「芸術の終焉」論について何か言えるはずはないのですが、彼の有名な『美学講義』のなかで言われていることが、「芸術の終焉」論に影響しているというのです。この点についてはあとで触れますが、なぜヘーゲルのことが気になるのか、少し説明をしておきましょう。
ヘーゲルはドイツ観念論を代表する哲学者ですが、それよりも近代的な思想や哲学の根本を築いた人だという評価をよく聞きます。それだけに、私の学生時代、いわゆるポスト・モダンと言われた時代にはヘーゲルの評判が悪かったのです。例えば『構造と力』(1983)の中で浅田彰(1957 - )は、「ヘーゲルは、表象体系をスタティックな構造と考える」哲学者であり、「今やヘーゲルの弁証法を転倒させることが問題となる」というふうに書いています。目指すべきものは「スタティック(静的)な構造」の近代社会から逃れて、「サラサラと砂が舞い踊る広大な砂漠」へと脱出することなのだ、と若者らしい詩的な結論を書いてこの本は話題にもなりましたが、要するにヘーゲルは「転倒される」べき対象なのです。私は『構造と力』という本をちゃんと理解できたわけではないのですが、どうやらヘーゲルという人が近代の歴史的な発展を体系的にまとめ上げた人であり、人間は進歩するほど自由になる、という近代的な考え方のもとになった人である、ということを、かなり後になって大雑把に理解しました。しかし1980年代でさえ、近代社会の発展にはほころびは見えていましたから、もしもポスト・モダニズムの思想がその近代のほころびを正すものであるとするなら、ヘーゲルはまさに「転倒させる」べき標的であったのです。本当ならば、その理解が正しいのかどうか、自分でヘーゲルの本を読んでみるべきだったのですが、彼の著作は難解なうえにぶ厚い本が多く、結局、不勉強なままでこの年まできてしまいました。
ところがここにきて、ヘーゲルが書いた『美学講義』が、カント(Immanuel Kant、1724 - 1804)の『判断力批判』(※85.『カント 美と倫理のはざまで』熊野純彦 2018/07/01のblogを参照してください)に負けず劣らず、美学を知るうえで重要な本だということがわかってきました。いまさら自分の怠惰を嘆いても仕方がないのですが、何とかこの三巻(『美学講義』上・中・下)に及ぶ大著を攻略する手掛かりを探さなければなりません。先に書いたように、「芸術終焉」論を調べてみると、ヘーゲルの名前が出てくるばかりでなく、ヘーゲルの言葉と当時の状況が都合よく引用されています。『美学講義』の全体を読むことができなくても、少なくともこの事態を飲み込む程度には『美学講義』を理解しておきたい、と考えました。
結論から言うと、何とか目的を達成したつもりなのですが、如何せん、これがなかなか込み入った話なので、わかりやすく解説できたのかどうかわかりません。できれば、わかった、とか、わからなかった、とか、読んでくださった方々の感想を聞かせていただけるとありがたいです。
さて、本題に入る前に、最後にひとことだけ付け加えさせてください。前回のblogでも書いたように、私は「芸術の終焉」論を信用していませんし、「終焉」などということを受け入れてもいません。しかし、「芸術の終焉」論が広く流布された頃から、モダニズムの芸術が閉塞した状況にあったことは事実です。もしかしたら、それは時代の曲がり角にあたるものを示唆していたのかもしれません。いま「芸術の終焉」論に耳を傾けるなら、それが正しかったのかどうか、ということだけではなく、その意味するところを探り出して、今後の芸術の在り方について考える手掛かりとしなければなりません。
それでは、「芸術の終焉」論についての考察をはじめます。
前回のblogにも書いたように、「芸術の終焉」を唱えたのは、美術評論家のアーサー・コールマン・ダントー(Arthur Coleman Danto, 1924 - 2013)だと言われています。そのあたりの事情について、ダントー自身は次のように書いています。
ほぼ同時期に、しかし、お互いの思想をまったく知らずして、ドイツの美術史家ハンス・ベルティングと私は芸術の終焉に関するテクストを出版した。われわれはともにつぎのようなはっきりとした認識をもつにいたった。すなわち、たとえアートワールドの制度的複合体―ギャラリー、美術学校、定期刊行物、美術館、評論の体制、キュレーター―が、外見上は、比較的安定しているようにみえるとしても、視覚芸術を生みだす諸条件に、ある重大な歴史的転換が起こったということである。
(『芸術の終焉のあと』第1章 序論 アーサー・C・ダントー著 山田忠彦監訳)
ハンス・ベルティング(Hans Belting, 1935 - )はドイツ/スイスの美術史家だそうです。ここで言われている「同時期」というのは、1980年代半ばのことのようですが、「芸術の終焉」という刺激的なことばが使われている一方で、「視覚芸術を生みだす諸条件に、ある重大な歴史的転換が起こった」という慎重な言い回しがなされています。つまり「芸術の終焉」が「歴史的転換」という言葉に置き換えられてしまっているのです。そのことへの違和を感じつつ、先に進むことにしましょう。次のページで、ダントーはこのように書いています。
たまたま私自身のテクストが『芸術の死』というタイトルの本のなかで標的論文として収録されたとはいえ、われわれ二人はいずれも芸術の死についてかたっていたわけではなかった。あのタイトルは私の論文のタイトルではない。というのも、私は、芸術の歴史において客観的に実現されていたと私が考えたあるナラティブについて書いていたからである。そして、私が終焉へといたったと考えたのはこのナラティブであった。ひとつのストーリーがおわった。私の見解は、「死」という言葉がたしかに暗示していること、つまり芸術がもはや存在しないということではなかった。そうではなくて、ありうべき芸術がなんであれ、それがストーリーのなかでの適切なつぎの段階だと理解されることを保証するようなナラティブのたすけなくしても、その芸術はつくられるだろうということであった。終焉へといたったものはそのナラティブであり、そのナラティブの主題ではなかった。
(『芸術の終焉のあと』第1章 序論 アーサー・C・ダントー著 山田忠彦監訳)
ちなみに「ナラティブ(narrative)」とは、「物語」、「叙述すること」という意味です。ここでは、私たちが芸術について語るときに紡ぎだすストーリーや歴史的な解釈、というような意味になるのだと思います。「適切なつぎの段階だと理解されることを保証するようなナラティブのたすけなくしても、その芸術はつくられるだろう」とか、「終焉へといたったものはそのナラティブであり、そのナラティブの主題ではなかった」というふうに、いささかくどいほどにダントーは「ナラティブの主題=芸術そのもの」が終焉したわけではない、と言っています。終焉したのは、芸術の(ある種の)語り方であり、芸術そのものではない、というのです。
「芸術の終焉」論の正体が、あっさりと明らかになってしまいました。ダントーが言いたかった「芸術の終焉」とは、ある種の芸術の語り方、物語であって、芸術そのものの存在がなくなってしまうような「芸術の死」ではなかった、『芸術の死』という本の中にダントーの論文が掲載され、それが標的となってしまったが、ダントー自身の論文が「芸術の死」というタイトルではなかったし、そういうつもりもなかった、というのです。
それでは、どんな「ナラティブ=物語」が終焉したとダントーは言っているのでしょうか?気になるところですが、それはのちほど見ることにしましょう。そもそもダントーが「芸術の死」ということを言っていないとしても、「芸術の終焉」と言ったことは事実です。それではその「芸術の終焉」という言葉は、どんなところから湧いてきたものなのでしょうか?「芸術の終焉」というショッキングで、いかにも人々の耳目を引きつけそうな言葉を、なぜダントーは使ったのでしょうか?まさか人目を引くためだけに創作された言葉ではないでしょう。ダントーは、それをヘーゲルから学んだのだ、と言っています。ヘーゲルの『美学講義』を引用しつつ、彼は次のように書いています。
すなわち、私の考えは、芸術の終焉とは、芸術の真に哲学的な本性を認識するようになることにあるということである。その考えはまったくヘーゲル的である。ヘーゲルがそれを述べているつぎの一節は有名である。
これらすべての関係において芸術は、その最高の使命という面からすると、われわれにとって過去のものであり、それにとどまっている。これによって芸術は、われわれにとって、純正な心理と生命性を失ったのである。そして、芸術は、現実においてその初期から必要性を主張し、その高い地位を占める代わりに、むしろわれわれの観念へと移し変えられている。いまや芸術作品によってわれわれのうちにかきたてられるのは、直接的な享受にとどまらず、同時に、われわれの判断でもある。というのも、われわれは芸術作品の内容と表現手段を、両者の適合と不適合をわれわれの思考的考察にしたがわせるからである。したがって、芸術の学は、芸術が芸術としてそれだけですでに完全な満足を生みだした時代よりも、われわれの時代においてはるかに必要とされている。芸術はわれわれを理論的な考察へと誘う。それは芸術を再び創造するという目的のためではなく、芸術とはなにかを哲学的に認識するためなのである。(※『ヘーゲル美学講義 上』ヘーゲル著 長谷川宏訳/からの引用)
「われわれの時代」というのは、ヘーゲルが美術についてのすばらしい講義をおこなった日々をさしている。その講義は1828年にベルリンで最後におこなわれた。そして、私がヘーゲルの結論の私自身による翻案に到達した1984年までには実際、非常に長いときが経った。
(『芸術の終焉のあと』「第2章 芸術の終焉のあとの30年」 アーサー・C・ダントー著 山田忠彦監訳)
ヘーゲルは『美学講義』のなかで、芸術は「われわれにとって過去のもの」となった、と言っています。なぜなら、芸術の「内容と表現手段」が適合し、われわれに「完全な満足」を生み出した時代はすでに終わっていて、われわれはそれをただ享受していればよい、というわけにはいかなくなったからだと、ヘーゲルは言います。今こそ、われわれは「芸術とはなにかを哲学的に認識する」必要があるのだ、というのがヘーゲルの主張です。しかし、そう言われても、この部分的な引用だけでは、よくわかりません。それではいったい「内容と表現手段」が適合した時代とはどういう時代だったのでしょうか?そしてヘーゲルの時代の芸術というのは、どういう状況だったのでしょうか?
このような問いは、哲学の素人である私の手にあまるのですが、がんばって探ってみましょう。この『美学講義』という本の章立てを見ると、ヘーゲルは美術史の流れを「象徴的芸術形式の時代」、「古典的芸術形式の時代」、「ロマン的芸術形式の時代」というふうに整理していることがわかります。この時代区分なかで、「古典的芸術形式の時代」が、芸術の「内容と表現手段」が高いレベルで適合する時代であった、とヘーゲルは考えていたようです。この「古典的芸術形式の時代」とは、例えば古代ギリシャの芸術作品がその理想として想定されています。古代ギリシャの彫刻作品を見ると、その「内容と表現手段」が矛盾なく一体化して、高い理想像にたどり着いたことがわかります。ところが芸術は、その後、理想を追求する道からどんどん外れてしまいます。ヘーゲルはそのことについて、こんなふうに言っています。
主体にとって精神の自立が生きかたの核心となるような段階に至ると、主体がわがこととしてかかわりをもつ特殊な内容も、同じような自立性をわかちもつことになるが、といっても、その自立性は、絶対的な宗教的真理の領域に見られる自立性とはちがって、生活の根幹にふれるとはいいがたい、形式的な自立性にすぎない。逆にまた、外形としてあらわれる、状況、局面、事件の錯綜なども、自由な造形がゆるされて、気ままにどんどん冒険へと乗りだしていきます。こうして、ロマン主義の終点にあるのは、外界も内面も気まぐれの産物となり、両側面が離れ離れになったありさまで、ここに芸術は破棄され、真理を獲得するには、芸術の提供できる形式を超えた、もっと高度な形式を獲得しなければならないことが、意識に自覚されます。
(『美学講義』「第二部 Ⅱ章立て」ヘーゲル著 長谷川宏訳)
この文章を読んで、どんな感じがしますか?ヘーゲルは自分の生きている時代を「ロマン主義の終点」の時代として捉えていますが、その同時代について彼が強い違和感を持っていることが感じられます。その時代は人間にとって「精神の自立が生き方の核心となるような段階」に至っているのですが、その自立は「絶対的な宗教的真理の領域に見られる自立性」とは程遠い、形式的なものにとどまっている、とヘーゲルは言っています。簡単に言ってしまえば、人間の精神は近代になって宗教からの自立を果たしたものの、まだ自分自身の生き方に確信を持てないでいる、ということでしょう。そしてその時代の芸術作品も、「自由な造形がゆるされて、気ままにどんどん冒険へと乗りだしてい」った結果、「外界も内面も気まぐれの産物」となってしまっているというのです。先に触れたギリシャ彫刻のように、表現欲求と表現様式がぴったりと寄り添った完全な形から、どんどん逸脱していってしまっている、というふうにヘーゲルは理解していたのでしょう。ヘーゲルにとっては人間の理想的な姿を神様に求めてそれを表現するための形式を習熟させていったギリシャ彫刻のような芸術がまさに「芸術」なのであり、そこからさらに人間とは何なのかと悩み、表現形式にも自由な様式を求めてさまよいだした同時代の芸術は、「芸術」の「破棄」にほかならない、と考えていたのです。
ここで、ヘーゲルが美術史の上でいうと、どのような時代に生きた人なのか気になります。同時代の画家と言うと、新古典派のダヴィッド(Jacques-Louis David、1748 - 1825)が20歳ほどヘーゲルより年長で、同じく新古典派のアングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres、 1780 - 1867)は彼より10歳年少、ロマン主義のドラクロワ (Ferdinand Victor Eugène Delacroix, 1798 - 1863)は30歳ほど年少ということになります。この『美学講義』が行われたのが1820年代だとすると、ちょうどドラクロワが活躍し始めたころです。ドイツにいたヘーゲルが、最新のフランス絵画をどこまで見ることができたのかわかりませんが、時代背景を知るうえでは、ある程度の目安になるでしょう。ドラクロワは、いまではロマン主義の大画家として評価されていますが、その当時は賛否両論を巻き起こしながら台頭してきた新進の画家です。そのドラクロワの絵画を、ヘーゲルはどのように見ていたのでしょうか?
こんなことを考えていると、長谷川宏が『美学講義』の「訳者まえがき」で、私が四苦八苦して書いたこれらの点について、とてもうまくまとめていることに気が付きました。長谷川の解説を引用しておきます。
注目すべきは、「古典的芸術形式」から「ロマン的芸術形式」への推移が、理念の展開という面ではさらなる進展を示すとされつつ、芸術作品の完成度という面では後退ないし堕落を示しているとされることである。進歩・発展こそ歴史の根本をなす原理だと考えるヘーゲルが、にもかかわらず、歴史の発展が芸術の成立を困難にしているのだという。人類の到達点であったはずの西洋近代のうちに、発展のかげりのようなものを見ないではいられないヘーゲルの歴史眼が、そこにはのぞいている。
(『美学講義』「訳者まえがき」長谷川宏)
作品鑑賞に時代の嗜好が反映するのはいかんともしがたく、この『美学講義』にも19世紀初頭ドイツの芸術趣味が影を落としてはいるが、それを土台としつつ、ヘーゲルがおのれの美意識にもとづく作品評価を打ち出そうとしていることは、読みすすむうちにおのずと納得されるところで、その姿勢がこの本の大きな魅力の一つをなしている。
(『美学講義』「訳者まえがき」長谷川宏)
このように過去の偉大な学者の言葉を受け止めるときには、その人がどのような時代の中で発言していたのか、考慮する必要があるでしょう。そもそもロマン主義と言いつつも、ヘーゲルが私たちと同じものをイメージしていたとはかぎりません。それに、私たちは「19世紀初頭ドイツの芸術趣味」がどのようなものであったのか、想像しながら考察するしかないのです。
それにしても、19世紀初頭のヘーゲルが、「進歩・発展こそ歴史の根本をなす原理だと考え」ていたにもかかわらず、「歴史の発展が芸術の成立を困難にしているのだという」ことに気づき、その矛盾を講義の形として残していることに感心します。自分の理論をしっかりと構築しつつも、自分の生きた時代の芸術作品と向き合ったときに、それが「後退ないし堕落」と見えてしまったことを、取り繕いもせずに講義で語るヘーゲルの姿に、私は学者としての誠意と鋭さのようなものを感じます。一般的な社会が「歴史の発展」に対して矛盾を感じるようになったのは、世界的な戦争や公害問題、自然破壊や温暖化現象などで人々がかなり痛い目を見た後、つまりつい最近のことです。そう考えると、ヘーゲルの予見はたいしたものだと思います。
それにこの「歴史の発展」という原理に対し、警鐘を鳴らしたのが芸術作品だった、というところも興味深い話ではありませんか?日々の生活の中であまり役に立つことのない芸術作品ですが、それがあまりに人間的な営みであるがゆえに、こういう予兆的なことが起きるのだろうと私は思います。これは余計なことですが、例えば美術作家であるあなたには、あるいは美術作家を目指しているあなたには、いま突き当たっている制作上の壁、困難があるとします。それをあなたは、ごく個人的な問題だと思っているのかもしれませんが、実はそれが、いずれ人類が突き当たるであろう困難を予見しているものなのかもしれません。あなたの直面している壁、困難が独りよがりのものではなく、芸術の問題として正当なものであるならば、それを乗り越えることに大きな意義があるのは間違いないでしょう。そう考えると、何だか勇気が湧いてきませんか?
ちょっと話がそれましたが、このように考えると、今の時代から振り返ってヘーゲルは時代遅れだと断定してみたり、彼の唱えた説は間違っていると言ってみたりしても、あまり実りがあることではありません。それよりも、彼が具体的にどんなことを言ったり、感じたりしていたのか、ということから、現在につながる問題を考えることの方が大切だと思います。例えば、近代を構築したヘーゲルその人が、近代芸術に対して違和を感じていたのだとしたら、その原因はどこにあるのでしょうか?ヘーゲルは芸術の方向性に原因があると見ていたようですが、彼が構築した歴史観にその原因はなかったのでしょうか、というようなことです。そのような視点がたぶん、ポスト・モダニズムの思想につながっているのでしょうね。
さて、ここまでみてくると、ヘーゲルの『美学講義』そのものの興味深さとは裏腹に、芸術が過去のものであるとか、芸術の「破棄」であるとか、という150年ほども前のヘーゲルの言葉をそのまま現代芸術に転用してしまい、さらにそれを「芸術の終焉」という、いっそう刺激的な言葉にしてしまったダントーの姿勢に、若干のあざとさを感じてしまいます。「芸術の終焉」に関して、「その考えはまったくヘーゲル的である」と言われてしまうと私などはついひるんでしまうのですが、ここまで考察してみると、はたしてヘーゲルを持ち出す意味があったのか、と疑問を感じてしまいます。
しかもあろうことか、ダントーはさらにヘーゲルの名前を出して、こんなことを言っています。
ヘーゲル以降、「芸術は何であるかを哲学的に認識するという目的のために芸術を創造すること」(『芸術の終焉のあと』)が盛んにおこなわれ、むしろ芸術は隆盛したように見える。芸術はヘーゲルが嘆いたように完全な形式を取り戻すことはなかったが、芸術について思考することが芸術にとって不可欠になったという点ではヘーゲルの予言通りになっている。だからヘーゲルが「芸術は過去のものとなった」と言っていることと、その後の芸術の隆盛した状況とは矛盾しない。ヘーゲルは、完全な形式の芸術のことを「芸術」だと認識していたのだから・・・。同じように、私(ダントー自身)が語った「芸術の終焉」以降も、芸術が百花繚乱の様相を呈しているように見えたとしても、それはヘーゲルと同様のことが自分自身にも起こっているのだから、私が「芸術の終焉」と言ったことは間違いではない。なぜなら、私が「終焉」した、と言っているのは、大きな芸術のナラティブのことなのだから・・・。
何だか話がややこしくなってきました。それに、そこまで自分自身をヘーゲルになぞらえなくてもいいのではないか、と思います。ヘーゲルの時代と現在とでは、状況がまったく異なるわけですから、それを度外視してヘーゲルと同様のことが自分にも起こっているのだ、と言われても困ります。そこでダントーには、前回引用した松浦寿夫さんの「いかなる場合であれ、たやすく終焉など語らないことだ」という言葉を飲み込んでもらうことにしましょう。そして、話を先に進めなければなりません。
ダントーが「終焉」したと言っている芸術の「ナラティブ」とは何なのか、という問題がまだ残っていました。このことについて、ダントー自身は次のように言っています。
ポスト・ヒストリカルな時代は、哲学と芸術の道がわかれることによって特徴づけられる。このことが意味するのは、ポスト・ヒストリカルな時代における美術評論は、ポスト・ヒストリカルな芸術それ自体と同様に多元的でなければならないということである。ここで目を引くのは、この三つの時代区分が、不思議なほどに、ヘーゲルの驚くべき政治的ナラティブと対応していることである。そのナラティブにおいては、最初はひとりだけが自由であり、つぎに一部のひとだけが自由であり、そして最後に、彼自身の時代にはすべてのひとが自由であった。われわれのナラティブでは、最初は模倣のみが芸術であり、つぎに、いくつかのものが芸術であるのだが、それぞれが競争相手を圧倒しようとしており、そして最後に、スタイルに関する制限あるいは哲学的な制限がないということがあきらかになった。芸術作品がそうあるべき特別な仕方はないのである。それが現在であり、私ならば、巨匠のナラティブの最後の局面というであろう。それはこのストーリーの終焉である。
(『芸術の終焉のあと』「第3章 巨匠のナラティブと評論の原理」 アーサー・C・ダントー著 山田忠彦監訳)
またしても、ヘーゲルが引き合いに出されています。今度はヘーゲルの歴史観です。それに倣って、芸術におけるナラティブの歴史を考えるとこうなるのだ、とダントーは言います。
最初に「模倣のみ」の、つまり古典的な、あるいは写実的な芸術のナラティブがありました。そのあとにいくつもの芸術形式が展開する時代が来て、それぞれが自分の形式が正当なものであると主張するような時代、「競争相手を圧倒しよう」とするナラティブの時代が来ました。例えば大芸術家や評論家が一時代をなすような主張をした時代です。それがいまや「最後の局面」をむかえ、「スタイルに関する制限あるいは哲学的な制限」がない時代、言ってみれば何でもありの時代が現在の状況なのだ、というのです。もう、大きな声のナラティブが時代を圧倒することはありません。それは歴史的な発展が信じられた時代の終焉、ポスト・ヒストリカルとかポスト・モダニズムの時代の到来と軌を一にするものでしょう。現在がその時代の変わり目であることを、ダントーは次のように強調しています。
伝統的で再現的な芸術の、さらにモダニズムの芸術のナラティブの構造は、少なくとも、それらがもはや現代芸術の制作において果たすべき積極的な役割をもたないという意味で摩滅してしまっている。芸術は今日、いかなる巨匠のナラティブによっても構造化されていないアートワールドのなかで制作されている。けれども、もちろん、もはや通用しないナラティブに関する知識が芸術家の意識には残ってはいる。芸術家は今日、ナラティブの構造がある役割を果たしていた歴史のおわりにいるのである。
( 同上 )
ダントーは、何としても「終焉」とか「おわり」という言葉を使いたいようです。原語では何と言っているのかわかりませんが、私から見ると「終焉」というよりは時代の「変わり目」とか、「移り変わり」と言った方が適切だと思うのですが、いかがでしょうか。
そのような不満は残るものの、ダントーが分析している「芸術の終焉」後の状況はきわめて穏当なものです。現在は大きなナラティブによって突き動かされるような状況ではなく、多元的なさまざまな形の芸術が存在する状況である、という分析は妥当なものだと思います。
そしてもしも大きなナラティブがないとすると、芸術を評論する言葉はどのようなものになるのでしょうか。そのことについて、ダントーが触れている部分があります。
多元主義的なアートワールドは多元主義的な美術評論を必要としている。それが意味するのは、私の見方では、ひとつの排他的な歴史的ナラティブに左右されず、個々の作品を、それ特有の条件で、その原因、それが意味しているもの、それが指示しているもの、そして、それらがどのように実質的に具現化されるのか、それらがどのように理解されるべきなのかといった観点から、取り扱う評論である。ところで、私は、私自身の思想におけるおもしろい失敗を背景にして、いかにして芸術が、もっとも魅力がない場合でさえ批評的に考えられるべきなのかを示すつもりである。
(『芸術の終焉のあと』「第8章 絵画、政治、そしてポスト・ヒストリカルな芸術」 アーサー・C・ダントー著 山田忠彦監訳)
「芸術の終焉」のあとに、「多元主義的なアートワールド」が現れる、というようなダントー特有の派手な言葉の使い方が、やはり気になります。しかし、それを批評する言葉が「ひとつの排他的な歴史的ナラティブに左右」されないものになる、というのはその通りだと思います。というよりも、そもそも大きなナラティブが存在した時代であっても、個々の評論家は「ひとつの排他的な歴史的ナラティブに左右」されない批評をするべきだったのではないでしょうか。そういう意味では、至極まっとうな時代が来た、というふうにも言えると思います。
「多元主義的なアートワールド」が、その言葉の軽さの通り、何でもありの時代、何をやってもその場の雰囲気で持ち上げられたり、叩かれたりする時代ではなく、しっかりとした指針を持った批評によって評価される時代であるためにも、「個々の作品を、それ特有の条件で、その原因、それが意味しているもの、それが指示しているもの、そして、それらがどのように実質的に具現化されるのか、それらがどのように理解されるべきなのかといった観点から、取り扱う評論」が存在していてほしいものだと思います。これが、今回の結論になりますね。個々の作品をていねいに見ることが、よりいっそう大切な時代なのだと思います。多忙な毎日ですが、できるだけ展覧会に足を運ばなくてはなりません。自戒を込めてそう思います。
これで一応、人騒がせな「芸術の終焉」論に私なりの決着をつけることができました。少し拍子抜けの部分もありましたが、ヘーゲルについて考える手掛かりを与えてくれたことには感謝しなくてはなりません。そして本当なら、「芸術の終焉」論が華やかなりし頃にこの程度の分析はできなくてはならなかったと思います。周回遅れで走らなくてはならないのが、凡人の運命なのかもしれません。それでも、何とか立ち止まらずに、続けていきたいと思います。
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