平らな深み、緩やかな時間

356.『モネ 連作の情景』上野の森美術館

はじめに、前回のブログで、次の和歌についてご意見をいただきました。

 

人知れぬ思ひをつねにするがなる富士の山こそわが身なりけれ

(『古今和歌集』詠み人知らず)

 

この歌の「富士」について、次のような解釈もあるのではないか、というご意見です。

 

‟富士の山こそわが身なりけれ”

  ↓      ↓

‟不治の山こそわが身なりけれ”

 

もしもこの歌を書いた歌人が「不治の病」にかかっていたとするなら、あるいはそうでなくてもそういう意味がこの歌に込められていたのなら、この歌は一気に生命に関わる切実さを増すことになります。私は専門家ではないので、この解釈が妥当なのかどうか、判断できません。しかし和歌という芸術が言葉のテクニックを披露するだけでなく、その人の存在に関わるような表現の場であったと思わせるこの解釈には、心打たれるものがあります。一見、軽妙に見える恋の歌であっても、そこに作者の存在を賭した表現が潜んでいたとするなら、それは本当に素晴らしいことです。私はそういう芸術に惹かれますし、実は今の時代においても、そういう表現が求められているのだと思います。

 

世界を見れば、戦争や虐殺などの辛いニュースばかりで、分断された国際社会にはそれを救済する力がないように見えます。国内を見れば、お金をめぐる政治家のドタバタ騒ぎばかりで呆れてしまいます。スポーツニュースのアスリートたちの素晴らしい活躍が話題になることが多いようですが、それすらも深刻なニュースがもたらすストレスのガス抜きに利用されているのではないか、と疑ってしまいます。あまり過剰にならずに、彼らの活躍を見守っていきたいものです。

芸術も同様で、ただ単に人々の娯楽に消費されてしまうようでは、その表現に何の意味もありません。私は何も、暗く深刻ぶった芸術が素晴らしいと言っているのではありません。先ほどの歌のように、軽妙に見えても作者がどれほど真剣に世界と、現実と、自分と向き合ったのか、が問題なのです。仮に「富士」が「不治」でなくても、作者が自分の思いを言語化しようとする真摯な態度が十分に伝わってくる歌です。

芸術がもたらす感覚的な楽しみは、作者が五感を研ぎ澄ませて世界と向き合ってこそ、はじめて表現されるものなのです。私自身、そのことを肝に銘じて絵を描いているつもりです。

 

さて、今回は印象派の巨匠、クロード・モネ(Claude Monet, 1840 - 1926)さんの展覧会『モネ 連作の情景』(上野の森美術館)について書きます。

 

https://www.monet2023.jp/

 

モネさんの芸術こそ、先ほどの私の意見を体現するものだと思います。明るくて華やかな彼の絵画は誰からも愛されるものですが、その画面にはモネさんが目の前の世界と向き合ったヒリヒリするような感覚が表現されているのです。だからモネさんの絵は何枚見ても、何回見ても飽きることがありません。モネさんの絵画は、モネさんがどのように世界と接したのかを表しています。私たちはその現場を見るたびに、何か新しい発見を見出すのです。

 

それでははじめに、この展覧会を見に行ったときの印象を手短に書いておきましょう。

出品作品のいくつかについては、後で詳しく書くことにしますが、これまで私が見てきたモネさんの展覧会の中で、とりわけ今回の展覧会が充実しているのか、と問われれば、正直に言ってそうでもないです。素晴らしい作品が並んでいるのは事実ですが、とにかくモネさんは日本で人気が高いので、これまでも充実した展覧会が開催されています。私はモネさんの晩年の作品が好きなので、その時期に焦点を当てた展覧会が、どうしても印象に残ってしまいます。今回も、会場の後半の連作の部屋が素晴らしくて、その中の数点の作品を見るだけでも足を運んだ甲斐がありました。

会場は混雑していましたが、予約制で入場制限もあり、後半の部屋に関して言えば意外としっかりと見ることができました。あまり展覧会に行き慣れていない方は、最初の作品から集中して見てしまい、後半では疲れてしまって足早になる、ということが多いようですが、モネさんが大好きな方にとってはこれがチャンスです。皆さんが並んでいる前半の部屋では無理をせず、後半のモネさんらしい作品の部屋でしっかりと鑑賞しましょう。

 

そのモネさんについてですが、このblogを読んでくださっている方には基本情報は必要ないと思いますが、とりあえず展覧会のホームページからモネさんの紹介文を抜粋してみます。

 

印象派を代表する画家。

18歳の頃、風景画家ブーダンの助言により戸外で風景画を描き始め、パリに出て絵を学ぶようになる。1862年には、画塾でルノワールら仲間と出会う。1865年、サロンに初入選し、尊敬するマネに「水のラファエロ」と呼ばれる。

1874年、第1回印象派展を仲間とともに開催。国内外を旅して各地で風景画を精力的に描く。1883年よりセーヌ川流域のジヴェルニーに定住。1880年代後半から自宅付近の〈積みわら〉を「連作」として描き始め、この頃から旅先での制作も「連作」の兆しを見せる。1891年、デュラン=リュエル画廊で〈積みわら〉の連作15点を公開。この個展が評判を呼び、フランスを代表する画家として国内外で名声を築く。連作はその後〈ポプラ並木〉〈ルーアン大聖堂〉〈セーヌ川の朝〉、ロンドンやヴェネツィアの風景、〈睡蓮〉などのテーマに及ぶ。晩年の制作は〈睡蓮〉が大半となり、眼を患いながら最晩年まで描き続けた。1926年12月5日、ジヴェルニーの自宅で86歳にて死去。

後半生の作品はカンディンスキーや抽象表現主義の画家たちに影響を与え、モネの再評価につながった。「モネはひとつの眼にすぎない。しかし何という眼なのだろう!」というセザンヌの言葉が有名。

(『モネ 連作の情景』ホームページより抜粋)

 

この最後の「モネはひとつの眼にすぎない。しかし何という眼なのだろう!」というセザンヌ(Paul Cézanne, 1839 - 1906)さんの有名な言葉は、やはりモネさんを語る上で重要なキーワードとなります。最後に考えてみますので、しっかりと覚えておきましょう。

それでは、展覧会の展示してある順序に沿って、モネさんの作品を見ていきます。

 

モネさんは風景画家ウジェーヌ=ルイ・ブーダン(Eugène-Louis Boudin, 1824 - 1898)さんの手ほどきを受けつつ、当時の官展であるサロンに作品を出品しています。当時のモネさんの風景画はブーダンさんの作品とよく似ていますが、モネさんは若い頃からあまり作品の完成度を求めないタイプの画家だったようです。展覧会のホームページに掲載されている作品は、その中でもかなり描きこんでいる作品ですが、実物の作品の多くは意外とあっさりと、下地の画面の上から絵の具を一、二層重ねただけで筆を置いている、そんな風景画が多いようです。

それと比較すると、今回の展覧会の目玉の一つになっている若い頃の大作『昼食』はサロンに出品した作品だけあって、手の込んだ作品です。

https://www.monet2023.jp/artworks/

しかし、落選してしまうのですが、要因は人物の描き方かな、と思います。モネさんの興味は、明らかに日差しの差し込む室内風景全体にあって、とりわけテーブルの上の静物の描写が素晴らしいと思います。それに比べると、サロン系の人たちからすれば最も力を入れて描くべき母子の表情などはあっさりと描かれています。子供の顔が、もっと可愛らしく描けていれば入選したのかもしれません。

この初期作品のあとは、印象派らしい作品が続くのですが、この辺りが少し物足りない感じがします。

https://www.monet2023.jp/artworks/2/

モネさんは、おそらく一枚の絵に盛り込む内容をあらかじめ決めておいて、その自分が決めた基準に達すれば筆を置く、というふうにどんどん描き進めていったのではないかと思います。だから、一枚の絵に執着するタイプの画家ならば描き足りないと感じるような状態であっても、構わずに次の作品を描いていったのだと思います。その意味では、モネさんは自己の芸術を探究することを第一に考える、近代的な画家でした。

それでは、モネさんはどんなことを探究していたのでしょうか?

https://www.monet2023.jp/artworks/3/

日本の文芸評論を確立したと言われる小林 秀雄(こばやし ひでお、1902 - 1983)さんは、『近代絵画』という著書の中でモネさんについて次のように書いています。

 

モネは、風景の到る処に色が輝くのを見た。影さえ様々な色で顫(ふる)えているのを見た。これらの輝く色は、互いに相映じて部分色を否定し、物の輪郭を消し、絶え間なく調子を変じて移ろい行く、そういう印象こそ、眼に見える風景の最も直な真実な姿であると見た。そういう効果を、画面に出すのに、彼が用いた方法は、彩色上の色の分解の方法であった。或る物の色を画布の上に再現しようとして、様々な絵具をいくら混ぜ合わせてみたところで、一つの絵具の色が既に光の一定の波を吸収する事によって現れるのであるから、絵具が沢山混ざれば混ざる程、吸収の度は強くなり、色は明るさを失って来る。そういう絵具の所謂(いわゆる)差色に対して、本物の色が輝かしく、明るいのは、その場合、眼は所謂和色を感じているからだ。混ざり合った波長の異なる様々な光の総和を同時に眼は知覚しているからだ。モネは、パレットの上で絵具を混ぜる代わりに、画布の上に基本色の斑点を適当にあんばいして並べ、或る距離をおいて画面を眺める時、これらの斑点の反射光が、重なり合って網膜に映じ、真実の混色の効果をもたらす様、そういう工夫を案出した。尤(もっと)もこの手法は、モネの全くの独創ではない。

<中略>

モネは、生涯、この知的な分析的な手法の為に苦しんだ。理論は、殆ど役に立たなかったからである。それと言うのも、光も波だし音も波である限り、波の性質には、共通のものがあるが、これを感受する眼と耳との性質が異なるという処に、非常な難点があったからだ。

<中略>

眼に色の分析能力がないという事実は、画布の上の色の斑点によって、色感を思う様に合成しようとする画家の企てに大変な障碍(しょうがい)になる、音の合成の様には参らない。音響学が作曲家の役に立つ様には、色彩に関する科学は画家を助ける事は出来なかった。モネの弟子のシニャックは、色彩の理論による、技法の合理化の道を推し進めてみたが、絵は、本能的に悪戦苦闘するモネの絵を抜けず、冷たく死んで行くより他はなかった。

(『近代絵画』「モネ」小林秀雄)

 

小林秀雄さんは、実はこの「モネ」の章を書き出すにあたり、最初の数ページを延々と色彩の科学的な知見に費やし、さらに私がはじめに<中略>とした部分では近代絵画における色彩表現の歴史について語り、後の<中略>とした部分では音の波と光の波の違いについて科学的な私見を披露しています。小林秀雄さんは文学ばかりでなく、音楽や美術についても多くの著作を残していますが、それらの記述が文学者の単なる趣味ではないことを示していると思います。

それにしても、ポール・シニャック(Paul Victor Jules Signac, 1863 - 1935)さんに関して「冷たく死んで行くより他はなかった」なんて、たとえ相手が故人であっても、今なら言わないですよね。

https://www.hiroshima-museum.jp/collection/eu/signac.html

そしてここで注目すべき部分は、「モネは、生涯、この知的な分析的な手法の為に苦しんだ」という一文です。

モネさんはシニャックさんのように完璧な科学的な手法をとりませんでしたが、その事についてモネさんが「苦しんでいた」というのは、小林さんならではの卓見だと思います。確かに、絵を描くことの目的が、新しい科学的な知見による手法を確立することであるなら、そうしようと思ってそうできなかったモネさんの生涯は、苦しみの連続だったと思います。小林さんは、モネさんの苦しみの原因を、音と光の波の性質とそれを受容する人間の感覚器官の精度の違いに見出し、そのことをこの批評の中で明らかにしたのでした。ここまで言い尽くした批評というのは、そうないと思います。この『近代絵画』が書かれたのが1958年だったことを考えると、この小林さんの解釈は卓越したものだったと思います。

しかし当のモネさんは、絵画表現がそのような科学的な知見を表現する場ではないことを、おそらく知っていました。小林さんがこの本を書いていた頃に、アメリカでは絵画の平面性を重視するモダニズムの絵画が注目を集め、絵画は平面化への度合いを深めていったのです。モネさんは1926年に亡くなっていますが、おそらく本能的に平面性が絵画にとって重要な要素であることを知っていました。だから色彩表現の実験とともに、絵画がどのように成立するのか、その平面性と奥行き表現との葛藤という際どい探究の道に入ったのです。その過程で、色彩の科学的な手法である点描法は後退し、表現主義的な色使いと筆致が画面を覆うようになりました。

https://www.monet2023.jp/artworks/4/

ここでまず注目していただきたいのは、『積みわら 雪の効果』という作品です。この作品を次の作品と見比べてみてください。

http://www.hinogallery.com/2022/2676/

現代絵画の佐川晃司さんの作品です。佐川さんはモダニズムの絵画の可能性をもっとも厳しく突き詰めている稀有な画家です。

モネさんの「積みわら」はこのような雪景色の中に置かれてみると、シンプルな五角形に見えます。それが二つ重なっており、さらにその影が重なって、まるで佐川さんの絵画の構成のように見えます。モネさんの『積みわら 雪の効果』は、白い雪の背景と、くすんだオレンジ色の逆光の積みわらと、青く伸びた積みわらの影と、ほぼ三つの要素で構成されているのです。それらをくっきりと区切ってしまい、色をはっきりと塗り分けてしまえば、凡庸な幾何学的な構成の抽象絵画のようになってしまいます。

しかし、モネさんの絵画を見て、そのように感じますか?

本物の作品を見てもらえるとわかりますが、モネさんの『積みわら 雪の効果』は広い平坦な農作地の中に、積みわらがしかるべき場所に佇んでいるように見えるのです。それは絶妙な色合いと、錯綜するモネさんの筆致と、絡み合う色彩と、様々な要素が絡み合って画面のサイズ以上に広がりのある、そして積みわらの存在感をしっかりと感じる作品になっているのです。このような表現こそが、絵画が絵画として存在する意義を示しているのではないでしょうか?

そして再び佐川さんの作品を見てください。佐川さんの作品が、モネさんの探究の延長線上にあることが、よくわかるのではないでしょうか?佐川さんの絵画が、その重ね合わせた筆致と色彩によって、単なる幾何学的な構成の絵画を超えて、モネさんが探究した絵画のあるべき姿を新たな方法でアプローチしていることがわかるでしょう。

そしてモネさんは、『ウォータールー橋、ロンドン、夕暮れ』と『ウォータールー橋、ロンドン、日没』において、さらに際どい表現に挑んでいます。

ちなみに、『積みわら 雪の効果』は1891年に制作されていて、『ウォータールー橋』の二作品は1904年に制作されています。モネさんは、わざわざ霧の深い冬のロンドンをモチーフにして、ただの色の平面になりそうなギリギリのところでフォルムと奥行きのある絵画を制作しているのです。ちなみにモネさんはこの時に64歳になっていますね、ほぼ現在の私と同じ年齢です。この1年間で、これに匹敵するような作品を描けるように、私も頑張らなくてはなりません。

そして最晩年の睡蓮の連作です。私はどうしてモネさんが睡蓮を好んで描いたのか、と考えたことがあります。

https://www.monet2023.jp/artworks/5/

これがもしも、池の上に睡蓮が浮かんでいなかったら、どうなるのでしょうか?

そうすると茫漠とした水面だけの絵画になってしまいます。そうすると奥行きも平面性も、いずれも曖昧なままの色面の広がりになってしまいます。ただの美しいだけの色面は、絵画表現として脆弱なものになってしまいます。モネさんが水面を描き続けたのは、水面の平面性と、その水面の下に潜む深さと、水面に映し出される風景の奥行きと広がりと、それらが同時に表現できるモチーフだからだと私は思います。それらの要素を明確にするためには、水面に浮かぶ睡蓮の葉と花が必要だったのです。

だからモネさんは、睡蓮を描き続けた、というのが私の解釈です。そしてこう考えてみると、水面というのは絵画のメタファーのようなものですね。これは今後、考えていかなくてはならない新たな問題です。

 

さて、最後にセザンヌさんの「モネはひとつの眼にすぎない。しかし何という眼なのだろう!」という言葉について考えてみましょう。

一般的には、セザンヌさんはキュビズムの始祖となるような多角的な視点を絵画に持ち込んだと言われています。そのセザンヌさんがこう言った、ということからモネさんは単視点にこだわった画家だという解釈が成立するのでしょう。それも「夕暮れ」や「日没」という画題からもわかるように、単視点に加えてミニマルな時間の光、色彩にこだわった画家としてセザンヌさんがモネさんを称賛した、ということになるのです。

しかし、私は視点の問題よりも、むしろ時間の問題の方が気になります。セザンヌさんについては、このblogでも何回か取り上げていますが、セザンヌさんの絵画は画家がモチーフを見つめた時間、描いた行為の時間が含まれた絵画なのです。ですから、モネさんが「ひとつの眼」だとすれば、セザンヌさんは「描かれた時間の全てを含む眼」なのです。

それでは、モネさんの「ひとつの眼」はどのようにして成立したのでしょうか?

モネさんの作品を見ると、これは本当にミニマルな時間の光景なのだろうか?と思ってしまいます。実はモネさんは、何時間もモチーフを見つめた結果、ひとつの時間に絞り込んで絵画を制作したのではないか、という気がします。画面全体が、ある一瞬の時間を偶然に捉えたものではなくて、複合的な時間の中から、架空の集約された時間が表現されているのです。その集約の力量を見て、セザンヌさんは「何という眼なのだろう!」と言ったのではないでしょうか。

 

このように、世界と真摯に向き合った作品は、こちらの眼が成長すればするほど、新しい発見をもたらしてくれるものです。モネさんについては、まだまだ語り足りないことがあると思いますが、今回はこれぐらいにしておきます。

もしもあなたがモネさんの作品を見たことがないとしたら、ぜひ本物の作品と出会ってください。モネさんの筆致にこそ、彼の表現の全てが込められています。それは実物を見ないとわかりません。

1月まで会期がありますので、取り急ぎ展覧会の感想をまとめました。よかったら、お正月休みにご覧ください。

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