平らな深み、緩やかな時間

386.『トムは真夜中の庭で』、小林孔先生のこと

このところ、忙しくて思うように展覧会に出かけられません。
案内状をいただいた方には失礼をしてしまっていますが、ご容赦ください。
昨日は休日でしたが、来年度の教科書の選択に関わる事務的な仕事をしていました。こういうまとまった仕事は、平日ではなかなかできません。教科書を採択するにあたって、客観的に見て自校の生徒に適切な本を選ぶことは当然ですが、その選択に偏りがないことを誰が見てもわかるように資料として残すのは大変です。こういう事務的な仕事を担う方を雇えないものでしょうか。
「教員の働き方改革」という掛け声だけは聞こえてきますが、実現するとしても、まだまだ先の話です。それでも、現在の若い先生方がベテランになる頃には、少しでも改革が良い方に進んでいることを願っています。

さて、今回は最近読んだ本と関連して、子供の頃にまつわる話を二つ書いておきます。

一つ目は、ある番組で紹介された本のことです。
NHK「Eテレ」の土曜日午後9時から、『理想的本棚 君だけのブックガイド』という番組が放映されています。その中で、時折、読んでみようかな、と思う本が紹介されますが、今回は6月1日に放映された「眠れないときに読む本」から『トムは真夜中の庭で』という本を読んでみることにします。
https://www.nhk.jp/p/ts/578Q5K3X59/list/?pastOffset=10
番組では、本の導入部が映像で紹介されています。ここでは、書店の紹介記事を参照してみましょう。

知り合いの家にあずけられて,友だちもなく退屈しきっていたトムは,真夜中に古時計が13も時を打つのをきき,昼間はなかったはずの庭園に誘い出されて,ヴィクトリア時代のふしぎな少女ハティと友だちになります.「時間」という抽象的な問題と取り組みながら,理屈っぽさを全く感じさせない,カーネギー賞受賞の傑作です.
https://www.iwanami.co.jp/book/b269516.html

なお、作者のフィリパ・ピアス(Ann Philippa Pearce、1920 - 2006)さんは、イギリスの児童文学作家で、この物語にはピアスさんの育った環境が反映されているのだそうです。
本を読むと、すごく昔の話のように思われますが、2006年まで存命だったピアスさんの経験に基づく内容です。考えてみると、ピアスさんは私の父親よりも5歳ほど年長なだけです。しかし、ピアスさんが子供の頃に接していた大人たちは19世紀に生まれた人たちですから、そのことを思うと、一人の人間が経験し、語り継ぐことができるものは、随分と長い時間に関わるものなのですね。
これが遠い国の話だと、時代背景の広がりがピンときませんが、日本の話だと、もう少し近い過去の話でも随分と昔のことのように思えるものです。
私がこういう時に思い出すのは、漫画や映画の『20世紀少年』に出てくる子供たちのことです。この子供たちは、ランニングシャツに半ズボン、野球帽をかぶって駄菓子屋に群れているのですが、これは私の子供の頃の話だよ、というと私の娘や息子は驚きます。今の若い方たちからすると、そんな子供たちの姿がずっと昔のことのように思われるのでしょうね。ちなみに、作者の浦沢直樹さんは私と同じ年です。
https://youtu.be/z9ZYKkBvygQ?si=5ghd4d_TVSsaM0dV
『20世紀少年』では「大阪万博」に関する話が出てきます。私の子供の頃は、今のように気軽に遠出ができる時代ではなかったから、「大阪万博」に連れて行ってもらえる家庭の子は特別な存在だったように記憶しています。もちろん、私は「大阪万博」に連れて行ってもらえない、普通の家庭の子供でした。このような子供ならではの差別意識のようなものを、うまく物語に取り入れているところが、浦沢さんのすごいところだと思います。物語が一気にリアルに、そして切実なものになるのです。

話が逸れました。
この『トムは真夜中の庭で』は、トムという少年と、ハティという不思議な少女との交流の物語です。ネタバレにならない程度に、少しだけ物語の内容を追ってみましょう。

トムは、家庭内で「はしか」が流行ってしまったために、親戚のおじさんとおばさんの家に預けられてしまいます。「はしか」にかかってしまった弟のピーターと遊ぶ予定も台無しになってしまいました。
おじさんとおばさんは、古い建物のアパートに住んでいます。おじさんのアラン・キットソンは理屈っぽい常識人で、不思議な体験をするトムと対照的な人物として描かれています。おばさんのグウェンは、優しくてトムのことをとても可愛がっていますが、常識的なところはおじさんと同様です。つまり、トムのことを理解できる大人はいないのです。
そしてこのアパートの3階(おじさんたちは2階)に住んでいるのは、この建物と、建物の大広間にある不思議な大時計の持ち主であるバーソロミュー夫人です。バーソロミュー夫人は気難しい老人で、なかなか姿を現しません。そして、彼女以外はこの時計に触れてはいけないのです。
さて、この古時計は真夜中に13時を告げる鐘を鳴らします。その音に誘われて、トムが普段使われていない1階大広間の古い扉を開けると、広い庭園が現れます。その庭園には、思わず登ってみたくなるような大きな木もあれば、走り回りたくなるような芝生もあります。その庭園は、夜中にその扉を開けた時にだけ現れるのです。トムはその庭園に魅せられ、毎晩、ベッドを抜け出しては大広間の扉から出て行くことになります。
トムはその庭園に忍び込んでいるうちに、庭園で働く人たちや三人の男の子の兄弟たちと出逢います。彼らにはトムの姿が見えず、トムの声も聞こえません。例外は、三人兄弟より年少のハティという少女と、庭師のアベルだけです。
ハティは幼い頃に両親と死別し、仕方なくおばさんに引き取られています。三人の男の子はおばさんの息子たちだったのです。ハティはおばさんからは辛くあたられ、兄弟たちからも疎まれていますが、自分の空想力を働かせて健気に生活しています。
トムは毎晩、その庭園に遊びに行くのですが、何日も通ううちに、トムにとっては毎晩のことなのに庭園の世界では違う時間が流れていることに気が付きます。時には親と死別したばかりの幼いハティに出会い、やがて少女だったハティがだんだんと成長し、大人になっていくことに気がつくのです。
それにハティたちの暮らしている建物が、トムにとって見慣れた建物であったことにも気がつくのです。
その不思議な時空間の謎が解かれる時、私たちはこの物語が緻密に構成されていたことがわかります。子供向けの物語だと思っていたものが、大金をかけて作られた娯楽映画(例えば『Back to the future』)ばりの伏線が引かれていたことに気がつくのです。

これ以上は、物語の面白さに関わることなので、ご紹介を控えておきます。
読んだ後の感想は、人それぞれだと思いますが、あまりによくできている物語なので、例えばこの話がトムではなくて、ハティの視点から語られたらどうだったのだろうか、と私は想像してしまいます。そういう想像に耐えられるだけの、緻密な物語の組み立てがあるのです。
それは恵まれない少女時代を過ごしたハティが、その不幸な境遇の節々に、不思議な少年と出会う、という話でもあるのです。その少年に何か特別な力があるわけではありません。時には喧嘩もします。しかし、彼女には、そういう存在が必要だったのだと思います。
この話から私は、現在の、SNSの相談相手に誘われて事件に巻き込まれてしまう子供たちや、あるいは居場所がなくて「トー横」に集ってしまう少年、少女たちのことを連想してしまいます。彼らは孤独感に苛まれ、話を聞いてくれる人を求めているのです。そう考えると、ピアスさんは子供の成長に関する普遍的な物語を書いたのだ、と言えると思います。
それから、「時間」を自由自在に描写している点が、この物語の特徴です。トムが単に昔の庭園に迷い込んだ、というのなら、美しいファンタジーで終わってしまいます。しかしそうではなくて、時間の流れが二つの世界で違っている、という発想が、この物語に複雑な構造を与えているのです。そして、この物語は私に次のような疑問を提示します。
そもそも私たちの中に流れる時間は、デジタルに刻まれる時間ではなく、この物語のようにそれぞれの人たちの内面世界に流れる相対的な時間なのではないか?という疑問です。私のような老人の感じている時間と、若者や少年が生きている時間とは自ずと違っているはずです。その時間の違いが『トムは真夜中の庭で』では、それとなく描かれているような気がします。
それから、もう一つだけ、付け加えておきましょう。
この本のハティの描写が、とても魅力的です。自分の不幸を空想の力で乗り切ってしまう、その生きる力が素晴らしいのです。ハティはトムと出会った時に、自分は王様と王女様の娘だと名乗ります。現在なら、そんな嘘をついたらいっぺんにいじめられそうですが、トムはそんなことをしません。トムはハティの不幸な境遇を知った時に、そんな虚構も時には必要なのだとわかるのです
私が思うに、子供の頃というのは、それほど幸福な時代ではないのではないでしょうか?誰もが、それでもなんとか生き延びて大人になっていくのです。私自身、なんの取り柄もない子供でしたから、自分が幸福だと思ったことはほとんどありません。「子供の頃にかえりたい」という人が時々いるようですが、私は自分の人生を繰り返したいとは思いません。ましてや、勉強もスポーツも苦手だった子供時代、学校時代に戻りたいとは絶対に思いません。
この『トムは真夜中の庭で』では、トムもハティもそれぞれの時を懸命に生きています。物語の導入部の、真夜中に庭が現れてきた時には、何か素敵なファンタジーの物語だと思ってしまいましたが、読み進めると、もう少し切迫した何かを二人の様子から感じます。NHKの番組のように「眠れない時に読む本」というよりは、自分だけが不幸だと感じてしまっている若い方が読むとちょうど良い本なのかもしれません。SNSや「トー横」に依存したくなった時には、この本に書かれているような空想の力が必要なのだと私は思います。文学や芸術の力を、今こそ見直していきたいものです。


さて、この本を読みながら、自分のさえない少年時代を思い出していたら、中学校の時の美術の先生のことを思い出しました。
芸術家肌の先生で、私を美術の道に進むことを後押ししてくれた先生でした。

先生はモダンアート協会に所属し、中学校の教員の傍らフランスのサロン・ドトンヌにも出品されていました。私が卒業してまもなく退職されて、展覧会で一度お会いしましたが、その後のことはわかりません。もしかしたら、とインターネットで先生のお名前を検索したら、次のようにヒットしました。

小林 孔(こばやし こう、1927 - 2006)
1927年栃木県に生まれる。多摩造形美術学校を経て、1953年東京芸術大学美術学部油画科を卒業する。1954年からモダンアート展に出品し、61年会友、64年会員となる。1961年から62年にかけてメキシコに滞在、シケイロスに師事し壁画の研究にあたる。毎年のように個展を開催するほか、1975年からサロン・ドトンヌに出品し、83年会員となる。1986年徳島大学教育学部教授、87年総合科学部教授となり、後進の指導にあたる。1992年徳島大学退官記念展を徳島県立近代美術館ギャラリー、徳島県立21世紀館多目的ホールで開催する。鮮やかな色彩を駆使し、直線的なブラッシングを強調した叙情的な抽象作品を描く。
https://art.bunmori.tokushima.jp/srch/srch_art_detail.php?pno=1&no=10431

インターネットで調べると、小林先生の作品の画像も見つかります。オークションに出品された抽象絵画が中心になります。それよりも、あの後、徳島大学の先生になっていたなんて知りませんでした。
小林先生は、とにかく怖い先生でした。どういうことで怒るのか、他の先生とはちょっと違っていて、予想がつかないのです。メキシコに行っていた時には、しょっちゅうメキシコ人と決闘していた、ということを雑談まじりに話していました。そんな大袈裟な話?も、かなり本当らしく聞こえていました。
それから私が覚えているのは、生徒の作品の裏に5,000円とか10,000円とか金額を書いて、それを評価として示していたことです。今だったら問題になるかもしれませんね。それに先に出した作品には点数が甘くて、後から出して比較する作品が増えていくにしたがって点数が辛くなるのは生徒から見ても明らかでした。
また、クロッキーの時間には、生徒たちと一緒にクロッキーをすることがありましたが、割と上手だったと思います。上手く描けると、その作品をモデルをした生徒にあげていました。
その小林先生が、私が卒業するときに、ほとんど個人的に口をきいたことがなかったにもかかわらず「美術系に進むつもりはないか?」と声をかけてくれました。先にも書いた通り、私は取り柄のない少年でした。美術についても、実はそれほど評価が高かったわけではなかったのです。私の水彩画に先生が「色感が悪い」と一言、書かれていたのを覚えています。中学一年生でしたから、その時には何を言われているのかわかりませんでした。しかし今ならば、自分の致命的な欠点について書かれていたのだ、とわかります。それでも先生は美術系の予備校のパンフレットを一枚差し出して、興味があるのなら行ってみなさい、と勧めてくれたのです。。
実は先生からそう言われる前に、私は自分には勉強は到底無理だとわかっていました。しかし美術系に進むなどという話は我が家では荒唐無稽なことでしたから、どうやって親を口説いたものなのか、考えあぐねていたのです。しかし、これを理由にして、「美術の先生に勧められたのだから・・・」と両親を説得して、予備校に通うことに成功したのです。
その後、美術大学に入学した後だと思いますが、先生が個展を開いていることを知って、見に行きました。その時には先生は中学校の教師を辞めていて、「もう年だから、絵を描くことだけに集中したい」と言っていました。まさか、その後に大学の先生になるなんて、夢にも思いませんでした。
そして、残念ながら先生の作品は、いささか感覚的な甘い色使いが目について、私には物足りない感じがしました。意外なことに、「どれがいいと思うか?」と意見を求められたので、その中でも構成的にしっかりとして見える作品を指差したら、「ああ、やっぱりかっちりとした作品がいいんだね」と先生は頷かれていました。
そんな小林先生の素晴らしかったところは、とにかく展覧会を見に行きなさい、と生徒たちに勧めていたことでした。時には割引券を配るということもしていました。今思うと、結構マメな先生だったなあ、と感心します。
私は勧められるままに、ボナール(Pierre Bonnard, 1867 - 1947)、マルケ(Albert Marquet, 1875 - 1947)、ジャコメッティ(Alberto Giacometti、1901 - 1966)、福田平八郎(ふくだ へいはちろう、1892 - 1974)、アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth, 1917 - 2009)などを見に行きました。
先生はワイエスさんの絵の写真を授業で見せて、「この風の表現は抽象画だ!」などと興奮して語っていました。個人的には、この時点でボナールさんとジャコメッティさんの本物の作品に出会ったことが大きかったと思っています。
そういえば、福田平八郎さんのことが、今日のNHKの「日曜美術館」で取り上げられていました。とても懐かしいですね。彼の作品の全てがいいとは言いませんが、ポスターになっている『漣』は素晴らしいです。
https://nakka-art.jp/exhibition-post/fukudaheihachiro-2023/
いずれ、平八郎さんについても書きたいですね。

さて、今回は少々、個人的な思い出を書いてしまいました。
つまらなかったらごめんなさい。
でも、これに懲りずに、次回にご期待いただけると嬉しいです。
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