前回のblogに追記したことですが、ここで改めてご連絡します。
前回取り上げた高柴牧子さんの『高柴牧子 1970-2022』という画集が、東京の「ギャラリーなつか」で見ることができるようになったそうです。興味のある方は、ギャラリーにいらした時に聞いてみてください、ということです。「ギャラリーなつか」のホームページは次のとおりです。
この画集と、美術評論家の平井亮一さんのテキストの素晴らしさについては、前回のblogで書きました。そちらも参照していただけると幸いです。
さて、今回は映画の話です。
遅まきながら、村上春樹さん原作の映画『ドライブ・マイ・カー』を見ました。
この映画は濱口竜介監督が、村上春樹さんの短編小説に自由に肉付けし、179分の長編作品に仕上げた、ということを聞いていました。数々の映画の賞を取ったことでも話題になりました。私はその程度の知識で見たのですが、映画は予想以上の手応えがありました。しかし、私は映画を総合的に批評するだけの持ち合わせがありません。そこで今回は、この映画から、おそらくは映画の主要なテーマでもある「言葉」について、取り出して考えてみたいと思います。
まずはこの原作のタイトルである「ドライブ・マイ・カー」ですが、これはビートルズの曲のタイトルでもあります。名盤『ラバー・ソウル』の中の一曲です。
「drive my car」という言葉だけなら、自分の車を運転するだけですから、あたりまえの話です。ところが曲の歌詞ではこうなっています。
Baby you can drive my car
Yes I’m gonna be a star
Baby you can drive my car
And maybe I love you
歌詞の中では、車を運転するのは「あなた」です。私はスターになるから、あなたは私の車を運転しなさい、そうしたら、あなたを愛するかもね、という歌です。この歌から「運転手」と「車の持ち主」についての物語ができたわけです。私のように、英語に疎い人間には『ドライブ・マイ・カー』はビートルズの中期の、どちらかと言えば初期の頃の雰囲気を残した曲という印象がありましたが、こうして歌詞を注意してみると、まさに映画と小説の物語の骨格がすでにできていたように見えます。芸術の連鎖する力を、改めて感じますね。
その映画の物語ですが、こういう商業映画の場合には、ネット上で詳しく書きすぎてもいけません。公式ホームページの物語の部分だけを書き写しておきましょう。
脚本家である妻の音(霧島れいか)と幸せな日々を過ごしていた舞台俳優兼演出家の家福悠介(西島秀俊)だが、妻はある秘密を残したまま突然この世から消える。2年後、悠介はある演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島に向かう。口数の少ない専属ドライバーの渡利みさき(三浦透子)と時間を共有するうちに悠介は、それまで目を向けようとしなかったあることに気づかされる。
このあらすじには、高槻という男が出てきません。ここはちょっと大事なところなので、具体的な物語に触れないようにしながら、その男のエピソードについて説明しましょう。
高槻という男性、職業は俳優ですが、その男を映画では岡田将生さんが演じていました。映画の高槻は、村上さんの小説の中の高槻よりもずっと重要な役割を担っています。しかし、小説と映画の対比を始めるとキリがありません。そのような分析は、どこかで誰かがもっと上手くやっていることでしょう。だから私などがそのことについて語る必要はないのですが、この高槻という男について、私が映画を見ていて、おやっ、と思ったことが一つだけあります。
それは高槻が家福の妻について、家福も知らない重要なことを知っていた、ということに起因します。そのことを高槻は、みさきの運転する車の中で家福に告げるのです。この映画は村上さんの短編小説を上手くふくらませて、一編の長編映画に仕立てていますが、実は私は、村上さんの原作を読まずに映画を見ました。だから、どこまでが原作通りなのだろう、と考えながら見てしまったのです。例えば、家福は劇作家で俳優なのですが、そのために映画の中で別の演劇(チェーホフ)が演じられる、ということがしばしば起こります。こういう凝ったことは、短編小説ではやりにくいでしょうから、これは映画独自の設定だな、とすぐにわかりました。ところが、先ほどの高槻が家福に重要な事実を告げる場面ですが、その時に岡田さんのセリフが映画の流れから、少し浮いたように見えました。上手く言えないのですが、言葉が映画のセリフというよりも、小説の「書き言葉」のように美しく感じたのです。
この言葉が鍵となって、映画の展開が変わってきます。本当の鍵となるのは、高槻の起こした事件ですが、その種はすでにこの会話の中で撒かれていました。おそらく小説では、高槻の言葉によって家福の内面が変化したところで終わるのだろう、と勝手に予想しました。確かに小説でも、高槻との会話が重要な部分を占めていましたが、しかしこの重要な会話のセリフは小説のままではありませんでした。小説の中の高槻は、映画の中の高槻よりも正直で、少し鈍感な人のように読めました。岡田将生さんよりも、もう少し年配で人の良さそうな俳優さんが似合いそうな雰囲気です。
それでは、なぜ私はこの場面のセリフが気になったのでしょうか?
この会話の中には、家福の妻が生前に書きかけた物語が語られていました。家福が知っていた妻の物語には続きがあり、それを高槻だけが知っていたのです。二人のセリフの中でその物語が語られ、徐々にそれが妻の内面のメタファーであることがわかってきます。そして高槻は家福に対して、なぜもっと自分の奥さんにアプローチしなかったのか、と責めるのです。みさきの運転する家福の車の中で、という限定された空間で撮られた緊迫した場面は見事なものでした。それゆえに私には、言葉が映画の時間を超えて迫ってくるような気がしたのです。
映画という表現は、文学と映像と音楽とが混ざり合った総合芸術です。ですから場合によっては、それらのいずれかの要素が映画の時空間の中から立ち上がってくる、ということが起こります。そしてこの『ドライブ・マイ・カー』の場合には、言葉による表現が一つのテーマになっていましたから、小説並みに言葉が粒立って聞こえてくるのも当然だと言えるのです。
それにしても、言葉にはどうしてこのような力が備わっているのでしょうか?
私の専門外のことではありますが、私が言葉について根本的に考える時に三人の思想家のことが頭に浮かびます。正確には二人と一人、ということになります。そのことについて少し説明しましょう。
その二人組の中の一人ですが、このblogでも度々名前の出てくるソシュール(Ferdinand de Saussure、1857 - 1913)というスイスの言語学者がいます。その後の構造主義の始祖となったと見なされている人です。
彼は言語が何かのモノを指し示すときに、そこには必然性がないことを明らかにしました。例えば動物の犬を日本語では「イヌ」と言いますが、英語では「dog」と言います。これらの言葉の音声には、何も必然性がないのです。また「イヌ」という言葉が指し示すモノの範囲も、時代によって、あるいは地域によって微妙に違っているでしょう。また、言葉が発生する以前に「犬」という確固とした存在があったわけではなくて、私たちが「イヌ」という言葉を使うようになって、はじめて「犬」と「犬でないもの」の分類が成立したのです。
このソシュールの考察によって、言葉には何か必然的なもの、あるいは場合によっては神聖なものがあるという思想は成り立たなくなりました。また、言葉以前の確固とした実在というものも、考えにくくなりました。ソシュールの考え方は、言語の存在を相対化すると同時に、モノの実在についての考え方も変えてしまったのです。このソシュールの言語観は、言葉を網の目のようにモノの存在を分節するものだという固定的なイメージを生んでしまいました。そこには創造的な要素は何もなく、私たちは言葉によって分節されたモノを指し示すだけの存在になってしまったのです。
しかし、そのようなソシュールの解釈に対し、日本の言語学者の丸山圭三郎(1933 - 1993)さんは、ソシュールの言語観はもっと動的でダイナミックなものだと指摘しています。言葉によるモノの分節化は流動的なものであり、言葉は使っている人間によって指し示すもの、意味が動いているのです。
さて、<差異>の原理がもたらす最後の、しかし最も重要な問題は、ソシュールのラング内に見られる差異が、いささかも静態的固定的な概念ではなく、差異化活動という<力動記号学>の基底原理にもなっている点である。
(『カオスモスの運動』「Ⅲ静態記号学から力動記号学へ」丸山圭三郎)
このように言葉が流動的であり、言葉を使っている私たち次第で動いていくものであるとするならば、そこには言葉を表現手段とする芸術活動が成立することになります。例えば詩人と呼ばれる人たちは、その時点で言葉が表す意味の極限を見定めて、それを侵犯するような言葉を紡ぎ出すことによって、私たちのイメージの世界を広げていくのです。
このソシュールから丸山さんに至る言語の考察とともに私が思い出すのは、日本の批評家で詩人でもあった吉本隆明(1924 - 2012)さんの言語論です。吉本さんは『言語にとって美とはなにか』の中で、言語を「自己表出」と「指示表出」という二つの要素に分けて考えました。
「自己表出」というのは、人が自ら発する音声に対して次第に自分の意識の「さわり」を感じるようになり、それが特定の対象を指示するようになって言語的な表現になった、という自己表出的な言語の側面を表します。一方の「指示表出」は、先の「自己表出」の表現上の客観性が進み、目の前に対象物がなくても音声だけで何を指すのか了解できるようになった、という指示的、客観的な言語の側面を表します。言語表現というのは、この「自己表出」と「指示表出」の二つの要素が影響し合い、立体的な表現の膨らみを持つようになった、と吉本さんは考えます。
あるところまで意識は強い構造をもつようになったとき、現実的な対象にたいする反射なしに、自発的に有節音を発することができるようになり、それによって逆に対象の像を指示できるようになる。このようにして有節音は言語としての条件をすべて具えるにいたるのである。有節音が言語化されていく過程は、人間の意識がその本質力のみちをひらかれる過程にほかならない、といえる。
(『言語にとって美とはなにか』「第1章 言語の本質」吉本隆明)
吉本さんの本は難解で、私もこのような理解で良いのか、自信がありません。この吉本さんの理論を読むと、言語の発生過程に関する考察は、ちょっと怪しい感じがします。特に「自己表出」の説明の意識の「さわり」という部分が、感覚的にはわかるような気がするものの、理論的にどうなのかなあ、と思ってしまいます。その一方で、言語の芸術的な側面を考えるときに、「自己表出」と「指示表出」が影響し合って立体的な言語像を結ぶ、という考察はとても魅力的です。詩人でもあった吉本さんは、言語の客観的な機能性と、主観的な面が強い芸術性とがどのように両立しながら創造性を育んでいったのか、そのことを解明したい欲求に駆られていたのだろうと思います。
このような言語の根本的な考察が、実際の現代の小説の中でどのように生かされているのでしょうか?
かつての詩人のように、例えばランボオ(Arthur Rimbaud、1854 - 1891)のように過激に、あるいはリルケ(Rainer Maria Rilke、1875 - 1926)のように深く語ることは、今では難しいのかもしれません。
でも、例えば次のような、小説『ドライブ・マイ・カー』の中で、バーで一緒に飲みながら高槻が家福に語る言葉はどうでしょうか?
「僕の知る限り、家福さんの奥さんは本当に素敵な女性でした。もちろん僕が知っていることなんて、家福さんが彼女について知っていることの百分の一にも及ばないと思いますが、それでも僕は確信をもってそう思います。そんな素敵な人と二十年も一緒に暮らせたことを、家福さんは何はともあれ感謝しなくちゃいけない。僕は心からそう考えます。でもどれだけ理解し合っているはずの相手であれ、どれだけ愛している相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。そんなことを求めても、自分がつらくなるだけです。しかしそれが自分自身の心であれば、努力さえすれば、努力しただけしっかり覗き込むことはできるはずです。ですから結局のところ僕らがやらなくちゃならないのは、自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか。本当に他人を見たいと望むのなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです。僕はそう思います」
(『ドライブ・マイ・カー』村上春樹)
この中で、「でもどれだけ理解し合っているはずの相手であれ、どれだけ愛している相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です」という一文などは、話し言葉としてはちょっと出てこないと思います。特に「覗き込むなんて」の後に「それはできない相談です」と続くところが、話し言葉としては見事すぎる感じがします。しかし私たちはすでに、このようなセリフを村上春樹的な世界として魅力を感じてしまうわけです。
映画では、この場面にあたるところが家福の車の中になっていて、それをみさきが一緒に聞いています。この会話をみさきも共有しているところが、映画の中では重要なポイントになっていると思います。そして映画の高槻は若くて尖っていて、暴力性も秘めています。その高槻と家福の会話の応酬ですから、小説よりもセンテンスは短めだったように思いますが、緊迫度は小説よりも高かったかもしれません。そしてやはり、映画のセリフとしてはちょっと見事すぎる感じがしたように思います。一言一言を覚えているわけではないので、もう一回見ると違った印象を持つかもしれませんが、はじめて見た私は、良い意味での違和感を感じました。
この違和感は、吉本的に言えば、言葉の中の「自己表出」が「指示表出」よりも度合いが高かったのではないかと思います。言葉の凡庸な客観性、つまり「指示表出」よりも語り手の想いが鋭角的に飛び出してしまう「自己表出」が高かったということなのです。
おそらく、村上春樹さんの小説には、このような「自己表出」の高揚が、目立たないように表現されているのだと思います。私は学生時代に、村上さんの小説を繰り返し読みました。私の印象では、『ノルウェーの森』より前の村上さんの小説は、小説世界の抽象度が高くて、文章を繰り返して味わうのにちょうど良かったのです。『ノルウェーの森』になると、内容が具体的になった分だけ繰り返し読むのが少ししんどくなったように思います。これは個人の好みの問題もありますので、どうでも良いことですが、いずれにしろ村上さんの小説には「自己表出」の度合いが高くて、村上さんの小説は残念ながらその点が十分に評価されていないと思います。
さて、映画の『ドライブ・マイ・カー』ですが、言葉の問題としてだけ考えてみても、もっと色々なことを含んでいて、例えば映画の下敷きになっていたチェーホフ(Anton Pavlovich Chekhov、1860 - 1904)が曲者です。それから、映画中の演劇が多言語で行われていたことも、興味深いことです。この点については、実際に母語でない言葉で創作活動をしているリービ英雄さんとか多和田葉子さんなどの活躍も参考になるかもしれません。
こう考えただけでも盛りだくさんの映画ですね。いずれこれらの問題についても、このblogで取り上げてみます。もう少し考察を進めてみますのでお楽しみに。