平らな深み、緩やかな時間

206.カルチャーラジオ 『美と感性を考える』、村上RADIOのスタン・ゲッツ

このインターネットの時代にラジオを聞く、というのは時代に逆行しているのでしょうか。しかし、ストリーミングで聴けるという点で、インターネットとラジオは思いの外、相性が良いようで、おまけにワイヤレスのイヤホンのおかげで風呂の掃除をしながらでも聴ける、というところが利点です。
そこでご紹介したいのが、「カルチャー・ラジオ」の『美と感性を考える』という美学の講座です。私も友人からこの講座のことを教えてもらいました。1月5日から始まっていて、すでに3回目が放送されましたが、聴き逃し配信ですべて聴くことができます。
https://www4.nhk.or.jp/P1928/
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=1928_01
今回は、その内容をふまえて、美学について思うことを書いてみたいと思います。
なお、この講座の講師は上智大学大学院教授の佐藤啓介という方です。インターネットで調べると、1976年生まれということですから、私から見るとまだ若い研究者です。皆さんから見ると、どんなものでしょう。

その具体的な内容に入る前に、そもそも「美学」とはどのような学問なのか、ということを考えておきましょう。と言っても、偉そうに解説するほど私も詳しくはありません。
私が「美学」に初めて触れたのは、大学生の頃でした。
私が選択した「美学」講座を担当されたのは川上実先生でしたが、その川上先生は最初の講義で、「美学」は皆さんにとって、あまり面白いものではないだろう、ということを言われました。そして、もしかしたら皆さんが興味を持っているのは「芸術学」と言われるものなのかもしれない、という趣旨のことも言われました。
十代の私には、美学も芸術学も、そして哲学もよくわからない、何やら難しそうな勉強だ、という印象しかありませんでした。川上先生の授業も、今ならばいろいろと興味深く聞くことができるのでしょうが、当時は先生が教えてくださったであろう理論的な部分を全部スルーして、先生がヨーロッパに行った時の話とか、ちょっとひねくれた冗談とか、つまり雑談ばかりを面白がって聞いていただけだったのです。
それにしても、川上先生はなぜ最初にあんなことを、つまり学生の興味を削ぐようなことを、あえて言われたのでしょうか。
たぶん川上先生は、学生たちが「美学」という講座に、小難しい美術批評や音楽評論を読み解くための知恵のようなものを期待しているのだろう、と見抜いていたのでしょう。けれども「美学」は具体的な作品を批評する評論とは違って、もっと原理的で、普遍的なものです。したがって、「美学」を学んでも、すぐに現代美術や現代音楽の評論が読めるようになるわけではないのです。この文章を読まれる方も、それを頭に置いておいてください。
それでは、美学という学問がどのようにして生まれたのか、調べてみることにしましょう。
美や芸術について、昔から人は多くのことを語ってきました。
例えば、有名なギリシャの哲学者プラトン(Plátōn、紀元前427 - 紀元前347)は、完全なる存在「イデア」というものがあると想定しました。その考え方によると、現実の世界のものというのは、理想的なイデアの模倣に過ぎず、さらにそれを表現した絵画などの芸術作品は模倣の模倣ということになりますので、もっとも下位に置かれた存在ということになります。もちろん、この考えに私はまったく納得できませんが、そういう理想を追い求める姿勢が、美しいギリシャ彫刻を生んだのかもしれない、と思うと、それも貴重な世界観だったのかな、と思います。
そんなふうに、昔から美について考えた人たちは大勢いましたが、それは「美学」というのではなくて、哲学( philosophy)の一つの分野でだったのです。それを「美学」という独立した分野として研究したのが、アレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテン(Alexander Gottlieb Baumgarten、1714 - 1762)という人です。バウムクーヘンと音が似ていますが、やはりドイツ系(プロイセン王国)の人ですね。この人の『美学』という本が翻訳されていて、なんと文庫本で出ています。
私も一応持っていますが、難解すぎてとても読めたものではありません。例えばその本の出だしは、次のような文章です。

一七四二年に、真理認識において下位諸能力を嚮導(きょうどう/先に立って導く)するための助言を幾つか新しい講義で示すよう求められたとき、私はいつもの習慣に従って、重要な定義と証明は聴講者が筆記するよう口述し、他のものを説明するのは、もっと自由な談話のためにとっておいた。私の集めたものは、その原稿を手に入れた何人かの学者たち──特に、尊敬すべきハレの教授である高名なゲオルク・フリードリヒ・マイアー(1718-1777)──の好評を得るところとなった。
(『美学』「序言」バウムガルテン、松尾大訳)

これはバウムガルテンが、フランクフルト大学で哲学史上初めて「美学」の講義を行い、その自説が広まっていった時のいきさつを語ったものだと思われます。文中のマイヤー教授はバウムガルテンの弟子だそうで、バウムガルテンの講義の草稿を入手して刊行し、「美学」を広めるのに貢献したのだそうです。
さて、この文章のはじめの「真理認識」における「下位諸能力」と言われているものとは、いったい何でしょうか。
この時代の考え方として、人間の「理性」の上にあるもの、それは「知性的なもの」だと考えられ、それが人間の上位の能力だと認識されていました。それを研究するのが「論理学」という学問だったのです。
それでは「理性」の下にあるものとはいったい、なんでしょう。それは「鋭敏さ、想像、明敏さ、想起、詩作力、趣味、予見、観念表示の力」といった能力で、それらが「理性」の下にある能力だと認識されていました。ですから、それらは人間の下位の能力であり、それを研究する学問のことを「美学」としてバウムガルテンは位置付けたのです。
「論理学」の対象は曖昧さのない、明晰なものですが、一方の「美学」の対象はあいまいで、はっきりと語ることが難しいものばかりです。これらを感受するのは「知性」ではなく「感性」、平たくいえばさまざまな感覚ということになります。ですから、「美学」という言葉はaesthetics、またはesthetics(エスセティクス、またはエステティクス) という外国語の翻訳なのですが、直訳すると「感性学」ということになります。このカルチャーラジオ のタイトルも、『美と感性を考える』というふうに「感性」という言葉が使われているのは、そういう理由からなのでしょうね。「美」そのものがわかる、というよりは「美」をどのように人間が受容するのか、それを研究し、言葉として語ろうとするのが「美学」だと言えるでしょう。
このように成立した「美学」ですが、その後、偉大な哲学者のイマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724 - 1804)やフリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770 - 1831)によって考察が重ねられ、発展していきました。
しかし、ヘーゲルは自分の考えている「美学」の理想と、同時代に現れたロマン主義芸術とが齟齬をきたしていることに気づき、芸術への絶望を語ったのです。その言葉が回り回って、現代の「芸術の終焉」論に影響を与えることになりました。そのあたりの事情について、私は以前にblogで書いています。
https://blog.ap.teacup.com/tairanahukami/95.html
考えてみれば、もともと自然の「美」も芸術の「美」も含めて「美」ついて考える哲学的な学問であった「美学」ですから、同時代の芸術作品と必ずしも寄り添うことにはならないのです。そこで「芸術作品」について考える「芸術学」という分野が、新たに現れたのだそうです。川上先生の話を思い出すと、現代美術や現代音楽に寄り添った勉強をしたければ、それは「芸術学」の方が適切なのではないか、ということだったのですね。
しかし、私は現代美術を学ぶ立場で多少の本を読んでいますが、そのときに「美学」とか「芸術学」といった学問を意識することは、ほとんどありません。それはカントやヘーゲルなどが積み上げてきた「美学」の成果がどうでもよくなった、ということではありません。例えばカントは現代絵画の最大の評論家、クレメント・グリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 - 1994)に大きな影響を与えていますし、先ほども触れたようにアーサー・コールマン・ダントー(Arthur Coleman Danto, 1924 - 2013)はヘーゲルの影響から「芸術の終焉論」を唱えました。このように、現代でも脈々と彼らの「美学」における知的遺産は生きているのです。
おそらく現代においては、「現象学」とか「構造主義」とか「ポスト構造主義」とか言われるような新しい学問が次々と起こっているので、「美学」や「芸術学」という分野を飛び越えて、それらの知見がいろいろなところで取り込まれているのではないでしょうか。

こんなふうに、「美学」の流れを見ていくと、例えば今回のカルチャーラジオの講座だって、「美学」の学説を概観することもできたはずです。しかし、講師の佐藤啓介は、「美」について語るということはどういうことか、という具体的な話から始めて、「美学」の流れについては学者名や学説などの小難しい話を極力抑えて、それらを噛み砕いて語っているように思います。
例えば、「美学」とは人の「感性」に関する学問である、ということを、佐藤ははじめにきちんと宣言しています。これは唯一無二の「美」について考える講座ではなくて、人によって「美しい」とか「かっこいい」とか「かわいい」と感じる感性がそれぞれ異なるわけで、その感じ方について考える講座だ、と言っているのです。
そして続けて、「感性」について詳しくなったからといって、いわゆる「センス」がよくなるわけではない、とも断っています。川上先生の授業とも似ていますね。「美学」に詳しくなったからといって、身につける服のセンスが突然に良くなるものではありません。あるいは私のように絵を描いている人間ならば、良い絵が描けるわけではないのです。
ただ、「美学」にしても、「哲学」にしても、「芸術学」にしても、先人たちが残した大切な知的財産です。その知的財産を学ぶことは、何かしら人を豊かにすることにつながるでしょう。今の日本は、何かといえば実益的な知識ばかりを重用しますが、それでは芸術そのもの、ひいては人間そのものがやせ細ってしまいます。いつも書いていることですが、今こそ人文科学の知が必要なのです。
とはいえ、「美学」の本を読むというのは、なかなか骨が折れます。見慣れない思想家の名前が出てきたり、抽象的な概念が次々と提示されたり、それだけでも嫌になってしまいます。ですから、もしもこういうラジオ講座で、「美学」への興味が深まっていくのなら、それは素晴らしいことだと思います。

そのカルチャーラジオ講座の具体的な内容は、講座のストリーミングを聞いていただくのが一番ですが、ついでに一つだけ、2回目と3回目の話題「調和と曲線の美」について、私がちょっと思ったことを書いておきましょう。
この講座では「調和の美」と「曲線の美」が対比的に解説されています。
「調和の美」で取り上げられているのが、イタリア・ルネッサンスの才人、レオン・バッティスタ・アルベルティ(Leon Battista Alberti、1404 - 1472)です。アルベルティは「美学」を語る上で欠かせない人なので、これは当然のことでしょう。しかし、それに対する「曲線の美」を論じるのに、佐藤啓介はウィリアム・ホガース( William Hogarth, 1697 - 1764)というイギリスの画家、思想家を取り上げています。これは、順当なことなのでしょうか。私には、じゃあ、誰が・・・という心当たりはないのですが、アルベルティ対ホガースというのは、ちょっとバランスが悪いような気がするのです。
そのホガースですが、『エビ売りの少女』という絵がもっとも有名だと思いますので、とりあえずその作品を見てください。
https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/william-hogarth-the-shrimp-girl
ホガースはバロックやロココ絵画の時代における、数すくないイギリス絵画の巨匠だと言われています。そして、彼が著した美学書『美の解析』は、日本語で翻訳されています。その中の版画の図版を見てみると、うーん、今ひとつかな、と思ってしまいます。
http://atelierlaporte.blogspot.com/2018/05/blog-post.html
もともと風刺画ですから、そこに芸術性ばかりを求めてもいけないのですが、そうは言っても、それほど立派な画家でしょうか?しかし、今回の講座を聞く限り、ホガースの曲線に関する解釈、その動的な美しさへの指摘は興味深いものがあります。そう考えてみると、「調和と曲線」という対比を語る上で、時代も知名度も異なる二人の学説を並べて論じる、というこの講義はなかなか見事なものです。これは「美学」をよく知っている研究者ならではの解説なのかもしれません。
この講座では、この後も「虚構の美」と「本物の美」、「崇高の美」と「醜い美」というふうに、美の概念を対比的に語ることで「美学」が感性の学問であることを具体的に、かつわかりやすく示そうとしているように思います。
私としては、カントの美の概念として有名な「崇高」について、先ほども書いたようにそれが現代のアメリカ絵画にまで影響しているので、それがどのように語られるのか興味があります。さらにその後で「醜い美」について語るということですから、「崇高」という概念がそこで相対化されるのではないか、という期待もあります。というのも、私はアメリカの現代絵画を相対化するような視点が、これからの絵画を考える上でとても重要だと考えているのです。
この講座の「崇高の美」と「醜い美」の解釈が、その手がかりになるのなら面白いことになります。



さて、今回はもう一つ、ラジオ番組について書いておきたいと思います。
こちらは講座ではありません。村上RADIOの成人の日スペシャル『スタン・ゲッツー音楽を生きるー』というレコード・コンサートの放送です。村上春樹は少し前に、ドナルド・L・マギンという人が書いた同名の本を翻訳しています。今回はその本をもとに、スタン・ゲッツ(Stan Getz、1927 - 1991)の生涯をたどりながら、村上春樹のレコード・コレクションからスタン・ゲッツの代表曲をかける、という内容です。会場はもちろん「早稲田大学国際文学館 村上春樹ライブラリー」です。
その放送された内容は、文字として次のホームページで読むことができます。
https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/index_20220110.html
私にはスタン・ゲッツについて語るほどの知識はないので、とにかく興味のある方はこのホームページを見て、当日にオンエアされた曲を探してみてください。
その放送の中で、とくに私が興味を持ったことについて、一つだけ書いておきます。それは村上春樹が語った次の部分となります。

当時はもうジョン・コルトレーンの全盛時代です。ジョン・コルトレーンはマイルスのグループから分かれて、自分のバンドを組んで、マッコイ・タイナー、エルヴィン・ジョーンズ、ジミー・ギャリソンの例の凄いバンドを組んでモードジャズを追求して、それからどんどんフリーの方向に行って、最先端行くわけですよね。
ゲッツも新しいことはやるんだけど、コードジャズからやっぱり離れられない。というか、むしろコードジャズの可能性を掘り下げていくという方向に行くんですよね。だから、60年代に全然違うタイプのジャズに2人は突っ走るわけです。

でも結果的に言うとジョン・コルトレーンはやっぱり行き詰まっていくんですよね。これ以上先に進めなくなっちゃうという状態に陥ります。それからあと、もっと違う形に発展したと思うんだけど、そこで亡くなっちゃって(1967年没)。ゲッツは、スタイルを変えないで自分の中を深めていくという方向に行って、60年代に生き残ります。60年代を生き抜くっていうのは結構大変なことだったんですよね。

この「Focus」というレコードは玄人筋には評価されたけど、営業的にはあまり売れなかったと言いましたけど、その次にやった新しいことでスタン・ゲッツは世界で一番お金持ちのジャズ・ミュージシャンになります。それがボサノバです。
(村上RADIO 『スタン・ゲッツー音楽を生きるー』より)

これは1960年代のはじめに、ヨーロッパで生活していたスタン・ゲッツがアメリカに戻った時の話です。そして、もちろん、ラジオではこの後に『イパネマの娘』のレコードがかかるのですが、興味深いのはジョン・コルトレーン(John William Coltrane, 1926 - 1967)とスタン・ゲッツの、それぞれの音楽家に対する村上春樹の解釈です。
コルトレーンを「行き詰まっていく」というふうに評価する一方で、スタン・ゲッツを「自分の中を深めていく」音楽家として対比的に語る、という視点は、かなり珍しいのではないか、と思います。
私はジャズのことがまるで分からなかったので、学生時代に岩浪 洋三(いわなみ ようぞう、1933 - 2012)というジャズ評論家の書いたガイドブックを手がかりに、いろいろなレコードを聴きました。タッド・ダメロン(Tadd Dameron、1917– 1965)なんて音楽家は、岩浪洋三の本がなければ、まず知ることがなかったでしょうし、それ以外にもさまざまな教えを彼の本から受けています。
岩浪洋三はコルトレーンの遺作『エクスプレッション』について、「全体がひとつの悟りを思わせる祈りとスピリチュアルな響きに満ちていて、遺作にふさわしい」(『JAZZ CDで聴く名盤・名演』)と書いています。ですから、「行き詰まっていく」という評価とはほど遠いのです。
私自身はマッコイ・タイナーやエルヴィン・ジョーンズがバンドを去った後のコルトレーンの音楽は難解な気がして、試しに数枚聴いただけで聴き込んだことがありません。しかし、この1960年代のジャズの革新はちょうど同時代のアメリカ現代絵画の革新とリンクしているという思いがあって、興味はあるのです。そのジャズの革新者であるコルトレーンが行き詰まっていたというのであれば、いずれはそれを聴きこんで実感してみなければなりませんね。それにしても、ちょっとフリー・ジャズは苦手です。オーネット・コールマン(Ornette Coleman、1930 - 2015)の音楽は意外と好きですが・・・。
そんなことを考えながら、『スタン・ゲッツー音楽を生きるー』の単行本を図書館から借りてみたら、「訳者あとがき」に村上春樹はこんなことを書いていました。

ジョン・コルトレーンは「もしそうできるものなら、すべてのテナー奏者はスタン・ゲッツのように吹いていることだろう」と発言し、ゲッツの演奏者としての能力を高く評価していた。しかしそのスタン・ゲッツに不足していたのは、ジョン・コルトレーンの持つ革新的創造力だった。そしてゲッツ自身、そのことはよく認識していた。天才、天才を知るというか、二人は互いの特質を率直に認め合っていたと言えるだろう。
そういう意味あいにおいて、一人のジャズ・ファンとして、「僕はスタン・ゲッツがいちばん好きだ」とは手放しでは広言しにくいところがあった。とくに「革命の時代」「政治の季節」ともいうべき1960年代において、スタン・ゲッツ・ファンであるというのは、ごく控えめに表現して、人々の賞賛を(あるいは承認を)期待できる立場とは言いづらかった。「隠れキリシタン」とまでは言わないが、ジャズ・ファンとして「肩身が狭い」という感覚がそこには抜き差しがたくあった。その時代、本格的なジャズ喫茶で、スタン・ゲッツのレコードをリクエストするのは、少なからぬ勇気が必要とされる行為だった。ジョン・コルトレーンの「至上の愛」とか、オーネット・コールマンの「フリー・ジャズ」とか、エリック・ドルフィーとかセシル・テイラーとか、そういうハードで革命的な音楽を、当時の青年たちの多くは真剣な面持ちで、いわば哲学として聴き込んでいたから。そういう生真面目な場所では、スタン・ゲッツの音楽はやわだと見なされ、比較的軽く扱われていた。前衛か無か・・・善くも悪くもそういう時代だったのだ。今の若い人たちにはおそらく想像もつかないだろうけれど。
(『スタン・ゲッツー音楽を生きるー』「訳者あとがき」村上春樹)

そういう雰囲気はよくわかります。だいたい、当時のジャズ喫茶って、なんであんなに暗かったのでしょう?私も若かったから、暗い店の中でも文庫本を読みながら長居したものですが、今なら読書することなどとても無理ですね。
それはともかく、革新的なコルトレーンが行き詰まり、自分の音楽を掘り下げたゲッツが生き残った、という村上春樹の解釈をしばらく心に留めて、当時の絵や音楽を鑑賞することにしましょう。先ほども書きましたが、1960年代の前衛的な美術と音楽はしっかりと結びついていました。絵画についていえば、革新的であるがゆえに行き詰まってしまったと思える例は、いくらでもあるのです。しかし、スタン・ゲッツの音楽に比肩するような画家、つまり自分の芸術を掘り下げることで生き延びた画家というと、いったい誰のことになるのでしょうか。
村上春樹のつぶやきのような一言にあまり拘泥されては、語った本人も本意ではないでしょうが。しかし「美学」のところでも書いたように、その時代のアメリカの現代絵画(抽象表現主義とか、カラー・フィールド・ペインティングとか、さらにミニマル・アートなど)をちゃんと受け止めた上で、それらを神格化せずに冷静に評価することが、いまの絵画にとってとても必要なことなのです。


ということで、今回はラジオから学んだことを書いてみました。
街に出る機会が少なくなってきている今、家でラジオでも聴いてみませんか。

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