平らな深み、緩やかな時間

62.松浦寿夫「同時偏在性の魔」から、ジャコメッティを考える

松浦寿夫氏、林道郎氏の責任編集による美術批評雑誌『ART TRACE PRESS』の3号が発行されました。現在、私の知る限り、大手出版社から定期的に刊行されている美術批評の雑誌は皆無です。ですから、これは貴重な仕事だと思います。
http://arttrace.org/
その3号ですが、「Black Mountain College」の特集です。ブラック・マウンテン・カレッジといえば、ちょうどこのブログで紹介したトゥオンブリーも在籍していた学校です。ということでタイムリーな企画だと思いますが、この特集について書くには、私は少々勉強不足、情報不足です。そこで今回は、雑誌に連載されている松浦寿夫の「同時偏在性の魔」という論文について書いてみます。その中で取り上げられているのが、彫刻家、画家のジャコメッティであり、そのジャコメッティに関するロザリンド・クラウスの「ノー・モア・プレイ」という論文です。これらのモチーフが、今の私にとってはとても興味深いのです。

ロザリンド・クラウスの「ノー・モア・プレイ」は、彼女の評論集『オリジナリティと反復』という本に収められています。余談ですが、この本は現在、入手困難なようです。こういう論文集こそ、いつでも入手できるようにしてほしいものですが・・・。論文のタイトル「ノー・モア・プレイ」は、ジャコメッティが1932年に制作した作品のタイトルでもあります。この作品は「もう、遊ばない」の意味通り(?)、ゲームのボードのような形状をしていて、水平の平面上に幾何学的な形の凹凸があるものです。いわゆる、ジャコメッティのシュルレアリスム的な時代の作品、ということになります。
ジャコメッティの作品は、いまさら言うまでもないことですが、若いころのシュルレアリスム的な傾向の作品と、その後の針金のような作品と、大きく分けて考えることができます。この論文のなかでクラウスは、ジャコメッティの若いころの作品について緻密に論じたうえで、そこから彫刻家が後期の作品へと移行したことについて、こう結んでいます。

 ジャコメッティが拒絶していたのは、単純にシュルレアリスムとの繋がり、あるいはそれに関連した部族美術との繋がりだけではなかった。もっと深い、構造的なレベルにおいて、彼は水平的なものとそれが意味したすべてを破棄したのだ。すなわち、彫刻の形式に関する諸問題をその中で再考すべき一つの次元と、人体組織を《変質》させた母型とを、ともに放棄したのだ。1935年以降ずっと、彼は垂直の彫刻に専念した。この決断以降彼は、共労して30年代初期の彼の作品に目覚ましい輝きを与えていた二つの関心事を置き去りにしたのである。すなわち低俗なものと原始的なものを、である。
(『オリジナリティと反復』「ノー・モア・プレイ」ロザリンド・クラウス著、小西信之訳 より)

この結びの文章から、あるいは論文全体を通じて、クラウスがジャコメッティの後期よりも前期を高く評価していることがわかります。一般的にはジャコメッティの彫刻は、後期の針金のような「垂直の彫刻」の方がよく知られていますから、クラウスのジャコメッティへの評価は、それに異を唱えるものだと言えます。もう少し言えば、ジャコメッティの前期の作品は、後期の作品へといたる過渡期のようなもの、あるいはシュルレアリスムが美術界を席巻していたころに、ジャコメッティもその流行の例外ではなかった、というふうに理解されることが多いと思います。私自身、ジャコメッティを初めて知ったのは、その針金のような肖像彫刻でした。しかし、実際に展覧会などでジャコメッティの前期の作品を見てみると、その独創性にびっくりしてしまいます。シュルレアリスム運動に触発されながらも、ジャコメッティは人間の内面的な不安やおそれに対し、独自でかつ普遍的な表現に至っていたのではないか、という気がします。さらに彫刻という表現形式について考えてみても、実に柔軟に解釈した上で、縦横無尽に自分の発想を表現していると思います。このように前期のジャコメッティの作品を高く評価することは、必ずしも後期の作品への興味を減じさせるものではありませんが、しかし一面では、ジャコメッティが後期において、それまでの斬新さや、表現を拡張していくような可能性を保留にしてしまい、モデルと対峙するという限定的な制作方法に終始した、という評価も成り立つでしょう。ジャコメッティ自身は、当然のことながら自分が後年、選択した方向性に対して、肯定的な発言をしています。そしてジャコメッティを論じた評論家が、その作家の発言を追随するようなことを書く、ということも当然、あったでしょう。クラウスはこの論文の文頭で、そのような批評について批判的な立場から、次のように書いています。

 「見ている者に捧げ物でもするかのように、膝を折っている少女(これは彫刻家がかつて故郷で見た、幼い少女がとった姿勢から着想を得たポーズである)。」ジャコメッティの《見えないオブジェ》をこのように記述すること、それは、1940年代にこの彫刻家が自ら開始した新たな揺籃期を書き改める作業に加担するということを意味する。ミシェル・レリスは、彫刻家の1951年の展覧会カタログのために構成したテクストにおいて、《見えないオブジェ》を観察可能な世界に対する単純な透明性に奉仕するものと位置付けることによって、この新たな出発に協力した。
(『オリジナリティと反復』「ノー・モア・プレイ」ロザリンド・クラウス著、小西信之訳 より)

あるいは彼女は、上記の文章の少し後で、こう続けます。

 だが、ジャコメッティが後に回想する(そしてレリスの述べる)スイスの少女は、この感嘆すべき客観的偶然の基調となる例とは、全く何の関わりもない。スイスの少女は一個の芸術作品の直接の現実上のモデルとしての役割を果たすことによって、《見えないオブジェ》をシュルレアリスムの軌道から逸らし、ジャコメッティの戦後のアトリエという王国の中に据える。周知のように、来る月も来る月も試行錯誤を繰り返し、目の前でポーズするモデルの姿を捉えるために倦むことなく続けた彼の腐心の中にである。こうして、《見えないオブジェ》をシュルレアリスムとは別の文脈、すなわちサルトルやジュネのような新たな友人や支持者たちとの関係の中に置くことによって、レリスの説明は、これを『知覚の現象学』の問題圏に引き寄せ、「通底器」のそれから引き離すのである。
(『オリジナリティと反復』「ノー・モア・プレイ」ロザリンド・クラウス著、小西信之訳 より)

《見えないオブジェ》は、プリミティブで単純化された形体で表現された、少女の立像なのですが、ジャコメッティはこれを故郷の少女の姿から制作したのだと言い、レリスという評論家がその言葉を前提にして記述したわけです。クラウスの解釈では、これは事実と異なることであり、それをこの論文全体を通じて緻密に証明しているのです。それは読者を説得するには十分なものです。
しかしその一方で、私はこのクラウスの論文について、どこかしら腑に落ちないものを感じてしまいます。それはたぶん、クラウスが後期のジャコメッティの作品や表現活動を、迷うことなく切り捨てているからだと思います。私はどんなにジャコメッティの前期の作品を高く評価するとしても、後期の作品をなかったことにしてしまえば、それはジャコメッティという芸術家の半面しか見ないことになってしまう、というふうに思います。

さて、そこで松浦寿夫の「同時偏在性の魔」という論文について考えてみます。その中では、クラウスの論文「ノー・モア・プレイ」について、こう書かれています。

 このクラウスのテクストが、その緻密な議論の編成においてきわめて充実したものであることを強調したうえで、この記述を支える戦略的な選択が決して中立的なものではなく、ある原理的な選択に依拠している点を改めて指摘しておこう。しかも、この原理的な選択には、二重の相貌を帯びているのだが、その一面に関しては《見えないオブジェ》(1934年)に関するミシェル・レリスの記述を批判的に検討する冒頭の部分で、レリスの説明が、この作品をブルトンの『通底器』の問題群から遠ざけ、メルロ=ポンティの『知覚の現象学』の問題群に引き寄せるものであると指摘する一節に露呈している。つまり、それを、サルトルないし、メルロ=ポンティ型の現象学的な思考に対する批判的な戦略点の確保と呼んでかまわないだろう。もうひとつの相貌は、直接的な言及をまったく含まないとはいえ、グリーンバーグ型のモダニズムの定式化への抵抗と呼んでおくことにする。むしろ注目すべき点は、このクラウスの所作が否応なく、現象学的思考とモダニズムの体系との隣接性が生じる場の可能性を暗示していることである。
(『ART TRACE PRESS 3 』「同時偏在性の魔 3」松浦寿夫著 より)

この、クラウスの論文が「決して中立的なものではなく」という点が、私の腑に落ちなかった点と関わっているのだろうと思います。
クラウスの「戦略」について、少し考えてみます。ジャコメッティの芸術や、モダン・アートについて学んだ経験があるのならば、クラウスが問題としている「メルロ=ポンティ型の現象学的な思考」や、「グリーンバーグ型のモダニズムの定式化」について触れたことが、誰にでもきっとあることでしょう。場合によっては、その思考にどっぷりとつかってしまった、ということもありうると思います。私自身、そういう経験をしましたし、いまだにその延長上でものを考えている、と言えるのかもしれません。しかしそれだけに、私はそれらに対して批判的な視点を持たないとまずい、とも考えています。ですからクラウスのとった「戦略」についても、ある程度の理解ができます。さらに彼女が、かつてグリーンバーグと師弟関係にあったことを思えば、「グリーンバーグ型のモダニズムの定式化」、つまりそのフォーマリズムの考え方に強い影響を受けたはずだと思いますし、何らかの事情でそこから脱却して、フォーマリズムを批判する立場に立つならば、相当な覚悟や強さが必要だったろう、ということも想像できます。クラウスが、その後に示唆することになる「アンフォルム」という概念が、強烈なフォーマリズム批判から生じてきたものであることも理解できます。このようなクラウスの動きを含めて、グリーンバーグ後のアメリカの美術批評について、いつか自分なりの見解を書いてみたいと思いますが、それはまた後日、もう少し勉強してからのこととします。
ここでは、松浦寿夫が書いているようにクラウスの「戦略」が「現象学的思考とモダニズムの体系との隣接性が生じる場の可能性を暗示している」ということについて、さらに先に進めます。松浦がこの論文でジャコメッティとアメリカ抽象表現主義の代表的な画家、バーネット・ニューマンについて論じていることに注目してみましょう。
バーネット・ニューマンの絵画作品におけるジップと呼ばれる色帯の形状、あるいはその立体作品を見ると、それがジャコメッティの細長い人物像に似ていると言えば似ています。しかし、ここで両者について論じられるのは、単に形状が似ているということではありません。では、なぜパリとニュー・ヨークという離れたところで活躍した二人が、ここで論じられるのでしょうか。例えば、ニューマンがジャコメッティから直接の影響を受けた可能性はあるのでしょうか。その点について、松浦寿夫は次のような事実を取り上げています。

とはいえ、ニューマンの方は1948年1月19日からニュー・ヨークのピエール・マティス画廊で開催されたジャコメッティ展の会場を訪れ、この個展会場に展示されたジャコメッティの作品群に「脱帽する」と、感嘆の意を表明している。そして、この1948年が、ニューマンの制作の歴史において決定的な年であったこと、つまり、後にジップと呼ばれる色帯が画面に登場した《ワンメント・Ⅰ》を実現した年、それもジャコメッティ展の始まった直後の1月29日であったことも強調しておくべきだろう。それゆえ、この展覧会を訪れたニューマンの発言、「ジャコメッティの彫刻は、唾でできているかのようだ。まったく新しいものであり、形態もなく、テクスチャーもないが、どういうわけか充溢性を備えている。私は彼の前で脱帽する。」はごく短いものであるとはいえ、この発言において作用する無/充溢の対立関係、ニューマンの思考を作動させる基本的な枠組みを構成する形姿が、この1948年の個展のカタログの序文として書かれたサルトルの「絶対の探究」の記述との不意の隣接関係を構成することになる。ここに、ジャコメッティの彫刻の垂直性、ニューマンのジップ、現象学ないし実存主義的な言説の三つの領域の交差の線が描き出されることになるとすれば、先に述べたように、ロザリンド・クラウスの「ノー・モア・プレイ」と題されたテクストがその脱構築的な作用を差し向けようとした対象が何であったかはきわめて明瞭に理解できるだろう。
(『ART TRACE PRESS 3 』「同時偏在性の魔 3」松浦寿夫著 より)

繰り返しになりますが、ジャコメッティの彫刻とニューマンのジップの形状が似ていること、だからニューマンの作品はジャコメッティの影響下にあるのだろう、ということが問題なのではありません。ニューマンがジャコメッティの彫刻に何を見たのか、が問題なのです。それは「形態もなく、テクスチャーもないが、どういうわけか充溢性を備えている」というジャコメッティの作品の在り様に関係しています。この論文中で松浦寿夫が引用しているサルトルの言葉を借りて言えば、ジャコメッティの彫刻は、「多様性をまったく率直に除いてしまった」もの、「それは完全に同時に姿を現すので、諸部分を持たない」ものなのです。言葉だけを追いかけていくと何のことだかよくわかりませんが、具体的にジャコメッティの彫刻を見た時の印象を思い起こせば、おそらく納得できるはずです。ジャコメッティの彫刻の、針金のように縦に引き伸ばされた形状は、彫像の表面に穿たれた無数のきずの集積のようにも見えます。部分と全体、表面と内奥のボリューム感とを簡単に分けて見ることができない彫刻なのです。それらが一体となって、全体が同時に見えてしまう・・・というのがジャコメッティの彫刻です。
それでは、ニューマンの作品はどうなのでしょうか。松浦寿夫はニューマンの作品について、次のように書いています。

というのも、ニューマンの絵画が、ジップの発見とともに、部分を欠いた全体性として画面を一挙に出現させることによって、創造という出来事の最初の瞬間をまさに崇高なものとして出現させることを目的としていたからだ。
(『ART TRACE PRESS 3 』「同時偏在性の魔 3」松浦寿夫著 より)ことと、共通するものなのです。

「部分を欠いた全体性」として一挙に全体を「出現させること」、それがジャコメッティとニューマンの作品に共通することです。
私がさらに興味深く思うのは、この共通性がいわゆる具象作品と抽象作品という、作品の表面的な様式を超えてしまったところで見出されている、という点です。どうして、そのようなことが生じるのでしょうか。そのひとつの答えは、ジャコメッティが具体的なものの写生から作品を制作しているものの、だからと言って個別の、個体的なものに執着して制作しているわけではない、ということです。彼が制作した対象は、個体としての対象ではなくて、「私の視野にひとりの人間が出現するという出来事」(『ART TRACE PRESS 3 』「同時偏在性の魔 3」松浦寿夫著 より)だったのであり、その制作によって彼は「彫刻というものが可能であることを証明すること」(同論文より)を達成しようとしたのです。それは、こんなふうに言い換えることもできるでしょう。ジャコメッティは一人のモデルを見ながら、私たちがものを見ること、ものが存在すること、その存在と私たちがどのようにして出会っているのかということ、について徹底的に考えました。これは、きわめて現象学的な考え方だと言えるでしょう。さらに彼は、その存在との出会いをどのようにして表現できるのか、ということも徹底的に考えました。それは立体的な表現様式である彫刻や、平面的な表現様式である絵画(彼は、彫刻と同じくらいデッサンやタブローを試みました)の可能性について考えることと同義です。結果的に、それは表現様式の可能性について思考するフォーマリズム的な考え方と共通するのです。松浦寿夫によれば、それは「『モダニズムの絵画』におけるクレメント・グリーンバーグによるモダニズム絵画の定義との類似性を見出すことはきわめて容易である」(同論文より)ということになります。
このように考えると、「ジャコメッティが後期において、それまでの斬新さや、表現を拡張していくような可能性を保留にしてしまい、モデルと対峙するという限定的な制作方法に終始した」という私が前述した評価が、一面的に過ぎないものだということがわかるでしょう。具体的な、個別の対象と向き合いながら、実は普遍的な対象との関係性について思考し、それを作品として表現することが可能であるとしたら・・・、それは私たちが生きている世界とどう向き合っているのか、という普遍的な問いかけを絵画や彫刻の場において表現すること、あるいはその可能性を追究することと同義なのです。それは、一見すると自明な表現様式の場にとどまっているように見えながら、実は絵画や彫刻の表現の可能性を拡張していくことにもなるでしょう。

さて、私もまた、ジャコメッティ的なアプローチで絵画というものを追究できないか、と考える表現者の一人です。しかし、さすがにそれは難しくて、なかなかうまくいきません。私事になりますが、先日、小田原ビエンナーレという展覧会に参加させていただいて、いくらかの作品を展示しました。今回は、とくに具体的なものと対峙することを重視し、その痕跡を安易に消さずに制作を進めることを心掛けたのですが、結局のところ、対象と対峙することを表現として提示するレベルにまで昇華することができませんでした。さらに、それが絵画という表現の可能性を検証する試みであったことなど、どなたも感受することができなかっただろうと思います。いまさら、低レベルの印象派もどきの作品を描いているようでは、旧套的な公募展の絵の末席に並ぶこともできない、という感想が聞こえてきそうな展示でした。
それはともかく、ジャコメッティが指し示した芸術の可能性について、現象学的な分析の繰り返しや彼の人となりを含めた文学的な解釈が多い中で、納得のいく内容の論文はそう多くありません。「同時偏在性の魔 3」はそういう現状において、確かな一歩を刻むものだと思います。絵画や彫刻という表現が迷走する現在において、この論文が示唆するものは重要なことだと考えます。

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