平らな深み、緩やかな時間

346.『集落への旅』原広司よりモダニズム絵画を考える

今回は、前回取り上げた本の著者、建築家の隈研吾(1954 - )さんの研究室の先生であった原広司(1936 - )さんの「集落論」について考えます。

前回も書いたように、私はノーベル賞作家の大江 健三郎(1935 - 2023)さんの著書によって、原広司さんの仕事についてかなり前から知っていました。しかし、なかなか建築家の仕事にまで目配りができず、原さんのこともろくに勉強せずにここまできてしまいました。先日、たまたま隈研吾さんの本を読んでいたら、彼の師匠が原さんだとわかったので、これを機会に少し原さんの仕事について学んでみよう、と考えたのです。

 

今回、原さんの『集落への旅』という岩波新書(1987)を入手したのですが、内容は世界各地の集落の、フィールドワークを記録したものになっていて、それをどのように私自身の興味に繋げて行くのか、ちょっと難しいなあ、と感じました。そこで、その原さんの仕事を芸術表現の領域でどのように活かしていくのか、ということを大江さんの著書『新しい文学のために』(1988)から学びたいと思います。

あるいはモダニズム絵画の巨匠、ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock、1912 - 1956)さんと、その同伴者であった美術評論のクレメント・グリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 - 1994)さんの歩みと、原さんのモダニズムに対する考え方を対照させて考察を進めたいと思います。

 

さて、はじめに、その原広司さんについて、教え子の隈研吾さんがどのように書いていたのか、チェックしておきましょう。

 

原広司は、時代に背を向けた、変わり者の建築家と見られていた。当時の原広司は、作品をあまり作らず、黙々と集落の調査を続けていたのである。集落といっても日本の集落を訪ねるわけではない。世界の辺境の集落、中東、南米、インドといった場所の集落を訪ね歩き、そこから未来の建築のあり方を見付けるというのが、原の基本的なスタンスであった。夢ばかり見ているような、不思議な建築家であった。

(『ひとの住処ー1964-2020ー』隈研吾)

 

なるほど、若い頃から建築の実績を作ろうとする人が多い中で、原さんは変わり種であったようです。しかし、それではなぜ、原さんは集落の調査を始めたのでしょうか。

原さん自身は『集落への旅』の「あとがき」で次のように書いています。

 

1970年代は、近代建築が大きな変貌をとげた時代である。この変貌の十年前に、私たちは海外の集落調査を行なっていた。この変動期のさなかにあって、建築家はふたつのレファレンス(referenc=物事を参照すること)をとった。ひとつが古代建築であり、もうひとつが集落である。私たちは、結果としてみると、後者を参照することになったのである。

旅で調べた集落の内容については、これまでにもいろいろなかたちで報告してきてはいるが、本書で探索したことばや考え方をふまえ、すじみちをたてなおして、将来「集落論」を書かなくてはならないと思う。そうでないと、本書のもつ意味もいまひとつ鮮明にならないだろう。

また一方では、集落から学んだ多くの建築内容が、<一枚のスケッチ>を書くのは無理としても、具体的な町づくりや建築設計に活かされないと、本書は空転するおそれがある。これからの課題であると言わざるをえないが、この十数年間、多少は心がけてきたつもりである。

(『集落への旅』「あとがき」原広司)

 

原さんは、古い建物を参照するのか、集落を参照するのか、という選択肢の中で集落を選んだ、ということのようです。なぜそうしたのか、についてはここでは書かれていませんが、フィールドワークを実践している原さんには、現在の建築に対する確かな問題意識があったのです。この著書の中に、いくつかそれを知る手がかりがありますが、例えば、次の記述を読んでみましょう。

 

近代西欧の均質空間の概念と中世の空間概念との対峙関係の構図を鮮明にしようとして、私たちは集落調査を始めた。それゆえに最初の旅先は地中海周辺であった。この構図はいわば接点としてのルネッサンス期を浮き彫りにするはずであって、中世集落の組みたてを知ることは、アリストテレス批判の周辺を学ぶことにも通じるといった下心もなかったわけではない。なぜなら、現代ほど、永遠に続くかに見えたキリスト教世界が崩壊した事実に心を奪われる時はかつてなかったからである。

地中海周辺の集落は、アリストテレスの場所論によく符合した。近代の空間モデルに見切りをつけて<一枚のスケッチ>を遠謀しようとする私たちがさぐりあててきた、自然についての、あるいは集落の組みたてについての一元的な語り口、それらもまたこの西欧の構図に納められる断片に過ぎない。イスラム文化圏の都市メディナの出現は、西欧的なものを豊富にしたが、中南米の離散的配列は、西欧的な「対極の構図」そのものに対峙しようとするものの影を暗示している。

(『集落への旅』「Ⅱ かげりのなかの集落」原広司)

 

フィールドワーク以前には、自分たちの思惑通りの空間概念が各地の集落から発見できると原さんは考えていたようですが、実際の調査ではそれが裏切られていきます。

例えば、キリスト教の教会を中心とした集落の形が、キリスト教以外の地域でも見られることがあったり、あるいは予想に反していくつかの集落のモデルを重ね合わせたような集落が発見されたり、ということがあったようです。

このような調査結果は、古代から中世へ、そしてルネッサンスから近世ー近代へと直線的につなげて考えてしまう私たちの概念を突き崩すものです。そのように時間軸を単純化して考える時、私たちは具体的な「場所」を度外視して、世界中を同じ「時間」軸で考えようとしているのです。

しかし「場所」も「時間」も、その集落で暮らす人々にとってみれば、それぞれが固有のものであって、簡単に括って考察できるものではありません。「自然についての、あるいは集落の組みたてについての一元的な語り口、それらもまたこの西欧の構図に納められる断片に過ぎない」と原さんが書いているのは、そのような既成概念を戒める言葉なのです。

また、原さんは次のようにも書いています。

 

近代は、さまざまな境界をとりはらった。「家」の境界をとりはずし、村や町の境界をとりはずし、東欧で私たちは強い国境を知らされたものの、それでも一方では、ECのように国境までとりはずす動きもある。近代建築は開かれた建築に向かったし、その結果、都市はガラスばりになった。

近代建築運動のなかで、均質空間を提示するにいたる経路上、もっともものに即した主張は、無装飾理論である。文明の遅れを象徴する装飾性を捨てることによって、建築は近代化される。これは、とくに、ウィーンの建築家、アドルフ・ロースによって展開された。ルーマニアの山間の村で、ロースらによって主張された装飾を廃棄することの正しい意味を、はじめて理解できたように思えた。

建築や道具から、装飾をとりのぞくことは、それらの生産を容易にし、合理的にする。しかし、この論の核心は、装飾をすてることが、民族の境界をとりはずす効用をもつことにある。そのため、建築や道具が、普遍的に、境界を失った民族に浸透してゆく。装飾とは、境界であったのだ。

(『集落への旅』「Ⅲ 周縁が見える集落」原広司)

 

この原さんの集落調査の結果によって、私たちは近代建築、つまりモダニズム建築が何をもたらしたのか、ということの本当の意味を知ることになります。無装飾でガラス張りのモダニズム建築は、合理的で、大量生産が容易で、その利便性から世界中を席巻することになりました。その無装飾性ゆえに、モダニズム建築は民族の境界をとりはずし、世界中のいたるところで同じようなピカピカのビルディングを建ててしまったのです。それは、世界のそれぞれの土地の固有性を奪うことにもなりました。

 

ここにおいて原さんのフィールドワークは、私たちにこれからどのような世界で暮らしていきたいのか、と問うているような気がします。私はピカピカのビルディングの美しさを否定しませんし、実際に集合住宅で暮らしている私は、その利便性の恩恵を受けています。しかし、そのような暮らしのデメリットも知らなくてはなりませんし、また、そういう暮らし方を好まない人たちのことも尊重しなくてはなりません。

こういうときに、私の頭にすぐに連想されるのは、モダニズム絵画の画家、ジャクソン・ポロックさんの絵画の変容と、それをガイドした批評家、グリーンバーグさんのアドヴァイスです。アメリカの土着的な画家として出発したポロックさんは、アメリカ・インディアンの砂絵やトーテミズム(totemism=信仰)による神話をヒントにして現代的な絵画を描き、1945年にはすでに魅力的な表現に達していました。

 

http://futuremodern.blogspot.com/2008/05/actionabstraction-at-jewish-museum-i.html

*Jackson Pollock  Totem Lesson 2, 1945

 

この『トーテム・レッスンⅡ』は私が見たポロックさんの作品の中でもっとも良いと思うのですが、その時のグリーンバーグさんの批評は次のようなものです。

 

彼の油彩を見て圧倒されるように感じる人には、彼のグワッシュの作品から彼に近づくようにアドヴァイスしよう、それなら、油彩ほどには、画面の隅々から可能な限りの強烈さを絞り出そうとしてはいないので、より卓越した明晰さに達しているし、油彩ほど息苦しいまでに詰め込まれていない。だが、油彩のなかでも、二点ー両方とも『トーテム・レッスン』と題されているーは、筆舌につくしがたいほど良い。ポロックの唯一の欠点は、キャンバスをあまりに均一に塗り込めることにあるのではなくて、あまりに唐突に色やヴァルールを並置しすぎて、ぽかんとあいた穴(gaping holes)ができてしまうことだ。

(The Nation,7 April 1945 『ユリイカ 1993』グリーンバーグ 川田都樹子訳)

 

この最後の一文が、ポロックさんのその後の方向性を示唆しています。数年の後に、ポロックさんはイーゼルを捨てて、床にキャンバスを置いてドリッピング技法に徹することになるのです。そしてモダニズム絵画の一つの到達点とも言える表現に辿り着くのです。

 

https://www.jackson-pollock.org/lavender-mist.jsp

 

この画面の隅々まで均質な強度を持つ絵画は、ポロックさんの持っていた土着性やイメージの豊かさを払拭することによって成し遂げられたものです。そしてそれは、その払拭によってグローバルな普遍性をも獲得したのです。しかしその画面は、ピカピカのモダニズムのビルディングのように、それ以上発展のしようのないほどに隙の無い、完璧なものでした。

一人の表現者の立場に立って言えば、これはかなり苦しいことだと思います。これは前回取り上げた隈研吾さんが、モダニズム建築のブームの最中で感じた居心地の悪さと共通するものだと思います。

私はポロックさんのオールオーバーな絵画の素晴らしさをまったく否定するものではありませんが、一人の表現者の道行きとしては、やや不幸だったのではないかと思います。同伴者であったグリーンバーグさんは、自分の理論の正しさを実現することに一生懸命だったでしょうし、ポロックという一人の表現者の発展性について、あるいはその行く末について思いを馳せる気持ちなどなかったでしょう。

しかし私たちは、その後のポロックさんの悲惨な運命を知っています。

そして今回の原さんの『集落への旅』を読むと、ポロックさんがグローバルな普遍性を捨てて、自らの立脚した土着性に立ち戻っていたならばどうであっただろうか、と思いを馳せてしまいます。ポロックさん自身も、自分のイメージを具体的に表現するような絵画を試みていましたが、そこには以前のような生命力を感じることができません。それにポロックさんの時代のアメリカでは、そのような後戻りをするような考え方はあり得なかったでしょう。

しかし、現在の私たちは違います。そして若い頃に原広司さんのフィールドワークに参加した隈研吾さんが、現在どのような考え方で建築をしているのかも、私たちは知っています。今回、初めて私のblogをお読みになった方は、前回とその二つ前の隈研吾さんに関する私のblogをお読みください。

 

そしてさらに今回は、原さんの集落のフィールドワークから、私たちは何を学んだらよいのか、文学者の大江健三郎さんの『新しい文学のために』から美術にも応用できそうなことを拾い読みしてみましょう。

大江さんは原さんの『集落への旅』を取り上げているのではなく、同じ時期の原さんの「集落の教え」というエッセイを取り上げているのですが、集落のフィールドワークから学ぶという点では共通しているので、ここで参照しても差し支えないでしょう。大江さんはたくさんの論点をあげているのですが、ここではそのうちのいくつかだけを話題にしてみます。

 

まず、その一つ目です。

大江さんは、原さんが「場所に力がある」と書いていることについて、次のように解説しています。

 

小説において、その最初の数節に物語の進行する場所をはっきり提示することが重要である。場所といっても、実在のーまたは、実在のものとして仮定されたーある地名や建物のありか、その一部分というようなことが具体的に明示されなければならぬ、というのではない。そうした現実的な匂いを消すことでのみ成立する、抽象的な設定の場合にも、かえって場所の感覚は色濃くあることが必要とされる。たとえばカフカの、または安部公房の場合。

それを考えれば、むしろ場所というより、場といったほうが、通りがいいかも知れない。小説が抽象的に作られた枠組みを、具体的な細部の想像力によってみたしてゆくものである以上、やはりつねに場=場所という気持ちが保ちつづけられているのは大切だが。

(『新しい文学のために』「新しい書き手へ(一)」大江健三郎)

 

これを美術の場合に、例えば私が取り組んでいる絵画の場合には、どのように受け止めれば良いのでしょうか?

私は具体的なモチーフによって描かれた絵画に、具体性の無い絵画にはないような強度を感じることがあります。しかし、それが絵画の細部表現の緻密さによるものであったり、あるいはモチーフを描写する肌合いのリアルさによるものであったりするなら、それは具体的なモチーフが設定されていなくても実現できるものでしょう。つまり具象的な絵画であれ、抽象的な絵画であれ、「具体的な細部の想像力」が作者の中にあれば、そのような絵画の強度を保つことができるのです。

その時に必要なのは、抽象的な概念である「場」が、具体的な概念である「場所」と「=(イコール)」で結ばれるような私たちの想像力なのです。

 

次に大江さんは、原さんが「すべてのものにはすべてがある」と書いていることについて、次のように解説しています。

 

「すべてのものにはすべてがあるのだから、どんな小さなものでも世界を表現できる。」詩人には、作家においてよりもさらに、この意識がはっきりいだかれている。同世代の詩人、谷川俊太郎が、比較的短い詩型のなかに表現してみせる、その世界観と宇宙についての構想に、僕は若い頃からずっとひきつけられてきた。ウイリアム・ブレイクが、直観的な思想として次のように強く主張したのにも教えられてきた。

「一粒の砂のなかに世界を見ること、野性の花の一輪に天国を見ること、きみの手のなかに無限をとらえよ、一時間のうちに永遠を。」

小説の書き手もまた、この「集落の教え」を信頼し、いかに小さい短篇にも、そこに自分としての人間観・世界観・宇宙観が表現されうると考え、創作にむかうことが必要であろう。

(『新しい文学のために』「新しい書き手へ(一)」大江健三郎)

 

この「すべてのものにすべてがある」という考え方は、現代美術の作品の提示方法と相容れないものがあります。現代美術の作品においては、一つの作品にそこまでの意味を置かないことによって、表現の自由度を高めてきた経緯があります。例えば単色で塗られた一枚の絵画は、それだけを見たのでは一枚の色紙と違いがないように見えます。しかしその単色の絵画が何枚も並べられることによって、そこに作者の意図が見えてくる、ということがあります。

私はこのような表現を否定するものではありませんが、一枚の絵画のなかに「自分としての人間観・世界観・宇宙観が表現されうる」と考えられた作品に、最近ではとても魅力を感じます。そもそも私たちは、最初に絵を描いた頃には一枚の絵の中に描くことの喜びをすべて込めていたと思います。私は今、素朴に絵を描くことの強さを見直しているのですが、素朴な絵画には、その素朴さとは裏腹にその人の「人間観・世界観・宇宙観」がすべて込められているものなのです。たった一枚の絵画において、そういう表現が可能であることに私は魅力を感じるのです。

 

そして次に考えたいのは「矛盾」という原さんの言葉です。

 

「矛盾から秩序を育てあげよ。」既成の秩序に対して、できるかぎり大きくへだたった、矛盾の場所から出発する。現にある秩序への、できるかぎり強い否定から出発する。その時はじめて、強力な想像力のジャンプが可能になる。そのジャンプの高さ・長さが、自分のものとして作りだされる新しい秩序としての、作品を決定する。秩序ー反・秩序ー新しい秩序という段階を、想像力においていかに振幅の大きいものにしうるか?そこに新しい書き手の先行きはかかっている。それは新しい方向へと読みすすむ、知の作業の展開においてもまた、おなじくいえることだ。

(『新しい文学のために』「新しい書き手へ(一)」大江健三郎)

 

これは、集落が一見、矛盾に満ちていながら、観察するに応じて暮らしの秩序が見えてくることから学んだことでしょう。「想像力においていかに振幅の大きいものにしうるか」というコメントは、大江さんならではのものだと思います。

 

そして大江さんは、最後に「時のうつり」、「死」、「呼吸」について論じています。

「時のうつり」と「死」というテーマについては、ある程度察しがつくでしょう。それらが芸術表現にとって重要な問題であることは、誰もが認めるところです。

しかし、「呼吸」とは何でしょうか?原さんは「自然の呼吸にあわせて、集落や建築の呼吸を計画せよ」と書いているのですが、そのことに対して大江さんはどのような解説をつけているのでしょうか?

 

呼吸。小説の文体の成立の上で、人間のー書く人の、また読む人のー自然の呼吸は、ないより重要な役割を果たしている。若い作家としてできるかぎり早く独自の文体を作りあげようとした僕は、現に自分の持っている、それも自然発生的なものに思える文体をまず壊す、ということに専念した。その結果成立した文体は、僕自身にとって確かに新しいものだった。しかしそれは、自分で読みかえしてみてすらも、時どき息苦しくなるものなのであった・・・

その苦い経験に立って、僕がこれから仕事をはじめる新しい書き手にいいたいこと。それはまず、文体について自然発生的なものにー書かれたものであるか、そうでないかを問わない。さきに論じたように、それはある共同体のなかでの言語体験にもとづくーそのままとどまることはするな、ということである。そうでなければ新しい文体を作りだすことはできない。

つづけていいたいことは、そのようにして新しく獲得した文体は、あらためてそれが自然の呼吸の感覚を逆なでしないかどうか、ゆっくりと読みなおしてー声に出して読みすらしてー確かめよ、ということである。まず最初の読み手である自分にとってのその作業は、書き手としての自分のためにももっとも大切なことだ。

(『新しい文学のために』「新しい書き手へ(一)」大江健三郎)

 

この「呼吸」というテーマは、文学ならば「文体」ということになりますが、美術や絵画ならば何にあたるのでしょうか?

絵画ならば、様式、スタイル、描画方法といったところでしょう。原さんの教えには「自然の呼吸にあわせて」とあるそうですから、自分だけの、独りよがりのものではいけない、ということが言えそうです。集落や建築のことならば、当然そうなるのでしょう。そして文学においてならば、読み手のことを考えて、という戒めになります。絵画ならば鑑賞者のことを考えて、ということになると思います。

しかし、それでいながら「そのようにして新しく獲得した文体は、あらためてそれが自然の呼吸の感覚を逆なでしないかどうか、ゆっくりと読みなおしてー声に出して読みすらしてー確かめよ」というのですから、新しい文体を獲得するのは難しく、そして時間のかかるものなのだなあ、ということがわかります。

そう思いつつ、大江さんの文体を思い出してみるのですが、結構読みづらくありませんか?それにちょっと理屈っぽくて、難しい文体のように私には感じられます。たぶん、大江さんにとっての自然な文体というのは、さらっと読み飛ばせるような文体ではなくて、意識のどこかで引っ掛かるような文体のことなのでしょう。文学という表現において、それは大切なことなのかも知れません。

そう考えると、絵画における様式も、きれいで見やすい、ということがすべてではありません。私は、絵画は必ずしも美しくなくても良いと思っています。それよりも、見た人の気持ちの中でずーっと引っ掛かるような、そして繰り返して見たり、思い出したりしているうちに、その良さがじわーっと伝わってくるような、そんな様式のことだと思います。

しかし、そんな様式が獲得できたとしても、同じような様式の作品を作り続けて良いのかというと、そうではありません。別のところで原さんは、「同じものはつくるな。同じものになろうとするものは、すべて変形せよ。」と戒めています。

ここで再び、同じようなモダニズムのビルディングが大量に建てられている現実を思い起こしてみましょう。このことが大都市の景観を貧しくしているのですから、自分の作品がそうなっては困ります。私たちは、そのことを心して制作に励むことにしましょう。

 

さて、このように人間が長い時間をかけて作ってきた集落には、学ぶべき点がたくさんあるようです。それは自然の景観と違って、人間の意思がその風景の中に入っているところに、私は面白さを感じます。

しかしそうは言っても、私もまだにわか勉強なので、原さんの本を読んでもわからない点がたくさんあります。さらに学習を積んで理解が進んだら、また報告したいと思いますが、今回はこんなところです。

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