絵を描いていると、ときおり参照したくなる画集があり、画家がいます。
自分が描いている絵の状態によって、それは微妙に変わりますが、私には鉛筆デッサンを描いているときに、とりわけ注目している画家がいます。それがスペインのアントニオ・ロペス・ガルシア (Antonio López García、1936 - )さんです。彼は私の絵とは似ても似つかない伝統的な具象画家ですが、素晴らしい作品を描いています。
私は日本で『アントニオ・ロペス展』が開催された時に、その感想をblogに書いています。これから論じることの参考になるかもしれませんので、よかったら参照してください。
https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/ff086dbdb59dc69220726a8562e0ff92
ロペスさんのような画家を生んだスペインは、過去に豊穣な絵画表現の歴史をもち、それだけに伝統的な絵画を描くことに対して十分な敬意が払われている国だと思います。それにしても、ロペスさんが制作を始めた頃のスペインにも先進的な絵画表現として抽象絵画が存在していました。それでもあえて、彼は具体的な「もの」を見て描く方法を選んだのです。
『アントニオ・ロペス 創造の軌跡』(木下亮訳)というロペスさんの講演集があります。2001年と2003年に行われた講演の記録ですが、その2001年の講演でロペスさんは抽象絵画について、次のように語っています。
20世紀は、多くの概念が展開されました。真実について多くの制作が行われ、真の抽象についても作品が生まれた。しかしながら大きな変換をするには至らなかった。真実であること、それを判断することは不可能なのです。つまり、理屈があり、何も隠していることなどないのです。真実であることは常に理屈を伴っている。ごらんなさい。マドリードのような都市はどうしようもないほど醜い。バリャドリーもやはりひどく醜いかもしれない。しかし、もしあるべきように描かれると、絵画はいろいろな意味で芸術作品になるのです。なんでもいいが、例を挙げれば、グラナダにアルハンブラを描きにいく理由はもはやないのです。その当初の権威ある素材は消え失せて、ひどいやり方でくずのように掃き出されてしまった。もはや美しいからというわけではなく、興味があるからということで、どんなものでも描かれるのです。
(『アントニオ・ロペス 創造の軌跡』「第一部」木下亮訳)
ロペスさんの言っていることのすべてを理解できるわけではありませんが、20世紀の芸術では「多くの概念が展開」されたけれども、「大きな変換」には至らなかった、というところはわかる気がします。このところ、私が参照している國分功一郎さんの著作では、スピノザを論じることは「アプリ」の交換を論じるではなくて、「OS」の交換を論じることなのだという認識を示していますが、そのことと共通しているような気がします。「具象絵画」から「抽象絵画」へ、という展開は「アプリ」の交換程度のことであって、本当に大切なことは「真実」について制作することである、というのがロペスさんの認識なのだろう、と思います。そして「真実」について制作することは、抽象と具象に関わらずに行うことができるはずで、それを判断することが芸術にとって重要だという認識に至るなら、「OS」の交換に匹敵するような変革が起こるのだと思います。それでは、その「真実について」の制作を可能にするためには、芸術に対してどのようなアプローチをすれば良いのでしょうか?そのことを考えてみましょう。
さて、このblogを読んでくださっている方なら、私が視覚的な表現である絵画の中に、あえて「触覚性」を見出そうとしていることについて、ご理解いただけるかと思います。もしも、私のblogをはじめてお読みになっている方でしたら、とりあえず先日の私の個展のパンフレットのテキストをご一読ください。私が表現上で試みていることを、手短にまとめたものです。
https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/5931cf4af21acb5d6387078f72428857
そして私は、アントニオ・ロペスさんの表現の中に、私が志向している「触覚性」につながるような、「共通感覚」の発露が見て取れるのではないか、と考えています。そして、そのことがロペスさんの制作において「真実」を探究することを可能にしているのではないか、と思っているのです。
この「共通感覚」についてですが、耳慣れない言葉だと思いますので、とりあえず私の次のblogを参照してください。
https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/1d64f4dd81e67ce0bd85f13e033e0eee
この中で私は、学生時代に読んだ哲学者の中村雄二郎(1925 - 2017)さんが書いた『共通感覚論』について論じています。私はそこで、中村雄二郎さんが「共通感覚」についてわかりやすく説明した、次の文章を引用しました。
われわれ人間は、同じ種類の感覚、たとえば視覚相互や味覚相互の間だけではなく、異なった種類の感覚、たとえば視覚と味覚の間でも、互いにそれらを比較したり識別したりすることができる。いずれも色としての視覚上の対象となる白と黒や赤と緑といったものの間だけではなく、視覚上の白さと味覚上の甘さとを感じ分けることができる。なにによってこのような識別はなされるのだろうか。感じ分けることは判断以前のことだから、識別は一種の感覚能力によると考えられるべきだろう。けれどもそれは、感覚能力として個別的なもの、視覚や味覚と同じレヴェルのものではなくて、異なった種類の諸感覚に相渉る同一の能力でなければならない。感覚のすべての領野を統一的に捉える根源的な感覚能力、つまり〈共通感覚〉でなければならない、と。
この共通感覚のあらわれをいちばんわかりやすいかたちで示しているのは、たとえばその白いとか甘いとかいう形容詞が、視覚上の色や味覚上の味の範囲をはるかにこえていわれていることである。すなわち、甘いについていえば、においに関して〈ばらの甘い香〉だとか、刃物の刃先の鈍いのを〈刃先が甘い〉とか、マンドリンの音に関して〈甘い音色〉だとか、さらに世の中のきびしさを知らない考えのことを〈甘い考え〉だとか、など。またアリストテレスでは、共通感覚は、異なった個別感覚の間の識別や比較のほかに、感覚作用そのものを感じうるだけでなく、いかなる個別感覚によっても捉ええない運動、静止、形、大きさ、数、一(統一)などを知覚することができるとされている。その上、想像力とは共通感覚のパトス(受動)を再現する働きであるともされている。さらにすすんで、共通感覚は感性と理性とを結びつけるものとして捉えられている。
(『共通感覚論』「Ⅰ 共通感覚の再発見」中村雄二郎著)
さらに中村雄二郎さんは、人間の感覚の中でも視覚が重視されている現状に対して、触覚の大切さを論じたのです。
近代文明の視覚の独走、あるいは視覚の専制支配に対して、ずいぶんまえから多くの人々によって、いろいろなかたちで触覚の回復が要求されてきた。視覚の独走は、すでに述べたように、人間と自然、人間と人間との間に見るものと見られるものとの冷ややかな分裂、対立をもたらした。それに対して、人間と自然、人間と人間をそのような分裂や対立から救い出し、ふたたびそれらを結びつける力をもっているのは触覚だ、と考えられたのである。
(『共通感覚論』「Ⅰ 共通感覚の再発見」中村雄二郎著)
この中村雄二郎さんの考察を手掛かりに、私は絵画における「触覚性」を追求しているのです。そして私はアントニオ・ロペスさんの作品を鑑賞する時に、そこから心地よい「触覚性」を感受しているのですが、そのことについて論じる前に、ロペスさんが「視覚」以外の感覚、つまり「共通感覚」をいかに大切にして制作しているのか、という点について考えてみたいと思います。
例えば、アントニオ・ロペスさんの代表作『グラン・ビア』を見てください。
https://en.antoniolopezweboficial.com/bio-visual?pgid=j9igoidy-cb2fc704-d7d4-4b98-93c4-64f174ee4257
「グラン・ビア」はスペインの首都マドリードの中心部にある大通りだそうです。「スペイン広場からアルカラ通りまで」を指していて、「ホテル、レストランなどが並ぶ同市きっての繁華街として知られている」と辞書に書かれています。アントニオ・ロペスさんはこの作品を1974年から1981年にかけて描きました。その年月のあいだ、毎日この絵を描いていたわけではなくて、毎年同じ季節に、同じ時間帯に街角にイーゼルを立てて描いたのです。その様子を写した有名な写真が、日本での展覧会の広報でも使われていました。
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/13_lopez/antonio.html
この写真は1978年に撮影されたもののようですから、その3年後に完成したことになります。アントニオ・ロペスさんは、この作品について次のように語っています。
結局、数年間、私はこんなふうに過ごしたのです。自分を信じるのか、信じないのか。現実!現実を信頼しなければなりません。しかし現実に味付けもしなければならない。現実になにかを加えなければならない。別のもので現実を活性化しなければならない。なぜなら現実というのは、うまく出来ていたとしても、十分ではないのです。実のところ私は現実をどうしても理解できなかったのです。数年後に私はグラン・ビアを描きました。グラン・ビアのことは1974年から描き始めましたが、そこで何も必要ないのだということを疑いませんでした。エンリケ・グランと一緒に、74年から75年に、日曜日だったか土曜日だったかの夜明けに、あの情景を見たのでしたが、それはあまりに超自然的で、魅惑的で、奇跡のようだったので、しなければならない唯一のことは、描き始めることとうまく描くことでした。うまく描くこと、なぜならそこに題材があった・・・。なにも足りないものはなかった。何にせよ加えてしまうことは、引き算をすることでした。
自然は、そこにある宇宙の世界は、それほど力があり、内容が豊かで、本当に力強いので、いかなるときも私は少しも危険を冒している気がしませんでした。ただし私に物のマチエールが見えてくるには、1960年からずっと世界が経たなければならなかったのです。それらの壁は遠くからだとどのように消えていくのか。どのようになくなっていくのか。どのように終わるのか。予感されるアスファルトのすべての跡がどのように現れるのか・・・。そこに人生の総ての重さを感じるし、それを現実の形を通して感知するのです。そこで、私があのことを感じたときから、私は自分の空間を見つけたことにもう気がついたのでした。それはすべて、こう言ってしまえば、要約したことになりますが、決してそうではないのです。それから誰かがあなたにコメントをし、あなたは疑い始める。そしてまだ、いまだに私は疑い続けている。つまり最後にはものを作るにはただひとつの形しかなく、もはや後戻りはないことに気が付くのです。後戻りはないのです。
そうした夜明けにあそこにいると、早起きは私は少しも好きではないのですけれども、一本の木と一緒にいることーつまり何時間も何時間もあるフォルムと一緒にいることができるということー私にはそれはあまりにすばらしいことで私の人生を満ち足りたものにしてくれると考えます。私はほとんどもうこれ以上のことを必要としないのです。
(『アントニオ・ロペス 創造の軌跡』「第二部」木下亮訳)
一枚の風景画を描くために、同じ場所に、同じ季節に、同じ時間に、何年も続けて通ってそこにイーゼルを立てる、ということをどうしてアントニオ・ロペスさんは繰り返したのでしょうか?今では写真や画像をモチーフとして利用することが当たり前ですから、なぜロペスさんがそうしたのか、よくわからないと思います。
上記のロペスさんの話を読む限り、ロペスさんにも明確に「・・・のためにわざわざ足を運んだのだ」という答えはないように思います。しかし、その場所に降り注ぐ光や、反射して見えてくる色彩などの視覚的な要素以外に、その場所の空気の感触や、建物やアスファルトの物質感、それらが年を経たことで古びた痕跡など、写真や画像などではわからない点がいっぱいあるはずです。それらを感受するために、ロペスさんにとっては現場に身を置くことが、ごく自然な制作方法だったのではないか、と思います。
このように、写真や画像では得られない何かを感じ取るために街角にイーゼルを立てたアントニオ・ロペスさんは、間違いなく五感を研ぎ澄ませて制作していたはずです。早朝の街の静謐な音を聴き、その大気の匂いを嗅ぎ、味わい、そして湿度を含んだ空気の抵抗を肌で感じ、そしてもちろん、朝の光の中の建物や道の明暗や色彩を見たのです。ロペスさんは「そこに人生の総ての重さを感じるし、それを現実の形を通して感知するのです」と言っていますが、これこそ「共通感覚」によって感じることができるものだと思います。つまり、先ほどの五感から感受できたものを総合しているのですが、さらにそれを絵画として表現するために、彼は辛抱強く時間をかけて制作したのです。
そのような制作過程によって、『グラン・ビア』は単なる写実的な絵を超えた表現となっています。『グラン・ビア』を見た私たちは、その視覚的な画像だけではなく、その街の早朝の空気さえも感じる気がするのです。
ここでさらに、アントニオ・ロペスさんの彫刻制作に関わる話も聞いてみましょう。ロペスさんは国王と王妃の彫刻を依頼されました。
https://en.antoniolopezweboficial.com/bio-visual?pgid=j9igoidy-af841f97-b62c-43e9-a4ec-e4b6a84bd7be
https://en.antoniolopezweboficial.com/bio-visual?pgid=j9igoidy-4b566fda-a32c-4535-afaa-d22dbaa31592
彼は一流の彫刻家でもあったのです。おそらくロペスさんにとっては、絵画と彫刻の違いは、具象と抽象の違いほどには大きなものではなかったのでしょう。そこで彼は、立体表現と写真などの画像との関係について、次のように語っています。
モデルが国王と王妃であるというのは、とても珍しいことでした。私たちは多くの人物像を手掛けてきましたけれども、国王と王妃は一度もありませんでした。そこで私たちが国王と王妃を制作することになったのです。しかもとても魅力的な国王と王妃です。私たちに会う約束をしてくれたのです。すべてはバリャドリー市がフリオ・ロペスへ注文したのが始まりでした。アルベルト・グティエレス・アルベルカがフリオと話をし、フリオは国王と王妃の彫刻を作ることができるのかについて話しました。私がかつて王室から注文を受けたときのほっておかれた写真を基にするものでした。写真は、ある年の夏、私のアトリエで撮ったもので、国王夫妻が座っているものです。それはただの一枚の写真でしかなかったので、そして私たち三人が彫刻を制作すると決めたからには、彫刻を制作するために、二人の周りをまわりながらもっとたくさんの写真を撮らなければならなかったのです。そこで私たちはサルスエラ王宮で会うことになりました。午後四時頃にー七月だったはずですがー私たちはカメラマンたちと一緒に出かけて行きました。でも、国王と王妃はまだ来ていませんでした。彼らは昼食が終わったところで、眠くて仕方がなかった。かわいそうに。しかもおそろしく暑かったのです。
そこで私たちは考えました。さて、寸法を測らずに、モデルなしで、モデルを目の前にせず、いったいどうやって彫刻を作ることができるというのだ。国王の耳がどれほどの大きさなのか知らなければならない。王妃の目の大きさはどうだ。王妃の脚の長さは。国王の靴のサイズは。想像してみてください。
つまり、モデリングをする私たちといっしょに、モデル本人たちがおらず、モデルを知らないまま彫刻を始めようとしても、そうはできないことがいろいろあったのです。そこで私たちは何から何まで一緒に持ち込みました。つまり計測の器具、いくつかのコンパス、しなければならないことを列挙したリストです。すると大きな問題が起きました。さて、私たちは本当にやろうという気があるのでしょうか。我らが国王と王妃に向かって、測らなければなりませんと、敢えて言えるのでしょうか。彼らは本当に親しみやすい人たちで、実際にそうでしたし、また愛嬌があったので、私には事がどう進むのか分かりませんでした。実は国王と王妃はこう言ったのです。「君たちの好きなように。さあどこでも。私たちを測りなさい」と。私が測り、パコではなく、フリオが記録しました。それはすてきな事でした。相手が家族でもない限り、人のサイズを測らなければならないときほど人の身近にいることなどないと私は思うからです。
私にはそれはとても感動的だったし、それで私は国王と王妃と一体になれたのです。フリオも同じでした。それはすばらしい体験だったので、パコがそれに関わらなかったことは大変残念でした。ただし、そこには見ている人がたくさんいて、ちょっとした見世物でした。しかし繰り返して言いますが、それは本当にすばらしかった。なによりも良い始まりでした。つまり、写真をつなぎ合わせることで、二人の像を立ち上げ、制作を始めることができたのです。
(『アントニオ・ロペス 創造の軌跡』「第一部」木下亮訳)
アントニオ・ロペスさんは、決してものごとを分析的に考えない人です。ですから、彼の言葉を断片的に引用することは不可能です。話の全体を聞きながら、彼が成し遂げたことを感じ取るしかありません。
ここで彼らがやったこと、すなわち国王と王妃のさまざまな部位のサイズを測ったということですが、これを最新の技術を駆使するなら、立体的に二人をスキャンして、3Dプリンターで像を作れば良い、ということになるでしょう。しかしそれでは「私は国王と王妃と一体になれたのです」という状況を作る事はできません。このことを、もう少し考えてみましょう。
中村雄二郎さんが指摘していたように、近代科学は人間の視覚を優先することで発展してきました。視覚という感覚の特徴は、認識する対象との距離があることです。対象との距離がある状態で対象を認識できることから、視覚はものごとの認識を便利にし、スピードアップを可能にしてきたのです。コンピュータによって対象をスキャンする方法は、それを機械的に発展させた方法だと言えるでしょう。
それ以外の感覚の中で、特に触覚は対象と直接触れることを要求します。手間がかかり、時にはとても面倒な問題を引き起こすことがあります。このロペスさんの話でも、国王と王妃のサイズを直接計測するとなると、二人に納得してもらわなければならない、という手間がかかりました。しかし、その行為を通じて、単に国王と王妃のサイズを把握するということだけではなくて、「私は国王と王妃と一体になれたのです」という状況が生まれたのです。この時に、ロペスさんの五感はさまざまなことを感じ取り、それらが共通感覚として統合して「一体化」という状態を生んだのだと思います。
もしも私たちが、国王と王妃の立体的な写像だけを必要としているなら、立体的なスキャンで十分なはずですが、もしも私たちが芸術表現としての彫像を欲しているなら、ロペスさんたちが実施したような対象へのアプローチが必要だと思います。私はこの国王と王妃の彫像を見たことがないので何とも言えないのですが、展覧会で接したロペスさんの彫刻作品を見ると、コンピュータが作る立体像よりもリアルなものを求めていることが実感できます。どんなにその像が写実的に見えても、彫像には長い時間をかけてロペスさんによって選ばれた形象が造形化されているので、ある一瞬を捉えた機械による立体像とは根本的に成り立ちが違っているのです。
私がロペスさんのタブローやデッサンを見るときに、ロペスさんが彫刻も手掛ける作家であり、その触覚性が絵画表現にも反映されているのではないか、ということに注意を払って見ています。それは、必ずしも立体的な描写表現を注目する、ということではありません。平面的な、簡素な線描であっても、ロペスさんが共通感覚の中でもとりわけ触覚性を研ぎ澄ませた作家であることから、その特徴が表れているはずなのです。
https://en.antoniolopezweboficial.com/bio-visual?pgid=j9igoidy-0d559481-493f-4f9c-a466-0802cd7c3854
例えば、このエスキースはいかがでしょうか?こういう実直なデッサンが私は好きです。技術的に達者であることをひけらかそうとか、流麗な線の美しさを誇示しようとか、あるいはモデルを美化して描こうとか、そういう余計なことは一切ありません。モデルを見て描くことで絵画表現の「真実」に迫ろうとすること以外に、ロペスさんは何も考えていないように見えます。このデッサンには、ものを見て描くことの必然性が感じられるのです。
その一方で、ロペスさんは抽象表現にも「真実」に迫るものがあることを認めています。冒頭でご紹介したように、ロペスさんは「真実について多くの制作が行われ、真の抽象についても作品が生まれた」と語っているのです。真実に迫る方法は一つではなく、ロペスさんはロペスさんのできることをやっているだけですし、私たちは私たちの方法で絵画の「真実」に迫れば良いのだと思います。
このところ、このblogで私は繰り返し書いていることですが、現在の芸術は一つの「主義(イズム)」にこだわる必要はなく、それは一つの「アプリ」に過ぎない、ということを認識するべきです。そして、そういう「アプリ」の入れ替えに奔走し、自分が依存している以外の「アプリ」を疎外するのではなく、さまざまな「アプリ」が共存する大きな「OS」を想定して、その方向性が狂わないように注意すべきときなのです。具象絵画の方向性の中でも、ロペスさんに作品にとりわけ敬意が払われている現状を見ると、世評というものもまだまだ捨てたものではないな、とひとまず安堵します。
そして私は、ロペスさんのデッサンを眺めて、その影響を直接感受しようというのではなく、その方向性を確認しながら、自分ならどういうことができるのか、思案しているのです。個展を終えて、まだまだいろんな試みができそうだと思っているところなので、何か成果があれば、またお知らせします。