平らな深み、緩やかな時間

309.モランディの触覚性、デヴィッド・リンドレー死去

ギター、スライド・ギター、バイオリン、バンジョー、マンドリンなど、様々な弦楽器を操るアメリカのミュージシャン、デヴィッド・リンドレー(David Lindley、1944 - 2023)さんが亡くなりました。

ピーター・バラカンさんの4月1日のラジオ番組で、リンドレーさんの特集が組まれているようです。とても楽しみです。

https://www4.nhk.or.jp/sunshine/

私はリンドレーさんの長い経歴のなかで、主にジャクソン・ブラウンさんとの活動を知っているに過ぎません。個人的には『The Pritender』というアルバムの1曲目の『The Fuse』の演奏部分がとてもユニークで印象深いです。この演奏は、ジャンル分けができないような独創的なものだと思います。その後、彼らのバンドの最盛期に日本公演に来てくれました。『stay』という曲でリンドレーさんが強烈なファルセット・ヴォイスで歌った時には、会場中が湧きました。素晴らしい演奏技術とともに、ユーモアのセンスもある愛すべき音楽家でした。そのジャクソン・ブラウンさんがリンドレーさんに向けて書いた追悼の言葉を、次のリンクから読むことができます。

https://note.com/65_rea_72/n/n0ee06cc87274

リンドレーさんは、スライド・ギタリストのライ・クーダーさんと組んでレコードを出した時にも、二人で日本に来てくれました。アンコールの拍手の連続で、ふらふらになりながらも何回も演奏してくれました。

次の『ミュージック・ライフ』のページで、彼の演奏の動画をみることができます。

https://www.musiclifeclub.com/news/20230308_08.html

リンドレーさんのように、既成のカテゴリーに収まらない表現者に憧れてしまいます。ご冥福をお祈りします。



さて、本題に入ります。

前回、デッサンを描いているときに私が頻繁に参照する画家として、アントニオ・ロペス・ガルシア (Antonio López García、1936 - )さんについて言及しました。ロペスさんについて語るならば、その半世紀近く前の画家になりますが、同じように現代美術を意識しながらも静謐な静物画を繰り返し描いたジョルジョ・モランディ(Giorgio Morandi, 1890 - 1964)について語らなければ、バランスが悪いような気がしてきました。私の勝手な思い込みですが、スペインのロペスさんとイタリアのモランディは、具象絵画の中で現代美術の「真実」を表現した画家という系列に並ぶ人たちなのです。

スペインとイタリアはまるで違う国ですが、この二人の画家は絵の中にヨーロッパの田舎の土の匂いがするような、そんなリアリズムを追求した画家として、表面的な作風の違いはあってもどこかで似ているのです。土の匂いが日本的な湿ったものではなくて、埃っぽい乾いた感じがするところも、共通しています。

モランディについて、日本での展覧会のことや基礎的な情報を知りたい方は、次のリンクを開いてみてください。

https://bijutsutecho.com/magazine/interview/286

 

文学好きの方ならば、須賀敦子(1929 - 1998)さんの全集の装丁にモランディの静物画のモチーフ写真が使われていたことでお馴染みでしょう。この全集は本当に素晴らしい装丁です。

https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309420516/

 

このモランディですが、絵を描いている人間ならば知らぬ者のいないぐらいの素晴らしい画家ですが、一般的にはそれほど知られた人ではないでしょう。そこで西洋美術史学者の岡田温司さんが書かれた『ジョルジョ・モランディ 人と芸術』という新書からモランディを紹介した部分を二箇所抜粋してみましょう。

 

モランディは、古い大学町ボローニャから生涯ほとんど離れることなく、しかも独身を貫いて、ごく限られた友人たちーその多くは美術史家や批評家であるーとしか言葉を交わすことはなかった。

(『ジョルジョ・モランディ 人と芸術』「はじめに」岡田温司)

 

先述したように、この画家の伝記にはドラマティックで華やかなエピソードがいっさい欠けている。しかし、それにもかかわらず、あるいはそれゆえにこそ、この画家の芸術と生について語ることの意義は大きい。たいていの場合、わたしたちの日常は一般に、ルーティンの反復からなっているものだ。あえて逆説的な言い方をするなら、その人物は、およそ芸術家らしくない芸術家だからこそ、その作品は、およそスキャンダラスでもなければ記念碑的でもないからこそ、それらについて語るに値するものがある、とわたしは考えているのである。

どの絵もどれも似たように見えるからこそ、それらの繊細にして微妙な差異について検討することの意味ははかり知れない。一目でわかる違いよりも、よく味わってみないとわからない違いのほうが、いっそう高度に洗練されたものだ、というのは事実であろう。それはまた、利き酒の原理に似ていなくはない。

ボローニャというごくローカルな町で制作をつづけたからこそ、その芸術はむしろグローバルな射程を有するものとなる事ができたのではないだろうか。その絵画はまた、古臭いからこそ新しく、新しいからこそ古臭いものでもある。これはたしかに、良くも悪くも世界が均質化していきつつあるグローバル化時代を生きるわたしたちに向けられた、ひとつの貴重な教訓でもある。

(『ジョルジョ・モランディ 人と芸術』「はじめに」岡田温司)

 

この紹介を読むと、私がモランディをロペス・ガルシアさんとともに敬愛している理由がわかっていただけると思います。前回のblogで、あるいはこれまで確認してきたような若い哲学者による新しい思想のことを、もう一度思い出してみましょう。現在は目新しい「主義(イズム)」が世界全体を動かしていくような時代ではありません。そのような世界観はモダニズムが描いてきた幻想だと言って良いのだと思います。さまざまな考え方が共存し、それらが現在という「場」を形成している、というのが、例えばドイツの哲学者、マルクス・ガブリエルさんの思想です。

そう考えると、上の文章で岡田さんが書いているような「古臭いからこそ新しく、新しいからこそ古臭いものでもある」というモランディの絵画に対する分析が、ガブリエルさんの考え方と合致しているのではないかと思います。これは、偶然ではありません。モランディの芸術は「世界が均質化していきつつあるグローバル化時代を生きるわたしたちに向けられた、ひとつの貴重な教訓」である、と岡田さんが書いていることからも、モランディさんがモダニズムを批判しつつ、あえて自分は違う道を辿ったことがわかります。

 

モランディさんが、イタリアのローカルな町で繰り返し古臭い静物画を描いていたことは、彼がたまたまそういう一生を過ごした、というようなことではありません。岡田さんが「はじめに」の文章で書いていたことですが、モランディはパブロ・ルイス・ピカソ(Pablo Ruiz Picasso, 1881 - 1973)とマルセル・デュシャン(Marcel Duchamp、1887 - 1968)とほぼ同時代の人です。言わば激動の時代であった20世紀初頭に青春時代を迎え、モランディ自身もジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico, 1888 - 1978)のような形而上絵画を描き、現代の画家として評価もされていたのです。

https://magazine.air-u.kyoto-art.ac.jp/essay/1276/

しかしモランディは、この頃の自分の仕事をなかったことにするように、その後は前衛的な美術には目もくれず、ひたすら伝統的な絵画に向かっていきます。それはなぜだったのでしょうか?

岡田さんはそのことについて、次のように書いています。

 

まるで静寂という強迫観念に取り憑かれたかのように、静寂さのなかに自己を追い込もうとする生。「ただ制作のために必要な平穏と静寂だけしか自分は望んでいない」、まるで口癖のようにボローニャの画家は、複数の友人たちに宛てられた手紙のなかで、幾度もこのセリフを繰り返している。

かくのごとく、過剰さを過剰なまでに拒絶しようとする生。それゆえ、過剰さを忌避しつつも、もうひとつの過剰さへと向かわずにいられない生。過剰なほど何も望まない生。描くという日々の実践を除いて、他のすべてが最小限にまで切り詰められた生。いつも死のほんの一歩手前にあるような生。自己についても他者についても徹底して沈黙を守り抜こうとした生。その生は、ほとんど何も起こらないという意味で、近代の芸術家にあって、きわめて特異なーあるいは見方によっては異常とすらいえるーものである。

だが、ここで視点をがらりと変えてみるなら、モランディの生はそれほど特異で異常にも見えてこなくなるから不思議である。つまりモランディを、いわゆる「芸術家」ではなくて、むしろ「職人」とみなすことである。あるいは、ビザンチンのイコン絵師たちのことを想い起こしてみてもいいだろう。毎日ひたすら同じ作業に向き合いながら生きること。そしてそのなかで、小さな発見や慎ましい変化に一喜一憂すること。強くて熱くて華々しい生よりむしろ、弱くて静かで地味な生に身を捧げること。モランディはおそらく、あえて芸術家の神話を放棄して、いにしえの絵師や職人の神話を生きようとしたのではないだろうか。

(『ジョルジョ・モランディ 人と芸術』「第4章 芸術と人生」岡田温司)

 

このようなモランディの生き方に、私は憧れのような気持ちすら抱いてしまいますが、それよりも岡田さんの次の考察が印象的です。「過剰さを忌避しつつも、もうひとつの過剰さへと向かわずにいられない」という岡田さんの考察は、モランディの芸術の本質を言い表していてみごとです。もしもモランディが「もうひとつの過剰さ」へと至るために、意図的に「最小限にまで切り詰めた」静かな人生を演出したのだとしたら、それは自分の一生を賭けて、自分の「生」の方向をコントロールしようとした、ということになるのでしょう。私はそこに、芸術家として生きる覚悟を感じてしまいます。

 

そして私はここで、モランディの「もうひとつの過剰さ」について触れたいのですが、実はモランディ自身はそのように、自分の人生を分析され、解釈されることを決して望まなかったようです。モランディは自分の弟子にあたるフランチェスコ・アルカンジェリが、モランディの「過剰さ」の中に潜む画家として真の「前衛性」を指摘したところ、モランディはそうとう怒ったそうです。しつこく抗議文を送り、そのうえアルカンジェリが書いたモノグラフの出版停止を求めたのです。そのあたりの経緯に興味がある方は、岡田さんの著書をお読みください。

私は、そのモランディの内に秘めた激しさこそが、彼の芸術の「過剰さ」を育んでいたのだろうと思います。私は「過剰さ」が、モランディの絵に独特の触覚性を与えている、と考えています。そのことについて触れた岡田さんの文章を紹介しておきましょう。

 

すでに1920年代後半、モランディ独特の絵画世界が、「色調主義(トナリズモ)」と呼ばれる潮流の大きな引き金になっていたことは、すでに第3章で見たとおりである。

さらに1930年代の静物画や風景画に見られる、ほとんど抽象絵画の一歩手前のような作品に「アンフォルメルの先駆」を読み取ったのは、前章でも述べたように、画家を深く敬愛していた批評家のフランチェスコ・アルカンジェリであった。実際、この時期の作品の多くは、比較的厚塗りで、タッチは荒く激しく、対象の形態は掻き乱され、それらの空間的な位置関係も曖昧となり、画面は色斑とともに境界を越えて拡散し、作品の内的な完結性がむしろ拒絶されているようにすら見える。つまり、マチエールそのものの物質性と、画家の行為の跡としての激しいタッチとが、より前面に出ているのである。

ただし注意しておかなければならないのは、あくまでもモランディは抽象絵画を描こうとしているのではなくて、お気に入りの壺や壜、そしてグリッツァーナの荒地をとらえようとしている、という点である。本人の信念を繰り返し確認しておくなら、「目に見えるもの以上に抽象的なものは何もない」のだ。両極性の揺れのなかでモランディの芸術を解釈しようとしたアルカンジェリが、これを、「形成されたフォルムの極」にたいする「不安定なフォルムの極」と呼んだことも、すでに触れたとおりである。要するに、この時期、モランディのフォルムはいっそう自由になり、マチエールもより濃厚になる傾向にあるのだ。

(『ジョルジョ・モランディ 人と芸術』「第7章 ローカルにしてグローバル」岡田温司)

 

絵を描いたことのある人なら、この文章に書かれた時期のモランディの絵を見て、その筆のタッチに共感に近いものを感じるのではないでしょうか。自分もこんなふうに描いてみたい、という気持ちになる方も多いと思います。モランディの絵に描かれているのはたしかに静物であり、風景であるのですが、いつしかモチーフを分ける境界線が見えなくなり、同じくらいの明度の部分の色が、あるいは絵の具が溶け出して融合するのです。その融合部分を筆が自由に行き来し、荒く激しいタッチを残すのですが、その筆致がいかにも気持ち良さそうなのです。

このモランディの絵画の自由な感触は、最初から空間的な制約を持たない抽象絵画ではなかなか表現できないものです。伝統的な絵画の構図があるからこそ、そこから溶け出してくる形象に対して、私たちは言いようのない解放感を覚えるのです。

 

このようなモランディの絵画の矛盾を孕んだ特徴は、本人が否定したこともあって、十分に探究されてきたとは言えません。私はそのモランディの絵画の筆致に「触覚性」を発見し、彼の絵画の可能性を正当に評価したいと考えます。そしてそのことは、マルクス・ガブリエルさんらの新しい思想の波の中でこそ、語り得るものだと思います。

例えば、彼の絵画がローカルであることによってグローバルであること、伝統的であることによってアヴァンギャルドであること、などは、今の思想の状況があればこそ、正しく評価できるのです。それと同じように、彼の筆のタッチがモチーフの形を視覚的に表現しているのと同時に、その「視覚性」を越えた「触覚性」を持っている、という矛盾した表現が、いまや魅力的な方法論として探求されるべきなのです。

 

それからこの本の中で、岡田温司さんはモランディの絵画が、その後の画家、ベン・ニコルソン (Benjamin Lauder Nicholson, 1894 - 1982)やニコラ・ド・スタール( Nicolas de Staël、1914 - 1955)にも影響している、と書いています。特にド・スタールについては、モランディさんの「触覚性」が継承されている、と言っても良いのかもしれません。

岡田さんは、次のように書いています。

 

1950年を前後して、モランディの反響はさらにイタリアを越えていく。なかでも、イギリスのベン・ニコルソン(1894 - 1982)とフランスのニコラ・ド・スタール(1914 - 55)は、ボローニャの画家からの影響を自他ともに認めている点において特筆されるだろう。

ベン・ニコルソンが、早くもすでに1930年代から、モランディの芸術に強く惹かれていたこと、モランディの静物画をつねに念頭において制作していたことは、広く知られている。それどころか、本人もはっきりと公言していたほどである。「私はつねにモランディの芸術に魅せられてきた」、「彼の芸術と私の芸術とのあいだには、結合の環がある。モランディのことをつねに思いながら、わたしは静物画を描いているのである」、と。

まるで「パランプセスト(重ね書き羊皮紙)」を連想させるようなその画面には、複数の平面が色調に微妙な変化を見せながら層を成すようにして重ね合わされ、そこからキュビズムとともにモランディの壺や壜のほのかな記憶をとどめる輪郭が浮かび上がってくる。ニコルソンはまた、モランディを抽象表現主義の画家マーク・ロスコとも比較していたという。

フランスの画家ニコラ・ド・スタールも、モランディの静物画の影響を受けた画家のひとりである。とりわけ1953年のイタリア旅行以後の静物画においてそれは顕著で、『青地の静物』、『パン』、『黒い壜』、『赤い壜たち』(いずれも1955年)など、少なからぬ作例をその証拠として挙げることができる。とはいえ、この画家がモランディにたいして示していた関心の痕跡は、1952年の『壜のある静物』や、同じ年の『花』の連作などからも分かるように、イタリア旅行以前の作品にもすでにあらわれている。しかも、ド・スタールがいっそう共感しているのは、明らかに、静寂にして安定したモランディのほうではなくて、厚塗りのなかで形態がざわめき立つモランでぃにたいしてである。

さらに1953年の『月』のような作品は、白い地の上の白い月という設定において、わたしたちが第3章で分析したモランディの1942年の作品、白地の上の白い大壜(v.371)と比較することができるだろう。またしても白の上の白。このようなモノクロームの試みにおいて、ド・スタールもまた、モランディと同じく、マレーヴィチのような「絵画のゼロ度」へと一目散に突き抜けることはない。あくまでも「月」なのであり、わたしたち鑑賞者は、さながら月のクレーターを見るように、厚塗りのマチエールの凹凸を味わうのである。

(『ジョルジョ・モランディ 人と芸術』「第7章 ローカルにしてグローバル」岡田温司)

 

この最後の部分の記述などは、まさしく絵画における触覚的な鑑賞方法の典型的な事例ではないでしょうか。ここで挙げられた画家の中では、ニコルソンはモダニズムの影響から、かなりミニマルな作品も制作しています。しかし、それらの作品もレリーフ状になっていて、実物を見ると触覚的な作品であることがわかります。

そして、モランディとド・スタールの比較は、とても興味深いです。二人とも、画面の抽象化の度合いを一時期的に上げながらも、結局のところ具体的なモチーフを離れなかったか、もしくは回帰した画家です。これは画面上での筆致などの触覚性と、画家がモチーフと対峙したときに感受する触覚性とが、関連して響き合っているということを表しているのかもしれません。画家が制作上で抽象の度合いを深めていった時に、どこかで現実の空間での触覚的な感覚を求めてしまう、という仮説が成り立つのかもしれません。実際に私が制作しているときに、しばしばそういう思いに駆られて、現実の空間(風景)に立ち帰ることがあるのです。

 

このように、ボローニャという小さな町から離れようとしなかった一人の画家が、逆説的にグローバルな影響を芸術の世界に与えていたということ、そのことを探りながらモランディの芸術を探究すると、まだまだ実りの多い成果が得られるのかもしれません。一つの大きな「主義(イズム)」が存在しない現状ですが、そのことを嘆く声も時々聞かれます。そうではなくて、現在だからこそ開かれている世界に目を向けて、その多様性を掘り起こしてみてはいかがでしょうか。

最後に、岡田さんの本から印象的な文章を二箇所、もう一度引用しておきましょう。

 

ボローニャというごくローカルな町で制作をつづけたからこそ、その芸術はむしろグローバルな射程を有するものとなる事ができたのではないだろうか。その絵画はまた、古臭いからこそ新しく、新しいからこそ古臭いものでもある。これはたしかに、良くも悪くも世界が均質化していきつつあるグローバル化時代を生きるわたしたちに向けられた、ひとつの貴重な教訓でもある。

(『ジョルジョ・モランディ 人と芸術』「はじめに」岡田温司)

 

かくのごとく、過剰さを過剰なまでに拒絶しようとする生。それゆえ、過剰さを忌避しつつも、もうひとつの過剰さへと向かわずにいられない生。過剰なほど何も望まない生。描くという日々の実践を除いて、他のすべてが最小限にまで切り詰められた生。いつも死のほんの一歩手前にあるような生。自己についても他者についても徹底して沈黙を守り抜こうとした生。その生は、ほとんど何も起こらないという意味で、近代の芸術家にあって、きわめて特異なーあるいは見方によっては異常とすらいえるーものである。

(『ジョルジョ・モランディ 人と芸術』「第4章 芸術と人生」岡田温司)

 

どちらも、この画家のことをよく理解した、見事な解説だと思います。このことを踏まえて、これからもモランディの作品を見ていくことにします。

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