2024年2月12日から17日まで、東京・京橋のギャラリー檜で開催していた個展を無事に終えることができました。
私が在廊できたのは、12日と17日の休日のみでしたが、直接、お会いできた方、できなかった方、いずれも来場していただいたことに感謝いたします。
今回は、1998年の作品から今月描き上げたものまで、時間的に幅のある作品の展示にしてみました。「触角性絵画の探究」というテーマにそって作品を選びましたが、おおむね、私のねらいを理解していただけたように感じています。
すべての作品の画像を、いずれ私のホームページにアップいたしますが、とりあえず、それまでは私のパンフレットの写真を展覧会の記録として見ていただければ、と思っています。
http://ishimura.html.xdomain.jp/work/2024Gallery%20HINOKI/202402個展パンフレット.pdf
さて、すでに、パンフレットの中で作品についていろいろと書きましたが、今日は最終日に来ていただいた若い作家との会話の中で触れた話題について、追記しておきたいと思います。
その時に話題になったことは、作家にとって作品を描けなくなったり、発表できなくなったりすることがあるのかどうか、そして、そんな時にどうするのか、というようなことです。
私のように、職業作家でもなければ、著名な芸術家でもない人間にとっては、仮にそんな時期があっても誰一人として気にする人はいません。もはやうる覚えですが、私にも作品を発表できない時期が少しだけありましたが、だからといって誰かから何か言われた、という記憶もありません。考えてみるまでもなく、私の表現活動は自分一人で勝手にやっていることですから、展覧会をやろうが、止めようが、社会的には何の影響もないのです。
そう考えてしまえば気楽ですが、それでも作家本人にとって制作が継続できるのかどうかは、なかなか深刻な問題です。私の場合には、今回のパンフレットでいえば、2007年ごろの静物画や風景画の版画作品を制作した時期に、発表活動が停滞していたように思います。だからこそ、不慣れな版画制作にじっくりと取り組めたのだと思います。
この時期は、モダニズム絵画として不定形の布の上にペイントを施す、という仕事から具象的な対象物を見て描く、という仕事に移行した時期でした。パンフレットにも書いたように、この時期はそれまでの表現では食い足りないものを感じ、このままの仕事ではいずれ行き詰まることが予想できたのです。そんなわけで、もう一度、絵画という芸術表現を自分の頭と体で検証し直すことが、ぜひとも必要だったのです。
しかし、今の若い方にはわかりにくいかもしれませんが、私の若い頃にはモダニズム絵画の考え方が浸透していて、普通にものを見て描いたり、透視図法を使った奥行きのある絵画を描いたり、ということは許されない雰囲気がありました。仮にそういうことをするのならば、フォト・リアリズムのように何か特別なねらいが求められたのです。
絵画の平面性というのは、否定し難い不文律のようなものだったのです。ですから、あえて静物などのモチーフを設定して、それをデッサンするところから始めるというのは、これまでの自分の表現を否定するものでした。言ってみれば、モダニズム絵画の流れから逸脱して、一から出直すようなことだったのです。その時には、さすがに、それまでのようなペースで個展を開催することはためらわれたのです。
さて、その時にあらためて考えてみたのですが、モダニズム絵画の不文律ーつまり絵画の平面性を重視すべきだーなどと誰がどんな文脈で言ったのでしょうか?そして、「芸術の終焉」、「絵画の終焉」などということまで囁かれた時期でしたが、そんなとんでもないことを誰が言ったのでしょうか?実はそんな基本的なことでさえ、誰もまともに検証し直そうとはしていませんでした。それらはすでに既定事項でしたし、今さらそんなことは人に聞けない雰囲気でした。こういう状況って、良くないですよね?今でも、現代美術を語る人たちの中には、こんな雰囲気がありませんか?私のこのblogは、そんな状況を打破することを目的の一つにしています。別に自分を賢く見せる必要はありませんし、知りたいことがあれば知れば良いし、論じたいことがあれば論じれば良いのです。
しかし、その頃の私はそんなことまでは考えが及びませんでした。だから一人で静物のモチーフを設定して、それを鉛筆でデッサンする、というところから始めたのです。
その時期には、静物のデッサン以外に、大好きだった古典絵画のシャルダン(Jean-Baptiste Siméon Chardin, 1699 - 1779)の静物画の模写なんかもやりました。下手くそでしたけど、とても楽しかったです。
https://www.mmm-ginza.org/special/201210/special02-02.html
「銀のゴブレットとリンゴ」はそのまま鉛筆で模写をして、「カーネーションの花瓶」は、さまざまな条件を自分で設定して、絵の具で描き直しました。
この時期の私は、制作が行き詰まっていましたし、たった一人で絵画を見つめ直すという孤独な作業に立ち入っていましたので、かなり困難な時期でした。しかし幸いなことに、そうこうするうちに「一緒に版画集を作ろう」などと誘ってくださる尊敬する作家たちがいて、作品を全く発表しない、という時期はそれほど長くありませんでした。
今回の展覧会では、そんな時期の前後の作品を同時に並べてみましたが、それほどの違和感がなかったと思います。自慢するわけではありませんが、いかなる時期にあっても、そこそこ自分に正直に制作してきた結果かな、と思っています。
そしてこの時期の、どん底の精神状態でいろいろと考えたことは、今も心の支えになっています。自分自身で絵画を一から見つめ直したのですから、誰から何を言われても、もう平気です。ピント外れの批判を言う人がいても、「あなたは絵画に絶望したことはありますか?」と逆に聞き返したいくらいです。
こちらには、もう何も失うものはないのです。
今の若い方は、そんなモダニズム絵画の根拠薄弱な不文律さえもなく、何か取り止めのない世界に生きている感じなのかもしれませんね。それはそれで大変そうですが、芸術表現を志す以上、自分自身で何ごとかを決断しなければならないのは、いつの時代でも同じです。
ですから、多少、制作や発表が滞ったところで、何の問題もありません。それよりも、安全な場所、安心できるところなどどこにもない、ということを再認識しておきましょう。頼りになるのは自分自身だけです。ですから、自分の気持ちの赴くままに、できるだけ自分に正直に動いてみましょう。制作を継続するにしろ、中断するにしろ、自分自身が納得できることが肝心なのです。
私は、日々そんなふうに思って制作しています。
そして作品を発表するということは、そんな自分の現在の立ち位置を、そして現在の判断を示すことでもあると思います。美的感覚の素晴らしい人、才能のある人は山ほどいると思いますが、自分自身の立ち位置に悩んだことのない人、自分自身で考え、判断しない人の作品はそれほど面白くありません。仮にその判断が未熟であっても、そのことが見えている人の作品の方が興味深いのです。
作品は正直ですから、何かをとり繕ったところで見透かされてしまいます。そう考えると、悔いの残らないように、自分自身が納得できることをやった方がいいでしょう?休みたい時に休めば良いし、作りたくなったら作りましょう。
そういう作品を、私は見てみたいと思っています。
さて、展覧会の話に続いて、今回はたまたま視聴したテレビ番組とラジオ番組について、少しだけ触れておきたいと思います。
その一つは「いま世界で奏でる音楽」という作曲家の久石譲さんの活動を描いたテレビ番組です。今週の木曜日(22日)の夕方ごろまで、「NHKプラス」で繰り返し見ることができます。よかったらご覧ください。
https://www.nhk.jp/p/ts/R6R5RGQNJZ/
どんな番組だったのか、番組の紹介文を読んでみましょう。
「久石譲 いま世界で奏でる音楽」
初回放送日: 2024年2月15日
日本を代表する音楽家・久石譲がニューヨーク、ロンドン、パリ、ウィーンなど世界で勝負する姿を追う音楽ドキュメント。おなじみの名曲も満載。
2022年5月フランスから2023年3月ウィーンまでの活動に密着取材。ニューヨークでのジブリスクリーンコンサート、ロンドンでの「となりのトトロ」の舞台プロデュース、ウィーン楽友協会でのコンサート、そして宮﨑駿監督の最新作「君たちはどう生きるか」の録音など、世界で勝負する姿を描く。もちろんおなじみの名曲もしっかり紹介。
久石さんは1950年生まれですから、私より10歳年長になります。
そう思うとお元気ですね。世界中を飛び回り、まだまだこれからも名だたるオーケストラとの共演が控えているそうです。自分の可能性をどんどん試していこう、という気概が頼もしいです。
久石さんは、もともとミニマル・ミュージックを表現手段とされていた現代音楽家ですが、そういう先進性と、アニメーションの作曲を手がけるポピュラリティーと、さらにはストラヴィンスキー(Igor Fyodorovitch Stravinsky、1882 - 1971)さんの曲を指揮する場面があったことから、オーソドックスなクラシック音楽家としての実力も認められているのだと思います。
以前に聞いた話ですが、ヨーロッパにおいてもクラシックのオーケストラや音楽ホールの運営が厳しくなっているのだそうです。それは資金を拠出する愛好家が高齢化しているからで、その一方で若者のファンが思うように増えていないのだそうです。日本のオーケストラの苦境はよく聞きますが、彼の地でもそうなのか、と心配になります。もしもそんな状況なのだとしたら、現代音楽、ポピュラー音楽、クラシック音楽を横断するような才能を持つ、久石さんが注目されるのもわかるような気がします。
とはいえ、私は、クラシック音楽をあまり聞かない人間なので、久石さんの音楽家としての価値を正しく判断できる立場ではありません。しかし、この番組については、とても面白く見ることができました。特に番組の真ん中あたり(25分ごろ)の、次のような久石さんの言葉が印象的でした。ロンドンでの「となりのトトロ」の公演の成功を見届けた時のインタビューです。
やっぱり宮崎さんの作った世界はすごいよね。っていうか、世界中が同じように・・・、日本人が狂喜して喜ぶのと同じように世界中が喜んでいるから・・、本当にドメスティックでいいから、真剣に掘り下げたものが、かえってインターナショナルなんだ。そのあかしだな、と思いました。
(「久石譲 いま世界で奏でる音楽」久石譲のインタビューより)
とても蘊蓄のある、そして素敵な言葉です。私は、人間一人ひとりの能力や価値は、世界中でそれほど変わらないだろう、と思っています。人種、国籍、宗教、地域、その他に関わりなく、です。そうすると、世界中の人の心に届く表現というのは、どのようにして生まれるのか、それはどれほど人間を掘り下げることができたのか、あるいは芸術や学問などをどれほど探究できたのか、ということによるのだと思います。世界中を飛び回ったり、インターネットで世界中を見渡したりしても、肝心のその人が底の浅い人であれば、表面的なことしかわからないし、できないでしょう。そういう調整役にあたるような人も時には必要でしょうが、大切なことは「ドメスティックでいいから、真剣に掘り下げる」ことではないでしょうか?私はそう思って、日々勉強しています。
とはいえ、私の場合は私の芸術を世界中に紹介してくれる「調整役」にあたる人は現れそうもありません。いつか、それも自分でやらなくてはならないのかな、とも思っています。そのためには語学の勉強も必要ですね。こちらの勉強はさっぱり進みませんが、幸い、語学堪能な友人が多いので、時間ができたら教えを乞うことにしましょう。
さて、もう一つ取り上げたい番組は、「TOKYO FM」で毎月放送している村上春樹さんの「村上RADIO」です。私は録音して車でラジオ番組を聴いているので、数週間遅れで聴くことになります。今回取り上げたいのは、1月末に放送された「ポップ・ミュージックで英語のお勉強」という番組になります。幸いなことに、この放送は文字原稿として番組のHPからすべてのやりとりを読むことができます。
https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/index_20240128.html
この回は、翻訳家で東大の名誉教授の柴田元幸さんがゲストとして招かれています。村上さんと柴田さんが、お互いに好きなポップ・ミュージックをかけながら、その歌詞について語り合う、というものです。
この番組が、タイトルの通り「英語のお勉強」になるのかどうかはわかりませんが、私は彼らの選曲が英米の時代を映し出していて、さらにはサブ・カルチャーとリンクしていることに興味を持ちました。その印象に残ったところをご紹介しておきます。
最初の一曲目は、いずれも名曲です。
柴田さんの選んだのはアニマルズ(The Animals)の「We've Gotta Get Out of This Place」です。アニマルズは1960年代半ばに人気を集めたイギリスのロックバンドです。何と言ってもエリック・バートンさんの歌唱が強烈です。
番組でも語られているように、「朝日のあたる家」の大ヒットにあやかった「朝日のない街」という邦題はご愛嬌ですが、メッセージに切実なものを感じます。これはイギリスの貧民街の歌だと思っていたのですが、アメリカの曲なのですね。ベトナム戦争でも歌われた、という会話が印象的です。
村上さんの選んだのはサム・クック(Sam Cooke)さんの「Wonderful World」です。
サム・クックさんの代表的なポップ・ナンバーです。ここでは、学校の教科・科目の分類について日米の違いについて話が及び、さすがの教養ですね。
しかし、今回、何といっても印象に残ったのは柴田さんの選曲のギルバート・オサリヴァン(Gilbert O'Sullivan)さんの名曲、「Alone Again(Naturally)です。私自身、好きなポップ・ソングを10曲選べと言われたら、多分、この曲をその1曲として選ぶと思います。
この何とも複雑な陰影に富んだ歌詞について話が及びます。ギルバートさんの曲で、この曲が突出している、というのはその通りだと思います。
そして、この曲が流行った時に、柴田さんが「時代が変わったな」と感じたというのは、よくわかる気がします。私は柴田さんよりも6歳年少で、この曲が出た1971年はまだ11歳でした。中学生になってポップ・ソングを意識して聴くようになりましたから、タイムラグが2年くらいあります。しかし、その頃は今ほど時代の流れが急ではなかったので、ビートルズの解散(1970年)の余韻やその後のサブ・カルチャーの移り変わりを、少し遅れてではありましたが、肌で感じることができました。
多分、1970年代を象徴するのは、カーペンターズの大ヒットとその成功だろうと思うのですが、ギルバートさんのこの曲は、その移り変わりを象徴する不思議な陰影がありました。ポップだけど明るくない、それでいて穏やかで親しみやすい名曲です。これはギルバートさん個人が産んだ曲でありながら、それを押し上げたのはその時の時代の雰囲気であったのかもしれません。
それにしても、「Naturally」の意味が、私の英語力ではよくわからないのですが、ここではお二人も翻訳が難しい、といっていますね。「ひとりぼっちになったのは、自然なことなのさ」というあきらめの気持ちが含まれているのかな、と思いますがどうでしょうか?
そしてもう一曲、これも柴田さんが選んだランディ・ニューマン(Randy Newman)さんの「Short People」が、私好みの傑作です。
https://youtu.be/v8UVBgUd9GE?si=mRHkdvwVSuoppZdJ
この曲が大ヒットした時に、私はアメリカのヒットチャートをチェックしていました。ここでお二人が言っているように、その時にアメリカではこの曲に対する抗議が殺到したのです。全米のラジオ番組の日本語版で解説を担当していた湯川れいこさんは、「ランディ・ニューマンのアルバム全体を聴けば、彼のメッセージがちゃんと伝わるはずなのに」と言っていたことを覚えています。ランディさんのユーモアのセンスは、おおかたのアメリカ人の感覚さえも凌駕してしまった、ということでしょうか。
それにしても、「背の低い奴は生きる価値がない」なんてメッセージを、ランディさんが本気で言うわけがない、なんて誰にでもわかりそうなものですが・・・。ルッキズムで差別をする人たちを批判し、笑い飛ばす・・・、ちょっと皮肉でおかしみのある名曲だと私は思います。
と言うことで、たかがポップ・ソングですが、そこには英米の世界観を映し出す興味深い要素があります。そのことを、村上さんと柴田さんは声高にならずに語り合っているように思いました。番組の後の聴取者の感想で「英語の勉強をしようと思った」という声が聞かれましたが、本当かな?と思ってしまいました。それよりも、やっぱり語り合った中身の方が面白かったと思うのですが・・・。
実は搬出を終えた帰路、作品を載せた車の中でこの放送の録音したものを聞きました。と言うことで、展覧会の事後報告とともに、blogに書いた次第です。たかがラジオ番組ですが、この世界は知的な楽しみに満ちていますね。
最後に、この番組の最後に選ばれたジャニス・ジョップリンさんの「メルセデス・ベンツ」の曲のリンクを掲載しておきます。
この曲を録音した後、数日でジャニスさんは亡くなったそうです。若くして、惜しい人を亡くしましたね。しかし、やっぱり、歌が良いです。虚飾のない表現が心を打ちます。芸術表現の原型を見る(聴く)ような気がします。