前回、新型コロナウイルスについて、マルクス・ガブリエルはどう言っているのか、と問いかけましたが、一週間ほど前にわずか10分間のインタビューでしたが、まさにそのことがテレビで放映されました。うる憶えですが、人と人を引き離す、というどんな暴君でもできないようなことをウイルスがやってしまっている、と彼は語っていました。このことによって世界は、あるいは国のあり方は変わっていく可能性があるけれども、オンラインやITが発達すれば問題が解消するとは思わない、とも言っていたと思います。ちょっと複雑な物言いで、理解するために録画しておけばよかったな、と思いました。マルクス・ガブリエルのITに関する発言の趣旨はわかりませんが、私が感じていることは、例えば最近では教育活動についてもオンライン授業が話題になり、文部科学大臣ももっとはやく学校のICT化を進めておけば、と悔やんでいると報じられました。しかし、現場で働いている立場からすると、そうでもないと私は思っています。ICTは万能ではないし、どう利用していくのかはよく考えながら進めていった方がよいと思います。問題なのは、日本の教育の中でとくにICTが遅れていたわけではなくて、基本的に教育にお金をかけず、こどもを大事にしてこなかったことが問題なのであって、今回はそのつけが回っているだけなのだと思います。それにいくら授業をオンライン化しても、美術や工芸の授業などはやはり体験を共有する具体的な場所が必要です。せめてこれをきっかけに、大人数の生徒を狭い教室に過密に詰め込む教育環境が見直されれば、と願っています。それから都市部の殺人的な通勤通学のラッシュなどは、ウイルスの感染を抜きにしてもあまりに非人間的な状況でした。規則的な生活習慣は大切ですが、登校時間を一律にすることで犠牲にしてきたことについても、そろそろ考えた方が良いと思います。
また、ラジオでは鴻上尚史が『Tokyo Midtown presents The Lifestyle MUSEUM』という番組で芸術家の助成金について語っていました。鴻上尚史は劇団の演出家ですが、演劇の公演中止がはじまったころから芸術家への助成を呼び掛けていたのだそうです。すると、それに対して心が折れるようなバッシングがあったと語っていました。こういう非常時になると、どうしても芸術活動は道楽と同じことだと思われてしまうようで、とても残念です。日本の中ではこのような「正義」感からの同調圧力とどう向き合っていくのか、が芸術家として生きていくうえで、けっこうしんどい問題だと思います。この放送を聞いてみたい方は、しばらくの間はつぎのリンクから聞くことができます。
(https://www.tfm.co.jp/podcasts/museum/)
さて、今回は本格的な美術評論『視覚的無意識』を読んでみます。
著者はアメリカの美術評論家、ロザリンド・E・クラウス(Rosalind E. Krauss, 1940 - )です。クラウスはハーバード大学でクレメント・グリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 - 1994)に師事し、学友には評論『芸術と客体性』で知られるマイケル・フリード(Michael Fried、1939 - )がいる、という才媛です。有名な美術批評理論誌『オクトーバー』を創刊した人でもあり、いまはコロンビア大学の教授だそうですが、もう80歳になりますね。いまでもご活躍なのかどうか、遠く日本にいてはわかりませんが、グリーンバーグ以降、アメリカでもっとも重要な美術評論家の一人であることは間違いありません。今回取り上げる『視覚的無意識』は、そんな彼女の主著になります。まだ読んでいない人は、ぜひこのblogを最後まで読んでください。
かく言う私も、海外の美術批評にはまったく疎いのですが、ロザリンド・クラウスはグリーンバーグのフォーマリズム批評の影響を受けたものの、グリーンバーグの批評の射程がミニマル・アート以降の芸術に届いていないと考え、袂を分かったのだと言われています。そして、アメリカにおけるポスト・モダニズムの代表的な評論家だとも言われているのです。
ちょっと長めの説明になりましたが、このような前置きは不要だという考え方もあるでしょう。その評論家がどのような立場であれ、書かれたものが良ければいいじゃないか、という考え方です。確かにその通りですが、現代美術の、とくにクラウスのような高度な、あるいは難解な評論の場合、予備知識なしで取り組むのは、ちょっとハードルが高いように思うのです。それにこのあとを読んでいただければわかると思うのですが、単純な話、クラウスの立場が分かった方が、彼女の本を読んでいて楽しめるということもあります。
私の場合、自分でも困ってしまうほど難解な文章が苦手なので、この『視覚的無意識』の前半部分は読んでいてとてもしんどかったです。シュルレアリスム芸術への執拗な言及やラカン(Jacques-Marie-Émile Lacan、1901 - 1981)のL図式と呼ばれるグラフの解説など理解できない点が多いのです。
※L図式の解説を読みたい方は、こちらをどうぞ。
(https://www.toibito.com/column/humanities/psychoanalysis/2174)
しかし、これもグリーンバーグのモダニズム理論への対抗という観点から読んでみると、腑に落ちることがあります。というのは、グリーンバーグはシュルレアリスムとはとても相性が悪く、当時の芸術界においてはかなり注目されていたはずの、精神分析における無意識の問題などについてはほとんど言及していないのです。彼のジャクソン・ポロック(Jackson Pollock、1912 - 1956)に関する批評を読むと、ポロックがシュルレアリスムから影響を受けたであろう絵のモチーフや技法に関する話題は周到に避けられていますし、ポロックに限らず生身の人間が制作する際に直面するあれやこれやの問題、とりわけ芸術家の内面的な葛藤などの問題には触れないようにしている、というふうに読めます。そしてグリーンバーグは現代美術の中でもフォーマリズム批評として掬い上げられる要素のみを選んで、批評を書いているように思えるのです。
ちょっと話がクラウスから離れてしまいますが、大切なところなのであえて寄り道をしましょう。
評論家が自分の趣旨にそって批評するのは当たり前と言えば当たり前ですが、それならばその趣旨によって遺棄されたものは何なのか、ということは知っておいたほうが良いでしょう。とりわけ、現代美術の新興国であったアメリカを一気にその中心的な国に持ち上げたのが、抽象表現主義の優れた画家たちの活躍もさることながら、グリーンバーグの批評の力が大きく貢献したことを考えると、彼がシュルレアリスムに対してどのような態度を取ったのか、ということが現代美術を考えるうえでも重要な観点になるのです。そのアメリカにおけるシュルレアリスムの影響を考察した本に『シュルレアリスムのアメリカ』があります。ちょうどこの『視覚的無意識』を翻訳した谷川渥(1948 - )が2009年に書いた本ですが、とてもわかりやすくてお薦めの本です。谷川はこの本の「序」の部分で、この本のサブタイトルを「ブルトン vs グリーンバーグ」とつけることも許されるだろう、と書いています。アンドレ・ブルトン(André Breton, 1896 - 1966)は、言わずと知れたフランスの詩人で、1924年に「シュルレアリスム宣言」を起草してシュルレアリスムを創始した張本人です。つまりはアメリカの現代美術を考えるひとつの側面として、シュルレアリスムをグリーンバーグがどう対したのか、ということがあるわけです。そのグリーンバーグの態度について、谷川はこう書いています。
キュビスムは「良い」、シュルレアリスムは「悪い」。グリーンバーグ特有の語彙を用いるなら、端的にいってそういうことになるだろう。キュビスムの線上に抽象表現主義を位置づけて、シュルレアリスムという現象をモダニズムの縁辺に置くというのがグリーンバーグの基本的態度であったように思う。
(『シュルレアリスムのアメリカ』「シュルレアリスムと抽象表現主義」谷川渥著)
現代美術において、シュルレアリスムをこのように遇するということ自体にびっくりしますが、さらにこのように考えた評論家がアメリカの現代美術を主導したと言ってもよいことを、私たちは知っておくべきでしょう。結果的に「シュルレアリスムという現象をモダニズムの縁辺に置く」というグリーンバーグの態度が、シュルレアリスムから派生した多様な現代美術の動きを追いきれなくなった、という状況があったと思います。寄り道が長くなりましたが、そのような状況下において美術批評を始めたのが、ロザリンド・クラウスの世代であったのです。
そんなグリーンバーグの絵の見方について、クラウスはこの『視覚的無意識』のなかでこう書いています。
そしてわれわれはクレメント・グリーンバーグに「視線(ルック)」についての彼自身の説明を聞かなければならなかっただろうか。芸術が要請する、観者と作品の交流の媒体たる視線について。この視線の時間が重要である、と彼は断言する、なぜならそれは消滅させられる時間でなければならないからだ。「多くの絵画や彫刻作品に関して」、と彼は主張する。「それらを全体としてとらえるためには、まるで不意にそれらをとらえたかのようでなければならない―作品の最大値が、視野の瞬間的な衝撃のなかに詰め込まれるように。一方、ある絵画を見る前にあまりにもしっかりと踏ん張り、それからあまりにも長い間それを凝視すると、眼差しがついにはぼんやりと自分に戻ってきてしまいがちである」。
芸術作品を理解する-「それらを全体としてとらえる」-ことは、ある啓示の機能であり、その本質はまさに、その即時的同時性が時間という次元を単純に宙吊りにすることにある。そして時間がこのように宙吊りにならず、それ自身の否定へと再構成されないとき、観者と絵画の間を走る眼差しの軌跡は、現実の時間と現実の空間という次元を通り始める。観者は、彼あるいは彼女がこうした眼差しを支える身体-痛む足や凝った背中をした身体-を持っていることを発見する。そして絵画もまた身体化され、ワニスの塗りすぎでテカテカに光った画面に、まずい照明のせいで気を散らすような影を額縁が落としていることにいまや気づかされるのだ。クレム(グリーンバーグのこと、ファースト・ネームの「クレメント」の省略形)が「絵画の<十全な意味>―すなわちその美的事実」と呼ぶものは、この状況では失われ、あまりにも現実的な場所に移される。その結果、「美的事実」を生み出す代わりに、絵画はいまや物象化されて、たんに視線を送り返し、ただ「ぼんやりと」あなたを見つめ返すのである。
(『視覚的無意識』「three」ロザリンド・E・クラウス著 谷川渥/小西信之訳)
難しい文章ですが、読み解いてみましょう。
グリーンバーグの絵画の見方は、「それらを全体としてとらえる」という見方であり、その見つめる時間は「即自的同時性」という時間になるのだ、と彼は言っています。要するにいっぺんに全体をながめることが大事で、部分的に画面を追いかけたり、画面の中で視線がさまよったりする時間は「宙吊り」にされる、つまり考慮に値しない時間の使い方だ、ということなのです。絵の前に立つときには、不意にぱっと絵が現れたかのように、全体を一瞥することが大切で、先入観をもってジーっと絵を凝視してしまったりすると、「眼差しがついにはぼんやりと自分に戻ってきてしまいがちである」、簡単に言えば目の前の絵を見ているようでいて見ていない、それでは結局のところ自分の思いがはねっかえってしまうだけだからだめなのだ、とグリーンバーグは言っているのです。
クラウスはそのグリーンバーグの絵の見方を告発しながら、こう問いかけます。
でも実際のところはどうなの?私たちはそのような作法にのっとって絵を見ているばかりではないし、絵を見ているうちに体のあちこちが痛むことを思い出すし、美術館の照明の具合や絵の額縁の影が気になって、グリーンバーグが言うところの「ぼんやり」と絵を見ている自分に気が付くだけじゃない?というのが、クラウスの問いかけです。
ところが考えてみるとその後のアメリカの絵画は、とりわけその代表者であるポロックの絵画はこのグリーンバーグの絵の見方によって発展していったのです。例えば、画面全体をながめる視線に耐えうるためには、どの部分を見ても隙間となるような空間がなく、同じ強度で視線が画面に当たれるような絵画である必要がありました。そのためにポロックの絵画は、オール・オーヴァーな画面という特質を獲得していったのです。そのことが絵画に平面としての強度を与えることにもなり、アメリカの絵画は大きな美術館でも見栄えのする作品になっていったわけです。
しかし実はそのように絵画を見るためには、表現者と観者とが「即自的同時性」という時間を共有しなければなりません。いつの間にか私たちは部分にとらわれずに画面全体を一瞥する習慣を身につけ、そのために画面から一定の距離を取って離れて立つことが正しい絵の見方だと思い込むようになりました。だからポロックの絵を近くから見て、ただの混乱した絵具の痕跡だと思い込む人を見れば、そういう見方はだめだよ、と教えてあげたくなってしまうのです。そういうグリーンバーグ的な正しい絵の見方、正しい時間の使い方を、例えば私などはかなり頭に刷り込まれているなあ、と思い当たります。
しかしシュルレアリスムの芸術が指し示す無意識の世界や、そこに含まれる夢やエロスや下品さなど、およそグリーンバーグが顧みなかった人間的な世界が現代美術の中にも、あるいは現実の世界にも広がっていて、そのことを認識するにはグリーンバーグの芸術観にしばられないことが肝要だ、というのがクラウスの一貫した主張なのです。ですからクラウスは自分の評論の中で、例えばこの『視覚的無意識』においてもグリーンバーグが縁辺に追いやったシュルレアリスムやそのほかの様々な要素について、ポスト・モダニズムの知見を活かしてあえて執拗に語っているのです。その背景を知らないと、この本が書かれた1993年において、なぜシュルレアリスムにこれほどこだわるのか、がわかりにくくなります。
さて、この「対グリーンバーグ」とでも言うべきクラウスの主張が、がぜん面白くなるのがこの本の後半部分、ポロックらのアメリカ絵画を語った部分です。やはり同時代的に直接、見聞きしているからでしょうか、文章が生々しく、グリーンバーグの語ったアメリカ絵画とは別な面が見えて、とても興味深いのです。
例えば、クラウスはグリーンバーグがインタビューにおいて、たびたびポロックとの出会いを語っていたことについて書いています。それはポロックの伴侶であったリー・クラズナー(Rosalind E. Krauss、1908 – 1984)から紹介されたというのですが、そのときのポロックは「かなり見栄えのする男」で、リーは「この人はすごい画家になるわよ」と言っていた、というエピソードです。しかし実際には、リーはあるパーティーでポロックをグリーンバーグに紹介したそうで、ポロックは人の集まる場所では内気なじっとしているだけの男であるか、酔って荒れ狂っているのか、のどちらかだったそうです。つまりグリーンバーグはポロックとの出会いを自分で演出して、何度も語っていたというのです。なぜグリーンバーグはそのような演出をしなければならなかったのでしょうか。クラウスの考えは次の通りです。
これはポロックを昇華する方法だ、と私は思う。ジェイムス・ディーンばりにジーンズをはき、黒いTシャツを着て、乱雑なアトリエのなかで自分の絵画の上に屈み込んでいるポロック、あるいは旧型フォードのステップの上にしゃがみこんでいるポロックを、その自堕落な体制から立ち上がらせる方法である。まったき低さにあるポロックのこの姿勢は、あまりに多くの有名な写真によって伝えられるものであり、それらのイメージは、絵画を描く身振りの自由奔放な動きだけではなく、静止した身体に暗くのしかかるような沈黙をも記録している。しかもそれらは、あらゆる都会的なもの、あらゆる「文化的教養的」なものから決然と隔離されている。それらの写真はポロックをケルアックのように路上(オン・ザ・ロード)に置き、彼の顔を食いしばらせてビート族的な拒絶の固い握り拳へと化けさせ、暴力の芸術、「吠える」芸術を生み出す。クレムの使命は、ポロックのそうした写真の上空へと持ち上げることだった。ちょうどポロックの制作した絵画を、それらが制作された地面から持ち上げ、壁へと掛けることが彼の使命であったのと同じように。なぜなら、それらの作品が伝統、文化、慣習と結びつけられるのは、ただ壁の上でだけだったからだ。その場所において、そして重力に対してその角度にあるときに、それらは「絵画」となったのである。
「彼はこんな野性的で、無思慮な天才じゃなかった」、とクレムは続ける。「そう、彼はそうじゃなかったかもしれない。彼は狷介に見えた、でも彼は絵画に関しては非常に洗練されていた」彼の声は次第に小さくなっていく、まるで思い出しているかのように。
そしてまさにそこで、その短い一節、そのほんのちょっとした文において、すべてを、完全な贖罪の身振りを手にするのだ。それは、作品を立ち上がらせて一つの完全な祝福のうちに壁の恩寵へと上昇させ、野性的な無思慮さを否定して、視のための空間を切り開くことだ。その視は(まさにその見るという行為において)秩序を生み出し、そうして絵画を-「洗練された」絵画を-生み出すだろう。
(『視覚的無意識』「six」ロザリンド・E・クラウス著 谷川渥/小西信之訳)
ジェームズ・ディーン(James Byron Dean、1931 - 1955)は言うまでもなく映画スターですが、ポロックの亡くなる前の年に、ポロックと同じ自動車事故で亡くなっています。ふたりは破滅的な事故死をしたアメリカ的なヒーローとしてイメージが重なるところがあるのでしょう。私はふたりの風貌が似ても似つかないところが気になるのですが、アメリカの人はどう思っているのでしょうか。それからジャック・ケルアック(Jack Kerouac、1922 - 1969)も『路上(オン・ザ・ロード)』の成功でビート族と呼ばれる文学者たちのヒーローであったし、「吠える」芸術とは、ケルアックと同じくビート族の代表的詩人アレン・ギンズバーグ(Irwin Allen Ginsberg, 1926 - 1997)の詩集『吠える』のもじりではないかと思われます。
グリーンバーグがポロックを画家として評価するに際し、このようなサブカルチャーも含めたアメリカ社会におけるヒーローのイメージを意識していたのだとしたら、禁欲的で堅いイメージのフォーマリズム批評家としてのグリーンバーグ像が、すこし違って見えてきます。グリーンバーグが演出したかったのは、ポロックが酔っ払いのさえない男だったのではなく、あるいはたんに「野性的で、無思慮な」男でもなく、絵画に関しては「洗練」された宝石の原石のような男だった、と言いたかったのかもしれません。その男がフォーマリズム的な「秩序を生み出し」、「洗練された」絵画を生み出したのだ、というストーリーを語りたかったのだとしたら、グリーンバーグの厳密なフォーマリストとしての顔からは読み取れない、人間的な側面が見えてくるような気がします。
それからもうひとつ、クラウスがこだわっているのが、ポロックがドリッピングのために地面に置いたキャンバスを垂直に持ち上げて壁に掛けたことによって、それが「絵画」となった、というくだりです。その垂直性によってポロックの芸術が昇華していったのだ、というのがグリーンバーグの芸術観であって、言わばこの垂直性がフォーマリズム批評に関わっているのだ、というのがクラウスのもうひとつの主張です。
ちょっと話が飛びますが、私が以前にこのblogで書いた『62.松浦寿夫「同時偏在性の魔」から、ジャコメッティを考える』のなかで、クラウスがジャコメッティ(Alberto Giacometti、1901 - 1966)について書いていることを紹介しました。クラウスは、当然のことながらシュルレアリスム的な表現をしていた初期のジャコメッティの作品を評価していますが、このblogで話題になっていたのが『ノー・モア・プレイ』というジャコメッティの水平的な作品です。立体的な公園の地図みたいなものだと思ってください。このように、グリーンバーグのフォーマリズム批評が絵画の垂直性を前提としていたことに対し、クラウスはやりっぱなし、置きっぱなしで、とくに水平方向の地面に置かれたままのような様態にこだわっているように思えます。それが『アンフォルム』という展覧会と書籍に結実したことは、また別な機会に考察しなければなりませんが、とにかくクラウスにはグリーンバーグが掬い上げなかった表現について、徹底的にこだわったのです。ここでのポロックの絵画に関する言及にも、「地面から持ち上げ、壁へと掛ける」ということをことさらに強調し、そこにフォーマリズムの価値観が滑り込んでいる、ということを言いたいのかったのだと思います。
さて、グリーンバーグがポロックの成功に際してこのように語りたかったということがわかりましたが、逆にポロックの芸術の凋落に関してはどうでしょうか。実はグリーンバーグはピークを過ぎた後のポロックの作品に関しては、あまり批評を書いていません。ですから、彼の批評集からはその後のポロックについて彼がどう考えていたのか、ということをうかがい知ることが難しいのですが、クラウスは赤裸々に、彼が自分の持ち上げた芸術家のいわば落ち目の場に際しどのような態度を取ったのか、を記述しています。
私は、彼があるインタヴュアーに、1952年までにポロックは「素質(スタッフ)を無くした」と語ったときの彼の声の調子を想像してみる。それが彼の好んだ表現だったことを私は知っている。彼はその表現の決定的なところ、その攻撃性、そして素質stuffという語の中世英語風のぶっきらぼうさを味わっているのだと私は想像する。彼は50年代初めにグッゲンハイム美術館で講演を行ったが、そこで彼は、デビュッフェが「素質を無くし」てしまったと言っている。さらに、聴衆の憤ったざわめきにもめげず、デ・クーニングもまた「素質を無くした芸術家」の一人だと付け加えた。同時に、1953年にポロックの最近の展覧会における絵画が「弱々しく」「不自然」だと言ったのだった。彼はそのことをそのとき直接、ポロックに言ってやったと公言したのだ。
彼は、ゆっくりと貪欲に、にたりと笑う。「ジャクソンは、自分がインスピレーションを無くしたことを知っていたさ」、と彼は肩をすくめる。「ジャクソンは驚くべき十年を走り抜けた。しかし、それは終わったんだ。」
私は彼がこう言うところを想像してみる。「どんな芸術家だって寿命はあるのさ。そして君のは、ジャクソン、もう終わったんだよ。」
彼は肩をすくめる。どんなに偉大な芸術家といえども、遅かれ早かれ素質を無くすときは来るものだ。その後はただ、美術業界のなかで派生的でマイナーな絵画を作る日々の生業を続けていくだけなのだ。1950年以降のデビュッフェ、最初の『女』の連作を終えたのちのデ・クーニングのように。
しかし、ポロックには、やり続けることができなかった。「素質を無くした」のち、彼には、完全にだめになる前にわずか三回の展覧会を開くのがやっとだった。その一年半後、1956年8月に、彼は死んだ。
(『視覚的無意識』「six」ロザリンド・E・クラウス著 谷川渥/小西信之訳)
よく読むと、クラウスの想像も交えた描写なので、すべてが事実ではありませんが、グリーンバーグは自分がかつて評価した芸術家ではあっても、その評価が下がればいさぎよくそれを認めた、というよりは正直に言って、かなり嫌な奴のように読めますがいかがでしょうか。それに「素質を無くした」という言い方は、批評としてどうなのかな、と思います。個人的には、私も後期のデ・クーニングはかつての自分の作品を表面的になぞっているような作品が多いな、と思うのですが、私のような人間が独り言として言うのならともかく、公の場でグリーンバーグのような人が「素質を無くした」という言い方をするのは、芸術家に対して改善の余地も残さない不公正な言い方だという気がしてなりません。
それはともかく、話を先に進めると、この抽象表現主義の先人たちの凋落を見て、自分の進むべき道を学んだのがサイ・トゥオンブリー(Cy Twombly、1928 - 2011)だと、クラウスは言っています。友人のロバート・ラウシェンバーグ(Robert Rauschenberg, 1925 - 2008)のすすめでブラック・マウンテン・カレッジに学んだトゥオンブリーは、落書きのような絵のスタイルで知られた画家です。トゥオンブリーについて、クラウスは次のように書いています。
落書きとしての印という形式は、現前へのその攻撃において、有機性や良い形への攻撃である。トゥオンブリーは、落書きの「内容」が持つこの側面を、彼自身の散乱し散種された身体のヴァージョンにおいて、ますます賞賛するだろう。『パノラマ』(1955)においては、オールオーヴァーの蜘蛛の巣の定式の中にとどまり、抽象的な印や白い円弧や擦って灰色になったジグザグ線を散乱させたものとしての必要を感じるに至った。印のもつ凶暴性は相変わらずだが、しかしいまやその粗野な暴力は、身体の諸部分を強迫観念的に図形化する場となった。ハート型の女性陰部やバーベル状の睾丸や、毛むくじゃらのペニスや、三目並べたような女性性器、そしてそれらの多くが個別の縁取りの悪意ある強調によって囲まれながら『イタリア人』(1961)のような一つの作品のうちに合体しているのである。彼のローマの連作の画面上には、このように、数多くの男根や膣、数多くの傷口や引っかき傷が姿を現し、数多くの引き裂きが画面いっぱいに広がっているが、その官能性は、その身体が決して再構成されず、一つの全体とはならないということにある。
(『視覚的無意識』「six」ロザリンド・E・クラウス著 谷川渥/小西信之訳)
トゥオンブリーは残念ながら、日本においてその業績が回顧できるような展覧会が開かれていません。唯一2015年に原美術館で紙の作品の展覧会が開かれましたが、それを私は『61.「サイ トゥオンブリー:紙の作品、50 年の軌跡 」』のblogで書いていますので、よかったらご覧ください。
ということで、私は彼の作品が好きなのですが、残念ながらしっかりと評価できるほど見ていないのです。ただ、私の知る範囲では、ここに書かれているような1960年代の落書き然とした猥雑な作品が、その後の作品よりも良いように思います。2001年に彼はヴェネツィア・ビエンナーレで金獅子賞を受賞したのですが、写真で見るかぎり、その作品よりも60年代の作品に魅力を感じます。
それはともかく、クラウスのトゥオンブリーへの評価はおそらく、ポロックのようにシステマティックなオールオーヴァーな絵画を目ざさなかった画家、意図的に「一つの全体とはならない」ことを目ざした画家、ということなのだと思います。ポロックのように抽象化を推し進めて完全なオールオーヴァーな絵画に到達し、それでも前進することを自らに求めた結果、重圧から凋落するしかなかったという事情を目の当たりにしてしまった世代として、トゥオンブリーは自分の進むべき道を選んだのだ、とそういうふうに読めます。この『視覚的無意識』を読むと、ポロック後の絵画を考えるうえでトゥオンブリーはますます重要な画家だと思うのですが、その作品をまとめて見る機会がないのがとにかく残念です。
さて、このようにクラウスの批評には、批判の対象としてではあれ、グリーンバーグの存在を抜きにしては考えられないような影響関係があると思うのですが、「訳者あとがき」で、先ほど話題にした谷川渥のほかのもう一人の訳者である小西信之(1960 - )は、その影響についてこんなふうに解説しています。
美術史家のスティーヴン・バンは、本書の書評において、クラウスが先入観をもって美術史家を「未開部族」のように扱っていると不満と皮肉を述べながら、「この本全体を通して、クラウスとフリードとグリーンバーグの間で複雑な(ジラールの言うような)三角関係が演じられているのは誰の目にも疑いようがない」とし、ポロックを昇華させるグリーンバーグと、あくまで水平性に横たえるクラウスの違いは明らかだが、ポロックの『ブルー・ポールズ』のような作品に関して全くグリーンバーグと同じ判断を繰り返しているという点で、彼女は「依然として(グリーンバーグの)チームの直系のメンバーである」としている(Bann Stephan, Greenberg’s Team, Raritan, Spring 1994)。
クラウスがどんなにグリーンバーグ流のモダニズムに攻撃を仕掛け、それとは異なった考え方による美術の歴史を抉り出しても、そこにフォーマリスティックな観点を残す限り、このような見方はつきまとうことになる。実際、常に複数の敵を見定めて論争的に立論してきたクラウスの評価は、一方できわめて創造的で刺激的とされ、他方では党派的で裁断的であるとの批判にさらされることもある。しかし美術評論家として彼女が残してきた軌跡は、グリーンバーグとは明らかに異なる独自のものである。
(『視覚的無意識』「訳者あとがき」小西信之)
ここに書かれているように、いろいろと批判をしつつも、例えばポロックの絵画への評価などを見るかぎり、グリーンバーグとクラウスは共通するところが多いように思います。むしろ、クラウスはグリーンバーグを補完するような存在なのだ、ともいえるのかもしれません。
そしてこの「訳者あとがき」から察せられることは、おそらくは日本にいる私たちが公正な論理的綱引きだと思っている批評のやりとりが、実はもっといろいろな事情や力関係が入り混じった闘争なのだろう、ということが予感されます。とにかく、人の前に出て発言しないと生き残れない、タフな国のエリートたちのやり取りですから、日本の学者や評論家たちの安穏とした世界とはまったく異なるのだろうと思います。
最後になりますが、芸術の世界のこととはいえ、純粋に芸術を追究するというのではなくて、「名声を得たい」ということをエネルギーに変えたアーチストの例を挙げておきましょう。この本の中に出てくるポップ・アートのアンディ・ウォーホル(Andy Warhol、1928 - 1987)です。彼がとにかく有名になりたかった人であったとしても、この本をここまで読み進めてみると、もはや驚くにはあたりません。
名声に取り憑かれていたアンディ・ウォーホルが、ジャクソン・ポロックの自動車事故に魅せられなかったなどということがありえただろうか。1950年代後半から60年代初めにかけてウォーホルは、話し相手が男でも女でも、有名になることについて一度も考えたことがあるかという質問から会話を始めるのを習慣にしていた。そしてどんな答えが返ってこようと、ウォーホルは自分自身の幻想のなかに浸ったものだった。「自分はイギリスの女王と同じくらい有名になりたいんだ、と彼は言っていたよ」と、当時の彼と出会った一人は述べている、「とんでもないかつらを着け、ジーンズとスニーカーを履いた、はぐれもののへんてこなホモ野郎で、そこに座ってイギリスの女王と同じくらい有名になりたいんだとのたまうのさ!もしも誰か彼に話しかける奴がいたとしたら、それこそアンディは幸運だったというものさ」。ウォーホルが1950年代を通して好んだジーンズや使い古したスニーカーやTシャツは、マーロン・ブランドのスタンリー・コワルスキやディーンの『理由なき反抗』に触発されたものだった。彼自身がそういうタイプでなかったことはどうでもよかったのであり、彼は名声に憧れて我を失っていたのだ。そして美術界において、有名であるということに関しては、ジャクソン・ポロックの右に出る者はいなかった。
(『視覚的無意識』「six」ロザリンド・E・クラウス著 谷川渥/小西信之訳)
マーロン・ブランド(Marlon Brando, 1924 - 2004)と言えば、解説のいらない大スターですが、若い方には縁がないかもしれないので、念のために紹介しておきます。彼は『欲望という名の電車』の舞台、映画で、ワイルドでセクシーな男を演じてスターになりました。スタンリー・コワルスキはそのときの役名です。さらに若い頃に『波止場』という映画で男らしい港湾労働者を演じ、アカデミー賞主演男優賞を獲得します。私たちの世代では『ラストタンゴ・イン・パリ』や『ゴッドファーザー』の怪演が印象的で、『地獄の黙示録』の出演も話題になりました。
ということで、とにかくはっきりしているのはジェームズ・ディーンもマーロン・ブランドも、アンディ・ウォーホルとはタイプが正反対の男たちだということです。しかし、彼らがとにかく有名であることがウォーホルにとって重要なことだったので、スタイルを真似したのだというエピソードなのでしょう。
それはともかく、この一文を見てもクラウスがグリーンバーグのフォーマリズム批評とは違うスタイルの文章を書きたかった、ということがわかります。このウォーホルに関する一節などは、批評というよりはゴシップに近い感じもしますが、アーチストに関することなら清濁合わせて飲み込むことでフォーマリズムを越えてみせる、という彼女の意欲を感じます。
正直に言うと、クラウスが注目する芸術家や作品が、私にとってすべて興味深いのかと言えばそうでもないのですが、その取り上げ方には興味があります。難しくて未消化な部分もあり、繰り返し読み返すことになる批評家だろうなあ、と思います。
それにしても、クラウスもすでに大御所ですから、やっと翻訳で読めるようになった(この本は1年ほど前の発行です)のは喜ばしいことですが、わたしたちはもっと貪欲に現在の批評を読まなければなりませんね。アーチストと同様に、評論家もまだ評価が定まらない人たちの文章を読み、その声を聴きながら今という時代をともに切り開いていかなければなりません。私は、もうすでに手遅れかもしれませんが、やれるだけのことはやってみましょう。
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