平らな深み、緩やかな時間

230.『糸数都 展』『高島芳幸 展』から絵画のあり方を考える

かつて『時代は変わる』と歌ったのは、ボブ・ディランでした。私たちの世代なら、『風に吹かれて』と同様に知らない人のいない歌だと思いますが、リリースされてから60年近くが経つものですから、若い方のために一応試聴できる動画をリンクしておきます。

https://youtu.be/4-inhindD1Y

この歌のどこが良いのか、淡々と歌うディランの歌を聴いてもわからないかもしれません。この歌詞の中で、私が若い頃にガツンときたところを訳してみます。

 

父さん、母さん、自分たちの理解できないことを批判しないで。

子供たちは、あなたたちの言うところを超えているのだから。

 

いま遅れているものは、後で早くなります。

いま早いものも、後でビリになります。

 

時代は変わっていくのだから。

 

この程度のメッセージは、今ではありふれているでしょうか?

しかし、ディランの言葉はシンプルで、普遍的な感じすらします。そして1950年代から60年代にかけて、若者が大きな子供ではなくて、自己主張のできる存在として認識されはじめた時に、ディランのメッセージは大きな意味を持っていたのだろうと思います。中学生の頃にこの歌を聴いて、そうか、大人と分かり合えないのは当然だな、とか、学校の成績がビリの方でも、まぁいいか、と私は単純に思ったものです。

でも、いまこの歌を聞くと、時代が変わることの残酷さをちゃんと表現しているなあ、と感心してしまいます。これは若者の世代の主張であると同時に、その若者でさえ時代の変化に抗えない、その変化は誰にも制御できない、ということを歌っているような気がします。そこがディランのすごいところです。二十歳を越えたばかりのディランに、そこまでの認識があったのかどうかわかりません。しかし認識していなくても、言葉としてこういうことが発せられるところが、やはり才能があるのだろうと思います。時代が変わっても、やっぱりいろんなことでビリのままの私ですが、それでもディランが歌に込めた真実を1ミリでも疑う気持ちにはなりません。

 

こんなことを思い出したのは、いま千葉雅也さんの『動きすぎてはいけない』を読み始めたからです。先日、同じ著者の『現代思想入門』を取り上げましたが、それよりかなり難しい本です。その本の中に、こういう一節がありました。

 

七〇年代後半~八〇年代日本のいわゆる「ニューアカデミズム」では、学際的・領域横断的な言説の接続が、文化人類学(山口昌男・栗本慎一郎ら、後に中沢新一)の磁場を活かして推進されていた。「ニューアカ」の周辺は、知のリンクの楽しみに沸いていたのであった。接続する知という理念は、九〇年代末以後はインターネットの普及によって日常化し、凡庸化される。

(『動きすぎてはいけない』「接続的/切断的ジル・ドゥルーズ」千葉雅也)

 

この「ニューアカデミズム」の時代というのは、日本のバブル景気の時代とリンクしています。日本全体に景気が良くて、外向きの気持ちになれば、なんでも実現できそうな予感がしました。浅田彰さんの『構造と力』というかなり難解な本が売れたのも、そこに書かれている情報を得られれば、世界的な知の最前線のことがわかるかもしれない、とかなりの人が思ったからではないでしょうか。でも、インターネットによって情報が飛び交う今になってみれば、結局のところ、その情報を読み解くこちら側にスキルがなければ、それらはただの意味不明な記号に過ぎないことがわかります。

美術画廊も、その当時は銀座を中心にたくさんできました。そういえば、アメリカ・ニューヨークのレオ・カステリ画廊のことが、にわかに巷で話題になりました。R・ラウシェンバーグ、J・ジョーンズなどの抽象表現主義以降の世代の作家を取り扱い、巧みな商業戦略でポップ・アートやミニマリズム、コンセプチュアル・アートなどの作家を多数プロモートしました。

そのカステリの後を引き継ぐと目されたのが、メアリー・ブーンでした。彼女はジュリアン・シュナーベルやジェフ・クーンズ、ジャン=ミシェル・バスキア、アイ・ウェイウェイなどの有名な作家を紹介しましたが、2年前に脱税で懲役刑を宣告されたとの記事がありました。

https://bijutsutecho.com/magazine/news/market/19347

確か1980年代だったでしょうか、西武系のデパートでカステリとブーンの画廊を特集した展覧会がありました。画廊を経営すれば、世界的な市場で儲かるかもしれない、と考えた画廊主も多かったと思います。バブルの崩壊とともに画廊の数もめっきりと減ってしまいましたが、無名の美術作家の発表の場を作家とともに作っていこうとする画廊は、銀座の中心から離れたところで今でもしぶとく生き残っています。

もちろん、作品は売れた方がうれしいし、お金は儲かった方がいいに決まっていますが、バブルの崩壊やコロナウィルスの感染などの厳しい局面になったときに、何を一番大切に考えるのか、ということが問われます。それでも画廊を続けている方たちには、無条件でエールを送りたいものです。

 

さて、長々と時代の移り変わりに関することを書きましたが、そういういろいろな時代を見て、おそらくはさまざまな経験をされたであろう作家が、それでも自分自身の求めるところに忠実に表現している作品を見るのは、なんとも心打たれる経験です。今回は、これまでにもこのblogで紹介したことのある二人の作家の展覧会について書き留めておきます。それにお二人がまったく異なる方法で作品を作り続けているところが興味深いところです。

 

一人めの作家の展覧会は「GALERIE SOL」で開催されていた糸数都さんの展覧会です。

https://koten-navi.com/node/146010

残念ながら、この展覧会は先週の土曜日(6月18日)で終わってしまいました。私は勤務の関係から、週末にかろうじて自由に動けるだけなので、展覧会の紹介がいつも後手に回ってしまいます。それも昼過ぎまで仕事をしていましたので、画廊に飛び込んだときには展覧会が終わる間近でした。そういうわけなので、少しだけ展覧会の概要を書いておきます。

糸数さんの作品は、大きく分けると二種類のアプローチがあって、一つはDMの写真にあるような、美しい青系統の色の伸びやかな空間の作品です。もう一つはグレーの均質な色面を背景として、花びらのような形が刷毛の簡略なタッチで表現された作品です。基本的に後者の作品は無彩色ですが、下地にさまざまな色が使われていて、じーっと見ているとグレーの背後からそれらの色がにじんで出てくるような感じがします。無彩色なのに色彩感が豊かなところは、DMのアプローチの作品と共通しています。

もしかしたら、若い方が突然にこれらの作品を見ると、まったく別なアプローチの二種類の作品に見えるかもしれませんが、実際にはそうではありません。現代絵画のことを少しでもわかっている方なら、現代絵画史が抽象表現主義のオール・オーヴァーな画面を達成し、それがカラー・フィールド・ペインティングを経て画面の均質化を推し進めた結果、ミニマルな単色の色面へと達したことを知っているはずです。1980年代からは、さらにそこからの脱却を各画家が目論んできたという歴史があります。

糸数さんの作品は、まさに現代絵画の正統な流れを真摯に受け止めて制作されたものだと、多少の絵画の知識があればピンとくるはずですが、糸数さんの表現の特徴は、そのカラー・フィールド・ペインティングのような作品と、ミニマルな表現にプラス・アルファされたような作品が、一つの画廊空間の中に同居していることです。この表現の差異を、たんに時代の流れのように感じてしまうと、彼女の表現には時間的な矛盾を感じてしまうのですが、実際に彼女の中では、それらは同じ絵画の描き方の延長線上にあるのであり、その二つのアプローチが同居していることに矛盾はないのです。その証拠に、彼女の無彩色の作品の背後には、豊かな色彩の揺れが隠されています。それはそのまま、カラー・フィールド・ペインティングのような作品を内包しているのです。ちょっと例えが悪いかもしれませんが、それは伸び伸びと描かれたドローイングと、緻密に描かれたタブローのような差異に近いのかもしれません。どちらも同じ画家の描いたものとして、私たちはそれぞれの作品の味わいを堪能することができるのです。個人的な好みを言えば、私は画廊に入ってすぐ右手に見えた作品が好きでした。おそらく他の作品よりも手数が少なかったのではないか、と予想しますが、それだけに糸数さんの色彩への感度の高さがそのまま画面に表れているように思いました。糸数さんが、自分の感覚の良さを誇示するだけでは満足せずに、その先へと進めた作品を同時に展示している気持ちもよくわかるのですが、このような感度の高い作品を常に準備しておくことは、これからの表現の指針にもなると思います。

それにしても、このようなカラー・フィールド・ペインティング風の作品で、観客に媚びるような色使いをした作品が、なんと多いことでしょうか。糸数さんの作品を見ると、その自己表現への厳しさが崇高なイメージを生んでいて、それらの商業的な作品とはまったく異質な雰囲気を持っていることを感じます。

文頭に書いたような時代の流れと糸数さんの作品の関係についても考えておきましょう。彼女の作品からは、時代の流れに翻弄されない強い意志を感じます。しかし、だからといって現代絵画の流れを無視しているのではありません。むしろ彼女の作品には、現代絵画の歴史が課題としてきた絵画の問題点が、しっかりと刻まれているのです。この喧騒のような数十年間で、絵画の変化の中から商業的な偽りを排除して、絵画の真摯な問題点だけを見つめ続けることは、相当にタフなことだったと思います。そのことを踏まえて展覧会場に立つと、彼女の作品の一点一点の完成度の高さが、作品に向かうことの心構えを示しているように感じます。私のようなだらしない人間には、背筋の伸びるような展覧会でした。

 

もう一つ紹介する展覧会は、「トキ・アート・スペース」で開催されている『高島芳幸 展』です。こちらは6月26日(日)まで開催されていますので、是非とも足を運んでみてください。

http://tokiart.life.coocan.jp/2022/220614.html

高島さんの作品をいきなり見ると、現代美術を見慣れていない方からすると、面食らってしまうかもしれません。そんな時は、先の画廊のホームページに書かれた作家のメモを参照してください。

美術を見ることは理屈ではないし、もちろんそれは見ればわかるもの、感じるものです。しかし、それ以上に私たちは「絵画とはこういうものだ」という強い既成概念を持っています。もしかしたら、あなたが受けてきた美術教育は、そんな思い込みを強固にするものだったのかもしれません。それはそれで、仕方のないことです。私だって、美術の授業をやるときには、どうしたらうまく絵画が表現できるのか、その初歩の初歩から指導します。大抵の人たちは、そこで授業が終わってしまうから、「絵画とはこういうもの、かな?」ぐらいのところで止まってしまうのです。しかし、もっと深く学んでもらえれば、もっともっと先の話があって、高島さんの作品はある意味ではその先にある作品だとも言えますし、あるいは、その根源にある作品だとも言えるのです。そのことを理解する上で、作家のメモ書きを手がかりにすることは、決して間違ったことではありません。

絵画とは、そもそも何なのだろう?

絵画は、どうして四角いの?

絵画を描くとは、どういう行為なの?

絵画を描くときに、どうしてキャンバスに描くの?

などいうことを考えるのも、美術であり、絵画なのです。高島さんの作品は、そういうことを考え続けた人の作品なのです。

ここまでが初級編です。

先ほどからいろいろと書いてきた現代絵画の流れを勉強したことのある中級編の人たちには、高島さんの作品はどのように見えるのでしょうか。作品を真っ白にしてしまったり、逆に真っ黒にしてしまったりしたミニマル・アートの作品のように見えることもあるかもしれません。もしもあなたが、ミニマル・アートが大好きで、その新しい展開形として高島さんの作品を見たいとしたら、それも悪くないでしょう。でも、私はそれとはちょっと違った見方をしています。

ちょっと話がそれますが、ずいぶん前に若死してしまった、宮川淳(みやかわ あつし、1933 - 1977)という美術評論家がいました。彼は世界的に見ても、とても頭の切れる評論家でしたが、彼はミニマル・アートの絵画が現れたときに、ついに絵画は極限に来てしまった、と考えました。絵画が真っ白や真っ黒になってしまったら、その先には「これは絵画なの?」という問題しか残らないじゃないか、と彼は考えたのです。それは絵画表現にとって恐ろしい袋小路に入ったことを示していました。しかも罪深いことに、彼はそのことを提示したところで亡くなってしまったのです。

私は1980年代の美術界の喧騒の中で、宮川淳さんが生きていたら、この喧騒のことをどう考えるのだろうか、と何回も自問いしたものでした。しかし、たぶん彼のような優秀な学者は、もしも生きていたとしても、現実の喧騒にまみれることよりも、高尚な哲学や思想の世界に生きることを選んだのではないか、と今の私は想像します。

実際にそういう世界に生きて、あれやこれやと七転八倒するのは、私のような下等な人間です。しかし話を戻すと、高島さんはミニマル・アートやコンセプチュアル・アートなどの動向を理解しつつも、決して時流に流されることなく、もっと普遍的な問題について考えました。それが、先ほどの初級編で書いた「絵画とは何だろうか?」という問題です。その問題を考えるにあたって、高島さんは絵画と対峙してそこに描画行為を加えるそのときに焦点を当てました。必然的に描画行為の手数は最小限になり、それをミニマル・アートだと捉える人がいたとしても、それはそれで良いのです。

しかし私は、高島さんの絵画は、ミニマル・アートよりも先にあるもの、つまり先ほど紹介した宮川淳さんが提示した問題、「絵画の極限」という問題の先にある問題に取り組んでいるのだと思うのです。また、それは同時に、ミニマル・アートの手前にあるもの、あるいはもっと広く言えば、あらゆる絵画の根源にあるもの、そういう普遍的な問題に取り組んでいるとも言えるのです。

だからあなたも、高島さんの絵画の前に立ったら、その作品を描いている自分を想像してみてください。今回の高島さんは、木炭などの尖った描画材を使わずに、無彩色の絵の具で描いています。私は正面の壁の白の筆致が、とても印象的でした。中の空白の空間が、思わず動き出しそうな感じがしましたし、それに画廊の壁の上部にある白ペンキのシミの形が気になりました。たぶん、絵画空間が広がっていって、壁のシミや微妙なトーンまで取り込んでしまったのだと思います。ふだんはニュートラルに見える「トキ・アート・スペース」の壁の色や質感が、なんだかとても味わいのあるものに見えてしまいました。それがとても心地よいものでした。

 

さて、文頭に書いたように「時代は変わる」ものです。それは恵まれた一部の人を除けば、とても残酷で、あるいは過酷なものです。私のように、その時代の流れの中でいちいち七転八倒し、挙げ句の果てにはビリがビリのままだった、ということもあります。

しかし、そんな評価らしきものとは別に、時代の流れを見つめつつも決して翻弄されず、むしろ描くことの強度を獲得したり、描くことの根源にまで遡った人たちがいます。彼らが宮川淳さんのような高踏な場所にいたわけではなく、私と同じ地平を踏みしめながらも、ちゃんとその表現が崇高な高みに達していることが、私にとっては驚きです。ほぼ同時代を生きてきたから、彼らの費やした時間の価値が身に染みてわかるのです。

 

喧騒や混乱はいつの時代にもつきものです。コロナウィルスや環境破壊、戦争などにあたふたしている現在も生きやすい時代ではありませんが、糸数さんや高島さんの作品を見れば、そんなことは何の言い訳にもならないことがわかります。そのことを、少しでも多くの人たちと分かち合いたくて駄文を綴りました。

何か感じていただけたら、そしてまだ会期の残っている高島さんの展覧会に足を運んでいただける方が少しでもいたら、本当にうれしいです。

コメント一覧

高島 芳幸
石村 実 様
 
 いつも丁寧に作品を見て頂きありがとうございます。
会場ではゆっくり話をすることができず、いつも失礼して申し訳ありません。石村さんの評はいつも励みになっています。

 今回は特にミニマルとの関係で踏み込んだ話を書いてもらいました。ミニマルの先に何が見えてくるのか、どんな地平が開かれてくるのか、私も手探りの状態で今まで続けてきました。ただ、予感としてミニマルを身体と行為の視点から捉え直すことが可能ならミニマルの先、もしくはその展開が可能になるのではないかと考えています。それは、一方で石村さんが指摘し、書いてくれた「あらゆる絵画の根源にあるもの」に触れることに繋がっていくものだと思っています。
 遅々として思ったように仕事は進みませんが、石村さんのように作品を見てくれている人がいることがとても励みになります。ありがとうございます。

高島 芳幸
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