平らな深み、緩やかな時間

102.触覚性絵画の試み

今回は3月23日から28日まで予定されている私の展覧会に関する文書です。展覧会場では、この文章の末尾に私のプロフィールを掲載したプリントを配付いたします。画廊の案内は次の通りです。
http://hinoki.main.jp/img2020-3/exhibition.html
3月15日現在で、予定通りに開催するつもりで準備を進めています。こういう状況なので、皆さんがご無理をなさらないなかで、もしもご高覧いただければ幸いです。(石村)


 今回の展覧会で、私は「触覚性絵画の試み」というテーマを付しました。言うまでもなく、絵画は視覚的な表現であり、実際に絵画を指で触れてみても、あまり意味はありません。ですから、ここでいう「触覚性」とは視覚によって感受できる「触覚性」なのですが、これにはすこし説明が必要です。何から説明してよいのか迷いますが、まずはなぜ「視覚」ではなくて「触覚」なのか、というところから話を始めたいと思います。それには、私の学生時代に読んだ本の話から始めなくてはなりません。
 私が学生だったのは1970年代の終わりから1980年代にかけてですが、その当時は難しい思想書や哲学書がずいぶんと話題になりました。ほどなく、浅田彰(1957 - )の書いた『構造と力』(1983)がベストセラーとなり、現代思想ブームが訪れました。ろくに勉強をしてこなかった私には、モダニズムもポスト・モダニズムも同時期に頭の中に流れ込んできて、ほとんどパニック状態だったと思います。そんな中でたまたま目にとまったのが、哲学者・中村雄二郎(1925 - 2017)が書いた『共通感覚論』(1979)の次のような一節でした。

近代文明の視覚の独走、あるいは視覚の専制支配に対して、ずいぶんまえから多くの人々によって、いろいろなかたちで触覚の回復が要求されてきた。視覚の独走は、すでに述べたように、人間と自然、人間と人間との間に見るものと見られるものとの冷ややかな分裂、対立をもたらした。それに対して、人間と自然、人間と人間をそのような分裂や対立から救い出し、ふたたびそれらを結びつける力をもっているのは触覚だ、と考えられたのである。
(『共通感覚論』中村雄二郎)

 この『共通感覚論』は、「コモンセンス」という言葉が「常識」という意味と同時に「共通感覚」という意味を持っていたことに注目して書かれた本です。その「共通感覚」とは、例えば「甘い」という言葉が味覚上の意味合いだけでなく、視覚や聴覚、嗅覚に関する表現にまで使われているように、諸感覚を分断せずに統合した「感覚」が私たちの中には存在する、という考え方を示した言葉です。そして引用した一節のように、近代文明は五感のなかでも「視覚」を優先することによってさまざまな発達を遂げてきたのですが、そのことによる弊害もあらわれてきました。いまならば誰もが思いつくのが「地球温暖化」でしょうが、この本が書かれた当時ならば「公害」などの「環境汚染」が典型的な例として当てはまるでしょう。そこで私たちは、近代文明による「人間と自然、人間と人間」の対立から脱するために「触覚」の重要性を再認識しなければならない、というのが中村の主張です。ここでは詳しく触れる余裕がありませんが、当時は中村のように近代文明を批判的に見る見方が各方面で起こり、それが現代思想ブームとあいまってモダニズムを超越するポスト・モダニズムが注目されたのです。
さて、はじめに書いたように私が表現の場としている絵画は視覚による芸術です。そして考えてみると現代絵画の流れもまた、「視覚の専制支配」に対して批判的な方向へと向かっていました。ルネサンス美術の頃に完成した遠近法や立体描写などの視覚的イリュージョンに対して、現代絵画は素材の物質性や制作行為を強調するようになりました。学生生活を終えて就職したばかりの私もまた、中村の言葉に触発されて自分なりの方法論を持たないままに「絵に触れること」をテーマに個展を開きました。しかし原色に近い絵具をキャンバスに塗りたくるだけ、という当時の私の稚拙な方法で「触覚」的な表現が実現できるはずもなく、わずかにパステルで描いた作品に「絵に触れる」ことの実感が伝わっていたような気がします。
この私の稚拙さはともかくとして、「視覚」的な表現である絵画において、はたして「触覚」的な表現というものが実現できるのでしょうか。私は実現できると考えていますし、実際に実現されているのです。その典型的な例が画家のセザンヌ(Paul Cézanne, 1839 - 1906)であり、さらにそのことを教えてくれたのが哲学者のメルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty、1908 - 1961)でした。メルロ=ポンティは「精神」と「身体」を対立したものとする従来の思想に疑問を感じて、人間の知覚を深く掘り下げることでその対立以前の「原初的な世界」を考察した人です。その「原初的な世界」を作品として表現したのがセザンヌであり、メルロ=ポンティにとってセザンヌは、自分の思想を体現した芸術家だったのです。ですから彼はさまざまなところでセザンヌについて書いていますが、そのなかでもセザンヌの絵画の「触覚性」について触れている部分を引用してみましょう。

 だから、世界をその厚みにおいて捉えようとすれば、デッサンは色に基づいたものにする必要がある。デッサンは、隙間のないマッスであり、色の編成であり、これを通じて、遠近法の消失、輪郭、直線、曲線などが力の線として作り出され、空間の枠組みが震えながら構成されるからである。「デッサンと色はもはや別個のものではない。描き始めた途端に、デッサンが始まる。色が調和してくると、デッサンも正確になる・・・・。色が豊かになるとフォルムも充実したものになる」。セザンヌは色によって、フォルムと奥行きを与える手触りの感覚をほのめかすのではない。原初的な知覚においては、この触ることと見ることという区別はあいまいである。次いで、人間の身体の科学によって、わたしたちは自分の五感を区別することを学ぶ。生きられた事物は、五感のデータに基づいて再発見されたり、構成されたりするのではなく、これらのデータを発散する中心として、一挙に自らを与える。わたしたちは事物の奥行、手触り、柔かさ、堅さを見る。セザンヌは<匂い>を見るとまで言っていた。画家が世界を表現しようとすると、色の配置がそのうちに、見えないものの「全体」を蔵している必要がある。そうでないと、画家の絵は、事物の暗示にすぎないものになり、差し迫った統一性、現前、乗り越えることのできない充溢(わたしたちにとって現実的なものの定義とは、まさにこれにある)を与えることがない。絵画に示された個々のタッチが、無限の条件を満たす必要があるのはそのためである。セザンヌが筆をおろす前の一時間もの間、瞑想することがあったのはそのためである。ベルナールが語っているように、タッチが「大気、光、オブジェ、平面、性格、デッサン、スタイルを含む」ものでなければならないからである。実存するものを表現すること、それは無限の課題である。
(『メルロ=ポンティ コレクション』「セザンヌの疑い」メルロ=ポンティ著 中山元訳)

 メルロ=ポンティは、セザンヌが「手触りの感覚」をただ単に「ほのめかす」のではなく、視覚以外の感覚で感受したもの、つまり見えないものの「全体」を一筆のタッチに込めて表現したのだと書いています。そのためにセザンヌは「筆をおろす前の一時間もの間、瞑想することがあった」のですが、たしかにセザンヌは一枚の絵を制作するのに、とても時間がかかった画家です。メルロ=ポンティは中村のように「触覚」だけをことさらに強調して書いてはいませんが、見えないものの「全体」という言葉の中に、『共通感覚論』に通じる考え方があります。
 このメルロ=ポンティによるセザンヌの解釈を読んで以来、私は絵画や彫刻を見るにつけ、そこに「触覚性」があるのかどうか、つまり「手触りの感覚」によるリアリティがあるのかどうか、がつねに気になっていました。セザンヌのように、終生その感覚を追い求めた美術家はまれですが、例えば彫刻家のジャコメッティ(Alberto Giacometti、1901 - 1966)には、セザンヌと似た資質を感じます。それからセザンヌが敬愛したモンティセリ(Adolphe Joseph Thomas Monticelli, 1824 - 1886)の絵画にも触覚性が感じられますが、残念ながら彼の作品をまとまって見る機会があまりないので、自信を持った評価はできません。それから抽象画家のポリアコフ(Serge Poliakoff, 1906~1969)の良質の作品やド・スタール(Nicolas de Staël 、1914 - 1955)の初期の作品など、私が若いころから出会って忘れられない絵がたくさんあります。

さて、「絵に触れること」をテーマにしたものの目的を果たせなかった私は、絵画の「触覚性」という問題意識をもちながらも、「絵画」という概念についてもうすこし根本的に考えてみようと思いました。そのときに参照したのがフランスの現代美術の動向、「シュポール/シュルファス(supports/surface)」です。そんな私の仕事の一端を、前回の展覧会でわずかながらお見せすることができました。私はタブロー形式からしばらく離れていましたが、現在では静物や風景といった具体的な奥行きのあるモチーフをどのようにして絵画の平面性へと引き寄せていくのか、ということを試みています。この奥行きのある空間を平面的な位置へと持っていく過程がまさに「手触りの感覚」で空間を引き寄せることに違いないのですが、今回、そのことをより自覚的に試行してみようと考えたのです。そのきっかけとなったことは、最初に引用した中村雄二郎や中村の友人でもあった哲学者の市川浩(1931 - 2002)の著作を読み直したことですが、それと同時に現在において「触覚性」を考えるポイントになった本があります。そのうちの一冊は、およそ二年前に発行された岡崎乾二郎の『抽象の力 近代芸術の解析』ですが、その中に次のような一節があります。

キュビスム以降の芸術の展開の核心にあったのは唯物論である。
すなわち物質、事物は知覚をとびこえて直接、精神に働きかける。その具体性、直接性こそ抽象芸術が追究してきたものだった。アヴァンギャルド芸術の最大の武器は、抽象芸術の持つ、この具体的な力であった。
だが、第二次世界大戦後、こうした抽象芸術の核心は歪曲され忘却される。その原因の一つは(アメリカ抽象表現主義が示したような)抽象を単なる視覚的追究とみなす誤読。もう一つは(岡本太郎が唱えたような)抽象をデザイン的な意匠とみなす偏見。三つ目は(具体グループが代表するような)具体という用語の誤用である。
(『抽象の力 近代芸術の解析』「緒言」/豊田美術館「抽象の力」展 図録より 岡崎乾二郎著)

この引用部分の中でとくに印象深いのは、「(アメリカ抽象表現主義が示したような)抽象を単なる視覚的追究とみなす誤読」と書かれているところです。「アメリカ抽象表現主義」の絵画はすばらしい作品が多く、またそれらを描いた画家たちも偉大です。そして彼らを理論的に導いたアメリカの美術評論家クレメント・グリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 - 1994)も、現代美術を語るうえで忘れることの出来ない存在です。しかし彼らがどんなに偉大であっても、従来の評価に沿って彼らの作品をながめていたのでは、そこに発展はありません。「アメリカ抽象表現主義」の絵画を客観的に理解するには、彼らの作品と彼らに対する評価を、批判的に検討する必要があるのです。

しかし(いうまでもないことだが)抽象表現主義の画家たち自身が実際に抱いていた問題群や、それらの作品が制作されることになった(技法の発生を含めた)方法論的な背景は、こうして鑑賞者に与える視覚的な効果に特化して抽出された性質よりも、はるかに複雑だった。
(『抽象の力 近代芸術の解析』「Ⅰ 抽象の力 本論」 岡崎乾二郎著)
 
岡崎によれば、抽象表現主義の画家たちの作品を純粋に視覚的なもの、平面的なものとして見る見方は、作品から一定の距離を置いて鑑賞する美術館という制度において成立したものです。そこからはみ出るような批判、可能性は、あらかじめ排除されていた、というのが彼の見方です。例えば「アメリカ抽象表現主義」の代表的な画家ポロック(Jackson Pollock、1912 - 1956)の絵画について考えてみましょう。彼の絵画はそのプリミティブなイメージ、制作における行為性や偶然性、描かれた空間の均質性、絵具の物質感、作品の大きさなど、さまざまな要素を含んでいました。しかしグリーンバーグによって導かれたフォーマリズム批評の見方では、ポロックの絵画はその空間の均質性が強調され、彼の試みた画期的な制作方法も、その結果である視覚的な空間表象として語られたのです。ポロックの制作行為が視覚的にどのような効果を発揮しているのか、それを解き明かしたグリーンバーグの手腕には敬服しますが、それは一つの見方であってすべてではありません。その視覚的な見方や解釈だけにとらわれていては、「抽象芸術の持つ、この具体的な力」を見落としてしまうことになるのです。
こうして書いてしまうと、岡崎は当たり前のことを言っているような気がしますが、現代美術の常識の中にいると、なかなかこのようには気づけないものです。それに「抽象芸術」を過去のもの、終わってしまった芸術表現のように見るむきもありますが、とんでもありません。岡崎がこの著作で示したように、新たな発見というものはつねに私たちのものの見方の中にあるのです。最新のテクノロジーを駆使しても、ものの見方が旧套的なものであれば、それは過去の芸術の焼き直しにしかなりません。岡崎が、見過ごされてしまっていた作品群の中に「抽象芸術の持つ、この具体的な力」を再発見したように、本当の革新は私たちの考え方の中に存在するのです。そして私は、岡崎が言うところの「抽象芸術の持つ、この具体的な力」というものを、抽象芸術の「触覚性」として考えたいのです。岡崎は「物質、事物は知覚をとびこえて直接、精神に働きかける」と書きました。また「その具体性、直接性こそ抽象芸術が追究してきたもの」だとも書いています。私は絵画を描いているので、どうしても絵をベースに考えてしまいますが、例えば抽象絵画が表現する物質感や直接的な形や色を私たちは視覚によって感受します。「その具体性、直接性」と響きあうものが「触覚性」ではないか、と私は思うのです。実際には手で触れていない素材の感触をあたかも触れたかのように感じたり、視覚的な形や色に触覚的な抵抗感を感じたり、そういうことが「知覚をとびこえて直接、精神に働きかける」と岡崎が書いていることに近いと考えます。せっかく岡崎が、その広く豊かな知識や教養をフル稼働させて「抽象絵画」に新たな光を当てているのに、私の狭い解釈で「触覚性」の問題に引き寄せてしまっては申し訳ないと思うのですが、少なくとも岡崎のこの著作が中村雄二郎の示唆した「視覚の独走」の危うさと関わっていることは確かでしょう。やはりモダニズムの「視覚」の偏重は、私たちにとって根本的な問題なのです。

 岡崎乾二郎が中村雄二郎の著作から40年ほどの時を経て相似した問題意識を持ったように、現在の私たちがさらに「触覚性」についての考察を深めようとしたとき、何か参照できる研究書がないものか、と思いついて調べてみると素晴らしい本がありました。高村峰生(1978 - )という研究者が書いた『触れることのモダニティ』(2017)という著作です。この本もまた、「西洋文明においては、触覚ではなくて視覚がもっとも重要な感覚であるとみなされてきた」という認識に立って書かれています。しかしそれにもかかわらず、「触覚は普遍的な身体感覚」である、というふうに「触覚」の重要性を説いているのです。そして「触覚は生物にとって必要不可欠な感覚として常に存在していたとしても、それがどのように捉えられ表現されるのかという問題には必ず歴史的な意義がある」と高村は書いています。つまり、生物が生きていくうえで「必要不可欠」な感覚である「触覚」を、人間がどのように捉え、どのように表現してきたのか、そのことを問うことは歴史的にも意義深いことだと高村は考えているのです。
この著作は、「触覚とモダニズムの交錯」について彼が考察したことをまとめたものです。その趣旨のもとで「触覚がモダニズム期の芸術家や哲学者たちにどのような影響を与えたのか」を具体的に検討していきます。その検討対象となるのがD.H.ロレンス(David Herbert Richards Lawrence, 1885 - 1930)、スティーグリッツ(Alfred Stieglitz, 1864 - 1946)、ベンヤミン(Walter Bendix Schoenflies Benjamin1892- 1940)、メルロ=ポンティ、という文学者、写真家、批評家、哲学者というジャンルの異なる人たちです。このすべてにここで触れるわけにはいきませんが、とくに驚いたのは小説『チャタレイ夫人の恋人』で知られるD.H.ロレンスが絵も描いていて、画集も出版していたということです。そしてその画集には彼が書いた序文が付されているのですが、これが彼の絵画論とも言うべきものだと、私はこの『触れることのモダニティ』によって知りました。実際にその序文が載った冊子を購入してみると、その中に次のような一節がありました。初めて読む方はD.H.ロレンスがこんなことを言っているなんて、ちょっとびっくりされるのではないでしょうか。

 セザンヌが望んだものは、視覚的でもなく、機械的でもなく、知的でもないものだった。そして、視覚的でもなく、機械的でもなく、知的・心理的でもない何かを映像の世界へ持ち込むためには、真の革命が必要なのである。セザンヌは革命を起こし始めたのだが、だれ一人として後についていける者がいなかったのは明らかである。
セザンヌは、実体の世界をもう一度直観的に触覚し、直観的に認識し、直観的に表現したかった。つまり、今日のわれわれが持っている知的・視覚的意識の様式、すなわち知的概念に支配されるような意識を廃し、直観が圧倒的に支配しているような別の意識の様式とか、触覚による認識がそれに代わることを願ったのである。大昔、原始人は直観的に絵を描いたが、それは現代の知的・視覚的な、観念的な意識の形態の方角に向かっていった。そして原始人は次第に直観から外れていくことになった。人類はいまだかつて直観的無意識を信頼したことはなかった。したがって、そういう直観的に意識しようと決意することは、人間の進歩の過程における革命を意味しているのである。
(『D.H.ロレンス絵画集』「D.H.ロレンス絵画集序文」D.H.ロレンス著 鎌田明子訳)
 
 『触れることのモダニティ』でも紹介されていますが、D.H.ロレンスは古代エトルリア美術に魅かれていて、エトルリア美術に関する本も出版しています。彼はこの古代エトルリア文明(紀元前8世紀から紀元前1世紀ごろ)に現代文明とは異なる静かな「接触=触覚的なもの」を感じ取っていました。そして、それと似たような感性をセザンヌの絵画からも感じ取っていたのです。この絵画集は彼の晩年の仕事ですが、ロジャー・フライ(Roger Eliot Fry, 1866 - 1934)の有名なセザンヌ論(1927)の翌年くらいに書かれたものだと思われます。メルロ=ポンティの『眼と精神』と比べると、その30年以上前に書かれたわけですから、セザンヌの「原初的」な感性や「触覚性」は、時代や国、あるいは思想的な流派さえも超えて感受されてきたわけです。
この文章の中にはセザンヌの絵画の「触覚性」と同時に、「セザンヌは革命を起こし始めたのだが、だれ一人として後についていける者がいなかった」という認識も示されています。美術史的にはセザンヌの業績はキュヴィズムの画家へと引き継がれたとされていますし、あのグリーンバーグも「ピカソとブラックとレジェのキュヴィズムは、セザンヌの始めたことを完成させた」と書いています。しかし私は絵画の様式的にはそのような解釈も可能であるとしても、「触覚性」という観点からするとキュヴィズムの絵画はセザンヌの芸術を十分に引き継いではいないと思います。ですからD.H.ロレンスの、この美術史の常識を逸脱した認識に強い共感を覚えます。そしてD.H.ロレンスが古代エトルリア美術とセザンヌの絵画の双方に興味を持ったことを思うと、さすがに肉感性を表現し続けた文学者らしい優れた感性だと思いました。高村は、D.H.ロレンスに関する章を、次のように結んでいます。

 ロレンスの復活への欲望は、直線的な時間理解を否定し、原始的な古代に未来を見ようとする。そしてその過程において、それはイデオロギー的に構成された「古代」を土台とするファシズムや、「進歩」や「啓蒙」のイデオロギーを否定するのだ。原始的なものも未来をも包含するロレンスの触覚言説は、モダニティに対する芸術的な反抗の形式である。そして、それこそモダニズム的な身振りの一形態であった。彼の後期作品は、彼の触覚という目に見えない感覚に対する信念を通じて、モダニティに対するモダニズム的な批判を行ったのである。
(『触れることのモダニティ』「第一章 後期D.H.ロレンスにおける触覚の意義」 高村峰生著)

 ちょっとわかりにくいかもしれませんが、「モダニズム」という思想は、(グリーンバーグによれば)イマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724 - 1804)の「自己-批判」的な態度から発しているということです。この「自己-批判」的な態度とは、簡単に言えば何ごとにおいても深く反省して考える、ということです。その考え方からすると、例えば直線的な時間理解による人類の「進歩」などは、真先に疑われてしかるべきものでしょう。D.H.ロレンスはそういうモダニティ(近代性)によるイデオロギー的な抑圧(例えば「進歩」を強要すること)に対してとても敏感だったようです。ですから「モダニティに対するモダニズム的な批判」とは、「近代性」に対して反省的によく考えて批判的な意見を持つ、ということなのです。言葉の使い方がややこしいですね。そして、D.H.ロレンスの「モダニズム的な批判」の態度を支えたのが彼自身の皮膚感覚、つまり「触覚性」に他ならないのです。このように「触覚性」は視覚による表面的な真実を突き抜けて、ものごとの核心へと迫るのです。
しかし、そのような「触覚性」とものごとの「真実」との関係を認識しつつも、現在の私たちは「真実」という言葉に対して、どうしても懐疑的になりがちです。それは私たちが、ポスト・モダニズムがもたらした「脱構築」の時代を経験したからでしょう。「真実」だと思われていたものを解体していくことによって、新たな世界観を示していくのがポスト・モダニズムの方法論であり、大きな成果でもあったのですが、それを目の当たりにしてしまうと、簡単に「真実」について語れなくなってしまうのです。高村の著作にも、そういう経験を経たまわりくどさのようなものを感じます。しかし、だからといって「真実」がどうでもいいものになったわけではない、というのが高村の態度です。

 このような真実の社会的、文化的構築性をめぐる多くの議論のあとで、触覚的「真実」というモダニズムの言説を文字通りに受け止めることは不可能であるし、するべきでもない。したがって、先に断っておかなければならないが、本書においては感情の「直接的な」表現の受け皿として触覚的身体性を称揚するようなことは徹底的に避けられている。
 しかし、すべての本質主義的な言説を一刀両断に切り捨てることは、別の本質主義を作り出すだけであり、これはデリダの妥協なき脱構築的読解の実践とはまったく無関係のものである。
(『触れることのモダニティ』「序論」 高村峰生著)

ここで名前の出てきたデリダ(Jacques Derrida, 1930 - 2004)とはもちろん、難解な「脱構築」の哲学者のことです。思い起こせば中村雄二郎が活躍したころは、まだ日本でデリダは紹介され始めたばかりで、「脱構築」という言葉も私のような無教養な人間にとっては新鮮なものでした。ですから中村は「人間と自然、人間と人間をそのような分裂や対立から救い出し、ふたたびそれらを結びつける力をもっているのは触覚だ」と熱く語ることができましたが、いまや触覚的「真実」を文字通りに受け止めることには、別の危険性が存在することを多くの人が察しています。それゆえに高村はより緻密に、そして客観的に「触覚」について語ろうとするのです。

 それから『触れることのモダニティ』では先に紹介したように、メルロ=ポンティについても書かれています。もちろんそこでセザンヌに関することも書かれていますが、この文章のはじめの部分と重複しますので略します。しかし、それ以外にこの本があらためて示唆してくれたことについては、忘れずに書いておきたいと思います。それはメルロ=ポンティの「キアスム」という概念の重要性についてです。「キアスム(chiasme)」というのは、「見るもの―見られるもの」、「触れる―触れられる」という関係が相互に入れ替わり、絡み合っていることを意味するメルロ=ポンティ特有の用語です。これは従来の哲学が「見るもの(主体)」と「見られるもの(客体)」を対立したものとして分けて考えてきたのに対し、メルロ=ポンティはそれを独自の方法で乗り越えようとしたのです。

 セザンヌや他のモダニスト画家の考察を通じて、メルロ=ポンティは彼の「触れる-触れられる」関係の可逆性という概念を緻密化していく。「眼と精神」で彼は「奥行きは、・・・・次元の換位可能性の経験そのものなのだ」と述べている。彼は描画行為を通じて画家の身体が<自然>と絡みあうということを示唆するのだ。片方の手がもう片方の手に触れることがある種の出来事を構成するように、真の描画行為は、メルロ=ポンティが「スペクタクル」と呼ぶものへと至るような、自然との一時的な相互関係へと画家を投げ入れるのである。
(『触れることのモダニティ』「第四章 触覚的な時間と空間」高村峰生著)

 メルロ=ポンティにとって、セザンヌは「精神」と「身体」の対立以前の「原初的な世界」を体現した芸術家ですが、この「キアスム」という概念においても同様だったようです。例えばセザンヌは遠近法を無視して遠くの山をまるで間近にあるように描きましたし、形体の単純化も推進しましたが、ゴーギャン(Eugène Henri Paul Gauguin, 1848 - 1903)やゴッホ(Vincent Willem van Gogh、1853 - 1890)のように絵画を平面的に描くことはしませんでした。セザンヌにとっては自然との交感が重要なのであって、絵画の平面性を追究することは彼の仕事ではなかったのです。D.H.ロレンスが「セザンヌは革命を起こし始めたのだが、だれ一人として後についていける者がいなかった」と書いたことを先ほど見ましたが、セザンヌは絵画を革新すると同時に「自然」との対峙の仕方、言ってみれば世界をどう見るのか、ということにおける革新者でもあったのです。メルロ=ポンティの「キアスム」という概念に対する私の理解はまだ生煮えですが、おそらくは次のようなことです。セザンヌにとっての自然は目を凝らしてみるべきものであると同時に、手で触れられるほど近くにあるもの、あるいはそう感じられるものだったのだと思います。そのような世界の見方を表現するには、視点を固定して描く遠近法では不十分で、視点を移動しながら遠くにあるものをあえて近くに引き寄せて表現することも必要でした。それは「触れる-触れられる」という関係が相互に入れ替わるように、一枚の絵の中で空間の位置関係が入れ替わるのです。ただひとつ変わらないものがあるとしたら、それは青い空であれ、緑の木々であれ、黄土色の大地であれ、手で触れられるように表現されなくてはならない、ということです。高村はこうも書いています。

メルロ=ポンティは、セザンヌが身体的な「奥行き」を追究した触覚的な努力の痕跡を彼の絵画のうちに見出しているのだ。                 (『触れることのモダニティ』「第四章 触覚的な時間と空間」高村峰生著)

 セザンヌの絵画空間は遠近法を無視して複雑に入り組んでいますが、それはつねに自然と「触れる-触れられる」という「キアスム」的な関係であろうとする彼の態度によるものではないでしょうか。そのセザンヌの態度は、人間がつねに視界の中心にいて、その中心的な立場から芸術を変革していこう、というモダニズム的な態度とは相いれないものであり、モダニズムでは理解できないものを含んでいます。実際に絵画を描いていると、何かひとつの視点やものの見方で制作を進めたくなりますし、そういう還元主義的な方法論を見出すことが正しいことのようにも思えます。しかし、それは人間中心主義的な芸術操作に陥る危険性がありますし、そのような考え方が主体と客体との関係を明確化し、対象となるものとの距離を広げることにもなりがちなのです。セザンヌの制作態度や彼の生き方そのものが、そういうモダニズムの思考からは外れていたので「だれ一人として後についていける者がいなかった」のです。前にも書きましたが、ジャコメッティはそのことをかなり理解していたのではないかと思いますが、なかなかセザンヌのような芸術家はいませんし、それは本当に残念なことだと思います。それでささやかではありますが、私は今回、「触覚性」という概念を掲げることで、その感覚を第一義に絵画を制作しよう、と決心したのです。

 さて、ここまで書いてきて、それでは実際の作品はどのように描いたらよいのか、ということになりますが、肝心の方法が定まりません。先ほどから書いているように、こういうふうに描けば「触覚性」が画面に表現できる、という方法論はないのですが、それにしてもあまりに心もとない状態です。逆に言うと、どういうふうに描いても「触覚性絵画」だと感じることができればいいわけですから、いろいろと試してみるしかありません。このように、手法がどうあれ、自分の作品をある概念で定義してみるというやり方を、私は20世紀初頭に活躍したドイツの芸術家クルト・シュヴィッタース(Kurt Schwitters, 1887 - 1948)と、彼の創造した「メルツ(Merz)絵画」から学びました。この「メルツ絵画」という名称はまったくの偶然から名付けられたものですが、シュヴィッタースは自分の制作する作品をすべて「MERZ」作品として位置づけて、そこに彼の芸術観を反映させることに決めました。それは「芸術は根元的なものであり、神の如く崇高であり、人生の如く説明し難いもの」、「それは定義不可能な、目的のないもの」ということなのです。なかなかすてきな作品観ではありませんか?この「MERZ」という概念によって、シュヴィッタースの作品は絵画、コラージュ、レリーフ、オブジェといった作品形式のカテゴリーに縛られず、また同時代のダダイズムやシュールレアリスムの作品とも一線を画したシュヴィッタース独自の芸術を生み出したのです。
 私の作品は、シュヴィッタースのように多方面にわたるものではありませんが、それでも水彩絵の具、油彩絵具、コラージュ、鉛筆、色鉛筆といろいろな素材を試しています。それらが「触覚性絵画」というテーマに収斂して見えたら、作品の良しあしはともかくとして、ひとつの目的を達したことになると思います。とはいえ自分の作品を見ると、「触覚性」がつかみとるべき「真実」の周辺を遠巻きにぐるぐると回っているだけで、まったく絶望的な気持ちになります。もともと不器用で才能がない人間ですから、あとは学習の量と大胆さが必要なのでしょう。とにかく、まだ試みは始められたばかりなので、あきらめずに歩いていきます。これに懲りずに、また見ていただけると幸いです。


※blog「平らな深み、緩やかな時間」に関連した内容を掲載しています。
101. 高村峰生『触れることのモダニティ』について      
100. 中村雄二郎『魔女ランダ考』と市川浩『<身>の構造』
99.  絵画の触覚性と中村雄二郎『共通感覚論』
98. 持田季未子『セザンヌの地質学』について
93. 『芸術の終焉のあと』ダントー著と『美学講義』ヘーゲル著
92. 2019年、夏。若い美術家の方へ。
91. 『抽象の力 近代芸術の解析』岡崎乾二郎 著
90. 1987 – 2019 描くことのreality
85. 『カント 美と倫理のはざまで』熊野純彦
79. 国立新美術館開館10周年 『ジャコメッティ展』
76. セザンヌについて読むこと、語ること
62. 松浦寿夫「同時偏在性の魔」から、ジャコメッティを考える
55. 「大きな物語の終焉」を経て
46. モンティセリ、ポリアコフについて
8. 「セザンヌ解釈」の続き
5. メルロ=ポンティとグリーンバーグのセザンヌ論

 



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