私の前々回のblog「99.絵画の触覚性と中村雄二郎『共通感覚論』」の末尾にも書いたのですが、私はいま、自分の絵画制作における「触覚性」について考えようとしています。それで参考になる本を探していたときに、高村峰生(1978 - )という研究者の書いた『触れることのモダニティ ロレンス、スティーグリッツ、ベンヤミン、メルロ=ポンティ』という著書に行き当たりました。この本の中で、主にロレンス(David Herbert Richards Lawrence, 1885 - 1930)とメルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty、1908 - 1961)に関する章で画家のセザンヌ(Paul Cézanne, 1839 – 1906)の名前を見つけ、これは私の興味と重なるところがある良い本を見つけたな、と思いました。
しかし、それと同時にかなり難しい本だな、とも感じました。実際のところ、この本で語られている触覚的なものは、一筋縄ではいかないものばかりです。そこで、この本の成り立ちがすこし気になりました。ふだん読んでいる美術書とも違いますし、哲学的な思想書とも違っています。あとで見るように、本の副題となっている著名人は、それぞれ異なるジャンルで活躍した人たちです。本の帯を見ると、「第9回表象文化論学会賞受賞」とありますから、「表象文化論」という学問に関わる本なのでしょう。その「表象文化論」ですが、調べてみるとこれは人間の表象するもの、例えば美術、文学、映画、建築などを(「表象」という観点から)横断的に、あるいはダイナミックに考察する学問のようです。私のような無教養な人間には正確に理解することができませんが、おそらくは美術史とか文学論などといった専門領域を掘り下げるような学問ではなくて、もっと風通しのよい研究を目指すものなのだろう、という程度の予測はつきます。考えてみると、私のように現代美術に興味がある人間にとっては、特定の分野の深堀りの知識よりも、さまざまな分野でいま何が起きているのか、ということの方に興味があります。こんなことを言ってしまうと「表象文化論」を研究している方々に失礼になるのかもしれませんが、「表象文化論」は意外と身近な学問だと思いました。とはいえ、知的なレベルの差というものは歴然とあるようで、この『触れることのモダニティ』を読みこなすことは、私にはできませんでした。したがって、このあとの文章は私なりに読み進めた結果にすぎない、ということをご承知おきください。
さて、この本の内容は4つの章に分かれています。さきほども紹介した、ロレンス、スティーグリッツ(Alfred Stieglitz, 1864 - 1946)、ベンヤミン(Walter Bendix Schoenflies Benjamin1892- 1940)、メルロ=ポンティ、という文学者、写真家、批評家、哲学者というジャンルの異なる著名人の名前が並んでいますが、まずは第一章、「後期D.H.ロレンスにおける触覚の意義」を見ていきましょう。
第一章、「後期D.H.ロレンスにおける触覚の意義」で取り上げられているD.H.ロレンスは、表題の4人のなかではもっとも一般的に知られた人だと思いますが、「ロレンス」でネットを検索すると、映画『アラビアのロレンス』(1962)のモデルとなったT.E.ロレンス(Thomas Edward Lawrence、1888 - 1935)がまっ先に出てきます。『アラビアのロレンス』は史実と創作が複雑に絡み合った傑作ですが、とりあえず今回の話とは関係ありません。肝心の小説家のD.H.ロレンスは、私の世代から見ると、小説『チャタレイ夫人の恋人』の性描写が発禁処分となり、なかなか完全版の本が出なかった人、として有名でした。ネットで調べてみると、完全版が出たのが1973年ですから、私の中学生の頃です。もちろん、私はD.H.ロレンスを読むほど早熟な中学生ではありませんでしたが、その解禁のための裁判はけっこう話題になっていたのだと思います。D.H.ロレンスの性描写どころではない卑猥な小説がたくさん出版されているのに、なぜ『チャタレイ夫人の恋人』がいまだに解禁されないのか、といった主張をする人たちの記事を見たおぼえがあります。これは私の考えですけど、卑猥なだけの小説は「猥褻」と「表現の自由」という難しい問題を考えるのにふさわしくない、という暗黙の了解が賛成、反対の双方にあったのではないか、と思えてなりません。ところで、その『チャタレイ夫人の恋人』という小説ですが、これは戦争により下半身不随となり、性的機能を失った夫クリフォード・チャタレイと、その妻コニーの話です。現在においてこのような物語が書かれると、ちょっと問題になるのかも知れませんが、『触れることのモダニティ』の著者である高村は、これは「身体的な接触」を失った人間の話ではないか、と問いかけます。もちろん、「下半身不随」という障がいが問題なのではなくて、この夫が所属する「権力側の英国紳士」が「直接対象に触れようとしない」ような「現代」的人物であることが問題なのです。一方、古代エトルリア文明に魅せられ、その絵画に「接触=触覚的なもの」を感じ取っていたD.H.ロレンスは、妻コニーを「身体的な接触」を求める感性を持った人物として、対照的に描いています。このD.H.ロレンスの「身体性」や「触覚」的なものに関する問題意識を高く評価したのが、フランスの哲学者、ジル・ドゥルーズ(Gilles Deleuze, 1925 - 1995)だそうです。そしてこの章の最後にセザンヌが登場します。その部分を引用してみます。
ロレンスにとって、セザンヌは「実体世界をもう一度直観的に触覚し、直観的に認識し、直観的に表現」したいと願う「正真正銘の革命家」であったのだ。ここにロレンス自身の願望が投影されていることは明らかである。セザンヌが絵画的なクリシェ(常套句※筆者補足)に異議を唱え、まったく新しい絵画の方法を切り開いたのは確かであるが、ロレンスは決して美術史的観点からセザンヌの特徴を描き出したわけではない。それよりも、彼はセザンヌのうちに、彼が芸術的反抗の理想的な形と考えられるものを見出していたのであり、それは彼がエトルリアに理想的な触覚的共同体を見出したのと同様である。
(『触れることのモダニティ』「第一章 後期D.H.ロレンスにおける触覚の意義」)
これは感動的な一節です。1930年に亡くなったD.H.ロレンスがこのようにセザンヌを見ていたこと、そしてそれをここにまとめた高村の知的な手腕が素晴らしいと思います。実はD.H.ロレンスは自らも絵を描いていて、晩年に画集を出版しています。その画集には『絵画集序論』というエッセイが載せられていて、内容は「自分の絵画を説明する代わりにセザンヌの偉業を讃えている」ものだと、高村は書いています。セザンヌについては、後の章でも出てきますので、とりあえずD.H.ロレンスがこのようにセザンヌを理解していたことのみ記すことにして、次章に進みます。
第二章は「スティーグリッツ・サークルにおける機械、接触、生命」です。スティーグリッツはアメリカの写真家ですが、私たちにとっては画家ジョージア・オキーフ(Georgia O'Keeffe 、1887 - 1986)の夫として、そしてオキーフの肖像写真を撮った人、アメリカで前衛美術を紹介した人としておなじみです。しかしスティーグリッツはまた、写真を芸術表現にまで高めた人であり、その周辺に優れた芸術家や批評家を集めた人であり、彼の運営したギャラリー「291」はアメリカではじめてセザンヌの個展を開催した画廊だということです。つまり、私の認識している以上に重要な人物だったようですが、それにしてもスティーグリッツが写真家であったことが気になります。例えば前章のD.H.ロレンスは、写真を「身体の触覚性を排除」するものと見なしていましたし、一般的に写真に対する印象というものは、それと似たようなものだと思います。しかし、スティーグリッツ・サークルの人たちは「写真による表象はしばしば原初的な現実との触覚的な結び付きを導く自然物のようなもの」として扱ったのだと、高村は書いています。ここではサークルの個々の人たちについては言及しませんが、スティーグリッツの写真については少し説明しておきましょう。例えば高村は、スティーグリッツがオキーフをモデルとして写真を撮るときに、「彼女の身体を通じて」身体性を、そして触覚性を表現したのだと言います。それは異性愛的な欲望に端を発しているのですが、最終的には「彼の写真は触覚的なものを視覚的なものに変換する一連の試みだった」ということです。ここで認識しておくべきことは、次のようなことです。表現手段によって、これは「触覚的」な表現で、これはそうではない、と簡単に割り切れるものではない、ということです。光学的な機械で写し取られた写真であっても、撮影する人間の意識によっては「触覚的」にもなりえるし、そうならないこともあります。それは作品を見る者の意識によっても変わってくるでしょう。「触覚性」の問題は一筋縄では解けないものですが、そのことをさらに感じさせるのが、次の章のベンヤミンです。
第三章「ヴァルター・ベンヤミンにおける触覚の批評射程」は、この本のもっとも難しいところです。高村は章のはじめに、この章では相容れないように見えるふたつの触覚性について取り上げることを書いています。いままでベンヤミンにおける触覚性を取り上げた議論は、そのどちらかだけを取り上げてしまったために混乱してきた、という事情があるようです。それでは、そのふたつの触覚性とはどのようなものなのでしょうか。
二つの触覚の性格のうちの一つは、映画に代表される20世紀の視覚メディアがもたらした、新しい身体の感受性のモードである。これはメディアを媒介することに起因する通常は「見ること」の変容と捉えられることに関連する。このような性格を持つ触覚は『複製時代の芸術作品』をはじめとする後期の著作において、メディアの時代における人間の感性の変容を示すものとしてしばしば言及される。もう一つは、人間の本性的で古来から受け継がれた模倣の能力に根差し、伝統的な芸術作品を産み出す具体的な手の経験と結び付けられたものである。こちらは、複製技術時代以前の人間の感受性を言い表したものであり、「触覚的」という言葉が通常喚起するような事物との関係性に起因しながらも、実際の接触を必ずしも伴わない、時間的、空間的な「距離」の経験、あるいはベンヤミンの有名な概念である「アウラ」とも結びつけられている。
(『触れることのモダニティ』「第三章 ヴァルター・ベンヤミンにおける触覚の批評射程」)
これはたぶん、こういうことです。一つ目の「触覚性」とは、例えば映画のような(これまでにない)迫真性をもった表現によって感受される「触覚性」です。そのインパクトの強さは、「触覚という西洋では長らくもっとも原始的で動物的であるとみなされてきた単一の感覚へと還元してしまう」ことによって生じるのです。あまりにショックが大きいと、人間は「原始的で動物的」な「触覚性」を刺激されてしまう、ということでしょう。その「触覚性」が悪用されれば、ナチスのように映像によって人々を「煽情的で心理的」に操作する、ということになってしまいます。
そして二つ目の「触覚性」は、一つ目の「触覚性」とは逆の、映像的な複製によってその価値が奪われてしまう「手仕事」の「触覚性」です。例えば絵画に描かれた画像は、本来それひとつだけが持つ特有のイメージであったのですが(その一回性をベンヤミンは「アウラ」と言ったのだと思います)、その「アウラ」が写真や映画などの画像を複製する技術によって消失してしまう・・・、つまり「手仕事」の「触覚性」の意味が喪失してしまう時代になった、ということなのです。
このように、ベンヤミンは新しい映像技術によって生じる感覚を「触覚性」と言い、またその映像技術によって失われた「手仕事」も「触覚性」と言ってしまったために混乱が生じている、と高村は分析します。その点を押さえたうえで、彼はベンヤミンにおける「触覚性」について論じていきます。
さて、そんな難解な内容の章なのですが、さらにここでは「空間(近さ)」、「時間(歴史)」、「言葉(翻訳)」などについての多岐にわたる考察が展開していきます。そのなかで「翻訳」について見てみると、ベンヤミンは「翻訳」をたんに外国語のものを自国語に訳す仕事だとはとらえていないようです。「翻訳」とは、両言語における「意味という無限に小さな点」につかの間の接触をすることであり、それが「生の連関」という「接触的な出来事」を作り出す、というのです。難解な説明ですが、一つ一つの語彙はともかくとして、全体としてみれば何となくわかったような気にもなります。このとき、ベンヤミンが捉える「生」というものは生物学的な「生」ではなくて、もっと抽象的なもの、例えば「言葉」のなかにも宿るようなものなのです。そして言葉と言葉の触れ合いが、あたかも身体的な触れ合いででもあるかのように、つまり言葉の触れ合いも「触覚的」な実感を伴っているような接触になりうる、ということを言っているのだと思います。この章の、結びの文章を見てみましょう。
ベンヤミンは著作において触覚を正面からテーマとしたことはなかったが、彼の著作は至るところにおいて触覚的なものへの想像力に浸されていた。同時代において大きな変遷の途上にあった感覚のモードであった触覚の変性にベンヤミンは生そのものの変性を見ていたのであり、そのような変性に対応した批評の言語をつくり出すことに力を傾注したのである。
(『触れることのモダニティ』「第三章 ヴァルター・ベンヤミンにおける触覚の批評射程」)
これを読むと、やはりベンヤミンは難しいなあ、と思ってしまいます。彼の文章が、スーッと飲み込めないのは、彼の作り出そうとした批評の言語に私の意識が着いていけていないからかもしれません。ナチスに追い詰められて、悲劇の自死を遂げたこの人物の著書を、もっと学ばなければなりませんね。実はそう思って、少しずつ彼の本を読み直しているところです。
さて、最後の第四章は「触覚的な時間と空間―モーリス・メルロ=ポンティのキアスム」です。この「キアスム」という言葉はメルロ=ポンティに特有の概念で、見るものと見られるものが相互に入れ替わったり、絡み合ったりすることを指す言葉です。例えば、自分の右手と左手を握り合った場合、どちらが触る方の手で、どちらが触られる方の手なのか、意識の持ち方によって容易に反転します。メルロ=ポンティはこの「キアスム」的な関係を、身体相互の関係だけでなく、身体と世界との関係にまで敷衍して考えていくのですが、そのことについて指摘している部分を引用してみます。
後期メルロ=ポンティにおいて、触覚に関する考察が、現象学的存在論とも呼ぶべきものへの転回とかかわるのはこの地点においてである。『知覚の現象学』にはフッサールからの影響が色濃くあり、その考察の範囲は非時間的な志向性や意識の環境世界との図式的関係に概ねとどまっている。しかし、『見えるものと見えざるもの』は、人間の知覚のあらゆる機能に先立ち、世界とつねにすでに絡み合っているものとして肉体を捉えており、志向性というフッサール的な現象学概念も、身体ときりはなされた所与としての世界ももはや成立しない。メルロ=ポンティは「肉」という概念を、身体のあらゆる客観的な分節化に先立つ匿名的な身体性のモードを指し示すのに用いており、「肉の世界」という概念によってそれが世界と切り離せないことを強調している。肉体と世界の相互依存的で不可分な「絡み合った」関係性をメルロ=ポンティは「キアスム」と呼んでいるが、このような「肉」の匿名性や「キアスム」に特徴づけられる彼の身体の哲学は、現象学の伝統的方法から逸脱している。ときにそれは現象学的厳密さを失い、ある種の神秘主義へと傾くリスクを冒してはいるが、そのようなものこそ、本書が一貫して探究している歴史的言説としての触覚性がよく表出しているのである。
(『触れることのモダニティ』「第四章 触覚的な時間と空間」)
うーん、難しいですね。それに「それは現象学的厳密さを失い、ある種の神秘主義へと傾くリスクを冒してはいる」とは、どういうことでしょうか。後期のメルロ=ポンティは、「肉体と世界の相互依存的で不可分な」関係にまで思考を進め、「視覚」と「触覚」の感覚の境界もあいまいになります。その思考をこの本は丹念に追っていくのですが、このblogを読んでくださっている方々からすると、どんな理論的な説明よりもセザンヌの絵画を例にとった説明の方がわかりやすいでしょう。
メルロ=ポンティはセザンヌの絵画作品を、触覚的経験から視覚的表現への一種の翻訳として描写している。触覚が原初性と結びついているのならば、画家の仕事は原初的接触を視覚的表現へと翻訳することだ。メルロ=ポンティにとっては触覚による知覚と視覚的表現との順序が何よりも重要だったので、「セザンヌは、形と奥行とを示すべき触感を、色彩によって暗示しようなどとはしない」と彼は主張しなければならなかった。<自然>に触れられることは視覚的表象に先立つ経験であり、したがって、触覚を通じて知覚されるものは色使いによって「暗示」されるものではありえないのだ。言い換えれば、触覚的なものは前―光学的なのである。
(『触れることのモダニティ』「第四章 触覚的な時間と空間」)
セザンヌの絵画のことを、まるで世界が生まれ出る瞬間を描いたようだ、とメルロ=ポンティが解釈していたことは、このblogでも幾度か取り上げています。そしてその世界の「原初性」と「触覚」は、セザンヌの絵画において深く結びついているのです。画家はその「触覚」によって感受した世界の始まりの体験を、絵画という視覚的な表現へと「翻訳」するのだ、とメルロ=ポンティは言っているのです。
しかし、「セザンヌは、形と奥行とを示すべき触感を、色彩によって暗示しようなどとはしない」とメルロ=ポンティが主張している部分については、いささか同意しかねます。メルロ=ポンティはしばしば、画家が無垢な存在であり、彼らは世界との出会いをまったくの作為がないかのように画面上に表現した、と思いたがっていたようです。しかしセザンヌであれ、メルロ=ポンティがセザンヌ同様に事例として取り上げたクレー(Paul Klee, 1879 - 1940)であれ、画家である以上、視覚的な技法と無縁であることはあり得ません。とくにクレーは、描画の素材について古典技法から現代美術の方法論まで幅広く精通しており、それらをさりげなく、無垢な装いの中で表現するすべも心得ていました。クレーはイノセントな世界を表現しましたが、彼の手法がイノセントであったわけではありません。またセザンヌに関して言えば、セザンヌの技法に関する最近の研究について私のblog「76.セザンヌについて読むこと、語ること」を参照していただけるとある程度わかるのですが、それはち密な筆触によって成り立っていることが解明されつつあります。さらにセザンヌの絵画が世界の誕生を想起させるような表現になっていることに関して言えば、これもblogでとりあげた持田季未子が『セザンヌの地質学』で考察したように、セザンヌが地質学的な土地のイメージを創作に生かしたのではないか、とも考えられます。実はメルロ=ポンティも、セザンヌが地質学に詳しかったことを知っていたようですが・・・。
ともあれ、セザンヌがまるで世界の誕生に立ち会ったかのように絵を描き、私たちはその彼の絵画から、その誕生の瞬間を目の当たりにしたような印象を受けるのも事実です。それは彼の絵画が、対象との距離を「視覚的」にではなく、「触覚的」に把握していたこと、さらにそれを「触覚的」に表現することに成功していた証拠でもあります。彼の作品がメルロ=ポンティの考える「視覚」と「触覚」との「キアスム」的な関係についての、格好の事例となっていることは、とてもよく理解できます。
そしてメルロ=ポンティは、時間についても独特の考え方をしていました。この章の後半では、プルースト(Valentin Louis Georges Eugène Marcel Proust, 1871 - 1922)の『失われた時を求めて』が取り上げられています。メルロ=ポンティは私たちが過去を想起するときの状態を、二つに分けて考えます。一つは、時間の経過をたどりながら意志的に過去を思い起こす場合で、これを「能動的な過去の想起」としています。もう一つは、ふとしたきっかけで自分の意志とは関係なく過去を思い出してしまう場合で、これは「受動的な過去の想起」と言うべきなのでしょうが、この本では「受動的総合」という言い方をしています。そしてこの「受動的総合」こそ、人間の意志の不意を突き、感覚相互の分断を超越して、過去と現在の境目を越境するというのです。このように書くと、『失われた時を求めて』を読んだことがある方なら(あるいは、そうでなくても)、あの有名な場面を思い出すことでしょう。主人公が紅茶にマドレーヌを浸して口に入れたとたんに、過去がよみがえってくる、というあのシーンです。
プルーストの小説においても、触覚は記憶の非知的な側面と関連付けられている。無意志的記憶が形成されるのは、触覚が重要な役割をはたしている場面においてである―タオルの感触、マドレーヌの味、敷石の硬さ、スプーンが皿に触れる音。これらの出来事や現象はすべて、マルセルが意図せずして過去と出会うような機会をもたらす接触の瞬間を捉えている。ものに触れることで、知的精神からは抜け落ちてしまっていても身体に保管されていた物事が一時的に呼び戻されるのだ。こうしたエピファニー(突然のひらめき※補足筆者)的瞬間にあっては、過去と現在の区別は消失する。「感性的なるもの、『自然』は、過去・現在の区別を超越し、一方から他方へと内部からの移行を実現する」とメルロ=ポンティが書くとき、彼の念頭にあるのはこのような時間の可逆性なのだ。『知覚の現象学』で彼が、哲学的努力は「世界との、この素朴な触れ合いを再発見」することに傾注されると述べていたことを思い出そう。プルースト的接触はきわめて個人的なものに思えるが、過去や自然環境との時間的な関わりがしめしているのは、メルロ=ポンティが自らの現象学を通して探求しようとしていた原初的な知覚なのである。『見えるものと見えざるもの』の研究ノートで、メルロ=ポンティは「時間」を「キアスム」の時間的形式として考える事の必要性を説いている。
(『触れることのモダニティ』「第四章 触覚的な時間と空間」)
例えば、日本のような四季のはっきりとした国で暮らしていると、春先の暖かい風や初夏の雨のにおいなどの季節の変わり目に、漠然と皮膚感覚が刺激されて、幼いころの暖かい思い出や思春期のつらい体験が胸に湧き起ってくることが誰にでもあると思います。その感情は理性によってはいかんともしがたく、今しがた実際に感受したことよりも現実味を帯びて感じられることがあります。おそらくメルロ=ポンティにとっては、このように強く実感できるものこそが重要だったのでしょう。それを「原初的な知覚」と見なし、さらにそれが人間にとって、何か根源的なものと結びついていると考えたのです。この「時間」的な「キアスム」という考え方も、私は理論的に理解することはできないのですが、プルーストの小説を例にとって説明されると、感覚的に了解することができます。芸術の力とは言葉を超えたものなのだな、とあらためて実感します。
さて、この本は「触覚」をめぐって、モダニズムの時代にあらわれた様々な表象をさぐっているのですが、その根本には私が「99.絵画の触覚性と中村雄二郎『共通感覚論』」のblogで取り上げた中村雄二郎(1925 - 2017)の思いと共通するものがあると思います。すなわち、西洋文明の中で「触覚」よりも「視覚」が重要だと思われてきたという経緯があり、そのことによる歪みから「触覚」の重要性を見直したい、という強い思いです。中村雄二郎は高らかに「人間と自然、人間と人間をそのような分裂や対立から救い出し、ふたたびそれらを結びつける力をもっているのは触覚だ」と書きましたが、この本の著者である高村は、もう少し複雑な思いをのぞかせています。
「真実」をめぐる問いは、しかしながら、今日のアカデミックな言語になじまないかもしれない。特に、デリダの大きな影響の後では、「真実」を真実として扱うことはほとんど不可能であるように感じられる。というのも「真実」は脱構築によってその構築性が解明されるような対象、あるいは表象可能性の極点において現れるような対象なき対象だからである。
(『触れることのモダニティ』「序論」)
ここで言われている「真実」とは、次に見るように「触覚」と深く結びついた「真実」です。そしてデリダというのは、言うまでもなく「脱構築」の哲学者であるジャック・デリダ(Jacques Derrida, 1930 - 2004)のことです。デリダの本は難解なので、私も敬遠しがちですが、たぶん、ここで言われていることはこういうことです。
「真実」というものは、それこそが本当のこと(真実)だから「真実」というのでしょうが、そういう決めつけが、何が真実であるのかわからなくさせる要因になります。そういうふうに、ものごとを決めつけずに、逆に「真実」を疑い、相対化しながら「真実」を突き詰めていくことが、「脱構築によって構築性が解明される」ということなのだと思います。ですから、斜に構えて「真実」なんてありえない、という懐疑主義に陥ることとは異なります。高村はそのことについて、こう書いています。
しかし、すべての本質主義的な言説を一刀両断に切り捨てることは、別の本質主義を作り出すだけであり、これはデリダの妥協なき脱構築的読解の実践とはまったく無関係のものである。本書が行おうとしているのは、モダニズム的「真実」の言説の歴史性を解析することであり、そこに含まれた本質主義を脱構築することではない。モダニズムの芸術家や作家たちは典型的には彼らの歴史的位置について意識的であるが、彼らの著作は身体的なものの確かさへの依存にしばしば根ざしている。ことに、触覚はモダニズムの想像力にとって中心的なものであって、「親密さ」「経験」、「愛」、「生命」といった本質主義的な語彙をその磁場のうちに招き寄せる。このような概念は、その非時間性や非歴史性のためにしばしば簡単に退けられてしまうが、本書の立論は非歴史的な言辞についての言説はきわめて重要な意味で歴史的であるという確信に基づいている。1917年における触覚は2017年における触覚とは全く異なるものなのだ。20世紀初頭における触覚と「真実」の関係は、その時代の表象の危機や知覚の分裂と密接に関連している。D.H.ロレンス、スティーグリッツ・サークル、ベンヤミン、メルロ=ポンティの精読は、これらのモダニストたちがもっとも「動物的」で「原始的」な知覚である触覚をどのように捉えたかということについての歴史的な意義を教えてくれるだろう。
(『触れることのモダニティ』「序論」)
序論の結びの部分をすべて引用してしまいました。一文も落とせない気がしたからです。そして最後に、この本から私が教えられたことを書いておきましょう。
例えば20世紀初頭の芸術家たちが表現しえた「触覚性」を、現在の私たちが参照しながら同様に表現したとしても、当然のことながらその「触覚性」の表現は違ってくるのだろう、と思います。そして私たちの表現が優れたものであるならば、それは先達とは異なる「真実」を照らし出す可能性があるのです。
そう考えると、何だかわくわくしてきませんか?
そして私は、メルロ=ポンティの「キアスム」という概念を、あらためて見直してみようと思います。20世紀のモダニズムの美術は、ものごとの「絡み合い」を遺棄し、むしろ何か一つの方向性へと還元し、それを突き詰めていくことに熱中してきました。私はモダニズムの表現の、虚飾を排した美しさを否定しませんが、その一方で例えばミニマルな表現を徹底した先にあったものは、やはり閉塞感であったと思うのです。例えばセザンヌのように、絵画の視覚的な奥行と触覚的な平面性との間を往復しながら、粘り強く自分自身の実感できる位置を求めていった姿勢には、学ぶべきことがまだまだ多いと思います。私の表現領域で言えばそういうことになりますが、絵画以外の領域においても、例えばモダニズムが遺棄してきた古典的なものや伝統的なものに、何か置き去りにしてきた「真実」の可能性があるのかもしれません。その探究を進めるうえで鍵となるものが、例えば「動物的」で「原始的」な知覚である「触覚」ではないか、ということを本書は示唆してくれていると思います。
「動物的」で「原始的」な「触覚」的なるものを意識して表現を探究することによって、新たな「真実」が見えてくるとしたら、それは素晴らしいことではないでしょうか。
以上です。ちょと文章が生煮えですが、ご勘弁ください。
最後に、広報を少しだけ。3月23日から28日まで、京橋のギャラリー檜で個展を開催します。
(http://hinoki.main.jp/img2020-3/exhibition.html)
展覧会には「触覚性絵画の試み」というタイトルを付してあります。サイト上の案内状は写真が粗いので、すこし見づらいかもしれません。もしも案内状送付を希望される方がいらっしゃったら、メールでご連絡ください。そして、もしもお近くにお越しの際には、ご高覧いただければ幸いです。
石村実 (harvestone1@gmail.com)
最近の「ART」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事