平らな深み、緩やかな時間

302.『エゴン・シーレ展』『ユリイカ 2023年2月号 エゴン・シーレ』

東京・上野の東京都美術館でオーストリアの画家、エゴン・シーレ(Egon Schiele 、1890 - 1918)の展覧会が開催されています。

 

レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才

Egon Schiele from the Collection of the Leopold Museum – Young Genius in Vienna 1900

2023年1月26日 (木) ~ 4月9日 (日)

https://www.egonschiele2023.jp/

 

なお、私は実際に展覧会を見に行く前に、エゴン・シーレについて知っていることを書いてみました。基本情報として読んでいただけるとうれしいです。

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/fa1a028f97ea2b9932a484179a842d71

 

今回は、私自身が展覧会を見てきましたので、実際の作品を見た実感に基づいて展覧会について書いてみます。上記の私のblogに書いたようなことは、基本的に知られたことだとして話を進めます。

それからその前に、上記の展覧会の公式サイトの中の「展示作品と見どころ」から、次のページの作品を確認してください。作品について具体的に話をするときに参照します。

「エゴン・シーレについて」

https://www.egonschiele2023.jp/egonschiele.html

「主な展示作品紹介」

https://www.egonschiele2023.jp/works.html

 

そして雑誌「ユリイカ」がシーレ展にタイミングを合わせて『ユリイカ 2023年2月号 特集=エゴン・シーレ ―戦争と疫禍の時代に』という特集号を出版しました。私もざっと読んでみたので、その中の記事を参照しながら前回とは違った切り口でシーレについて書いてみたいと思います。

ところで前にも書きましたが、シーレに関する本格的な批評を書いた本は、あまりなかったようです。ここに来て、この展覧会を契機にして、ということでしょうか、この特集号の鼎談にも登場している西洋美術史、美学の専門家の古川真宏(こがわ まさひろ)さんが『エゴン・シーレ: 鏡のなかの自画像』という本を出版されたようです。また同じくこの特集号に「断章エゴン・シーレ」というエッセイを寄せている美術史家で神奈川県立近代美術館館長の水沢 勉(みずさわ・つとむ)さんが『エゴン・シーレ まなざしの痛み』という本を出版されています。両方とも未読ですが、展覧会をきっかけとして芸術に関する本が出るというのは、基本的に良いことだと思います。機会を見つけて読んでみたいと思います。

 

さて、このように、にわかに専門書が出始めたシーレですが、彼に関して語るとなると実はさまざまな語り方があるようです。美術史家の岡田 温司(おかだ あつし)さんは、この特集号の「受肉するシーレ」というエッセイの中で、次のように書いています。

 

さて、この屈折した夭折の画家にどこからどう切り込むのがいいだろうか。エロティシズム、ナルシシズム、ペドフィリア、精神の病、戦争とパンデミック(スペイン風邪)、さらには画家個人の伝記を超えて、世紀転換期のウィーンの芸術文化の状況や医学・生理学の言説との関係など、多彩なアプローチが可能だろう。ちなみに、この時代のウィーンには、クリムトとシーレに象徴される名だたる画家たちのみならず、哲学のウィトゲンシュタインや建築のアドルフ・ロースから、作家のカール・クラウスやヘルマン・バール、そしてもちろん精神分析のフロイトにいたるまで、一癖も二癖もあるような名役者たちには事欠かない。この濃密な文化的磁場を、「死後の生」を生きつづける人たちを輩出した場と呼ぶのは、イタリアの哲学者マッシモ・カッチャーリである。

(『ユリイカ2023年2月号』「受肉するシーレ」岡田温司)

 

このようなわけですから、この特集号にもさまざまなテーマを掲げたシーレ論が掲載されています。

しかし、私が今回の展覧会で強く感じたことは、とにかくシーレは上手い画家だということです。同時代のシーレに関連した画家たちの作品も展示されていましたが、デッサンに関して言えば大人と子供の違いと言っても良いぐらいの差を感じた画家もいました。シーレの師であったクリムト( Gustav Klimt, 1862 - 1918)のデッサンも悪くないのですが、骨格的な形がシーレのデッサンと比べると少しぬるい感じがしてしまいます。クリムトの形がぬるいというよりは、シーレの上手さが「悪魔のような」と形容したいぐらいです。これほど上手さが際立つ画家といえば、ピカソ(Pablo Ruiz Picasso, 1881 - 1973)ぐらいしか思いつきません。以前にシーレの生の作品を見た時にも上手い画家だと思いましたが、今回は本当に感心しました。

このシーレの絵の上手さについて、集中的に取り上げたエッセイは、この特集号の中にはなかったのですが、それでも興味深い指摘がいくつかあります。例えば先の鼎談の記事ですが、古川真宏さんと東京都美術館学芸員の小林明子さん、美術史家の河本真理さんの三人で話していて、そこに次のような会話があります。

 

河本 シーレはデッサンが優れているというのは誰もが認めるところで、「実存的な線」や「生命の線」と言われることもあります。そこで、シーレの素描やデッサンについてお考えがあれば伺いたいと思います。古川さんはどうでしょうか。

古川 シーレは油彩に負けず劣らず、ドローイングや祖廟のクオリティが高い画家ですよね。エッチングなどではなく、紙に描いた絵が独立した作品として評価された事例は当時まだそれほど多くなかったということも特筆すべき点だと思います。シーレはドローイングの価値を高めるのに貢献した画家だと言えるかもしれません。

河本 シーレは、素描自体が代表作に数えられていますよね。シーレの場合、活動期間が10年ほどと短く、所在不明の作品もあるため、残っている作品としては、油彩よりも素描や水彩の方が圧倒的に多い。古川さんが着目されたように、油彩などのための習作や下絵としてではなく、素描自体を自律した作品と見なし、額装して展示するのは、18世紀からで、長い美術史上では比較的新しい現象といえます。

小林 紙を媒体とした作品は、当時はお金を稼ぐために版画を作るとか、作品としては下に見られるところがあったと思います。ドローイングを独立した作品として描くというのは、当時の芸術家の間でポピュラーなことではなかったかもしれないですね。

河本 紙を貼り付けたコラージュ、いわゆるパピエ・コレも、当初は油彩に比べてヒエラルキーの低いものと考えられていました。パピエ・コレには木炭等のデッサンが施されている場合もあり、紙を媒体とした素描に近いものと見なされていたのです。パピエ・コレの蔑視は長く続き、パブロ・ピカソは後年、恋人のフランソワーズ・ジローに、パピエ・コレはキュビスム絵画の副産物としか思えないといわれた際、「パピエ・コレは実際、キュビスム発見の中心的な出来事だった」とわざわざ強調しなければならなかったほどです。こうして見てくるとシーレは、ヒエラルキーが低いものと見られがちな素描の価値を高めたといえるかもしれません。

小林 シーレはアカデミーに16歳で入ったことが重要なエピソードの一つとして語られますが、実際のところ、本当に絵が上手いというのが天才と呼ばれる大前提としてあります。紙作品のドローイングにこれだけ説得力があるというのはもって生まれたデッサン力ゆえのことで、今回の展覧会にはクリムトの素描も出品されていますが、それぞれのよさはあるにしても、比較して見るとシーレのドローイングが放つ強さや表現力はずば抜けている。先ほど、アクロバティックなポーズのお話がありましたが、それは人物を大胆に、挑発的に演出するためのポーズである一方で、人物だけで画面を構成し、かつ構図に緊張感をもたせるためのポーズもある。人物を空間として把握しながら、同時にそれを二次元の構図に素早く転換していることが、シーレのドローイングから伝わってきます。こうしたセンスは、ウィーン分離派やウィーン工房といった平面性と装飾性を追求する優れた芸術運動に触れるなかで培われたデザイン感覚と持ち前のデッサン力の賜物といえるのではないでしょうか。

河本 小林さんはとても大事な点を指摘してくださったと思います。シーレの表象したセクシュアリティは、むろん当時のオーストリア=ハンガリー帝国の家父長制社会を反映する一方、しばしば男性せいと女性性の境界をも曖昧にするものですが、シーレはそうした表象を支える構成力も抜きん出ていました。人物像や裸体像にしても、上から覗き込んだり下から見上げたり、あるいは後方から見たりと、通常の視点からずらすことで、身体表象にダイナミズムやねじれを生み出しているのです。そうしたシーレの身体表象は、表現主義的な内面の吐露や表出ということで語られることが多いですが、いわば脱臼させて予定調和に落とし込まないような構成力も魅力的なのではないでしょうか。

(『ユリイカ2023年2月号』「プリズムとしてのエゴン・シーレ」小林・古川・河本)

 

河本さんの最後の話の中に「人物像や裸体像にしても、上から覗き込んだり下から見上げたり、あるいは後方から見たりと、通常の視点からずらす」という言葉がありました。これについては、例えば公式サイトの「エゴン・シーレについて」のページの1915年と1917年のところに表示されている人物画を見てください。『縞模様のドレスを着て座るエーディト・シーレ』(1915)と『カール・グリュンヴァルトの肖像』(1917)の二枚の人物画です。『縞模様のドレスを着て座るエーディト・シーレ』は着彩画ですが、ほとんどデッサンと言ってよいものでしょう。これらに共通するのは河本さんが言っていた「上から覗き込んだ」視点ですが、やはりこういう斜めの視点の作品がシーレには多いのです。

もしもあなたが人物画を描いたことがあるならば、この視点から描いた場合の難しさがよくわかるでしょう。最も困難なのは肩の位置の表現です。これらの絵の場合、着衣像なのでシーレはいずれの人物画においても、手前側の肩の位置を表現するために肩の線の縫い目を意識的に描いています。このようにすれば、正面から描いた時に見ることができる肩の線が、斜め上から見ても視覚的に表現できるのです。しかし、これはたまたまこれらが着衣の像だからできることで、裸体像ならばこのようにはいきません。そうすると、たまたまその角度から見える肩の背中側の輪郭線を利用して、肩の位置を表現しなくてはなりません。もしもそのデッサンが、陰影描写をともなう古典的なデッサンであるなら、肩の稜線を境目にして生じる影を利用して、骨格の隆起を表現することができるでしょう。しかし、シーレのように線描だけによる平面的な表現をする作家の場合、その骨格の隆起を直接描くのではなく、その周囲の線からその肩の位置を想起させなくてはならないのです。

このことに関して、美術批評家の石川卓磨さんは、この特集の中の「写実主義の超克と素描のまなざし」というエッセイで興味深いことを書いています。このエッセイは「エゴン・シーレの素描についての対話」という副題がついていて、対話形式で書かれているのですが、例えば次のような興味深い記述があります。

 

ー シーレは、写真表現では不可能である省略と未完成性を意識的に大胆に試みた。シーレは、輪郭線のみによって人体の三次元性を見事に描き出せた。そこでは、人物がいる周りの空間との関係で距離感を作り出す必要がなく、陰影によるモデリングをつけなくても、人体のボリュームを示せた。シーレの素描は、博物画のようにノイズとなる影を消去し明瞭に可視化する。そのためモデルは空間や影に隠れることができず赤裸々に描かれる。紙の上に描かれたヌードは、距離や陰影によって作られる間接性を排除して直接性によって表現される。

それと同時に不要なものは省略された。ボードレールは「記憶の芸術」において、細部の省略の難しさを、政治的比喩を使って説明する。「記憶力や想像力の方を特に行使することになれた芸術家は、この際、たくさんの細部の反乱に攻め立てられるような思いになる、なにしろ、細部のすべてが、絶対的平等をのぞんでやまぬ群集さながらの狂暴さで、正義の行われることを要求するのだから。かえっていかなる正義も犯されてしまうのは必然の成り行きであり、あらゆる調和は破壊され、犠牲にされる。」シーレはこの省略の判断を暴力的なまでに遂行できた。ボードレールの素描論にカンデルの分析を接続すると、シーレは、17世紀のオランダの近代化に伴ってあらわれたオランダ絵画の描かれたものの社会的な平等性ではなく、画家と観者とモデルの情動(共感)的な対等性に基礎を置いたといえる。

(『ユリイカ2023年2月号』「写実主義の超克と素描のまなざし」石川卓磨)

 

この文中の「陰影によるモデリングをつけなくても、人体のボリュームを示せた」というところが重要です。このようにその表現の素晴らしさを指摘することはできても、実際にできるかどうかは別な話です。「シーレは、輪郭線のみによって人体の三次元性を見事に描き出せた」とは言うものの、そのためには輪郭線の太さや強弱などの抑揚、線が引かれる位置などが適切でなければなりません。

もしもあなたが素描をする際に、正確を期して自分の視点から見たモデルを写真に撮り、写真に写った輪郭線を丁寧になぞったとしましょう。その時に描かれた形は、不自然でぎこちないものになってしまうはずです。そんなものは、たまたまその時に見えた画像の外周の線に過ぎません。シーレは人間の骨格的な構造を理解した上で、自分の視点から見た形を立体的に表現するにはどこにどのような線を引いたら良いのか、瞬間的に判断してしまうのです。私がシーレのデッサンを見て「悪魔のような」技術だと感嘆したのは、そのような線描を大胆に、そして同時に繊細にシーレが成し遂げてしまうからです。

 

このような技術が、なぜシーレに備わっていたのか、それはよくわかりませんが、今回の展覧会ではじめの展示室にシーレの初期の作品が展示されていますので、それをよく見てください。この時代の画家だと、若い頃にアカデミックな技術を身につけているのは当たり前なのですが、シーレの技術の繊細な完成度はただ事ではありません。シーレは表現主義的な大胆さや奔放さばかりが強調されて語られてしまうのですが、彼が他の同時代の画家たちと決定的に異なるのは、その繊細な表現力なのかもしれません。

その例を示すことにしましょう。展覧会の公式サイトの「主な作品紹介」のページを見てください。そのページのはじめに『ほおずきの実のある自画像』が掲載されていますが、その作品の顔の向かって右側、絵の中で微かに見えるシーレの顔の左半分に注目してください。先ほども書きましたが、シーレの絵にはこのような斜めから見た作品が多いのですが、この絵の場合の難しいところは、微かに見えている顔の向こう側の形を、そのわずかな手掛かりで立体的な頭部の丸みを感じさせることです。鼻に隠れてほとんど見えなくなってしまっている目の形やその向こう側の頬骨の輪郭など、実に繊細に表現しています。実物を見ると、シーレがいかに注意深くその線を引いているのかわかるはずです。

そして驚くのは、一見すると無造作に塗られたような彩色です。顔の中の複雑な混色から髪や服の黒い色まで、気まぐれに筆を動かしたように見えて、服の皺の向きまで表現していて本当に素晴らしいです。このような技術の高さを見てしまうと、同じ会場に展示されている同時代の画家たちの作品が、凡庸に見えてしまうのです。

ついでにシーレの繊細さの関連で書いておくと、話が戻りますが先ほどの『縞模様のドレスを着て座るエーディト・シーレ』の縞模様が、これも無造作に描かれているようでいて、見事です。女性の身体のボリューム感からドレスの皺の形まで、縞模様が完璧にそれらを表現しているのです。線の一本一本を見ると、縞の太さを几帳面に揃えて描いているわけでもありませんし、無頓着に、あるいは自然に描いているようにしか見えないのですが、普通はこんなふうには描けません。

 

それからもう一点、石川卓磨さんがシーレの素描について、興味深い指摘をしているので、それを読んでみましょう。

 

ー 最後に、シーレの素描における「盲目性」について質問したい。ジャック・デリダは『盲目の記憶』で、素描と素描画家に孕まれる盲目性に注目した。「素描は盲目である。男のあるいは女の素描画家が盲目なのではないとしても、素描は盲目である。つまり、素描という作業は、それ自体として、それ固有の契機において、盲目性となんらかのかかわりがあるのではないか、ということだ」

これは紙の上に線を引く時、手元に視線を移し、対象を見ないため、必然的に記憶に頼らざるを得ないという画家の条件から問いを展開させた素描論である。そして、デリダは、自画像とは盲者によって描かれた、盲者の姿であるという仮説から、自画像の表象を分析する。ここでは、シーレの見ること・描くことの技術に対する信仰に近い信頼が示されてきたが、デリダが言及する素描の盲目性と無関係であり得たのだろうか。

ー 私には、さまざまな哲学的なレファレンスを前提とした『盲者の記憶』の議論に言及を加えることはできない。だが、シーレの素描においても何らかの形で、盲目性は常に意識されていただろう。これまでに見てきたように、シーレの中には全能性と不能性が、くるくると入れ替わるパラレルなものとして存在していた。

素描の盲目性について、『盲者の記憶』の役者の鵜飼哲はアンリ・マティスの言葉を取り上げる。「紙片の上をたどる私の鉛筆の道のりは、暗闇のなかをまさぐり進む人間の動作とどこか似たところがある。つまり、私の行路は全く予測されたものではない。私は導かれるのであって、私が導くのではない。私はモデルの物体の一点から出発して、引き続き私のペンが向かうだろうさまざまな点とは無関係に、いつもただこれしかないと思う一点へと向かうのである」。シーレも暗闇のなかをまさぐり進む人間を深く実感していた画家であり、この盲目性の中で与えられる「ただこれしかない」と思う一点へと向かうことを信仰的に求めていただろう。例えば『新生児』(1910)には、目がまだ開いておらず、意識もはっきりとしていない新生児が描かれている。生まれた瞬間から死の危険にさらされた無防備な裸の身体を晒している新生児は、見ることも掴むこともできない無力な存在である。この新生児の盲目性は、実存主義的な性格を強く示しており、シーレの芸術における基礎として捉えられる。写実主義からの超克によって、素描の盲目性は克服したかのように感じられるシーレだが、素描の盲目性は、呪いにも似たものとしてシーレに一生つきまとっていた。いや、というよりも、見ることの基礎的な条件として盲目性が含まれていた。

(『ユリイカ2023年2月号』「写実主義の超克と素描のまなざし」石川卓磨)

 

私たちは素描をするときに、初心者の頃には画面とモチーフをうまく関連づけられずに、ぎこちない形を描いてしまいます。しかし慣れてくると、画面とモチーフの双方を同時に視野に入れる術を心得てくるので、ある程度はここで話題になっている「盲目性」を解消することができます。しかし、描いている画面に集中してしまえばモチーフを見ることができなくなり、モチーフをじっくりと観察していると画面は視野から消えてしまいます。絵を描き慣れてくると、そんなことはほとんど意識に上らなくなりますが、シーレやマティス( Henri Matisse, 1869 - 1954)ほどの画家になると、そのわずかな「盲目性」にも敏感になるのかもしれません。このような繊細な話が、一見すると奔放にデッサンをしたようにしか見えないマティスとシーレから導き出されてきていることが、興味深いと思います。

ところでジャック・デリダ(Jacques Derrida, 1930 - 2004)の『盲者の記憶』は面白そうですね。ちょっと難しそうで、敬遠してきたのですが読んだ方が良いのでしょうか?今度チャレンジしてみましょう。

 

さて、この「盲目性」との関連で言うと、今回の展覧会でシーレの風景画がとても面白いと思いました。シーレの風景の素描を見ると、一瞬にして彼が風景の一角を画面上に構成してしまっていることがわかります。シーレは一本の道の線を画面に引いた瞬間から、すでに絵の全ての構成が決まっているのです。ですから、あとはその風景のどこを描き、どこを省略するのか、を決めれば良いだけなのです。

さらに、街の家並みを描いたタブローになると、シーレの視点はまるでドローンのように自在に動きます。再び、展覧会の公式サイトの「主な作品紹介」を開いてみてください。上からの四枚目の『モルダウ河畔のクルマウ(小さな街Ⅳ)』という作品です。この絵は、屋根を見るとかなり高いところから見たような感じで描かれていますが、建物の壁面はほぼ横から見たように見えます。建物の間の路地は真上から見たようにも見えます。

この特集の中の鼎談では、これらのシーレの風景画とキュビスムを比較してみたらどうだろうか、という話が出てきます。年代的にも近いし、この当時の情報ネットワークを考えると、シーレがピカソらの動向を知っていてもおかしくないそうです。

いずれにしろ、シーレは記憶に基づいてこの風景画を描いたことは間違いなく、彼のイメージの中では視点がドローンのように動き回り、それを画面上に何の破綻も感じさせずに表現してしまうのです。こういう技術も、シーレが画家の「盲目性」について自覚していた証拠かもしれません。「盲目性」を意識していない写生画家ならば、こんな芸当はできないからです。

 

さて、こんなふうにシーレの描画技術だけを見ても、話が尽きません。実物の作品を見ると、その技術の高さに圧倒されてしまって、岡田温司さんが書いていたような諸々の視点は雲散霧消してしまいます。

それから、私が今回、ふと思ったことは、シーレは意外と色彩表現においてはそれほど先鋭的ではないなあ、ということでした。先ほどの『モルダウ河畔のクルマウ(小さな街Ⅳ)』の色彩を見ると、鮮やかな朱色がバランスを取るように散らされていて、この絵の魅力はむしろ渋い屋根の色と道や建物の壁の白さとの対比にあるような気がします。それ以外の大半の作品でも、シーレ独自の色彩は複雑な褐色の渋さにあるように思いました。

シーレは若くしてスペイン風邪で亡くなってしまいますが、当然、長生きしていたらどんな作品を描いたのだろう?と考えたくなります。しかし、これほどの描写力と、渋めの色彩感覚を身につけたシーレが、20世紀半ばに差し掛かった頃のモダニズム絵画の激変に右往左往したとは思えません。表現主義絵画の巨匠として、実はちょっと保守的な画家としてみられていたかも知れませんね。いずれにしろ、あまりに短い人生が惜しまれます。

 

以上、とりあえず展覧会を見たご報告ですが、シーレのこと、シーレの時代のことなど、これからも学びが広がっていきそうです。またご報告します。

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