田舎びと歳時記

花鳥風月、演歌と津軽に一筆啓上

思い出ばなし

2008-10-08 11:58:45 | 私の歳時記
幼い頃の体験は今もなお鮮烈に刻み込まれているもののようです。

どこの家だったか、そして何故その家に行ったのか定かではないのですが、平家建のその住宅は東向きで、しかも建物の建っている敷地が周囲より高くて、縁側前の猫の額ほどの庭からは眺めが良く、前に遮るものがありませんから縁側奥の6畳程の和室には外の光と風が一杯でした。

祖母と一緒にその家の縁側に腰を下ろして、幼い私は祖母とその家の誰かの話を聞くでもなく、ただ足をブラブラしているだけだったような記憶が残っています。
なぜあの家は、あんな高い所に建っていたのか?

電気釜やプロパンガスが普及する以前の話。各家庭に『かまど』があって、ごはんも木を燃やして炊いていた頃のこと。ただし大都市ではどうだったのでしょうか。我が家には、このかまどがまだ残っていて年に1回使用することがあります。年の瀬に、もち米を買ってきて、蒸籠(せいろう)で蒸す時に薪をこのかまどで燃やします。そして『餅つき』です。残念ながら機械です。我が家の家宝なる? 石臼は庭先にころがっています。

昔祖母が、かまどでごはんを炊くときに、炊き上がる直前だったかどうかはっきり覚えていないのですが、お皿の中に卵を割って入れておくと、なんとも不思議な卵焼き?あるいは 蒸し卵?が出来たのです。そしてとてもおいしかったのです。気泡の跡かどうかブツブツと小さな穴も開いていて…

十五夜の晩に、お月様へのお供え物を頂戴すべく、竹竿の先に釘を取り付けたものを持って子供達が何人かで近所を巡ります。おまんじゅうや柿などを失敬しようという訳ですが、この夜ばかりは公認となっているのです。ザワザワと物音がしてお客様のご来訪がわかるのです。『来たなぁ~』
私も1、2回先輩達に付いて行ったことがありますが、心臓はドキドキするし喉も渇くしで、1回も獲物にありつけたことはありませんでした。
縁先に飾られたススキのシルエットだけが鮮明に今もなお焼きついています。

最後に、水洗化される以前のトイレのお話。トイレの位置は大抵、住宅の南西隅にあったようで、縁側を西に向かって歩いていくと到達できたのです。そして外を見ると、何故かトイレのある近辺に『南天』の木があったのです。南天の赤い実がいつも笑っているかのようで子供心にも恥ずかしかったのを覚えています。

田舎暮らしを考える時は、必ずと言っていいほどなつかしい昔話が出てきます。






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