さつじゅしは昔ガストで働いていた事がある。
高校1年の時、
最初はCoCo壱番屋に面接に行ったところ、
「君は仕事はできそうだがミーティングとかには参加しなさそうだ、つまり協調性がない!」などとニヤケ顔で決めつけられ、
非常にショックを覚えた。
さして話もせずそう言い放った事から、
その店長は「人を見る目があって、」「あえて忠告」してくれたのだとその時思った。だから「協調性を身につけよう」と思った次第だった。
その人生一度目の面接挫折のあと、ガストで一瞬で受かり、
「店長によるんダナ…」という思いを覚えた。
1年と2ヶ月働いた結果、店長が変わった事もあり、
今まで許されていたつまみ食いが許されなくなった事から嫌気がさし、
店長に歯向かった結果辞めさせられた。
以前の店長は俺の事を可愛がってくれたのに。
そんな思いを抱きつつ、仲間とも別れる事になった。
その当時、週5で働き恋人もなく「月9万」稼ぐ!という目標を達成した時、自分の中で自己満足が生まれてしまったのだ。
なぜ月9万かというと、高校時代にして
自分は一人暮らしがしたかった。
それは夢なかばにして崩れさったが、
それはひとつの目標としてそれだけの力をつけるという成長を自分の中に起こした。
────────────────────────────────
さつじゅしは吉野家で働いたことがある。
ガストから3年間は何もバイトをしておらず、
専門学校に入ってからは、「あいつは何おやに甘えてるんだ、バイトしろ!」みたいな女子からの痛い視線を受けていた事もあって、
専門2年の終わりから「ちゃんとバイトをしよう!」と思い、
(ちなみに男子は全員バイトしてなかった)
吉野家に面接に行く。面接5分前に公園のベンチで履歴書を書き、体一つで乗り込む気持ちで向かったところ、すぐに受かり、
そこで「人間性」というものをしかと身に付けられた。
吉野家には元来、「人とのコミュニケーションを通じて社会に貢献しよう」という理念があり、その元、人が育成される。
中には色んなひともいるが、俺はとてもいい店長に巡り会えた。
そこでもまた1人め、2人めと店長が変わるが、
どちらもいい人で、たくさん「社会人として」「人として」という事を教わった。
そのひとつとして、「遅刻しそうなら20分前には連絡する事」、「率先垂範、と言う言葉の意味」「モラルを大切にしろ」「人間最後は、死ぬか、自分大好きになるかしかないねん」というのだった。
風邪を引いたとき、急に休むと言った時怒られた。
「とにかく来い」と言われ、
行くと、「お前は原理原則を知ってるか?この会社はシフト制やねん、飲食店はだいたいそうや。自分が希望した日に来る約束をして、そこめがけて働きに来てんねん」とお説教をされ、
「ここ突き詰めるとな、仕事したいんか、辞めたいんか、ってとこまで行くねん、どっちや?」
と言われ、俺は「働きたいです」と答えた。
辞めたいわけではない。
すると、店長は、気持ちはわかった。今日は帰っていい。と言ってくれた。そこで可愛がってもらい、仕事もできるようになった頃、俺は佐賀県に行く事にし、吉野家を離れた。その時店長は、「辞めても俺とお前は店長とキャスト(店員の意味)の関係や。なんか悩んだらいつでも相談して来い、」と言ってくれた。
その後も二度ほど相談のメールをした事がある。その都度
「しのごの考えてないで行動しろ!」と言われた。
──────────────────────────────────
さつじゅしはホテルマンをしていた事がある。
ホテルマンと言ってもランクがあり、
そのホテルの社員から雇われの駐在、
その下に従われているボーイや宴会常務員、
なんにもわからん下っ端中の下っ端のアルバイト、
とあるが、「しかし全員誇りを持ってホテルマンらしくしている。」※必死で頑張っている。
時給はよく、900円で、すごい時は泊まり込みで2週間荒稼ぎをしたりなど、ひと月で27万円という暴挙を営んだ事もあった。
その仕事内容はハッキシ言って「キツく」、
朝5時起き、髪を整え、ビッチシとオールバックに固め、スーツを着、ヒゲを剃り、朝からお盆に20個ほども飲み物の注がれたグラスを乗せ、こぼさない様にてきぱきと運び、時間内に宴会場の準備を終える。
お客がきた頃、にこやかに接し、「そそう」があってはいけない。
終われば汚れるのも気にせずお祭りのように人数を投入して残飯片付け。
けっこう汚い。その食器の量も偉大だ。
これは学生の修学旅行などの際泊まる旅館の話だが、
同じ旅館、というかホテルでも、下の階では婚礼会場、いわゆる結婚披露宴が執り行われていたりなど、すぐさまその準備に投入され、ギャーギャー先輩達が指示する中台車を押して走ってと忙しい。
テーブルをあいつと一緒にエレベーターを使って持って来い、15個だ、ビールを20ケース氷漬けにしてこい、グラスをみんなといっしょに並べろ、クロスを同じやつをリネン室から5枚持って来い、やることないから掃除しろ、など縦横無尽にスーツ姿のアルバイト達が動く中、気づくとひとつのしっかりした宴会場、結婚披露宴会場が出来上がっていて、それはとても美しい。
披露宴が始まると、それはそれで忙しい。
次から次へとコックさんから運ばれる料理をどんどんお客の卓へ運び、「そそうがあってはならない」「印象を悪くしてはならない」そのプレッシャーの元、きびきびとした足運びでどんどん運ぶ!
お客はわーわー賑やかに楽しんでいる。
こちらの事など景色としか思っていない。(笑)
※お客がこちらを気にする事があるとしたなら、
それは「そそう」をした時(何かをこぼした時)か、酒を注文する時だけだ。
料理は会場が盛り上がる最中はずーっと運びっぱなし、最後はケーキにコーヒーと、(コーヒーがつかない事もある。)少しずつペースはゆるやかになる。につれて、こちらも客と一緒に披露宴を楽しむ余裕が与えられる。ここがこの仕事の醍醐味。一緒にスライドショーなんかを見ていると、思わずうるっときたりして、毎日何かしらの感動をさせられる。
(その後は残飯片付けと大声の地獄だが…。)
──────────────────────────────
さつじゅしは工場で働いた事がある。
宴会場スタッフが嫌になった頃、私は派遣アルバイトに転向。ベルトコンベアー工場にて労働8時間。日給1万円などという求人に騙され、フラフラと辿り着いた先は、社員がすぐ辞めていくようなブラック会社への一時的人員補給。(なにをもってブラックとするか、働いてる人間がとてつもなくウザい。しかしそこでは俺は事なきを終えた。事前に知っていたからだ)
最初に向かった先は自動車部品工場。
ベルトコンベアーに流れてくる部品をただ淡々と選別し、コンテナ(カゴ)に入れ、それをただ運ぶ。休憩時間になると機械が止まり、大した休憩もできずにまた再開する。待機時間や送迎を合わせると実質梗塞時間は12時間であり、
給料からも「派遣代」なるものをピンハネされ日給8千円にしかならない。
また別の日には延々とスプレーで部品に着色をする機械の前に立ち、裏が終わればボタンを押し、表が済めばボタンを押し、という延々繰り返しの作業をしていた事もある。服装はきちんとした防備をするので安心なのだが、あまりの退屈さ、そして夜勤という事でふらふらになりながらも頭の中で音楽を鳴らし、歌を口ずさんだりしながら長ーい長ーい12時間を過ごす。
そしてまたある時は全く業種が異なって「コンビニの弁当工場」に赴いた。おばちゃんが百人ぐらいいて、みんなマスクをして白い服とずきんと手袋をしてベルトコンベアーの前に並んでいる。
おばちゃん達は顔が隠れていて目だけ見ると美人にしか見えないけど終わったあとみるとそうでもなかったり、声が可愛いけどおばちゃんだったりもするし、本当に詐欺だった。
その作業内容は実に楽しい。まず最初に空の弁当箱が流れ、そこに麺、トマト、キュウリ、チャーシュー、などその担当の具材を乗せていく。
すると最後にはひとつのコンビニ弁当が出来る。
それを最後の人が次々とコンテナに詰め、運ぶ。とにかくひとりひとりが手を休めない事が必須で、ひとつでも抜けてはならない。たまにフォローをしたりカバーを行ったりもする。チームワークが大切で大事なのはどこの世界でも同じ事でしょう。工場内は寒い。
1日に5万個とか言われ、それが終わるまで作業が止まらない。ベルトコンベアーの速さもその日によって変わる。そうするとおばちゃんの気も立つ。「お兄ちゃん!姿勢が悪いからいけんね!ちゃんと姿勢を正して!こう!」とかも言われる。
個人的には楽しかったが、「短期募集」で派遣アルバイトは募集がなくなり、仕事がなくなってホテルマンに逆戻りした。(宴会場スタッフを辞めた理由はやたらつっかかってくる人がいて嫌だったからなのだが、復活したところそんな事はなくなった。)
─────────────────────────
さつじゅしは新聞配達をしていた事がある。
24歳という歳でもう一度学校に行きたいと願った結果、自分の中で出した答えが新聞配達をして稼ぎながら学校に通うというものだった。
新聞奨学生という制度を鵜呑みにし、「これはいい!」と思った。給料をもらいながら、部屋も借りれて、営業はなく配達と集金だけの勤務。
しかしこれが蓋を開けてみると地獄だった。
毎朝2時起き、一晩中走り回り次、次へと新聞をポストへ入れて回る。
6時ごろ終わり、学校が終わると昼の2時からまた夕刊の配達。
疲れた体で駆け回り、夕方に終わると、夜の9時には寝る。
150部の配達量が3ヶ月で配達区域が変わり覚え直し、
さらに部数は350部にまで増えるなど過酷を極めた。
週1で休みがあったが、一日中寝ていた。
月1で「集金業務」があり、お客の家を訪問してお金をもらう。
一件一件回ってみると、とても追いつかない。一日では無理だ。プライベートの時間もなく、お客の時間を把握したりなど工夫を凝らす。
学業との両立は最後睡眠時間2時間という無理難題にまで行き着き、新聞業務のみに生活は飲み込まれる。
奨学金は1年で100万(1年辞めずに働き通せば返済不要)。毎月の給料は13万。つまり1年で230万ほどの報酬を得た事になるが、それこそ風邪などで休む事はできず、強制労働。地獄中の地獄を味わう事となるのであった。
──────────────────────
さつじゅしはその後自称絵描き、コンビニのアルバイト、建築業といろいろと経験したが、建築業、肉体労働者にはひとつメリットがあり、体を重要視するというところにおいて、飲食店なんかより優しい。
働いたら働いた分だけ体の酷使が目に見えるので、倒れた時には休ませてもらえる。それは建築業界が「安全」を重視しているからだ。
「体の疲れによる事故」があったりなんかすると、
現場は停止。安全管理の点で業界の汚点となり問題となるのだ。
するとお上から監査が入り、問題点を改善するまではその現場で働く事ができない。つまり人々の収入上で足踏みが起こるのだ。
だからだろう。ある意味では融通が利く職種ではある。
しかしそこの点で「甘えているんじゃないか」と考え無意味に突っかかってくる狂った人種どもが多いキチガイ業種でもあるのかもしれない。
───────────────────────
さつじゅしが思う、人との距離の取り方
その人と求めるものは「安らぎ」として一致しているかもしれないが、生きる世界が違うのだ。ここは対人間として人との繋がりを切る点において必要な判断材料のひとつじゃないだろうか?
気持ちだけじゃダメ。
同じ世界にいるかは、「その人の行い」が決めるのだ。
「職」が決めるんじゃない。
高校1年の時、
最初はCoCo壱番屋に面接に行ったところ、
「君は仕事はできそうだがミーティングとかには参加しなさそうだ、つまり協調性がない!」などとニヤケ顔で決めつけられ、
非常にショックを覚えた。
さして話もせずそう言い放った事から、
その店長は「人を見る目があって、」「あえて忠告」してくれたのだとその時思った。だから「協調性を身につけよう」と思った次第だった。
その人生一度目の面接挫折のあと、ガストで一瞬で受かり、
「店長によるんダナ…」という思いを覚えた。
1年と2ヶ月働いた結果、店長が変わった事もあり、
今まで許されていたつまみ食いが許されなくなった事から嫌気がさし、
店長に歯向かった結果辞めさせられた。
以前の店長は俺の事を可愛がってくれたのに。
そんな思いを抱きつつ、仲間とも別れる事になった。
その当時、週5で働き恋人もなく「月9万」稼ぐ!という目標を達成した時、自分の中で自己満足が生まれてしまったのだ。
なぜ月9万かというと、高校時代にして
自分は一人暮らしがしたかった。
それは夢なかばにして崩れさったが、
それはひとつの目標としてそれだけの力をつけるという成長を自分の中に起こした。
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さつじゅしは吉野家で働いたことがある。
ガストから3年間は何もバイトをしておらず、
専門学校に入ってからは、「あいつは何おやに甘えてるんだ、バイトしろ!」みたいな女子からの痛い視線を受けていた事もあって、
専門2年の終わりから「ちゃんとバイトをしよう!」と思い、
(ちなみに男子は全員バイトしてなかった)
吉野家に面接に行く。面接5分前に公園のベンチで履歴書を書き、体一つで乗り込む気持ちで向かったところ、すぐに受かり、
そこで「人間性」というものをしかと身に付けられた。
吉野家には元来、「人とのコミュニケーションを通じて社会に貢献しよう」という理念があり、その元、人が育成される。
中には色んなひともいるが、俺はとてもいい店長に巡り会えた。
そこでもまた1人め、2人めと店長が変わるが、
どちらもいい人で、たくさん「社会人として」「人として」という事を教わった。
そのひとつとして、「遅刻しそうなら20分前には連絡する事」、「率先垂範、と言う言葉の意味」「モラルを大切にしろ」「人間最後は、死ぬか、自分大好きになるかしかないねん」というのだった。
風邪を引いたとき、急に休むと言った時怒られた。
「とにかく来い」と言われ、
行くと、「お前は原理原則を知ってるか?この会社はシフト制やねん、飲食店はだいたいそうや。自分が希望した日に来る約束をして、そこめがけて働きに来てんねん」とお説教をされ、
「ここ突き詰めるとな、仕事したいんか、辞めたいんか、ってとこまで行くねん、どっちや?」
と言われ、俺は「働きたいです」と答えた。
辞めたいわけではない。
すると、店長は、気持ちはわかった。今日は帰っていい。と言ってくれた。そこで可愛がってもらい、仕事もできるようになった頃、俺は佐賀県に行く事にし、吉野家を離れた。その時店長は、「辞めても俺とお前は店長とキャスト(店員の意味)の関係や。なんか悩んだらいつでも相談して来い、」と言ってくれた。
その後も二度ほど相談のメールをした事がある。その都度
「しのごの考えてないで行動しろ!」と言われた。
──────────────────────────────────
さつじゅしはホテルマンをしていた事がある。
ホテルマンと言ってもランクがあり、
そのホテルの社員から雇われの駐在、
その下に従われているボーイや宴会常務員、
なんにもわからん下っ端中の下っ端のアルバイト、
とあるが、「しかし全員誇りを持ってホテルマンらしくしている。」※必死で頑張っている。
時給はよく、900円で、すごい時は泊まり込みで2週間荒稼ぎをしたりなど、ひと月で27万円という暴挙を営んだ事もあった。
その仕事内容はハッキシ言って「キツく」、
朝5時起き、髪を整え、ビッチシとオールバックに固め、スーツを着、ヒゲを剃り、朝からお盆に20個ほども飲み物の注がれたグラスを乗せ、こぼさない様にてきぱきと運び、時間内に宴会場の準備を終える。
お客がきた頃、にこやかに接し、「そそう」があってはいけない。
終われば汚れるのも気にせずお祭りのように人数を投入して残飯片付け。
けっこう汚い。その食器の量も偉大だ。
これは学生の修学旅行などの際泊まる旅館の話だが、
同じ旅館、というかホテルでも、下の階では婚礼会場、いわゆる結婚披露宴が執り行われていたりなど、すぐさまその準備に投入され、ギャーギャー先輩達が指示する中台車を押して走ってと忙しい。
テーブルをあいつと一緒にエレベーターを使って持って来い、15個だ、ビールを20ケース氷漬けにしてこい、グラスをみんなといっしょに並べろ、クロスを同じやつをリネン室から5枚持って来い、やることないから掃除しろ、など縦横無尽にスーツ姿のアルバイト達が動く中、気づくとひとつのしっかりした宴会場、結婚披露宴会場が出来上がっていて、それはとても美しい。
披露宴が始まると、それはそれで忙しい。
次から次へとコックさんから運ばれる料理をどんどんお客の卓へ運び、「そそうがあってはならない」「印象を悪くしてはならない」そのプレッシャーの元、きびきびとした足運びでどんどん運ぶ!
お客はわーわー賑やかに楽しんでいる。
こちらの事など景色としか思っていない。(笑)
※お客がこちらを気にする事があるとしたなら、
それは「そそう」をした時(何かをこぼした時)か、酒を注文する時だけだ。
料理は会場が盛り上がる最中はずーっと運びっぱなし、最後はケーキにコーヒーと、(コーヒーがつかない事もある。)少しずつペースはゆるやかになる。につれて、こちらも客と一緒に披露宴を楽しむ余裕が与えられる。ここがこの仕事の醍醐味。一緒にスライドショーなんかを見ていると、思わずうるっときたりして、毎日何かしらの感動をさせられる。
(その後は残飯片付けと大声の地獄だが…。)
──────────────────────────────
さつじゅしは工場で働いた事がある。
宴会場スタッフが嫌になった頃、私は派遣アルバイトに転向。ベルトコンベアー工場にて労働8時間。日給1万円などという求人に騙され、フラフラと辿り着いた先は、社員がすぐ辞めていくようなブラック会社への一時的人員補給。(なにをもってブラックとするか、働いてる人間がとてつもなくウザい。しかしそこでは俺は事なきを終えた。事前に知っていたからだ)
最初に向かった先は自動車部品工場。
ベルトコンベアーに流れてくる部品をただ淡々と選別し、コンテナ(カゴ)に入れ、それをただ運ぶ。休憩時間になると機械が止まり、大した休憩もできずにまた再開する。待機時間や送迎を合わせると実質梗塞時間は12時間であり、
給料からも「派遣代」なるものをピンハネされ日給8千円にしかならない。
また別の日には延々とスプレーで部品に着色をする機械の前に立ち、裏が終わればボタンを押し、表が済めばボタンを押し、という延々繰り返しの作業をしていた事もある。服装はきちんとした防備をするので安心なのだが、あまりの退屈さ、そして夜勤という事でふらふらになりながらも頭の中で音楽を鳴らし、歌を口ずさんだりしながら長ーい長ーい12時間を過ごす。
そしてまたある時は全く業種が異なって「コンビニの弁当工場」に赴いた。おばちゃんが百人ぐらいいて、みんなマスクをして白い服とずきんと手袋をしてベルトコンベアーの前に並んでいる。
おばちゃん達は顔が隠れていて目だけ見ると美人にしか見えないけど終わったあとみるとそうでもなかったり、声が可愛いけどおばちゃんだったりもするし、本当に詐欺だった。
その作業内容は実に楽しい。まず最初に空の弁当箱が流れ、そこに麺、トマト、キュウリ、チャーシュー、などその担当の具材を乗せていく。
すると最後にはひとつのコンビニ弁当が出来る。
それを最後の人が次々とコンテナに詰め、運ぶ。とにかくひとりひとりが手を休めない事が必須で、ひとつでも抜けてはならない。たまにフォローをしたりカバーを行ったりもする。チームワークが大切で大事なのはどこの世界でも同じ事でしょう。工場内は寒い。
1日に5万個とか言われ、それが終わるまで作業が止まらない。ベルトコンベアーの速さもその日によって変わる。そうするとおばちゃんの気も立つ。「お兄ちゃん!姿勢が悪いからいけんね!ちゃんと姿勢を正して!こう!」とかも言われる。
個人的には楽しかったが、「短期募集」で派遣アルバイトは募集がなくなり、仕事がなくなってホテルマンに逆戻りした。(宴会場スタッフを辞めた理由はやたらつっかかってくる人がいて嫌だったからなのだが、復活したところそんな事はなくなった。)
─────────────────────────
さつじゅしは新聞配達をしていた事がある。
24歳という歳でもう一度学校に行きたいと願った結果、自分の中で出した答えが新聞配達をして稼ぎながら学校に通うというものだった。
新聞奨学生という制度を鵜呑みにし、「これはいい!」と思った。給料をもらいながら、部屋も借りれて、営業はなく配達と集金だけの勤務。
しかしこれが蓋を開けてみると地獄だった。
毎朝2時起き、一晩中走り回り次、次へと新聞をポストへ入れて回る。
6時ごろ終わり、学校が終わると昼の2時からまた夕刊の配達。
疲れた体で駆け回り、夕方に終わると、夜の9時には寝る。
150部の配達量が3ヶ月で配達区域が変わり覚え直し、
さらに部数は350部にまで増えるなど過酷を極めた。
週1で休みがあったが、一日中寝ていた。
月1で「集金業務」があり、お客の家を訪問してお金をもらう。
一件一件回ってみると、とても追いつかない。一日では無理だ。プライベートの時間もなく、お客の時間を把握したりなど工夫を凝らす。
学業との両立は最後睡眠時間2時間という無理難題にまで行き着き、新聞業務のみに生活は飲み込まれる。
奨学金は1年で100万(1年辞めずに働き通せば返済不要)。毎月の給料は13万。つまり1年で230万ほどの報酬を得た事になるが、それこそ風邪などで休む事はできず、強制労働。地獄中の地獄を味わう事となるのであった。
──────────────────────
さつじゅしはその後自称絵描き、コンビニのアルバイト、建築業といろいろと経験したが、建築業、肉体労働者にはひとつメリットがあり、体を重要視するというところにおいて、飲食店なんかより優しい。
働いたら働いた分だけ体の酷使が目に見えるので、倒れた時には休ませてもらえる。それは建築業界が「安全」を重視しているからだ。
「体の疲れによる事故」があったりなんかすると、
現場は停止。安全管理の点で業界の汚点となり問題となるのだ。
するとお上から監査が入り、問題点を改善するまではその現場で働く事ができない。つまり人々の収入上で足踏みが起こるのだ。
だからだろう。ある意味では融通が利く職種ではある。
しかしそこの点で「甘えているんじゃないか」と考え無意味に突っかかってくる狂った人種どもが多いキチガイ業種でもあるのかもしれない。
───────────────────────
さつじゅしが思う、人との距離の取り方
その人と求めるものは「安らぎ」として一致しているかもしれないが、生きる世界が違うのだ。ここは対人間として人との繋がりを切る点において必要な判断材料のひとつじゃないだろうか?
気持ちだけじゃダメ。
同じ世界にいるかは、「その人の行い」が決めるのだ。
「職」が決めるんじゃない。