さつじゅしの普通の日記
的な
デパートの駐車場の車の中ほど
落ち着くものはない
空間が神秘的
ここでただボーッとしていると、
「自分の人生、なんだったんだろ?」
という気分になる。
人より10年遅れているような、
オレ、今18歳。的な気持ちになれる。
瞬間わかがえる。
10年前「何ももたず、何も執着しない」
自分に戻れる。
なんだったんだろう?この10年に経験してきたことは?
いつしか、「何かの場所に行けば」
「自動的に自分に刺激を与えてくれる」と
「体を動かして」「何処かに辿りつけば」それだけで
生きている事になるんだ。と、
どこかで勘違いしているのだろう。
家での環境とか、色々不満がある。
その時の思いだとか、何かの交錯した他人とのタイミングで、
その瞬間「消し去りたい」思いに駆られる事だってある。
どうしてこんな気持ちになるんだろう?
こんな事では、世界が滅びる。
どうしてもこうしてもこんな気持になるのなら、
自分は生きてても仕方が無いんじゃないか。
だけどそうも違う。
気持ちは全て切り替わる。
いつしか人から受けたメッセージにより、
心は生まれ変わる。元気はつけられる。
落ち着きを取り戻し、また健康体へ。
少し気分を変えて、外に出ると、
外界の刺激からまた人の素晴らしさを感じとる。
駐車場の車の中でじっとしていると、
心が暗い裂け目に引きずり込まれて、
そこから新たなシャボン玉が生まれるようで、
そのシャボン玉が夢と言えるのだろう。
心に暖かみを取り戻す。
その割れ目に引きずり込まれるのは、
負の感情?いや、そうではなく、
現在の自分自身だ。
引きずり込まれていく原動力は、時間?
いや、そうではない。
駐車場の車の中の落ち着きだ。
車の中の、自分だけの世界。
落ち着く空間。静寂地帯。
これが、「時」を「動かす。」
自分の心に目を向けなければ
耳を傾けなければ、
こうして引きずり込まれる事もない。しかし、
その代わり夢も生まれない。
この割れ目の正体はいったいなにか???
これが不思議。
そこは虚無ではなく、何かの工場なのだろう。
割れ目には入れないが、そこに引きずり込まれていく。
その時恐さを感じるだろう。
何かを忘れてしまうんじゃないだろうか?とか
何かを失う事は、生まれるための対価なのか???
だとしたら、むやみに消す事は、
あらたに強引に別のあらたを作るだろう。
そしてそれが、正しいのか間違ってるのか、
そんな事はこの世は問わない。
この世はそんな事は知らない。
あなたに何があって、
何が失われて、
何が残り、
そしてそれが闇に引きずり込まれた頃、
深い亀裂に吸い込まれて行った頃、
そこから生まれたシャボンに、
なにが入っているのか?
何が含まれているのか?
何が映りこんでいるのか?
誰も知らない