【罰当たりってなに?】人を呪わば幸せ幸せ

2014-03-04 23:16:08 | 日記
人を呪わば穴2つ?

それはウソだ。

人を嫉妬すれば穴7つ。

人を呪わば幸せ幸せ。

これが本当のこと。


つまり人の人生を狂わしたものについては
いくら呪ったってかまわない。

それが自然な摂理、善の感情なのだから


しかし、先に人に恨まれるような事をすると、そっちが本当の呪いになる。この世に言う「呪い」とはそっちの事。

つまり罰が当たるということである。
※罰当たりな事はしてはならない。

人の純粋さをけなす事=罰当たりという事

【罰当たりな人間にはこういえ!】→【バカじゃない?(笑)】

じゅさつしのじゅさつ

2014-03-04 22:00:27 | 日記
もう呪い殺す

3のたましい

ころす

いまなら中絶された子供の魂の気持ちが解るわ(笑)

7人の巫女の怨念とも仲間入りだわ

この世の根源の怨念と繋がりあっちった

うん やっぱりそうだ ここまで殺されに殺されにかかると
この世に殺された人達との気持ちが通じあっちまうんだわ


その矛先の向け場はどこに行くか
一緒に考えないといけないんだわ

彼らの思いも成就しなくちゃならない

するとどこに矛先が行くか

ここに生け贄を捧げる


呪えよ呪え

そして命を絶てよ

その先に繋がる根源から
お前らは消え失せろ


3のたましいよ

1、きずつけるもの
2、けなすもの
3、うしなわせるもの

おまえらぜんいん、じごくいきだ

くとぅぐあないあるらとほてっぷこいのかみおりよ
だごんおるちゃんこれらのしゅぞうむぞうにこくりのたましいをよびさませ
こくりこくりこくりこくり こくりのたましいをよびさませよ
しよ
こくりのひじゅつせし こくりのひじゅつせしよ

ひとからうばいせしめしよ それにかこくにもそれにうめたてちにもあなどれんあなどれんがよ ころしのひじゅつせしめしよころしのひじゅつせしめしりよ


立場は変わらない✔

2014-03-04 20:22:45 | 日記
歯車に回されて こんな現実に突き当たった

何かのおもちゃのように ここまで連れてこられた

嵐のように 訳のわからない目にあわされて

それでもなお生きた

這いつくばってでも

そのあと 自分に出来ることを探し

してみたけれど 何から何まで予測つかない

ただ単に 楽しさを探すだけ

探してみるけど ひとりきりなだけ

俺は 運命 信じるけど

それは 誰の意志に従ったため?

誰の意志でもない そんな世界なんてない


誰かの意志に振り回されて

誰かの意志にそぐわない


おれは誰かのため?

なら 受け入れられるはずさ

だが、誰も 誰かのためとかじゃない


誰も生きれない この世の中

自分の運命でさえ 人には図り知れない

運命…運命…運命…


運命なんてない そこに意地がある以上は


運命があるとすれば
そこは 神の境地

誰でも会得できるもんじゃない


素直さがなければ

意地を張ったが最後 自分の人生を棒に振る


そして「運命…運命…」とつぶやきながら
さまよい歩く


運命は、その周波数の未来 でしかない


その周波数の色が そいつの運命を決める


なら 周波数を選ばなくてはならない


つまり 運命は選択できる


素直になれ

そしておれは殺したい

そこは もう変わらない

一生 死ぬまで

おれは こんなかんじにしたこの世界が
憎くてしょうがない

殺してやる この世界

俺を殺したのだから
俺をこんなかんじにしたのだから

今の俺は例えるなら

華々しい都会の世界の地下にいる
ガイコツ

おれを地下に埋め立てたいなら

俺に感謝し続けろ

おれを足蹴にしたいなら

そのふみ心地を忘れるな

俺を忘れたら 殺してやる

俺の上に成り立っていないなら

この世を存在させない

そのつもりでいろ この世界


http://blog.goo.ne.jp/takacchi1116/e/545267afa42192037e47420b76306194



死と再生の矛盾点

2014-03-04 18:28:09 | 日記
さつじゅしの普通の日記
的な

デパートの駐車場の車の中ほど
落ち着くものはない
空間が神秘的

ここでただボーッとしていると、
「自分の人生、なんだったんだろ?」
という気分になる。

人より10年遅れているような、
オレ、今18歳。的な気持ちになれる。

瞬間わかがえる。
10年前「何ももたず、何も執着しない」
自分に戻れる。

なんだったんだろう?この10年に経験してきたことは?

いつしか、「何かの場所に行けば」
「自動的に自分に刺激を与えてくれる」と
「体を動かして」「何処かに辿りつけば」それだけで
生きている事になるんだ。と、
どこかで勘違いしているのだろう。

家での環境とか、色々不満がある。
その時の思いだとか、何かの交錯した他人とのタイミングで、
その瞬間「消し去りたい」思いに駆られる事だってある。

どうしてこんな気持ちになるんだろう?
こんな事では、世界が滅びる。
どうしてもこうしてもこんな気持になるのなら、
自分は生きてても仕方が無いんじゃないか。

だけどそうも違う。
気持ちは全て切り替わる。
いつしか人から受けたメッセージにより、
心は生まれ変わる。元気はつけられる。

落ち着きを取り戻し、また健康体へ。
少し気分を変えて、外に出ると、
外界の刺激からまた人の素晴らしさを感じとる。


駐車場の車の中でじっとしていると、
心が暗い裂け目に引きずり込まれて、
そこから新たなシャボン玉が生まれるようで、

そのシャボン玉が夢と言えるのだろう。
心に暖かみを取り戻す。

その割れ目に引きずり込まれるのは、
負の感情?いや、そうではなく、

現在の自分自身だ。

引きずり込まれていく原動力は、時間?
いや、そうではない。

駐車場の車の中の落ち着きだ。
車の中の、自分だけの世界。

落ち着く空間。静寂地帯。

これが、「時」を「動かす。」

自分の心に目を向けなければ
耳を傾けなければ、

こうして引きずり込まれる事もない。しかし、
その代わり夢も生まれない。

この割れ目の正体はいったいなにか???

これが不思議。

そこは虚無ではなく、何かの工場なのだろう。
割れ目には入れないが、そこに引きずり込まれていく。

その時恐さを感じるだろう。

何かを忘れてしまうんじゃないだろうか?とか


何かを失う事は、生まれるための対価なのか???

だとしたら、むやみに消す事は、

あらたに強引に別のあらたを作るだろう。


そしてそれが、正しいのか間違ってるのか、

そんな事はこの世は問わない。

この世はそんな事は知らない。


あなたに何があって、
何が失われて、
何が残り、

そしてそれが闇に引きずり込まれた頃、
深い亀裂に吸い込まれて行った頃、

そこから生まれたシャボンに、
なにが入っているのか?
何が含まれているのか?
何が映りこんでいるのか?

誰も知らない