梅干親爺の戯言

お袋様・妻子の冷たい視線にめげず、遊びに邁進する中年オヤジの悲哀を綴る

嘉数高地

2006年11月15日 | その他

沖縄戦の戦跡である『嘉数高地』を訪ねました。
摩文仁の平和祈念公園、ひめゆりの塔などは有名で観光客が大勢いますが、ここはひっそりとしており観光客らしき人は皆無でした。(ここを知っている観光客は全くいないのかも?)

この地は、沖縄守備部隊であった第32軍(司令官:牛島中将)第62師団隷下の独立歩兵第13大隊(大隊長:原大佐)が、米軍と死闘をくりかえし、昭和20年4月5日から24日までの間、米軍の侵攻を食い止めたところです。
そのため、日米両軍多くの命が奪われたのでした。

ここでは、北陸と山陰出身の将兵が多くいたそうです。




島根の兵奮戦之地の碑があります。


米軍はこの方向から攻撃してきました。(普天間基地がみえます)


前の写真から少し左(西側)にふってみますと、沖縄の西海岸がみえます。一度入りこんだ所が『北谷~嘉手納』あたりです。その先に伸びた突端が残波岬です。
米軍は、残波岬の南~嘉手納付近に昭和20年4月1日に上陸しました。そして組織戦闘が終わった6月23日頃までにわたって壮絶な戦いが行われたのです。

私は、別用務で沖縄に行っても、必ず昭和20年に起こったことについて思いをめぐらすことにしています。

沖縄戦史についてはこちら


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