たけのこ新聞の事件簿

離婚をきっかけに、今まで心に溜めていたことを書いています。離婚、エコ、世間の常識(のようなもの)についての疑問などなど。

ちょっと思いついた④ 体力をつける?

2023年08月04日 | 思いついたこと

毎日うだるような夏。子どもの頃は、暑くても外で遊んだりプールへ行ったりと、毎日出掛けていた。それができる程度の暑さだった。それが今や、連日の熱中症警戒アラートで、出ていくのも危険な様相。せっかくの夏休みなのに、暑さの危険にも警戒しなくてはならないなんて…。こんなに暑いと、何かに熱中することもできない。子ども達は遊びの機会を奪われている気がする。まあ、遊びの種類も変わってきたから、困らないのかな?

 

本当に暑すぎて、動く気になれなず、仕事と最低限の家事をするほかは、ゴロリと横になってダラダラ読書(暑いと言い訳しているが、基本怠けものなので年中こんな調子)。これじゃあ体力は落ちる一方だ。ちょっと動いただけで息が上がってしまう。こうなってくると、何をしても疲れるばかりで、気力がわいてこない。何もしたくなくなるし、周囲のことに好奇心が起きない。もうちょっと体力をつけたほうが楽しく生きられるのではと思う。体力をつけるのに、何か楽しくて、継続したくなるような方法はないか?

何故こんなことを突然書いたのか。先日の帰省の折、子どもと美術館に行った。どうやこうや全ての展示物は見たけれど、私は疲れ果ててしまったのだ。最初は面白く見ていたのに、疲れてくると展示物への関心が溶けてしまい、それが足からどんどん流れ出てしまうような感覚(早い話、足が棒になったということ)で、正直展示物なんてどうでもよくなってくる。せっかくの機会だったのに、ああ勿体ない。また来ようと約束したけれど、次はいつになるやら。

ちょうど同時期、曽野綾子さんの本で、『齢をとっても人に何でもやってもらうことを当たり前とせずに、自立した生活をしよう。今のうちから体を保たせることを仕事にするべきだ…例えば深酒をやめ運動を怠らず、云々』という意味の文章を見つけた。

減酒や運動が必ずしも自立できる体を保証してくれるわけではないし、老年を健やかに生きるために今の生活を縛るという考え方も好きではない。それでも最終、自立した生活ができる老人になりたいと思う。それに、やってもらうことではなく、こちらが何かを提供できる人間でい続けたい(と、もうちょっと強い口調で曽野さんは書いている)というのは、まさにそうだと思う。

やはり私に必要なのは、体力だな。このままだと、ボケて(すでにボケてる!)周囲に興味をもてなくなるほど疲れた婆さんになってしまいそう。涼しくなったらまず散歩を、と目論んでいる→これは、明日からダイエットみたいなものか?


ちょっと思いついた③ ファミレスのロボット君

2023年07月31日 | 思いついたこと

暑すぎて、通りを歩く人はほとんどいない。ほんのちょっとの距離でも、出歩きたくないと感じる日差しだ。そんな中で郵便屋さん、配達業者、作業員の人達、大変だと思う。いろんな人に支えられて、世の中は成り立っている。ありがたいことです(→ここだけ丁寧語)。

 

ところで久しぶりに会った友人と、ファミレスに行った。ファミレスなんて何年ぶりだろう。席に着いて、いろいろ驚くことがあった。注文はテーブル上のタブレットですることや、料理がロボットで運ばれてくること。昔見たテレビ番組では、ロボットが注文を取りに来て、ロボットが料理を運ぶという場面があったが、それが現実に始まっている。

ロボット君、料理を持ってくるが、席の近くに来るだけなので、客が取りに行って配膳する…ちょっとセルフサービスに近い感じ。そして通路に人や椅子などの障害物があると、ロボットは通れない。友人はそのたびに椅子をずらして、ロボット君が通りやすいように通路を空けていた。せわしない。

このロボット君は、音で存在をアピールして通路を開けてもらう(早い話、「どいて~」と言っているようなもん)という、従業員ではできない裏技(!)まで駆使して、職務にまい進する。見慣れない光景に、目が釘付けになる。

 

ロボットが給仕の仕事をしてくれることで、ウェイトレスの仕事は減った、あるいは、楽になったのかな?そして、客側は、満足のいくサービスを受けられるようになったのかな?

昔から不思議に思っていたこと。私たちは機械化をすることで、辛い仕事・危険な仕事をロボットに任せて、人は楽に暮らせる…ことを夢見ていたんじゃないだろうか。かつてのギリシアの、市民と奴隷の関係のように。それなのに、オートメーション化が進んで、ロボットと人間とが仕事を奪い合う社会になりつつある。あれ?大量生産できたり、、大変な仕事を機械化することで人がハッピーになれると思ったからこそ、ロボットは開発されてきたのではないのか?それなのに結果は、安く生産できたり、安くサービスを提供できるようになったかもしれないけれど、逆に考えると、人間の仕事がなくなる上に、安く生産可能になったからと言っても、もうけが人件費に加算されるわけでもなく、一体どんなゆとりが生まれたのだろう?

単純労働は切り捨てられ、ロボットができない複雑でややこしい事案や、気遣いのいる案件ばかりが仕事として残るとしたら、かなりしんどい社会になりそうだ。その上、ロボット君に「どいて~」と言われたり、ロボット君のお世話をしつつ…私たちは何を目指して前進しているのだろう。労働はロボットに任せて、人間は悠々自適に生活するという世界にはなりそうにない。変だな。

便利とか豊かという言葉が、いったい誰の視点での言葉なのか?そして、本当に良い結果をもたらすことなのか?よく考えてみる必要がある。


ちょっと思いついた② 華麗に加齢

2023年07月25日 | 思いついたこと

今年も梅干しのシーズンになった。ベランダでジリジリ日にあぶられながら、梅を干している。子どもの頃は梅干しなんて嫌いだったのに、今では、ないと物足りなく思う。人の味覚は変わるもんだと驚いている。子どものころ食べられなかったのに、大人になってそのおいしさに目覚めるのは、よくあることだと思う。私は結構ある。レバー、銀杏、牡蠣、みそ汁などなど。

 

ここ最近、いろんなところで「(体調や体力など)齢を取って、いいことがない」的な愚痴や、もっと直接的に「齢をとって得することは何?」と聞かれたりするようになった。こういうところに自分の老いを感じる。なんだか齢をとって、ひとつも良いことがなく、諦めたり、足掻いてるように見える。確かに体が痛んだり体力が落ちたため、辛い思いをしたり、できたであろう体験を逃したりしているかもしれない。

けどね、さっきの例で言えば、おいしく感じられる味覚センサーが発達したから、好物の幅が広がった。舌が豊かになったんじゃないかな。

歳を経て得るもの、他にもある。例えば賢さ。難しい数学や語学は、今更ムリ!だけど、人との接し方、自分の怒りへの対処、モノのとらえ方…経験を積むと賢くなる気がする。まあ、経験によって頭が固まってしまい、頑固ちゃんにもなり得るけれど。

 

そもそも『齢をとって得』と考える時点で、どうかな。若さに対抗する何か得(徳じゃなくて)がないと許せないというのは、寂しい。

得か損かと言われたら、得の方が嬉しく感じるけれど、私たちは、得をするために生きているんじゃない。得をすることが人生の最終目標じゃない、ってことを忘れてる。世の中に溢れている『オトク』ワードに振り回されないように注意してる。その言葉によって自分を見失ってしまったら、それこそ人生の損失だと思うけれど、どうだろう?


ちょっと思いついた① 欲望!欲望!

2023年07月24日 | 思いついたこと

齢(よわい)を重ねたせいか、今の生活が恵まれているせいか、若いころのような強い欲求が減ってきた。これを世間一般では『枯れる』というのか…。細かいところでは、先日書いたように炭酸水メーカーが欲しいな~、なんて思っているのだが(他にも、給料が上がったらいいな、発泡酒でなく毎日本物ビールが飲みたいなとか)、強烈に何かを欲していない気がする。

まあ生活できる程度に収入があり、うそんこビールなら飲めているし、ぼちぼちな、佳き人生なんじゃないか。向上心が足りないからそんなことで満足するんだと言われそうな、ユルイ考えなのかもしれない。ユルくて時々、自分が堕落しているのかと心配になることもある。でも基本的には、これでいいんだと思っている。

ホームベーカリーの項でも書いたけれど、欲望を持ち、それをすぐに達成させない。その欲望が本物かどうか確認する期間と欲望を満たす条件を課すことで、その道のりを楽しんでいるような気がしている。欲望が何でもすぐに満たされるのって面白い?想像してみて。欲しいものが何でもあって、望むことのない生活を。もしくは、すぐに望みが叶ってしまうことで、欲望が満たされることに対して鈍感になってしまった自分を。欲望は適度に飼いならす生き方の方が、きっと楽しい。

 

望みを先延ばしできる耐性があったり、諦められる潔さがある人の方が、欲望に振り回されていない『人としてのゆとり』を感じられるので、好ましく思う。