うちは発電所付き住宅です。なので、仮に停電しても平気です。
…というのは嘘です(風呂敷を広げすぎちゃいました)。数年前に太陽光パネル一枚(35×65㎝くらい)と車用バッテリー、チャージコントローラーをつなげた、自作の発電セットを設置しました。最近は梅雨であまり出番はないけれど、普段は家のスマホや充電式乾電池、ウォークマンくらいは余裕で充電出来ちゃいます。制作費用に対して元は取れているのか?と問われると、ムムム…かなり怪しいですが。
でもこれは単純に費用回収が出来る出来ないという目先の問題だけではなく、意味のあることだと思っています。
もし災害や何らかの事情で停電が発生しても、うちのスマホや明かりは何とか使える。それで思い出したけれど、以前住んでいた住居の風呂はバランス釜方式(分かるかしら?)だったので、ガスを点火するときはスイッチポン!ではなく、自分でハンドルを回して着火させるものでした。周囲の家が『停電で風呂が焚けない~』中で、うちは自力で着火できるので困らなかった、ということがありました。自力でできる範囲が広い程、非常時には強いんだと実感した経験でした。
別の視点でもう一つ。2018年の北海道胆振東部での地震の際、ブラックアウトが発生しました。大規模発電所の停止が(供給不足による電力の周波数の乱れが)ほかの発電所に連鎖したことが、大きな原因です。
大規模発電所は、確かに効率的なシステムです。たくさんの小さな発電所を作り維持するより、安く大量に電気を作れます。でもね、今後は、発電所を小型にして分散させる…という発想があってもいいのではと思います。家庭で言えば、電気も、自作の電気も、(ガスも)使えるという感じでしょうか。効率化の弱点を見た思いがしました。
そして、効率化を進めすぎてしまうデメリットについては、作る側(今回の場合は電力会社)だけでなく、私たち消費者も受け止めなければいけないと思います。何でも安ければいいという風潮が強くなると、どうしても安全性や環境保全がおろそかになりやすくなるものです。安い商品を求めておいて、いざトラブルがあれば生産者を責め立てるというあり方は、ちょっと情けない。値段以外の価値を見出せる、成熟した人になりたいなあと、思ってしまいます。日々是修行。
まあ、非常時を見越して発電装置を作った訳ではないんですが。じゃあなぜ作ったかって?ただ面白そうだと思ったからです。
もうひとつ思うのは、晴れた日に「今日は発電日和!」と装置をベランダにセットして、バッテリーやスマホに電気がたまっていく様を見ていると、電気を大切に使おうと意識する気持ちがわいてくるんです。野菜嫌いな子どもが、自分の育てた野菜を喜んで食べるのと似ている?自分で得た電気(育てた野菜)は、大事に(喜んで)使う(食べる)…この『大切に使う気持ち』は節電にもつながるし、それ以上に生活の質を上げる重要なキーワードだと感じています。詳しく話すと電気から話が逸れてしまうので、生活の質については、またおいおい。