たけのこ新聞の事件簿

離婚をきっかけに、今まで心に溜めていたことを書いています。離婚、エコ、世間の常識(のようなもの)についての疑問などなど。

50代専業主婦 離婚した! 17ささいな支え~終わりにかえて~

2023年03月30日 | 離婚

離婚活動中、毎日音楽や本にしがみつきながら生活していた。体重は減るわ(未だ戻らず。減りすぎて体力がなくなったのが辛い)、涙は勝手に流れるわ、自分の体なのに思い通りにならないな…と思っていた。

ちなみに、辛すぎる状況で『涙が枯れ果てる』という表現をすることがあるが、私は枯れなかった。泣きたくない所、泣くべきではないと思う時でも私の意に反して涙は出た。きっと『枯れる』というのは、辛すぎて感情が鈍磨してしまった状態だと思う。人には耐え難い苦しみを前にすると、それをシャットアウトする機能がついているようだし。

そう考えると、こんなに苦しいと思っていた日々も、自身が壊れるほどではないし、終わってみたらこんなもんかという感じ。元つれあいに愛想をつかしていた分、傷は浅かったのかもしれない(どちらかというと、元つれあいではなく、自分と向き合う時間の方が長かったと思う)。

 

辛く不安だった日々。それでも過ぎてみればあっという間だった気がする。聞くに堪えなかった罵声も、仕事・家・お金などの不安も忘れかけている。忘れっぽいだけかもしれないけど、やはり、日常のあれやこれやに関わっていると、離婚活動が遠い昔に感じられる。忘れるって素晴らしい贈り物だと思う。前にも書いたけど、人間って上手くできている。

これって、子育てに似ていると思った。子育てがあらかた終わった人なら、共感してくれるのではないだろうか。子育て中は体力も必要だし、心も使う。楽しいことばかりじゃないし、不自由も多い。それでもふと振り返ると、苦しかったことはおおかた忘れていて、子ども達の可愛い仕草や思いやり、楽しい思い出ばかりが思い出される。不思議。

音楽を聴く(楽器を弾く)、読書、子どもとの食卓、外での人間関係…一つ一つは小さな一コマだけど、それが網目のように重なって、そのハンモックの上に私が揺られているイメージ。先日も何を思ったか、出勤の車中で、17年乗り続けている車に『大きな事故もなく運んでくれてありがとう』とナデナデしていた。端で見ると変な人だと思うので、人前ではしない、勿論。

こうした、たくさんの『ささいな支え』に守られて今日も過ごす。こんな穏やかな日々がいつまで続くか分からないけれど、まずは子ども達が希望をもって独立できるまでを目標に、生活を整えて、大切に過ごそうと思う。こう思えるのも、離婚のお陰。そう考えると離婚も、それに伴う苦労も悪くない。

 

あ、でも決して離婚を勧めているのではない。始めに書いた通り、修復できるのならそれに越したことはないと思う。人生どのルートを選ぶにしろ、実りある人生が送れますように。

それでは。次からは別のネタでお会いしましょう。


50代専業主婦 離婚した! 16いろいろない!けどそれがどうした④

2023年03月29日 | 離婚

買い控えて、後回しにしたモノ。

筆頭はオーブンレンジ。電子レンジはなくても結構平気だったが、お菓子作りの好きな子ども達には我慢をさせたと思う。買えば頻繁に使うことが目に見えていたので、オーブンはちょっぴり良いものにしようと決めていた。そのため、生活が軌道に乗って、ある程度お金の目途が立つまで待った。買った途端…毎日のように菓子やらパンやら作り始めた。今でも週に4~5日、何か焼いているのではないか。粉やら砂糖、玉子の消費量に驚く。手作りしている限りは、食費を切り詰めたくないし、仕方ないという感じ。

ホットプレートもその一つ。それまでお好み焼きは一枚一枚フライパンで焼いていた。みんなの口に入るのになかなか時間がかかるし、台所と食卓が別の部屋なので、行ったり来たりが面倒だった。食べながら焼けるって素敵。子供にせがまれて、なんとたこ焼きプレート付き!関西の人にとっては『何を当たり前なこと言ってるんだ』と思われるかもしれないが、私にとっては人生初のたこ焼き器。散々探して、展示品の新品を手に入れた。やったー。屋台で売ってたり、冷凍食品だったりで食べることはあっても、カリッと焼きたてのたこ焼きは新鮮だった。

こんな風に「ない」から手に入れるものは、お金さえ貯まれば買うという選択ができるが、「ある」けど買うのは難しい。ケチなので。

例えば服や靴。底が薄くなったり、ひび割れしてきてもまだ履けると思うと買えない。特に離婚直後で生活が不安定な時は、後回し対象になる。今でも養育費に頼っている時点で、安定しているとは言えない気がするし、どの時点で買い替えるかは悩みどころ。みんなはどこで線引きしているのだろう?


50代専業主婦 離婚した! 16いろいろない!けどそれがどうした③

2023年03月28日 | 離婚

本棚について。

子ども達はたくさんの本を持っているが、今のところカラーボックス一つを本棚にして、それに収まる程度に加減している様子。私は本好きで毎週図書館に行くが、所有している数は少ない。離婚を決めたときに、残す本を厳選したためだ。引っ越し時の中くらいの段ボールひとつを横に立てて、本やファイル類を収めている。本の増減に伴って、箱の大きさも変えられる。次に引っ越すことがあれば、段ボールに封をするだけ。簡単。減らしてよかった。ほこりをかぶったまま本を放置することがなくなった。本棚(段ボール)は移動しやすいので、掃除も楽々。

小さいものでは、バスマット、表札などもやめた。バスマットは、バスタオルを使っている。風呂上がりにバスタオルを使うのをやめたら、バスタオルが余ってしまった。なので、三つ折りにしてマットにしてみた。乾きも早いし、扱いが楽になった。表札は、安全上の理由から掲げていない。配達の人がいちいち、名前を確認しに来られるので申し訳ないと思う。

そう言えば、ごみ箱も買っていない。適当な大きさの段ボールをゴミ箱代わりにしている。引っ越し直後はごみが多いので、大きな段ボールにごみ袋を敷いた。ごみの量の減少をと共に、箱も小さくしていった。段ボールごみ箱は汚れたり臭ったりしてきたら、つぶして新しいのに取り替えやすいのが良い。

化粧品もやめた。コロナマスクで顔を半分隠しているし「化粧必要ないじゃん?」と思った。色付き日焼け止めだけで、今のところ支障はない。化粧水も、手作りしている。肌の弱いうちの子でも使える仕様。手作り化粧水の原価計算をしたことないけれど、100㎖で100円もかからないのではないか。化粧水の大半は水でできていることを考えると、買うのがばかばかしくなる。

こんな風に買わずにあるもので間に合わせていくのは、ちょっとゲームをしているみたいで面白い。そして(ちっともおしゃれではないが)、生活が楽になっていく。


50代専業主婦 離婚した! 16いろいろない!けどそれがどうした②

2023年03月27日 | 離婚

新居の話に戻る。とりあえずに必要なモノはそろえたが、買わなかったもの、後回しにしたモノはいろいろ。買わなかったもの。テレビ、本棚など。

テレビは元々そんなに見ていなかった。それこそ見たかったのは、天気予報と年に何回かの金曜ロードショーくらいで、それ以外に興味がなかった。社会に遅れてはいけないと刷り込まれてきたので、ニュースを見たりもしていたけれど、たいていニュースって悲惨なこと、腹立たしいことばかり。見ているだけで怒りっぽくなってくる

各種国民的(?)スポーツイベントも、関心のない私にしてみたら虚しいお祭り騒ぎに感じてしまう。WBCだとかワールドカップだとか、朝から晩までそればっかりで、興味がないと非国民的に感じさせられる…と感じるのは僻みか?でもこうした放送の在り方は、ちょっと幼いのではないだろうか(と文句の一つも言いたくなる)。

 

話を戻すと、テレビの必要性を感じなかったので買わなかった。予想通りなくても平気…というより、ないと静かで快適。自分の時間がたっぷりできる。ゆっくり子どもの顔が見られる。話ができる。

コロナで何人亡くなった、地震でどれほどの被害があった、こんなニュースを聞いているうちに人間は感覚がマヒしてくるのではないだろうか。ショッキングな事件や事故を求め、それに飛びつく姿は、あまり美しいものではない。…おっと、思うところがありすぎて、すぐ話が逸れてしまう。テレビのあれこれは、また機会があれば別のところで書こっと。


50代専業主婦 離婚した! 16いろいろない!けどそれがどうした①

2023年03月24日 | 離婚

さあ引っ越して別居だっ!と晴れて自分の(借りた)家へ移ることになった。その時持ち出したのは婚礼家具と布団、学習机、車くらいか。大きな電化製品やカーテン、照明は新調したし、炊飯器、鍋釜(おっと、釜はない)、調理器具などはリサイクルショップで調達した。炊飯器は不要かと思ったけども、子どもに炊飯を任せる機会が増えるので購入。生活してみるといろんな場面で不足を感じた。

「よし、断捨離だ!」

いやいや、断捨離は不要なものを手放していくことで、もともとモノがない我が家で使う言葉ではない。以前からすっきり暮らすことに憧れていたので、これはチャンスだと思った。足りないと感じたときの工夫が楽しかった。

 

モノをため込む人間がいると、家の風通しが悪くなり、ホコリがたまり、狭くなり、探し物が増え、イライラが募る。程度にもよるけれど。自慢じゃないが(自慢することではないが)うちはすごかった。つれあいの給与明細は仕事に就いた時の物からずっと残してあったし、何に使うのか通勤用の使用済み電車の回数券も何十枚と積んであった。買ったまま10年以上放置のプラモデルや塗料。例を挙げればキリがない。

意味不明の捨てられないモノを羅列すれば、本の1ページくらいにはなりそう。捨てようとすれば怒るし、かといって自分で片付けるわけでもなし。そのくせ家が埃だらけだと、無能な主婦(私のこと)を罵る。最後は離婚活動に気力を取られ、掃除をあきらめていた。家の中を見回すだけで、気が滅入っていった。


50代専業主婦 離婚した! 15穏やかな毎日②

2023年03月23日 | 離婚

孔子さまは50(歳)にして天命を知ると言っていたけれど、私は天命と言えるようなことを人生でやってはいない。そういう、人生を意義深いものにする何かがあれば格好いいのに、と思う。

突然、何を言いだすのか。50歳手前あたりの頃、ふと孔子の文言を目にした時から、どんな人間でありたいかをしきりに考えるようになった。自分の人生って一体何だったんだろう。自分はどういった人間になりたいんだろうか。人生の残り時間で何ができるんだろう。

恥ずかしいので『○○な人になりたい…』なんて言わないけれど。

自分が目指す人物像に向かおうとすれば、他人にケチをつける暇はなくなる。だって、自分の言動を磨くことに忙しくて、他人の行動なんてどうでもよくなってくるから。そんな境地になれたらいい。

そう何度も言い聞かせて、つれあいとの間でできた傷を修復しようとしているのかもしれない。

 

ところで新生活、ちょっとおかしな(可笑しな?)ことになっている。

離婚以前そして離婚活動中に比べると、今の生活があんまり穏やかすぎて、かえってソワソワしている。これでいいのか?何か忘れていないか?落ち着こうと無理に紅茶とお菓子を並べて優雅にティータイムをしているつもりになってみたり。形から入ってみたけれど、このゆったりした時間を味わうのが難しい。変だな。こういう時間を熱望していたのに、慣れないことをするとぎくしゃくする。ゆっくりこの生活になじんでいこうと思う。

もう一つ思いついたこと。

「穏やか」や「ゆったり」が新生活のキーワードである。でも常に頭の端には、緊張ランプが点滅している。たとえ仲が悪くても夫婦でいる場合、どちらかが倒れたり動けなくなっても、もう一人の養育者がいる。しかし、保護者が一人になった今、私が倒れたり事故にあえば子ども達はどうなるのか。そんなことを考えてしまい、日々の行動は前より慎重になった。車の運転は丁寧になった。体調管理も心掛けている。家の防犯にも気を付けるようになった…そもそも盗むようなもの、ないけど(笑)。子ども達が独り立ちするまでは気を抜けないと思うようになった。


50代専業主婦 離婚した! 15穏やかな毎日①

2023年03月22日 | 離婚

別居してからは、実に静かな生活をしている。子ども達は中高生。反抗期真っ最中と一般的には言われている。そりゃあ疲れていたり、余裕がないときはキイキイわめいたり、ドアをバタン!と閉めたりするけれど、元つれあいの暴言に比べたらかわいいもの(カモンベイビー♪)。

同居していた頃、つれあいは子ども達に四六時中

「勉強しろ」

「テストは何点だった、見せなさい」

「間違えたところをやり直して見せなさい」

「(一日の勉強時間割を作ったから)この通りに勉強しなさい」

と勉強のことばかり言っていた。聞いている私がイライラしていた。まあ、つれあいにしてみたらお勉強ができることが自分のプライドだったから、子どもにも同様に求めたんだと思うけど。そして今…子ども達はちっとも勉強しな~いで、趣味に走っている。

お勉強はできたほうがいいんだろうけど、できたからって幸せになれるわけではないってことは、元つれあいが証明している。残念ながら。そう考えると、勉強が好きならともかく、嫌いな子に勉強、勉強と駆り立てても、お互い不快になるだけだよな…。

それよりも誠実であること、人と気持ちよく付き合えること、自分に正直であること、こうした幸せに生きるための力というか、知恵を身に着けてほしいと思う。

今、私は怒鳴られることがなくなった。そして怒鳴ることもない。振り返ってみると私は、よく小言を言っていたと思う。やはり大人でも子供でも、体や心が疲れていると文句のひとつ…ふたつ、みっつと言いたくなるんだと思う。でもそのネガティブな気持ちをまき散らす前に、自身の状態を見つめてみよう。文句を言うほどのことではないかもしれないし、軽く注意すれば解決することかもしれない。自戒を込めて。

小言を言うとさらに自分の気持ちが苛立つのが分かる。どこかで止めないと、ネガティブの無限ループにはまる。そうすると関係のないあれこれにまで文句をつけたくなる。そして、嫌な人間になる。


50代専業主婦 離婚した! 14心のモヤモヤ

2023年03月21日 | 離婚

毎週末、子どもは元つれあいのところへ行く。昼寝したり、ショッピングセンターで何か買ってもらったり、おいしいものを食べさせてもらっている様子。週末になるたび、私の心にモヤモヤと不快な煙が立ち上る。養育費は出し渋ったくせに、子どもへの餌付けはしっかりするという態度に、腹を立てていた。そして、あれほど私に対するDVを目の当たりにした子供が、それでもつれあいに会いに行くということに傷ついていた。もっと積極的に、私の味方になってもらいたかった…本当は。

何故毎週行くのか、父親のことをどう思っているのかは聞いていない。きっと聞くことで子どもを困らせてしまうのではと思うと、聞く気にならない。そして、いつまでもモヤモヤ。

 

別居して10カ月頃だろうか、ふと気が付いた。

私がヒマだからこんな風にウジウジ考え込んでしまうんだ。そうじゃん。子どもは子ども、私は私。子どもの存在や行動を、私の心のよりどころにすべきではないし、子どもを利用してつれあいと張り合うべきではない。あちらはあちらで勝手にお金をばらまけばいい。あと10年もすれば子ども達は巣立っていくのに、子どもに寄りかかっていてどうする。今、子ども達はちゃんと私と生活してる。これでいいんだ。私は自分の時間を過ごそう。

 

そして昼寝をした。何だかすっきりした。この先もモヤモヤ、ウジウジは寄せては退く波のように繰り返すかもしれないけれど、子どもを使ってつれあいと張り合うことはやめる努力をしようと思う。そもそも張り合う必要ってないじゃん。モヤモヤしたらしっかり昼寝をして、おいしい夕飯を準備して、機嫌よく食べよう。


50代専業主婦 離婚した! 13お金のこと再び

2023年03月20日 | 離婚

以前、婚姻費用や養育費が家裁で決めた額面通りに振り込まれないことを書いた。最近はちゃんと支払われるようになったが、支払いを待つ側というのは不安定な立場である。本当は、養育費をアテにしないでも生活できたらいいと思う。お金を通じて毎月つれあいを意識しなくてはならないのは、癪に障る。素直に感謝できるほど私は大人ではないし、この状況は何とかしたいと思っている。

離婚直後はお金がかかる。公的な援助を受けようと思っている人の場合、別居しても離婚が成立していなければ各種援助の申請はできないし、申請できてもすぐに援助されるわけではない。今は、生活が整った上に養育費も支払われて、生活も落ち着いたけれど、当初はお金の項でも書いた通り出費ばかりだった。

離婚はイニシアルコストがとてもかかる。

 

日用品の購入のためにリサイクルショップを回った。

つれあいには内緒だが、結婚指輪、婚約指輪は売っぱらった。その他、もう身につけないであろうアクセサリー類も売った。最初、婚約指輪を売ったお金全額で、トイレットペーパーを買おうと考えていた(尻でも拭いて、流してやるー!)が、結局生活費に消えた。残念。

細かいことだが、近所のスーパーのポイントカードやネット通販で貯まったポイントは、今まで無いものとして使っていなかったので、割と高額になっていた。

こうした、貯金口座や財布の外に落ちている(?)お金がとても役に立った。これは、つれあいの知らない隠し預金の一つだと思う。詳しく書かないが、探してみると、ほかにも落ちているのを発見する。困ったと思ったら、身の回りに目を凝らしてみるのもいいかもしれない。

 


50代専業主婦 離婚した! 12離婚後の手続き

2023年03月17日 | 離婚

家庭裁判所で調停成立後、調書をもらう。それをもって役所へ。何はともあれ離婚届け提出。

その後の手続きは人によりけり。必要書類は各自調べてもらうとして、多くの人は年金分割をするのではないかと思う。

加えて、子どもがいれば親権(子の氏変更)、児童手当口座の変更、子どもの学校への届け。習い事や塾などにも引っ越し等の手続きや支払い口座の変更。人によっては、各種子育て援助金や低所得者への援助申請があるかもしれない。

家や車を譲り受けたら、名義変更の手続きとそれに付随する保険の変更。保険と言えば自分の医療保険にも加入した。予算の関係で、掛け捨て型。追加で自転車保険もお願いする。

職場にも、転居や扶養家族に関する変更を申し出る。

 

離婚が決まってから、これらすべての手続きを終えるまでに2カ月かかった。特にのんびりしていたつもりはないけれど、後から後から思いつくので、そのたびに手続をしていく。

引っ越しの際、本当は公営住宅に移りたかったが、申請期間外だったのでできなかった。その数カ月後、公報で入居者募集をしていたけれど、これまでの引っ越しの手続きを考えると、心が萎えてしまう…という訳で断念した。

 

こうしてたくさんの手続きを振り返ってみると、私たちは実に多くの届け出に縛られた生活をしているのが分かる。家族が移動するだけでこんなにもたくさんの場所に報告し、受理されなければ、社会生活を普通に送れないことに驚く。それらによって守られているのだろうが、ちょっと不自由な気分にもなる。


50代専業主婦 離婚した! 11支え③

2023年03月16日 | 離婚

なかなか友人たちにカミングアウトしなかったが、いよいよ引っ越しの時に、仲良しさん達に事情を話す。まぁ、驚くよね。

引っ越し前日の朝、仲良しさん達がファミリーで集まってくれる。子ども達とみんなで写真を撮る。しゃべると泣きそうで、しゃべれない。近所の子どもだけでなく、そのお父さん・お母さんたちにも、よく遊んでもらっていた我が子。近所には、うちの子のお父さん(役)とお母さん(役)がいっぱいいると思ってた。いい環境だったんだけどな。…だめだ、泣けてくる。

引っ越し当日も、引っ越しトラックを目印に新居へ昼ご飯を持ってきてくれる。

「手伝うよ」

「一緒にいると泣いてしまうから、今日はやめとく。ありがとう。」

涙目の私を抱きしめてくれる。

人に離婚のことを話すには、何故離婚をするのかを説明することから始まると思う。でも、辛いという感情が先走って、相手に理解してもらえるように話せる気がしなかった。別居後、友人が遊びに来てくれたり、一緒に出掛けたりしたが、上手くは話せていない気がする。断片的にこんなことがあった、あんなこと言われたとしか言えず、自分の気持ちをぴったりした言葉で表現できなかった。その時は自分を理解してもらいたいと強く思っていたし、上手く話せないのがもどかしいと思った。でも今は、そこまで強く思っていない。わかる範囲で分かってもらえたらいいや、って感じ。

 

心の支えと言えるのか分からないけれど、離婚が成立したときから毎月お参りを続けている。特にどの神社・お寺と決めてはいないが、その月にご縁のあった所へ行って『今月も無事穏やかに過ごせたこと』を報告する。

今までお参りなんて、正月にしかしたことなかったのに。自分の変化に笑える。

お参りは、毎日いかに幸せに暮らしているか気付くきっかけになる。離婚という大きな事件を経て、初めて平穏無事をありがたい、本当に有り難いと実感した。神様・仏様にすがって支えてもらうというより、今を気付かせてもらうことで、私の安定につながっているんだと思う。


50代専業主婦 離婚した! 11支え②

2023年03月15日 | 離婚

誰かに相談しようにも、私の周囲は仲良し家族ばかり(に見えた)。どう切り出したらいいか、何を話したらいいかさっぱり見当がつかない。誰に話すこともなく、一人奮闘する。

 

自分の親にも話すのを躊躇した。心配性で、大騒ぎされそうだったから。心配をかけたくないというより、心配事をあれこれ私にぶつけられそうだったので、ギリギリまで話さなかった。家を借りる段になり保証人が必要だったので、離婚予定で活動していることを話した。

お金もモノも送らないでほしい事、やたらと連絡しないでほしいことを伝えた。親不孝な娘だと落ち込む。案の定お金の援助をしようとするが、拒否する。これ以上惨めになりたくなかった。

こう書くと、金銭の余裕があったのかと思われるかもしれないが、そうではない。離婚準備でみるみる減る貯金額が怖かった。でも、それでも、人から哀れと思われて、恵んでもらうのは嫌だった。

そんな中私を支えたのは、子ども達と音楽と本だった。離婚活動中、私がコロナで寝込んで怒鳴られ続けていた時、「大丈夫」と手を握ってくれた娘にどれだけ救われたか。ずっと私が保護し養育していると思っていたけれど、いつの間にか私が守られていると気付く。

 

子ども達を学校に送り出してからは、ずっと音楽をかけ続けていた。もともと音楽好きで、しょっちゅう家でも流していたが、この時期はウォークマンが手放せなかった。

図書館通いの頻度も上がった。特に離婚関連の本という訳でもなく、好きなジャンルの本、心を落ち着けてくれそうな本を読み漁った。頭が離婚のあれこれで満杯なので、難しい本は借りても理解できなかった。不安な現状のせいなのか、老化のせいなのか分からず、自分がバカになったと思った。それでも、隙間時間を埋めてくれる何かが必要だったので、音楽と本にすがっていた。当時、さとうみつろうさんの本を繰り返し読んでいた。


50代専業主婦 離婚した! 11支え①

2023年03月14日 | 離婚

離婚を決意するまで、私の家は家族仲良し…とまではいかなくても、まぁまぁ上手くいっている家庭に思われていたと思う。私も子どもも、外ではそのように振舞っていた。それなのに「実はDVで…」なんて誰に相談する?誰にも言わなかった。仲の良さげな家族や友人たちを横目に、複雑な思いを抱えつつ、明るく楽し気に見せていた。

離婚を決めたとき、まず離婚経験のある友人に電話した。「今晩すぐ会う?」と言ってくれたが、彼女の仕事がお休みの時に約束する。

 

離婚を予期していたとはいえ、心の準備はなかった。でもとにかく、早く家を出ようと気は焦っていた。そのくせ、一歩踏み出すのが怖かった。いろんな気持ちが不協和音となって、心を落ち着きないものにする。でも何かしなくては進めない。そんな感じだった。彼女に会うことで、誰かに離婚を宣言することで、無理にでも一歩進めようと思った。自分がするべきことがはっきりすれば、不安も和らいで、離婚に立ち向かえるはず。

家庭内の状況はあまり詳しく話していないが、手続きなどを詳しく聞く。心が舞い上がっていて、理解が追い付かない。分からないなりにメモを取りながら、整理していく。その日のうちに友人から、顔が広く就職を助けてもらえそうな知人を紹介してもらった。

相談しながらも、本当に無事新生活に着地できるのか、まったく自信がなかった。

翌日、紹介された知人に履歴書を持っていく。ずっと専業主婦だったので、ひどく貧弱な履歴。引け目を感じる。後日、いくつか公募情報を教えてもらったが、全滅。

引っ越しするまでは、それ以外、特に誰にも相談しなかった。唯一、遠方の友人に離婚を宣言しただけ。しんどいときは、自分の状況を話すのにもエネルギーがいる。


50代専業主婦 離婚した! 10お金のこと③

2023年03月13日 | 離婚

離婚を決めるとその後、とにかくお金がかかる。

就職活動のために履歴書写真を撮ったり、郵送費、(プリンターがなかったので)履歴書をコンビニでプリントアウトしたり。家裁申し立てのために手数料、切手代、交通費、遠方から戸籍を取り寄せる費用。住居を借りるのに印鑑証明などに加え、敷金・礼金、火災保険料…そして引っ越し費用。このような手元にモノとして残らない出費がたくさん。

それと同じくらい、それ以上?に手元に残るモノの出費もある。新しい電化製品、生活用品。夫名義で入っていた生命保険を自分の名前で入り直し、電話・ネット回線を申し込んだ。

 

不公平だと思った。

明らかに自分の方が経済力が弱いのに、裁判所に申し立てる費用も、新居を借りて生活を作り上げる費用も、全部私持ち。そのくせ「早く出ていけ」と、やいやいうるさい。この場合、男の側はほとんど生活を変えることもないし、費用もかからない。私は生活を立ち上げ、お金の計算をし、離婚手続きをしてあげているのに、怒鳴られる一方。

やってられねえ、と思うことが度々あった。不満は尽きない。でもどこかで『まあいいか』と気持ちを切り替えないと、自分の心が蝕まれていく。お金も大切だけど、心の平安を手放すほどの価値はない。程度問題だけど。


50代専業主婦 離婚した! 10お金のこと②

2023年03月10日 | 離婚

つれあいの財産をきちんと追求しなかったことについて。

先回、私にそこまでの気力がなかったことを書いたが、それだけではない。これまで「なんとかなる」と何度か言ってきたが、全く見通しがなく、相手の言いなりで別れるなんて怖すぎるでしょ?

 

それまでの数年間、家計簿をつけていた。その金額から、今後かかるであろうおおよその生活費を割り出してみた。そして、自分の給料と要求する予定の養育費を合算した生活費が、それに見合っているかどうか。養育費を値切られたとしても、最低いくらあれば生活できるか(養育するためのお金なんだから値切るものでもなかろうに、それが分からなくなるらしい)。生活の目途が立つかどうかを考えたうえでの、見切り発車だ(これを見切りというのか怪しい)。さらに子供の教育費と自分の老後についても、大まかに計算する。

50歳過ぎると、年金定期便や年金分割の書類の中に、私が受け取れるであろう年金額が表示される。確かに少ないけれど、もらえるだけありがたいこっちゃと思う。これから定年までの15年で、少しずつ年金を積み上げていく。

 

とはいえ、計算したところでその通りに人生が進んでいくわけではない。こういう状況では、お金がいくらあっても不安になるものだと思う。でも本来、何が起こるか分からないのが人生。離婚だってそう。20年前は離婚するなんて、思いもしなかった。

そんな自分の不安を落ち着かせるためにも、こうした計算は意味がある。一応何とかなりそうと思って突き進んだが、これで足りなくなる可能性は十分にある。それが許せないのだったら離婚はできない。

でも、私は倹約家なタチである。加えて、お金がないならないでも、人生楽しめる気がしている。きっと大丈夫。