たけのこ新聞の事件簿

離婚をきっかけに、今まで心に溜めていたことを書いています。離婚、エコ、世間の常識(のようなもの)についての疑問などなど。

50代専業主婦 離婚した! 7住居のこと②

2023年02月28日 | 離婚

さらにネット検索した家も、別の業者に見せてもらう。明るくて、広々~。これは素晴らしい!家賃も想定内!と見積もりを出してもらう。でも、家賃以外の部分が高額すぎて断念。

4つ目の業者に別の家を見せてもらう。これもネット検索での物件。申し込みの際、どんな家を探しているのか詳しく聞かれる。当日行ってみると、がっかりするほど荒れた家。家の中が荒れているのは、自力できれいにしようと思うが、家の周囲の環境も荒れた印象。ここには住めないと思う。私が無言になっていると、その営業マン「他にもこんな物件が…」と2つほど紹介してくれる。

「見ますか?」

「今から見れるんですか?」

あらかじめ鍵も準備してくれていて、2軒とも見る。その内の一つ「ここがおススメです。なかなか空かないんですけど、今なら」と勧められる。本当なのか、ベタな営業トークなのか分からないけれど。

広くてきれい。不動産屋さんではなく、家主さんが置いてくれていたと思われる上等なスリッパ。そこに、家主さんの気遣いの細やかさを感じる。

自分がここで生活することを想像してみる。少しウキウキ。あとは貸してもらえるのか、金額は想定内なのかの問題。あまり期待して後でがっかりするのも嫌なので、冷静に、冷静に。自分が離婚予定であること、出せる金額を正直に伝え、借りられるか相談。私の仕事内容、子どものことなど詳しく聞かれる。二言目には「大丈夫」と言うが、そんなに軽々しく言われるとかえって信用できない。今まで不動産屋にけんもほろろな態度であしらわれたり、紹介されてもがっかりすることばかりだったので、卑屈になっていたと思う。

・保証人になってもらう父が、年金生活者であること

・自分の勤務歴は一カ月で、薄給であること

・離婚予定のこと→離婚予定者もしくはシングルマザーは、『貸したくないリスト』に入っている気がする

こんな感じのことを相談するが、やはり「大丈夫」と。そんなもんなのかな?

 


50代専業主婦 離婚した! 7住居のこと①

2023年02月27日 | 離婚

就職した。少ないながらも、自力で稼いでいる。初給料をもらったところで、家探しに踏み出す。

生まれてからこのかた、自分で住むところを探して契約したことなんてない。どうやって探す?探す時の作法のようなものはある?心細い思いでインターネット検索をしてみる。

条件はまず、子どもの学校の学区内であること。そして家賃と駐車場、共益費、更新料(2年ごとが多い)、火災保険など、すべての合計金額を一年当たりの金額にならした時、私が設定した金額以内に収まること。なので、家賃も大事だったけれど、1年間にかかる実際の支払金額の方が、条件としては大切だった。でもネットで探したとき、こうした金額はどこを見てどう計算するのか、よく分からなかった。まずは目ぼしい家を1~2軒、内覧予約をする。同時に、地元密着していそうな不動産業者へも足を運ぶ。

離婚予定のこと、払える家賃の上限などを相談する。条件に合いそうな物件を貼り出してあるが、理由をつけられ紹介されない。あとで連絡すると言われる。連絡の行き違いがあり、後日再訪問する。…が、紹介できる物件はないと、お茶を持たされ追い返される。ビンボーシングルマザーはお呼びじゃないらしい。お茶を突き返して店を出る。悔しい。

別の不動産業者は、さっきよりマシな対応。いくつか条件に合う物件をプリントアウトしてくれる。それをもらって、自転車で見に行く。家の周囲をぐるりと回り、日当たりや近所の様子を確認する。どれもピンとこない。この金額では無理なのかと落ち込む。

 


50代専業主婦 離婚した! 6家庭裁判所へ③

2023年02月24日 | 離婚

昨日の続き。

この1円でも多く獲得しようとする気持ちと、たとえ私が損しても、ちゃっちゃとケリをつけて離婚調停を終結させたいという気持ちが交互に現れて、2つの気持ちの振れ幅の大きさに苦しい思いをした。まるでジェットコースターに乗っているみたいに、あっちの極からこっちの極に振り回されていた。

ゼロサムゲームはとても疲弊する。相手をつぶす・奪うことがメインになるから。

相手の土俵で戦いたくなかった。お金は欲しいと思いつつも、相手の言動と同じレベルでやり返したり、奪ったり、傷つけたりすることでザマアみろと思うような、くだらない人間にはなるもんかという意地があった。

とは思いつつ、私はそんなに高尚な人間ではない。単に疲れたから、ゲームを降りたような感じかもしれない。

 

さて、3回目の調停で終結となる。最終回だけはつれあいと同席して、裁判官の読み上げる判決を聞くこととなる。4月の初めに申し立てをして、8月中旬に決着した。この後も『婚姻費用や養育費を全額は払わない事件』は続いたが、要求はしていない。

世間からは立派な職業で、所得もそこそこ高いほうだと言われる仕事をしている元つれあい。そんな彼があれこれ理由をつけて、婚姻費用・養育費から数千円、数万円差し引いて振り込んでくるのを見るにつけ、あぁ、離婚してよかった、と思う。払えないわけでもない身分で、養育費を一方的に値切るって、どうよ?

おっと、話が逸れた。

3回目の終了後に、書記官から調書などを受け取りすべて終了。この日(離婚成立日)から10日以内に役所に離婚届けを提出する。親権の手続きも、年金の手続きも、ここがスタート地点。まだまだ緊張は解けない。

せっかく家裁まで来ているのだから、親権の申し立て(正確には子の氏変更の申し立て)をするための書類をもらって帰る。ちなみに子の氏を変更をするには、役所に離婚届けをして、受理され、戸籍に反映した後の戸籍が必要になる。焦って離婚前の戸籍を取らないように。私は戸籍の申請をするとき、申請用紙に『子の氏変更をしたいので、離婚後の戸籍が必要』とわざわざ書いて送った。もう一つ、子どもの戸籍も必要。併せて申請する。

常識かもしれないけれど(私は知らなかったが)、婚姻中の氏を継続して使う場合でも、子供の氏は変更手続きをする。例えば、田中さん(父の氏)から田中さん(母の氏)に変えるという手続きになる。変なの。

帰りに近くの神社へふらっと立ち寄る。調停が終わったこと、今の生活が穏やかなこと、こうしてありがたいと思える私でいること、何もかもが『感謝』という感じ。賽銭箱に千円札を押し込んで仏様(神様?)にくどくどお礼を言う。もちろん心の中で。

 

 


50代専業主婦 離婚した! 6家庭裁判所へ②

2023年02月23日 | 離婚

調停中は、こちらの要望と事実だけを伝えるように努めた。

とはいっても、家庭内のことは、最初に離婚理由を聞かれたときに少し話しただけで、その後あまり聞かれることはなかったので、ほとんど話さなかった。あんなひどいことを言われた、された、こんなに傷ついたという被害者意識いっぱいで調停に臨んだけれど、そこを共感してもらう場ではないということをしみじみ感じた。

家庭内がどんなに荒れていようが、私が怒りや悲しみにおぼれていようが、要望と事実だけを伝えた。

勝手に涙が出て困ったこともあったけれど、全体としては冷静さを保てたと思う。離婚の条件を決定してできるだけ早く別れるのが目的なので、相手の貯金隠しや、退職金を明らかにするのを拒んだ時も、黙って飲み込んだ。相手の言い値で財産分与は決定した。

こうして書くと、なんで?と思われるかもしれない。でも、子供が大学を卒業するまでの生活は、ぜいたくしなければ何とかまかなえると思う。老後も何とかなる…はず?というか、何とかするつもり。そんな見通しと決意があった。

 

1円でもたくさん獲得しようと思うと、とてもしんどくなる。確かに共有財産だし、私に権利があると言えばあるかもしれない。友人たちにも「しっかりお金はとらないといけない」と、あちこちで言われた。その時はそうだなと思うけれど、でもね、一人になって考える。お金をたくさん得ようとすると、どうしてもつれあいと余計な摩擦を起こすことになる。私は疲れた。私は早く別れて楽になりたいんだと、叫び出しそうになる。友人たちは私のために良かれと思って言ってくれている、それはよーく分かっている。その気持ちはありがたいと思う。それでも…。

何とかなると判断し、何とかしよう決めた。お金を得るために、人生の限りある時間をムダにするのはやめようと決意した。お金なら、別の方法で得たほうが、精神衛生上もずっといい。

 

エラそうに決意したと言ったけれど、今でも時々、私は人が良すぎたんだろうか?もっとお金を得る権利があったのに、と思うことがある。なかなか潔くはなれない。


50代専業主婦 離婚した! 6家庭裁判所へ①

2023年02月22日 | 離婚

年金の項でも書いたが、年金分割の割合を家裁で決めようとしたら、『年金分割のための情報通知書』が必要になる。また、婚姻期間の分かる戸籍も必要。離婚を決心してから、これらをそろえるのに、3カ月ちょっとかかった。

 

これでようやく家庭裁判所に、離婚の申し立てができる。私は事前に書類一式をもらいに行っていた。じっくり考えながら書きたかったので…。受付で必要書類を受け取り、申し立てに必要な書類、お金と切手についても教えてもらった。書類をざっと見て、分からないことも聞いておく。でも書類を書いているうちに、どう書けばいいのか迷う点はどうしても出てくる。そこは、自治体の無料法律相談や、家裁の窓口で教えてもらいながら埋めていく。と言っても結局は調停員の人に状況を話すので、迷ったら迷ったまま、分かる範囲内で書けばよいと、提出後に言われた。

提出書類は、念のためすべてコピーしておく。

親権、年金分割、財産分与、養育費の4点(後に婚姻費用も加えて5点)で話し合いを持った。まあ、直接つれあいと顔を合わせずに話が進むので、まどろっこしいけれど気持ちは楽である。私の要求はごく一般的(だと思う)で、欲張ったり、常識外のことはしなかったつもり。なのですぐに終わると思っていた。

相手が貯金を隠し始めたのは知っていたけれど、そのことについて問わなかった…というか、そもそも、相手の貯金額自体を問わなかった(知らなかった)。養育費も算定表の下限あたりの金額。親権はこちら。年金は折半。でもつれあいは納得しなかったらしい。子供の学費だけは無条件で満額確保した。

つれあいの要求が常識の範囲内ではなかったようで、調停員さん達が頑張って説得してくれた様子が端々に伝わってくる。養育費・婚姻費用は少し減額されたものの、ほぼ私の条件通りに、話が進んだ。

結局調停は、3回に及んだ。調停さん曰く「これでも短いほうだ」と。

 

調停の最中に、子どもを連れて引っ越した。家裁申し立ての内容に婚姻費用を加えたのは、そのためだ。婚姻費用も随分値切られた。その上、財産分与・婚姻費用の支払い期限が、早めにお願いしていたにもかかわらず、引っ越しの半年後にまで先延ばしされた。引っ越しにもお金がかかっているのに、それまでの間どう生活していくんじゃい!

そして予想通り、期限の最終日に支払われた。

【教訓】

離婚するほどに壊れてしまった間柄では、相手の配慮を求めることはできない(当然か)。

お金に関してあれこれ計算しても、ほぼ確実に捕らぬ狸の皮算用となる。


50代専業主婦 離婚した! 5年金のこと②

2023年02月21日 | 離婚

実際に年金事務所へ行ってみると、ほとんどの人が予約なしで来ていた様子。予約なしでも受け付けてもらえるなら、もっと早くに来て手続きしたのに…と、残念に思った。ただ、待ち時間はかかるかもしれない。

年金事務所の人と一緒に『年金分割のための情報通知書』の申請書類を作る。分からないことだらけで、結構時間がかかる。手続き終了後は、通知書が来るのを待つばかりなのだが、申請したことを連れ合いに知られたくなかったので、自宅の郵便物にはかなり気を遣った。

申請から手元に通知書が届くまで3~4週間と、ネットには書いてあったが、実際にはひと月半以上かかった。長い…。でも、これがないと家庭裁判所に年金分割の申し立てができないので、ジリジリした気持ちで待った。

 

年金分割の手続きを完了するには、離婚後にもうひと踏ん張り必要になる。といっても、年金事務所に手続きに行くだけなのだが。年金事務所で別段難しいことをするわけではないが、離婚後は疲れ切って脱力していたので、行くだけと分かっていても億劫だった。離婚後2年以内と手続きできる期間は長いけれど、忘れっぽい私は、すぐに行かないと不安だった。ヨレヨレ、ドロ~ンした気持ちで、今度は予約なしで手続きに行った。そんなに待つことなく案内された。あれこれ書いて、ハンコをついて、年金分割は無事終了。

 

余談だが、年金分割と言っても、思ったほど年金が増えるわけではない。分割しなかったら明らかに老後は生活できないじゃん!という金額になるし、分割しても、これだけでは暮らせないだろうなという金額。就職して自分の年金を今後増やしていくわけだが、それでも年金だけで生活できないだろうとは思う。まあ、持ち家か賃貸か、都市か田舎か、倹約家かどうか、いろんなファクターがあるから一概には言えないけれど。

これは悲観して言っているのではなくて、心づもりがあった方がいいと思って言っているだけ。

定年後に何もせずぐうたら消費生活をするのは、つまらないだろうなと思っている。別に年金だけで生活ができなくても、自分で何とかすればいいかと思う。小銭稼ぎをしてもいい。幸い私は、そんなに贅沢にできていないので、お金があればあるように、なければないように生活するだけ。


50代専業主婦 離婚した! 5年金のこと①

2023年02月20日 | 離婚

きちんと話し合いのできる状況でなかった我が家。

まだ会話の余地がある夫婦なら、離婚後に仲良く(?)年金事務所へ行って分割の手続きをすれば良い。うちのように感情的になりすぎて、私の日本語が理解できないようなつれあいの場合、家庭裁判所での強制力がないと分割できない。まったく困ったもんだ。

 

そんな訳で、離婚経験のある友人に相談したとき、年金分割をするならすぐに『年金分割のための情報通知書』を取得したほうがいい。あれは時間かかるから…とアドバイスされた。なぜ必要かというと、家庭裁判所へ申し立てをするときに必要だから。

話を聞いて、その日のうちに年金相談ダイヤルに電話する。家から一番近い『街角の年金相談センター』での予約をしようとするのだが、12月末に電話して、最短で2月中旬の予約となる。どんだけ混雑しているの??1月早々には手続きするつもりだったのに。とにかく、できるだけ早い日程でお願いする(相手の勤務先によって手続き場所が変わる)。

手続きに必要なもの

 戸籍謄本(抄本)→婚姻期間が証明できるもの

 年金手帳など、基礎年金番号を明らかにできるもの→自分も相手も

 念のため印鑑と、身分証(免許証)、相手の収入が分かるものも持って行った。

相手の年収などはなくても(わからなくても)手続きできるのだが、あった方が書類は書きやすいかもしれない。

 

本籍が遠隔地だったので、郵送で戸籍謄本を取り寄せる。この時、家庭裁判所へ離婚の申し立てをすることを見越して(申し立てにも必要)、2通取り寄せた。

もう一つ。今後離婚手続きを進めていくと、何度も戸籍を取り寄せなくてはならない場面が出てくる。なので、申請用紙、封筒、切手は余分に準備しておくと、後が楽になる。就職活動のところでも話したが、計画性のない私は毎度バタバタした。定額小為替はその時その時で必要金額(何通取り寄せるか)が変わるので、その都度郵便局へ買いに走ってもいいと思う。


50代専業主婦 離婚した! 4就職活動③

2023年02月17日 | 離婚

最終的に、ハローワークで紹介してもらった、とある公社に決まった(決めた)。勿論すぐに、知り合いの知り合いという人に報告とお礼をしに伺った。

 

その職場、履歴書を届けに行った時も、面接の時も、職場や働いている人の雰囲気が穏やかで、いいところだと感じた。私はここで働くのかな(働けたらいいなという方が正確かもしれないが)と予感した。予感は的中し、私はここで働いている。

その後、給与が高い、別の職場から面接の案内が来たけれどお断りした。

 

離婚活動中、混乱のさなかでもヤケになることなく(これが難しい…)、自分が働けると思える場所を探し続けた。お陰で、経歴も技術もないけれど、いいご縁に恵まれた。内定をもらった時、私は決心した。

「仕事ダルイな~、面倒だな~」なんて絶対に言わない!働けるって、とってもありがたいことだ。私が役に立てる事ならどんなことでもする!と。

 

あれから数カ月。先日読んだ内田樹さんの本に、こんな文章があった。

「キャリアの扉にドアノブはついていない。だからこっちからこじ開けることはできない。あちらから開くときにたまたま扉の前に立っていることがあれば、それを『ご縁』というのである。」

あぁ、私のことだと思った。

焦りや不安で全身の毛が逆立っている日々。泣きながらでも深呼吸をして、丁寧に生活し、外に対して礼儀正しく(暴言を吐く元連れ合いに対してさえも!)、人生を整えていれば、その人生に見合う扉が開かれるのかもしれない。

別にスピリチュアルなことや、まじないめいた迷信の話をしているつもりはない。ただ単に運が良かっただけと言われれば、その通りかもしれない。でも扉の話は、私の感覚としてよく分かる。こんな人間でありたいと、生活を整えた先に、それにふさわしい扉がひょいと現れる。

こうした不思議は、この先の離婚活動でも経験した。

 

 

 


50代専業主婦 離婚した! 4就職活動②

2023年02月16日 | 離婚

離婚のようなプライベートでネガティブなことを他人(ハローワークの職員や、知り合いの知り合いなど)に話すこと、はじめは躊躇した。こんな切羽詰まった状況でも、いい格好をしたいんだな、私は。でも、そこは乗り越えないと進めない。たまには自分の(訳の分からない)プライドを崩して行動するのも「いい経験」と自分を励ましながら、この先に書く年金相談の窓口、不動産屋さんなどにも状況を話して相談する。

正直に包み隠さず話してみると、相手は結構親身になって力を貸してくれたりするものだ。単に仕事で私にお付き合いしてくれている以上のご縁を感じることがあった。

 

最初のうちは、書類提出先や結果、その到着日を記録していたけれど、こんなことしていると気分がどんどん下がるので、途中からやめた。だから、いくつの職場にチャレンジしたか、今となっては分からない。

面接まで行くことなく不採用、というのもたくさん。面接まで行ったけれど不採用、というのもいくつか。子ども達の前では気丈に振舞っていたけれど、なかなか決まらず、本当に苦しかった。

 

「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」は嘘だと思う。たくさん応募すると、職場ごとの履歴書を準備したり、対策を考える…多いと、どうしても一つ一つがおざなりになってしまう。その上、自分の容量を超えた就活は自分を見失ってしまう。

ターゲットを絞って、本当に自分が行きたい職場に注力しよう。

そう切り替えて動き出したら、気持ちが落ち着いてきた。職が見つからない不安は変わらないけれど、あちこちに気を散らさなくて済む分、エネルギーのロスはなくなった。

そうそう、就活をするなら、写真や切手、封筒は多めに用意すると楽だ。いちいち買いに走ると、焦ってミスを誘発しやすいと思う。私はそんなこと考えつかず、いちいち買いに走った(笑)。


50代専業主婦 離婚した! 4就職活動①

2023年02月15日 | 離婚

20年以上専業主婦をしてきて、今更働けるのか、そして働く場があるのか?不安でいっぱいだった。でもとにかく動くしかないし、履歴書と職務経歴書(こんなの20年前にあったっけ?)を書いてみる。経歴書と言っても、結婚前と結婚後の少ししか勤務経験がない私の経歴は、本当にお粗末なものだった。

がっかりしつつも、自分に何ができるか、どうしても譲れない条件は何か?をじっくり考えてみる。いくら自分の市場価値が低くても、仕事なら何でもいいとは思っていなかった。自分ができる仕事でかつ、必要な条件が満たされていなければ、長く勤めることはできないと思う。

 

わたしの場合は、体力がないので肉体労働はムリ。口下手なので営業もムリ。事務か事務に近い仕事で探した。でもそういう仕事は、一般的に競争率が高いらしい。はぁ~。

そして条件は、

1家から近いこと

2社会保険が整っていること

3定年まで働けること(〇年契約で、その後再雇用の保証がないと、非常に困る)

多少給料が下がっても、この条件だけは確保するつもりだった。

ハローワークで離婚予定のこと、条件のことを話し、相談に乗ってもらう。その他、知り合いの知り合いに顔が広い人がいるというので紹介してもらい、そこにもお願いに行く。履歴書の書き方のヒントもその人に教えてもらいながら、少しずつ洗練させていく。

 


50代専業主婦 離婚した! 3最初にしたこと②

2023年02月14日 | 離婚

それまでは離婚したいと思っていても、実際に離婚活動へと踏み出すのが怖くて、そのうちに…と先延ばしにしていた。でも相談することで、誰かに言葉で伝えることで、ようやく行動に移ることができたと思う。

頼れるのは自分だけ(実はそうでもないと後から知る)、

うまく新生活に着地できるのだろうか(なるようにしかならないと後で気付く)?

なんて考えると足が竦んだ。でも進むしかない。その頃は、一日中緊張していた。しんどくて、一日中好きな音楽を聴き、日記を書き、身辺整理をしていた。

引っ越しを想定して持ち物を減らしていったり、

連れ合いの銀行口座と共有していたハンコを新しくしたり、

自分の財産を(と言っても、預貯金ちょっぴり)整理したり。


50代専業主婦 離婚した! 3最初にしたこと①

2023年02月13日 | 離婚

決意した時にまずしたこと。

離婚経験のある友人に連絡を取って、どのように動けばいいか教えてもらった。こういう時って、頭の中が雑然としているもの。傍からは落ち着いて見えていてもね。

だから心配事を思いつく限り紙に書いて、頭の代わりに整理した。頭ははっきり言って、使い物にならない。毎日の生活と、不安や怒りに振り回されていて、整理も記憶も無理!

心配事…例えば親権とか、年金とか思いつくものを箇条書きにしてから友人に会った。

 

[どこか相談に行った?]

 

と聞かれた。公共の相談所などに行って、相談実績を作った方がいいと言われた。そのことに何の意味があるのかよく分からなかったけれど。DVを受けている証明にでもなるのかな?わかる人がいたら教えてほしい。

でもまあ相談することで、現状に対して客観的にコメントしてもらえたり、共感してもらえたり、無料弁護士相談に回してもらったりした。わたしの自治体では、一人一回限り30分の弁護士相談だったので、本当に聞きたいことだけをまとめて臨んだ。感情的(感傷的?)になって涙を流しているヒマはないので。こんなこと聞いてもいいんか?と思うことでも、ガツガツ聞いた。手続きなどはネットで調べたらいい事なので、(後に書くつもりの)家庭裁判所への申し立て書類の書き方(有利に書く方法はあるんかいな?とか)、親権やら養育費の一般的な見通しとか、実際の弁護士さんの口から聞きたかった。

ネットの誰かさんではなく、目の前の専門家に聞きたかった。


50代専業主婦 離婚した! 2離婚を決意する

2023年02月10日 | 離婚

離婚を考えている人は、現在無職だろうが、住居のアテがなかろうが、悩んでいる間はない。

だいたい、悩むなんて選択肢のある人の言うセリフだ。離婚をを決意した時点で、もう悩めない。前に進むだけなのじゃ!と思う。不安はあっても悩みはないはず。

不安については、これから一つ一つ取り上げて、どう解決していったのかを書いていきたい。

 

1離婚を決意する

数年来続いていた暴言やちょっとした(?)暴力に加えて、この一年ほどは、生活費の渡し渋りが続いていた。毎月の生活費をお願いしても、まずは黙殺される。何度かお願いすると「ただ飯喰らい!」だとか「泥棒!」だの「出ていけ!」と怒鳴られながら生活費を投げつけられる、まるで悲劇のドラマみたいな生活だった。

なぜ働かなかった?

働くと文句を言われた。働かなくても文句を言われた。どっちにしても文句を言われるなら、働くのやーめたと、パートもやめた。でも今思えば、同じ文句を言われるのなら、働いていたほうが離婚後の生活の安心につながったのかもしれない。離婚時のストレスはできるだけ少ないほうがいいしね。でもその時は、しんどすぎて仕事と暴言の両立はできなかった。

わたしは運良く、良い職場に縁があったけれど、それでも離婚活動中の精神的にボロボロの時期に身だしなみを整え、仕事を覚えて、新しい人間関係を結ぶというのは大変だった。いや、大変というと苦労してこれらをこなしたと思われるかもしれない。実際は簡単な仕事でもミスを連発したり、職場で髪がボサボサの自分にびっくりしたりした。それでもクビにならず、何とか勤めている。大丈夫。始めつまずいても、何とかなる。

 


50代専業主婦 離婚した! 1まえがき

2023年02月09日 | 離婚

20年以上専業主婦をしていた私が、離婚を決意した。

中学・高校生の子供がいて、本当にそんなことできるのだろうか?と思った。

でも考えてみると、暴言とちょっぴり暴力、それだけでなく、

生活費の渡し渋り(つまり経済的なDV)もあるのだから、

婚姻関係にあろうがなかろうが経済的に不安定なのは一緒じゃないか。

 

家の中で怒りや不満をためて、連れ合いの帰宅にビクビクしながら暮らすなら、別れた方が楽になれる。

子どもたちにとってどちらが良かったのか、別れた今でも答えは出ない。

子ども達には甘くて、勉強にだけ厳しい父親だった。

子ども達は今でも定期的に会っているけれど、父親をどう見ているのだろう?離婚をどう見ているのだろう?

今、夫婦関係に悩んでいるヒトサマに、離婚を勧めるつもりはない。修復できるのであればその方が傷も浅く済み、お金と心のエネルギーを無駄に使わずに済み、経済的だ。

話し合い・歩み寄りの余地がある、あるいは、飲み込める程度の不満なら頑張って生活を立て直そう。

でも、これ以上一緒に生活を続けるのが難しいと考えている人がいたら…私がどんなことを考えながら、どんな手続きをして離活(離婚活動)をしたのかという、ひとつの例えになれば。もしくは離婚回避のきっかけになれば。